2014-09

もいら

引っ越し作業完了。
意外と荷物収納できました。

怖い方の妹が急遽参加になり、
本当に何もかも考え方や生活スタイルが違うので
怒鳴り合いになりそうになりながらも、なんとか作業に専念。
お掃除ルンバがあったとして、
ルンバもサンバも踊れない、いやピクリとも稼動域のない僕の家を見たら、奴は卒倒するであろう。
健康志向、高級志向、理想主義ばっかり発言で、寒気が・・・。

***

「モイラ」半分読み終わる。
ジュリアン50歳の作品だからか、陰鬱さのキレが悪い。
主人公ジョゼフは陰鬱なんだけど、思考回路がいわゆる悪しき青春の負の回路状態でね。
誰も君のこと嫌ってないのに、
些細なことに妄想たくましく落ち込み、喧嘩をふっかけ、
周りはみんな勉強もせずに異性のことばかりだ、
唯一友だちになってくれた子も、どうも根本的には考え方がちがうらしい、
ああ、世の中ノイズだらけだ、わーーっ、吐いちゃう、本当吐いちゃった。
とかいう展開。

ジョゼフにはただしつこくチョッカイ出してきているだけ、ほっといてくれと感じている、同じ下宿の男の子がいます。
実は彼は最初からあからさまにジョゼフに惚れているんだな。
もうミエミエに、こちらも超青春的に全身告白してるんだけど、
それが神経質の朴念仁の主人公にはちーーっとも通じない。
あわれ、サイモン。
ええ、またも同性愛展開ありです。

ジュリアンは生活のベースは殆どフランスにあったけど、
アメリカ国籍だからということもあって、大学はアメリカに渡っていた。
その頃の体験が、相当この作品には盛り込まれている。
が、ジュリアン=ジョゼフと考えるのは短絡的すぎる。
むしろ今まで種々の罪咎の中に生きる人々の思考や行動の顛末を通して、
投影的に神の言葉なき宗教観を打ち出してきたジュリアンが、
あからさまに基督教を題材にしているのが、かなりの変化を感じさせます。

登場人物名に聖書にまつわる名を当てたり、
プロテスタントを真っ向から読み解こうとする人物を出したり、
「ギリシャ語で聖書が読みたい」「人を救いたい」「けれど基督を霊的にはちっとも感じない」というお子様ランチな思考回路の、ジョゼフという不確定な中心部をおいているところをみると、ジュリアンの変化がはっきりと見て取れるわけです。

まあ、最後まで読まないと判断できないけど、
これは結構キビシイ展開。
なにしろ、タイトルにもなっているモイラちゃんが第一部では登場していない。
そして恋を否定するジョゼフ、空気全く読めないジョゼフが、
モイラに出遭ったとたん・・・手のひら返すんじゃないかとも。

苦悩する人々の心の深奥から導かれた、
これが宗教の一端であろうと、じわっと伝わるこれまでの作品と
「モイラ」の直接話法は、かなり違っていて。
ある意味、婉曲から外れた分、薄味になってるかなーとか危惧します。

いや、このまま進むなよ。
頑張れジョゼフ。

あ、トーマス・マンの四部作「ヨセフとその兄弟」読まないと。
僕の中では、トーマス・マンとジュリアンって感覚的に共通項が多くて。
逆に「モイラ」と比較すると、差異の方を明確化できるかもなあとか、思う。


ヨセフとその兄弟 1ヨセフとその兄弟 1
(1985/05)
トーマス・マン

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追い込み

元々、4+2K(最初は二世帯住宅だったので)+屋上巨大納戸+押入れ天袋という、かなりキャパの多い実家に四十年以上降り積もった品々。
その多くを捨てたのだけど、まだまだ諦められないものもあり。

本日下見に行った一時退避用のマンションは1DKでね、当然キャパやばい。
ついでにとっても背が低いので高いところに逃がす作戦も成立しにくい。
なぜこんな狭いとこにしたんやと、責めても仕方ないので、やるしかない。
明日荷造り追い込みですが、どれだけ諦めてもらえるかなあ。

もし今自分の家の引越しやれと言われたら、もうどうしようもないです。
本が、本が……多すぎて無理。

人間の魂

神戸は雨です。

半年くらい別宅で仮住まいする母親のネット環境を構築するために、ポケットwifiを検討。
二年縛りじゃない長期レンタルって結構月額がすごいのねーん。
よーわからんから、頼むといわれ、僕名義で契約。

