2014-06

翻刻

実験とおなじくらい
膨大なデータベース作成とか、旧字旧かなを新字に直して入力とか、校正とか大好きだ。
だから、復刻作業は基本的に苦じゃない。
むしろ火がつけば、とても楽しい。

でも、これらはみんな、脳の或る部分だけを使っていて
精確さや忍耐力は必要だけど、
ほとんど思考しなくていいんだよね。
思考しないというと語弊があるけど、搾り出すような辛さがまったくない。
だから楽しいし、だから楽なんだけど。

いつも、誰かがそういう苦しい捻出で生み出したものを材料にしているという
ひどく後ろめたい気分がつきまとう。
家の中にある、死蔵してはもったいない数多の資料をみんなに見てもらって
共有しようよという、スーパーバイザーの言葉はもっともで、
でも、やっぱりダメ人間な気分がずっと残る。

まあ、創作すること、搾り出すことだけが役目じゃないんだから。
ジクジクしてるくらいなら、前へ進もうと思うわけです。
なので、一ヶ月、ぐわーーっとやる。
百年前の彼らの情熱、奇妙に歪んで可愛い思考回路を見てもらわねば。
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日記の補完ならず

ジュリアン・グリーンは1900年生まれ、1998年歿。
そして彼の日記は、1919年から没年まで、なんと19冊も発行されている。
ジュリアンはアメリカ国籍だったが、ほとんどの作品をフランス語で発表しているので、勿論この日記も完全版はフランス語でのみ刊行されている。

福永武彦が編集した、人文書院の「ジュリアン・グリーン全集」にも日記が二冊入っているのであるが、
当然ながら全部は入っていない。
以前、ジュリアンの見た絵の紹介をこの日記からしたけれど、
ジッド、コクトーをはじめとして同時代の交流や、創作の懊悩、
ジュリアン自身の同性愛的葛藤が赤裸々に描かれていて、ものすごく大事なんです。
ええ、僕個人にとってだけですけど。

日本語で唯一読めるこの日記は、1928-1943年までが収められているのですが、悲しいかな抄訳であることがわかっていました。
なので、英語版の日記を購入して、抜けてる部分を補完しようと思い立ち、
米国アマゾンに発注して、一ヶ月。
船に乗ってやってきたよ。

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いや、日本版で15年分が二冊になってるのに、
こちらは1928-57で30年でペーパーバック1冊って怪しいと思ってたんですが。
ええ、予想通り、こちらも抄訳でした。
抄訳も抄訳で、20代の部分は、一年で5日分くらいしか載ってません。
さらに、日本版は、ある一日を収録すると決めたら、その日は全訳になっていることがほとんどのようですが、英語版は、相当すかすかで、ひどいところは、ワンセンテンスのみって感じで。。

まあ、凹んでも仕方ない。
丹念に日付を追いつつ、二者で照合していくと、日本版になくて英語版にのみある日付もそれなりにある。
なにしろ、戦後部分は全く翻訳されてないんだからね。
英語版は、Kurt Wolffという人が編纂していて、ジュリアンのお墨付きももらっています。
さらに翻訳は、アン・グリーン、ジュリアンととても仲の良かったお姉さんで信用できるなと。

先日、ジュリアンの自伝英語版も4冊そろったことだし。
なんか、面白いことできるといいなあと、思案中。
需要なさそうだけど、これまた。

星の街

早稲田の桑野塾へ行く前に、本郷三丁目にある小さな雑貨屋さんMitteで行われていた、「ソビエト宇宙デザイン展」に行ってきました。

ソ連時代の宇宙開発を基にした、切手、封筒、ポスターや子供向けのロシア語科学雑誌など。
壁一面に可愛いデザインのものが、わんさと並んでいました。
入場料を払うと、切手orマッチラベルと封筒を一つずつ選んでもらえるのも嬉しい。

