2014-10

あたたかいもの

今回は相当な前倒しで作業進行中。
やることは、溢れるほどある。
その合間に、持っていなかった雑誌が手元に吸い寄せられるように、届く。
少しずつ、足りなかった号が埋まっていく。
そしてやはり中身をみないと分らないことが沢山あると驚く。
今日は、小説ではない懸賞応募作品の中から、意外な小説の発見がありました。
落選者の中に、また後に名を残した方の名前も発見しました。
重箱の隅をつつきながら、最近では兄弟誌の広告にも意外な発見があって、
何度でも取り出しては新しい気持ちになります。

戦前の雑誌は、見ていると涙が出そうになることがある。
いま、金子光晴の「どくろ杯」を再読していて
二十年ぶりくらいでね、
いまこうして大正や昭和初期の匂いを胸と頭に飽和させていると
関東大震災を境に日本が如何に変化してしまったかが
胸を突くのです。
金子光晴はその変化を、空気の重さに耐えかねて
長い長い放浪の旅へと向かう。
科学画報は啓蒙雑誌だから
もっと前を向こう、もっとよくなると鼓舞するけど
本当はどれだけ悲惨な世界が広がっていたのか、
そこからまた暫くすれば、もっと恐ろしい世界がもう一度やってくる。

そんな中で編集部は、どれだけの科学の見る夢を共有しようと
映画大会や星の観測会や懸賞や
苦労に苦労を重ねてみんなに分け与えようとしていたのだろう。
押し寄せる圧制に抵抗したことが後に認められても
一方でその限られた枠の中で最大限の喜びのかけらを渡そうとした力は
得てして取り上げられることはないのです。
でも、そういう風に作り上げられた雑誌の方が
僕は愛おしく感じるのです。

昨日、ある著作権継承者の方から
温かいお返事をいただきました。
僕たちのような一介の同人製作者にも、
ちゃんと応えてくださる人がいて
尚一層、いいものを作りたいなと思いました。

ありがとうございます。
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同人誌のこと

「戦前『科学画報』小説傑作選」発行から二ヶ月経過。
へっぽこサークルとしては尋常ならざる売れ行きで、これも沢山の人がtwitterやブログで取り上げてくださったおかげ。
本当にありがとうございます。
11月の東京文学フリマ持参分がぎりぎり残ってるくらいの在庫量。

一応冬コミで(受かってたら)、二号を出そうと準備中。
一号はその時に少しだけ再版かけようと思ってます。

同人誌って(ここで使うのは現在一般的になってるほう)
色々作り手の姿勢がわかれるので、頒価もそれぞれ。
セミプロ的に同人誌で食べてる人は、それなりにマージン乗っけてるのも頷けるし
赤字覚悟でやってる人もいる。

で、僕の個人見解では、
一番真ん中の赤字もなければ黒字もないくらいなラインです。
活動の大半を占めるのは印刷代・即売会参加費・交通費とか。
なので、うちは刷り部数の半分が売れたらペイする、というのが価格設定の基本になってます。
資料代(たとえば戦前の雑誌とか)は計算に入れません。
人件費もゼロ、まあイベントの後に美味しいお酒が飲める位は残ってます。

ただし印刷代は選ぶ印刷屋さんや、仕様によっても全然ちがうので
逆に価格設定してから、仕様を決めることもあります。
昔はフルカラーPPは当たり前でしたが、今はもっと安くして特殊紙+一色/二色刷を使ってます。
キラキラPP、トマソンと呼ばれる穴くりぬき、箔押し、フランス装(なんちゃってだから真のフランス装じゃないよ)、本文多色刷り、特殊紙グレードアップとか・・・。
贅沢いえばきりがありません。

まあ僕は本を作ること自体に愛着があるので
紙見本とか印刷屋のパンフ見ながら、仕様考えているのも大好きです。
多色刷りは、昔の文芸誌、例えば思潮とか、パイデイアとか見てると
決してFCでは出せない色の重なりの妙があって、
あえて実験的に遊んでいる部分もあります。

字組は本当は、DTPソフトとかあればいいんですけど、
Wordでやってます。
荒馬っていうか、単なるアホなくせして勝手モンだと思ってますが、こいつは。
ルビひとつとっても、図の挿入にしても、
ぴしぴし鞭を入れてやらないと、美しい状態に近づけられません。
が、それもまた面白いもんです。

で、十五年くらいこういう遊びをやっていて
当初は二次創作から、右も左も印刷のことわからないまま入ったわけですが
ひとつだけ、大事にしていることがあります。
素氏にも口をすっぱくして言っている事。
「お金をもらってるんだから、対価に見合う礼儀は尽くせ」