よーわからんと言いながら、74歳でパソコン教室行って、エクセル上級とかやってる人。
子供の頃、脇にいて娘の算数とか数学の問題、めっちゃ熱心に、
いやほぼ意地になって解こうとしていた姿が思い出されます。
教えてくれるのではなく、自分が解けるか、それが一番大事という。
だから、僕たちの成績なんて、どうでもいいのわけじゃないけど、良くて当たり前、悪いと理解不能な人だった。
褒められたとか、一度もないし。
うー。

まあ、こっちにいる間になんとか、ネット構築しなくちゃなりませぬ。
離れてるから、壊れてしまったらどうしようとか、かなり不安だけどねえ。
世の中この種々の契約縛りの横行、見かけと実態の差が大きくて困ります。

***

久しぶりにジュリアン・グリーンの未読の小説読もうと思って、
菫色が美しい人文書院全集から、「モイラ」(福永武彦訳)を旅の友としました。

そこに挟まれた月報を澁澤龍彦が担当しています。
おかしいのは、彼が、ついうっかり、全くジュリアンのファンでもないのに、この仕事を引き受けてしまったことを、ヒジョーに後悔しているということ。
締め切りが近づいて、やりきれないよーと嘆いています。

そして困った澁澤さんは、1/3を初めてジュリアンに触れた戦前の第一書房から出ていた「フランス現代小説 全十巻」の思い出と、そこに掲載されていた他に面白かった作品を羅列するという作戦。
そしてもうこれ以上の誤魔化しはきかぬと、ようやくジュリアンの「ヴァルーナ」という作品に触れるのです。
最後は苦肉に策で、ボルヘス「不死の人」と通じるとかなんとか・・・苦しそう。

大丈夫です。
ジュリアンは万人受けしないことは、よく判っています。
澁澤さんもこう嘆いています。

簡単にいえば、ジュリアン・グリーンは私の歯に合わないのである。
人間の魂の領域を扱う作家は、私にはどうも苦手なのである。



ジュリアンの小説は陰鬱です、陰惨です。
救いがほとんどありません。
精神の深奥を裂かれる思いがします。
でも、その裂かれ心から血を流した人たちが見るヴィジョンが素晴らしいのです。
そのヴィジョンの中には幻想建築と呼ぶに相応しい、建造物が登場します。

一番有名な「閉ざされた庭」(アドリエンヌ・ムジュラ)は、初心者にはお勧めできません。
強烈な少女の発狂の書だからです。
「幻を追う人」と「真夜中」に出てくる空間は、勇気ある人は覗くべきものですが、
幻を見る子供たちは、そこに至る前に、悲惨な眼に遭いまくります。
そこを持ちこたえられるかが、好みの分かれ目だと思います。
もう一つ「つみびと」も大好きです。
こちらは同性愛者の無産のおじさんの、男が欲しくて仕方がない葛藤と、おじさんを好きになってしまった女性に悲惨な状況が、またも素晴らしい建物の中で繰り広げられます。

ということで。
僕は「モイラ」を愉しみたいと思います。


岐路

今夜のガイアの夜明けは、身につまされる内容でみていて苦しかった。
あそこまでブラックじゃないけど
現在岐路に立たされておりまする。
謎の有限会社から給与をもらっていたのが、病院直接雇用になるのだけど、
その減俸がすごいんだ・涙。

いろいろ考えて、
それでもお金貰っている時間に原稿やり放題をとることになりそうです。
白い眼で見られたって平気さ、
自分の作りたい本を作る時間があるほうが楽しいもん。

***

明朝から、夏休み使って帰省します。
引越し作業の最後のお手伝い。
これでちょうど人生の半分を過ごした、あのビルがなくなってしまう前の姿、見納めです。
なので、デジカメも持って行こう。
ビルといっても、二階建てなのが反面自慢。
次は四階建てになるそうです。
呪いの館の呪いが、これで解けるとは思えないけどねえ。
自縛霊ちっくに苛烈なんだから。