普通こういう雑貨屋さんのイベントというと女性が多いのですが、来店していたのは男性が多かった。
展示も勿論良かったのですが、主催者さんと来場者の会話が、熱くて面白かった。
ソ連時代は閉鎖都市として秘密のベールに包まれていた星の街Звёздный Городо́к へ実際に見学へ行った人が、すぐ傍にいて感想を述べている。。。
「コミケでは評判の」と値札の貼られた、宇宙飛行や人工衛星にまつわる同人誌とかも置いてあってね。

むしろロシアのデザイン一般に惹かれていったのですが、
宇宙オタク(限定ロシア)という人もいたっておかしくないですよね。
小さな展示場でしたが、楽しかったです。

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霧と光と


須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)
(2006/10/05)
須賀 敦子

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昨日の日記の続きのようになるが
この全集の編集委員の一人、池澤夏樹氏はあとがきで
「須賀敦子さんは、イタリアで生まれ変わったのだ」と書いていた。

フランスに憧れて渡仏したものの、フランスが肌には合わず、イタリアに惹かれるようになる。
そしてミラノに向かい、イギリスで知り合った、過激な神父にして詩人であったダヴィデ・マリア・トゥロルドが設立したコルシア書店に出入りするようになる。
自分たちの思想にあう出版物を発行し、自分たちの好みにあう書籍だけを並べた小さな空間。
そこで彼女は多くの「風変わり」な人々に出会い、書店員の一人、ペッピーノと結婚した。
けれども、貧しいながらも幸福な結婚生活は、ペッピーノの早すぎる死で断ち切られてしまう。
十三年のイタリア生活に別れを告げ、彼女は日本に戻って翻訳業や語学講師をされていたようだ。

エッセイの中では、長い熟成期間を経た、ミラノを中心に出会った多くの人の肖像が、当時の彼女の心情とともに、ゆったりと語られていく。
濃密な時間とかけがえのない思い出が、霧に包まれているというその街や、友人や書店のパトロンたちに誘われて訪れた変化に富んだ、それでいて人々の生活の匂いのする風景とともに描かれている。

志して、最初の望みどおりの場所に、自分を見つける人もいれば、
他方、なぜか分からぬまま、その場所に立っていて、
気づけば、そこがまるで本来自分が生れ落ちるべき道の上であったと、
長い時間を経て、気づく人もいる。

これらの風景は筆者の瞳を通過して、外側に向かっているから、なかなか視線の根元はみえないのだけれど、
いつもそこには、柔らかで寂しい光が、木漏れ日のように当たっている。
彼女の人々との交わりは決して積極的ではないようにも思えるけれど、
若さが芽吹かせる好奇心に突き動かされて、
分け隔てなく「人間」の中身を見ようとする、清明な、やはりクリスチャンらしい付き合い方が
多くの人を惹きつけたにちがいなかったのだ。

孤独はいつもそばにあり。
僕は、余りに早くそれを知りすぎてしまい、
それを心地よいと勘違いしすぎてしまい、
そのせいで、排他的にもなり、攻撃的にもなってしまった。

けれど、いつの間にかじわじわと、
ああ、長い間ずっと傍にいたんだね、と呼びかけるくらいのほうが、
それも、親しみをこめて、慈しみをこめて、弱く微笑んであげられるくらいのほうが、
本当は、一番己に対しても他者に対しても、優しい人になりうるのだろうと思う。

風変わりな人々を生み出す土台は、
イタリアには、日本ではおぼろになっている、多くの人種と階級の差が厳然とあるからだろう。
そしてコルシア書店があった当時の60年代という時代の、激しい思想のうねりも、複雑な人々のありようを示している。
けれども、基本にあるのは、そこに集っていたのが、若者だという事実。
馬鹿騒ぎも、論争も、恋の行方も、みな青い時間に凝結しながら、最後には果敢ない終焉を迎える。

全集第一巻に収められた『コルシア書店の仲間たち』のあとがきが、
あまりに美しいので、引用しておきます。

コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼおなじだったと思う。それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。