勿論、文章力にしてもイラスト力にしても原稿の作り方にしても、みんな個人差はある。
時間的金銭的余裕もそれぞれだ。
でも、まあいっか、適当にいっちゃえ、っていうのは、許されないと思ってます。
この辺、何が適当とか、言いにくい部分もあるけど。
たとえ脳内妄想ぶちまけてるだけでも、最低限のルールは守れ。
商業出版でもその最低限がない、ひどい本も沢山あるけど。

ルールもボーダーも引き方は様々だし、
下手すると理想が高すぎて、一冊も形にならないってこともあるかもしれない。
でも、愉しみつつ、ああ、可愛い本が出来たなあ、
誰か喜んでくれる奇特な人が一人でもいるかなあって、
いわば、適度な自負をもって出したいと、
そういうことです。

におい

本当に世の中の大多数が人工的な香料なんて求めてるのか
と叫びたい。
あらゆるものに何か匂いをつけていないと不安になるように
洗脳してるんじゃないかとさえ思う、ここ数年。

僕は香水や化粧品の匂いが本当に嫌いで
ついで人工的につくられた花の匂いがニガテだ。

ここ二週間のあいだに、
なんの因果か三個も粉末の洗濯洗剤モニター品がとどき
死にそうになってます。
ビニールに包まれているのにダンボールの外まで匂う。
一個目はア●エ●ルだったので、試しに使ってみたら、
花じゃなく猛烈な石鹸臭で、すすぎ不足かと思うくらい、一日中肌着が臭い。
未開封の粉せっけんには、「花香る」「フローラル」と書いてあり、
捨てようか迷ってます。

ちなみに我が家の愛用品は「アワーズ」という最低価格品で
何も匂いません。
何度アンケートで無臭希望と書いても通りません。
商品開発の人は、操作された流行に惑わされず、少しは無香料にしてくれといいたいです。

透きとおる

いま一番注目の女性シンガー、岩崎愛ちゃん。
アジカンライブでゲストとして三回見て、圧倒的な歌声と可愛さでノックアウトさ。
12月にライブ観にいきます。

黒いものがぜーんぶ、消し飛ぶね。



ジュリアンらしからぬ

ウツの雲が少し晴れて、人と喋れるようになった。
でも、喋りすぎると必ず反動が起きるので、抑えるべし。
人と話すと、悪い瓦斯も抜けるが、内省が減り、ふと気づくと新たな瓦斯が補填されている。
この抜き加減、バランスがとても難しいと思う。

「モイラ」の主人公ジョゼフは結局、本物のモイラに二度しか会いませんでした。
一度目の出会いで、非常なる嫌悪と同時に、恋を知りました。
二度目の出会いで、「恐ろしく純粋な」彼はそのアンビバレンツに耐え切れず、モイラを消しました。

このお話、性愛を完全否定する潔癖青年の破綻とも読めますが、
実は本人自覚のないまま、男女ともに惹き付けてしまう魔性が非常に巧く隠されているのがミソです。
もし彼がわずかでも、自分の魅力を知っていたなら、この話は成立しません。
いや完全に無自覚、未発達だからこそ、謎のフェロモンを出ているのでしょうけど。

そして巧みに隠されている、最初からジョゼフをかまい続ける、
彼を苛立たせ続ける男・プレーローとの関係こそかジュリアンが書きたかったものかもしれません。
ひたすら何も見えていない主人公視点ではなく、
この男の内面から描いても非常に面白くなった気がします。

もし「モイラ」で二次創作するなら
(もうそんな力は僕にはないけど)
プレーローが、ジョゼフが唯一それなりに(ほんと、少しだけ)信頼をおくデヴィットとの関係に、ヤキモキしているところとか、モイラ消滅後、ジョゼフを救おうとするシーンとか、プレーロー側から書きたくなるのですよ。

で、続けてジュリアン77歳の作品 「悪所」も読了。

あーー。これ本当にお勧めできないです。
ジュリアンらしさが、すっかり枯れてしまって。
陰々滅々、闇夜に泥沼に突っ込むような暗さだっていいじゃないかのジュリアン。
そこには必ず、執拗なまでの内面との闘いがありました。
でも、「悪所」にはもうその影さえないの。
いつも醜悪な人間は出てきたけれど、必ず被害者の子供たちは、時には幻に逃げつつも、内なる声を発し、昇華していきました。
この作品にも悲しい少女は出てきます。
けれど、彼女は何も物語らず、心の声も聞かせてはくれません。
緘黙したまま、最後の行動をおこしただけです。
彼女を毒牙に掛けようとした叔父さんも、血の海へと果てました。
(いつもジュリアン作品の自殺方法って、静けさに反比例するように凄まじい)

ま、最後のお楽しみ的に取っておくほうがいいと思います。


悪所 (1981年) (ジュリアン・グリーン全集〈13〉)悪所 (1981年) (ジュリアン・グリーン全集〈13〉)
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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