まあ、ちょっとだけ感傷的な気分になることでしょう。

***

写真は8月頭に北千住で見たスラバのスノーショー。
本当に素敵な時間でした。
真夏の切ない雪の物語。
オーラスは、観客席にも大量の雪(紙ふぶき)が吹き荒れて、巨大な風船がバインバインと飛んだのでした。

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動画も貼っておこう。






grappa

須賀敦子『トリエステの坂道』は、イタリア人で早逝した旦那さんと、その家族親戚にまつわるエッセイなのだけど。
「重い山仕事のあとみたいに」と題された章に、密造グラッパという酒が出てくる。

話の中心となるのは、洒落た山男。
この老人は、旦那さんの弟のお嫁さんのお父さんにあたる。
「チロルに隣接したトレント地方の海抜千メートルの山の共同体に生まれたフォルガリア人」という説明が書かれているけれど、まったくピンとこない。
フォルガリア人とは、民族のことなのか、それとも県民的な地域性を表しているだけなのか。
欧州では国境が密接していて、永い歴史の間で多くの民族が入り乱れているのが当然で、他民族感覚が日常に混淆することにとても鈍感な僕たちは、ついつい攫みきれず読み飛ばしてしまう。

須賀敦子のエッセイには、多くの人達が出てくるけれど、
ただ仲間や知人がよく観察されているだけでなく、日本の自分の血縁者、旦那さんの血縁者、もう次から次へと出てくる。
それぞれにわだかまりや、距離が置かれて観察されているけれど、「逃げてしまう」疎遠さはなく、ただ脇に坐っているだけであっても、深く交わっている姿に驚かされる。
旦那さんが亡くなっても、イタリアを離れても、ずっとその人たちと繋がっている。
時には、会うことのなかった、既にこの世からいなくなってしまった人の思い出を(例えば、旦那さんに出会う以前に亡くなった、彼の父や兄や妹)、まずは姑の言葉を通して、さらに須賀敦子の想像と読み解きによって、人々が蘇ってくる。
もうこの世にいないひとたち。
ほとんどが不器用で、巧く世の中を渡れなかったひとたち。
目の前にいれば腹立たしいような、けれど思い出してしまうと、物悲しさが募る人々。

ずっと雨の音を聴いているような、
肌寒いので、一枚毛布を首まで引き寄せたような、
そんな感覚が、ずっと読んでいる間つづいていく。

で、その山男さんは。
遊びにきた須賀敦子に、家族ですらどこに隠してあるのか知らない、密造グラッパをくれた。
直接手渡すのは照れるので、息子に託して。

グラッパとは、ワインの搾りかすになった葡萄の実と種と皮を原料にした、蒸留酒らしい。
度数は50前後でかなりきつい。
昔は医者に見放された肺炎患者に飲ませて、喉に詰まった細菌を消毒させて、生き返らせたこともあったという。
いわく「農村や山の民だけが口にする野卑な酒」

飲んでみたいなー。
気になるなー。
もちろん、日本にも輸入されてるけど、やまやとか行ってもないだろう、通販じゃないと難しいかもしれない。

しかし、なぜボトルが奇妙な形をしてるのが多いんだ・・・。
贈答用っていっても、これは・・・。
かなり迷走してるな。

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そふとくりーむ

板橋区立美術館へ「種村季弘の眼」展を見にでかけました。
汗ばむ秋晴れ、西高島平からの道は殺伐として、妙にぐったり。

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こじんまりとした展示、タネムラさんが紹介してきた絵画や造形が並んでいました。
ゾンネンシュターンやベルメール、ホルスト・ヤンセンは自分も好きなので親しみがあったけど、
二人のカール
Karl Korab と 
Karl Heidelbach は初めて観たような気がする。
ハイデルバッハの無機質な空間に下半身がめくれあがっていてぞくっとする、顔のない少女像が特によかったです。
あとは、タネムラさん宛の澁澤龍彦、武田百合子、瀧口修造の書簡が、みんな文字からして可愛いので、ガラスに張り付くようにして読んでいました。

おそらく、タネムラスエヒロが何者か知らない人はあんまり来ないと思うのだけど。
未知の人にお仕事を紹介するという意味では、ちょっと纏まりに欠けていたかなあと。
あと。。ギャラリートークから逃げるのに、苦労した。
よくある貸出解説ヘッドホンとかも、いつも判らん。
静かに観たいのです。