若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野ではないことを知ったように思う。
374p



檻の中

クアトロへライブを見に行く。
とてもいい番号でオールスタンディングの前から二列目。
びっくりするくらいに近くて、恥ずかしい気持ちになる。

いつもはその人を含むバンドのライブで、ぎゅうぎゅうに押されて、ジャンプの連続になるのだけれど。
今日はソロライブでお友達の援護が6人入っていて、みんな非常におとなしく揺れていた。
あんまりおとなしいので、
「東京はやりにくい。みんなメガネがひとりでやれるのか、動物園に来たみたいに観察してるんだろう」とか「自分はバンドを引っ張っていると思ってたのに、そうじゃないことがこのツアーでよく判りました」とか。
結構しょぼんとしながらも、一生懸命だった。

ロック系は、音がとても割れていて、いつも歌詞とかとても聞き取りにくい。
それが難点だと思う。
知ってる曲は聞き取りにくくても、ぐわっと盛り上がるのだろうけど、
恐らく僕を含めソロアルバムを聞いていない人が結構いて、余計に空回りしていた部分もあったのかと思う。
でも、音楽は未知でも体を動かす、非言語的力を必ず持っている。

僕はその人を、年下だけど、
珍しく尊敬に値するだろうと思っていて、
なんだか不遜で不確定な言い回しになるのは、「尊敬」という語彙に抵抗があるからで
いつもその生き方が、これまた懸命すぎるほど懸命だなあと思っている。

人は生きながらにして、いい意味でも悪い意味でも、生まれ変われる人とそうでない人がいる。
「君のやる気スイッチどこにあるんだろう?」
というCMソングじゃないけれど、
ほとんどの人は、転換点や一生に一度、あるかなしやの使命発見の日を迎えることなく終わってしまう。
悪あがきでも、泥臭くても探しているうちは、まだよしとしても、
それすら放棄してしまうことが多くて、それが怖くて仕方がない。

だから、低空飛行であれ、この人のように走りすぎるほど情熱的であれ
継続的に目標からぶれずに進んでいる人をみると、
僕はじくじくとしつつも、素敵だなあと思う。

素敵だと思うだけじゃダメなのだけれど、
読んだり聴いたりする受身だけじゃいけないと焦るばかりだけど、
応援することも続けたい。


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(2014/04/30)
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新橋文化


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ペーター・ローレ、オットー・ベルニッケ 他

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今年は全然映画館へ行っていなくて、
二月の「変態アニメーションナイト」
(これはブッ飛んだクレーアニメ短編傑作選ですごく面白かった)
以来、素氏に誘われて、はじめての新橋文化へ。

ガード下の映画館近くには、別の意味のオヤヂの聖地のような、喫煙オンリー大歓迎な喫茶店アリ。
そこで一服ふかして向かう。

二日前に「愛の嵐」を見にいった素氏が、映画館の凄さを吹聴してくるので、ちょっとドキドキしつつ侵入。
いや、ある意味、いいよ。
映画もおもしろかったけど、ハコがおかしくて、気をとられっぱなし。
一段高くなったスクリーンの両脇が、左が女子用、右が男子用のトイレなんて、斬新じゃないか。
そして、上映中に、これだけ目立つのにトイレにはいる人の多いことよ。

二本立て入れ替えなしで900円(60歳以上ペアなら800円)という安さのせいか、
上映中も出入り可のせいか、全体に客層がおっさん率高し。
まず、「M」を見ながら、後ろのおっさんが、フゴーフゴーと大音響でイビキかいてるし、高架下だから、電車の走る音はするし(なくなった、銀座シネパトスと同じ)。