帰りに、細い道を挟んだソフトクリーム屋で休憩。
牛乳苦手なので、濃厚ソフトはダメなひとだけど、ここのは美味しかったね。

近所のデイケアセンターのワンボックスがやってきて。
青年介護士たちが六人のおじいちゃんおばあちゃんを、デッキ席に連れてきた。
みんなで、「美味しいねえ」とニコニコしながらソフトクリーム食べていました。
心底楽しそうだったので、ああいう表情でお仕事してる青年二人、すごいなあと思いました。


karl-korab.jpg

カール・コーラップの可愛いトランプ絵みつけた。大きくなるよ。
この人の建物の絵も幻想建築っぽくって好きだな。

本日のバカ

人形町と品川でプチバイト。
プチといいながら、相当時給のいい仕事です。
時々お酒が飲めたり、どーんとおつまみお土産にもらったり、同世代のヒトの不可思議な生態が見られたり、核の廃棄物のシンポに出て意見交換したり、社会勉強みたいなこともできます。
一ヶ月に二、三回しか当たらないけど、楽しみにしています。
交通費はコミなので、いかに経費節減するか、ルート設定するのも楽しいです。

一円の差を求めてスーパーのチラシ比較するとかいう根性は全くないですが、
無理せず生活しながら、でも知らぬ間に、あれ貯金できてるじゃん、っていう営みが、ささやかな楽しみのひとつです。
ダダをこねても一切通じない、おねだりしても無駄、ヒトには頼るべからず、物欲なんて一瞬の気の迷い、ということを空気でひしひしと読み取る、ヒジョーにいやな子供だったので、今はそれが自然体になったともいえます。
なので、買い物=発散とか、イメージはわくけど、あんまり実感がありません。

***

本日のバカというのは。
乱歩賞の賞品が本当にホームズ像だった!
ということすら知りませんでした。
今朝教えてもらって、赤面。
バカの薬として、昨日の記事は修正しないでおこう。

なんかホームズコレクターな人たちは、
その像をねらっていて、乱歩賞作家の死後遺品が出たらすぐに・・・・・。
みたいな冗談を聞いて、朝からホホオと思っていた僕でした。

こどものゆめ

何しろ咳がしつこくて、一度始まると止まらぬ。
寝転がると余計にひどいので、毎晩ノンレム/レムの境で発作。
うつらうつらとすると発作。
肋骨が軋んでいる。

むかしチャリで道端のフォークリフト(製本所とかにある)に激突。
肋骨あんまり痛いのでレントゲン取ったら折れてたのだけど。
罅や軽い骨折だと、コルセットしか治療はない。
あれで、この咳が重なっていたらと想像するだに、びびる。
くしゃみひとつで、うおーーっだからなあ。
のたうって、むせて、また咳出て、のたうっての繰り返しになるはず。
想像する絵は面白いけど。洒落になりませんって。

***

実家の解体が近づき、引越しの手伝いに先日帰省した。
いろんな時代の卒業アルバム持ち帰って中を見る。
小学校のアルバムは、文集が合体されていて、これがひどい。
自分の文章、ひどすぎる。
構成とかじゃなく、ずっと僕はとても偉そうな子供(今もそうだけど)だったので、
そのコマシャクレ感が見ていられないので、破りたい。

で、一学年50人もいなかった既に廃校になったその小学校の同級生に
S君というちょっと毛色の変わった男の子がいた。
自営業や船員の子弟が大半を占め、割りに野放図でガサツな子供たちの中で
S君だけは別の意味の放置をされた少年だった。
何しろ友だちの家の多くは飲食店だったり、パチンコ屋だったり、散髪屋だったり、船員住宅だったりする。
たとえば、JR(当時は国鉄)の高架下、一階はお店で、二階(つまり線路の真下)は天井の低い始終電車の走る音の聞こえる場所で、それも複数の家族が雑居化した不思議な空間で遊んだり、ラーメン食べたり、カツラ被って走ったりしていたので、どこにいっても、子供は何したっていいじゃないか、でも人は大勢いるよみたいな友達が多かった。
一方S君は母子家庭で、お母さんは会社勤めで、物は与えてもらえるけど、静かな一軒家に一人ぼっちな感じで放置されていた。
が、S君はさほど寂しいそぶりは見せていなくて、その大きな家にコロコロコミックをはじめとして大量の漫画や、本が並んでいて、物知り君だったように思う。

そんなS君とは中学は別になり、高校で再会し、一年生の時に同じクラスになった。
そのクラス会が十年位前に開かれたのだが、
クラスメイトの近況報告の欄を見て、どうやら文筆業をしていることがわかった。
お互いその同窓会には出なかったから、詳しいことは分らないのだけど。

前置きがながくなったけど、
そのS君が小学校の卒業文章で書いた将来の夢というのが、すごく可愛かったので。
ああ、いいなあと、純粋に楽しくなってしまったので、
引用してみたいと思います。
あ、当然、著作権切れてないです、不許可ですまぬ。


タイトルは「江戸川乱歩賞受賞の日」

今朝はいつもより早く起きた。
今は西暦二千年。
ぼくは、三十一才の小説家。そして今日は、江戸川乱歩賞受賞の日なのだ。
うれしくて、たまらない。
朝の十時になると、むかえの車が来た。
今回の授賞式は、ずいぶん大きなものだ。
僕が一歩会場に足を踏み入れると「ドバーン、パーン」という音がして、花火があがった。
「受賞おめでとう」という声が聞こえて、あざやかな色のテープが、ぼくに向かって投げられた。
ぼくの正面には、江戸川乱歩の息子さんがいる。
息子さんといっても、もう七十才くらい。
ぼくはその息子さんと握手をして、舞台の上にある講演台へのぼった。

(中略)

続いて、賞品の授与なのだ。
賞品は、賞金とシャーロック・ホームズ像。
これは例年の通りだが、今年は西暦二千年なので、特別に明智小五郎と小林少年と少年探偵団の像がついていた。

続いて祝いの言葉が述べられる。
ぼくの目標だった作家の星新一さんも来ている。
星新一さんは、ぼくが前に「目標は星新一さんです」と言ったのを知って、わざわざ来てくださったのだ。

今は「きものプラザT崎」の若社長であるT崎君もきているし、四宮時計店の若主人であるK崎くんことカワモもきている。
I藤文房具店の若主人I藤くんこと、ノンも来ていたし(※)、その他いろいろな人が来ていた。
これからはパーティーだ。
パーティーでは飲んで食べて、さわいで、大いに楽しんだ。

(後略)



※当時の同級生たち、こちらも名前は伏字にしました。
実は着物プラザこと呉服屋さんはまだ残ってるけど、時計屋さんと文房具屋さんは後を継がれなかったので、今ではお店もないのが、ちょっと切ないです。

しかし、乱歩賞の例年のトロフィーが、ホームズ像って・・・かわいいなあ。

繋留

僕に神様から与えられた唯一の使命があるとすれば
それは、唯一の大切なヒトを守ることにあると、信じる。

いいかえれば、その信念が
地上に僕を繋ぎとめる、唯一無二の守護聖人たらん。

脱輪

レールに乗り損ねると、こういうことになるんだなあとつくづく思う。
かといって「本気」で生きたことがないので
やり直したいとか、過去の自分を叱責する気にもなれず。
少なくとも、ちゃんと選んできたわけですから、後悔とかはありません。

小さく暮らしたいです。
ささやかに暮らしたいです。
もともと、既に余白を生きているのだから、余分なものは何もいらないです。
本も一生分あります。
映画も見れなくてもいいです。
綺麗で恐ろしい美術も、見れなくてもいいです。
思い出の中にあるので充分です。
相当忘れているのも、印象の欠片でいいです。
ごはんも全部自炊します。
時々緑の中、風の中、星の中、散歩できればいいです。
その他のものは、もうとっくに捨てているので何もいりません。

余白に自分で自分の言葉や絵が書けたらそれで充分です。
結局何も描けなくとも
自分の余白を自ら引き裂き、散らしてしまえる
余裕さえあれば、それで充分幸福です。

雑音と耳鳴りと嘔吐と、
こせこせした切迫感と、周囲に渦巻く刹那的な物欲と、
濁流になって押し寄せる無体な情報と、
それらから隔絶してもらえるなら
僕はもう、何もいりません。

だって、なにしろ、もう既に、後ろ見返しなんですもん。
破り捨ててもいいじゃないですか。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

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