ついで今までの映画館体験で最も失礼なジジイ登場。
中途入場で、壁伝いに歩かず、他にも席は空いているのに、わざわざセンターの通路を通って、別のおっさんの前に立ちはだかって、席にヨレヨレの足取りで侵入。
それが、素氏の一個前の席だった。
さらにコンビニ袋の音を高らかに立てて、なにやら食事を開始し。
休憩中はタバコも吸わないくせに、狭すぎる喫煙室に入ってきて、喫煙者を押しのけてジュースをもたもた買い。
きわめつけは、「フリークス」の回でジジイの携帯電話がなり。
万が一マナーモードにしてなくても、速攻消すのが常識なのに、鳴らしたまま立ち上がって場内で、通話を始めやがった。
挙句に、「M」も前半みてないし、「フリークス」も後半みないまま、
また僕たちの視界を塞いで立ち上がって、出て行った。

凄すぎた、あの超絶ノーマナー。

で。映画はというと。
フリッツ・ラングかっこいいなあ、痺れるコマが満載。
影の使い方が特に印象的で、恐怖がじわじわやってくる。
連続幼女殺害魔のせいで、警察がやたらにガサ入れするものだから、闇の商売してるやつらのイラチが満杯になり、動きの悪い警察より先に自分たちで捕まえてしまえ、っていう設定自体が、最高に洒落ていてね。
ドタバタのおかしさや、自分たちで裁判までやっちまおうという、やりすぎの計らいも凄く面白いのだけど。
一方でペーター・ローレの、子供に手を掛けることを止められない衝動を告解する場面や、追い詰められた倉庫の闇の中で、キロキロ動く白目の大きい飛び出しがちな眼球とか、背中に「M」と印をつけられたことに気づいた時の表情とか。
ぞくっとするね。
「M」の文字はまるで灼印みたいだった。

「フリークス」は実は遠い昔、VHSで観たことがあったと開始早々思い出す。
結婚パーティーのさなか、フリークスたちが杯を廻して一口ずつ飲み干しながら、「お前も仲間だ、さあ飲め」と遺産目当てで結婚したクレオパトラに迫るシーン、凄かったなあ。
最後の嵐の中の復讐劇も、記憶の底からがっと次の場面が盛り上ってきて、くるぞくるぞと心の中で、じわじわ恐ろしさと哀しみが頭の中でこんがらがったのでした。

でも、最後の見世物になっているクレオパトラの姿は記憶から落ちていて、
というのも多分因果応報的な、その姿になる理由や要素が、
前回も今回も、理に叶っていない気がしたからかもしれませぬ。

今週来週は、渋谷で「ソビエト・フィルム・クラシックス」あり。
スタフ王が今年も観られるのですよ。

茘枝

生まれてはじめて、生のライチを食べたよ。
ごつい緑と褐色の混じった角だらけの皮をむくと、瑞々しい果実が出てくる。
初夏限定の台湾からの輸入品だそうだ。
冷凍物の何十倍もおいしかった。

一生果物食べられませんってなっても、困らない程度の人なので
(柿やバナナは頼まれても食べません)
果物に執着はないんですが、
うまいものに当たると、やはりホッコリする。

ライチって、
他に似た果物が思いつかない、不思議な果実だなと思う。
あの半透明乳白色のぷりぷりの食感は、強いていうならナタデココに近いような。
同時に、とても淡白な味わいは、
いかめしい外皮と中身の繊細さのコントラストのように、
どこか寂しい、晩夏のような雰囲気がある。

ロチェスター様

珍しく12時前に布団に入ったのに、
階段の下から先日実家から持ち帰った本の山を掴んでしまい。

懐かしいなあ、大好きだったなあ中学生の時。
と思って読み始めたら、、、結局三時半まで掛かって読み切ってしまった。
ハーレクインの王道技を総て併せ持つ、鉄壁のロマンス、「ジェーン・エア」。

身分違いの恋も、ゴシック的恐怖も、一度うまくいってから落として、はっぴいえんどな所も。
王道だ。
ジェーンも、ロチェスター様も、どちらかといえば醜女醜男のカテゴリーというところが、
むしろハーレクインから外れるところかしらん。
ジェーンのキリッとしたところと、内省と、ロチェスター様のちょっとずつ愉しむ美食家的な鞘当が、やはりいいんだなあ。

中学生の時は、ロチェスター様すごーく大人に見えていたけど、
いまや、三十代後半でも年下の男性になってしまったのである。
そう、行動の筋道をロチェスター様側からみると、結構カワイイ人だなと思ってしまった。
あと、屋根裏の狂女が、記憶よりも恐ろしかったね。
よくこんな状態になっても、最後は命を救ってやろうと、ロ様は走るんだーと。
改めてロ様に惚れ直しました。


ジェイン・エア 上巻 (岩波文庫 赤 232-1)ジェイン・エア 上巻 (岩波文庫 赤 232-1)
(1957/04/26)
シャーロット・ブロンテ

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専門用語

誰しも何かの仕事や趣味を行っていれば
必ずや他のジャンルの人には通じない言葉があって、
往々それらを「通じない」と認識していないことがある。
よく「それ方言だよ」と指摘されてびっくりするのと似ている。

バイオ系の僕があまりに染み付いてしまって「通じない」と思えないのが、
「機序」と「分注」である。
前者は「メカニズム」みたいな訳語があてられると思うが、
物事がなりたつ過程において、つながっていく原因と結果の連続要素みたいなもの。
薬がなぜ効くか、発症箇所にはこういう物質が過多/欠乏していて、さらにその物質を産生する別の物質の、そのまた奥の物質を産生する、ある機能をブロック/亢進させればいいとかなんとか。
そういう説明をするときに使うけど、
まあ日常生活や、バイオじゃなくても経済でも物事は複雑な工程をへて成り立っているので、
すぐに使ってしまうのだ。
というか、「機序」なくしてどうすりゃいいんだと、思ってしまう。

「分注」は、液体を小分けにするという行為だけど。
実験では凍結融解をくりかえすと劣化する試薬が多くて、
入荷すると一度溶かして小分けにして再度凍らせ、必要な分だけ取り出して二度目の溶かし、最低限の凍結融解で劣化を防ぐという防衛策がある。
また作成が面倒だったり、一回分の重さを量るには少なすぎるものを大量に作って小分けにしておくとか。
汚染をふせぐために、小分けにしておくとか。
まあそういう意味で、多用する。

で、僕は2Lのペットボトルの緑茶を、500mlのボトルに「分注」して冷蔵し、
出かける時には、その一本を持ってゆく。
そうすると便利だし、未開封ほどではないが、汚染が少なくなる。
さて、こういう行為は、みんななんて呼んでいるのだろうか。

繰り返しになるけど、誰だって専門用語や業界用語をもっていて、
それをひけらかすのは馬鹿馬鹿しいけれど、
それを使わねば要約して伝えられないことも沢山あるはず。
文学の世界だって同じで、かのジャンルわけとか、本を読まない人には全く伝わらない。
だから、なんていうか、Leave me alone な気分になるのだ。

僕は根に持つタイプなので、
一ヶ月前に某板で揶揄されたことでも、まだムッとしている。
他者の反応を糧にしている人が大勢いるように、
反対に一切反応を求めていない人間もいるのだ
ということが、どうして判らないのかなと思う。

それはさておき。
本日、飯田橋にあるT病院を訪れました。
うちの病院は4,5時間待ち当たり前で、お昼前なんかに廊下歩くと、
死んだ魚の目のように呆然と窮屈に座っている患者さんが多くて、うわーとなるのですが
こちらは、よほど予約管理がしっかりしているのか、比較的空いていた。

問題の手は検査もしてもらったけど、
結果的には診断は間違っていないけど、
もっとパワフルな治療しないと治らんぞという。
そして、電子カルテには「落屑様」の文字が。
屑の音読み、今の勤務先で知りました。
ラクセツヨウと読みます。
手の場合は、皮がすぐにカサカサに乾いてひび割れて剥けて、ポロポロ屑を落とす状態。
手を洗ったら即ポロポロ、ハンドクリーム塗っても10分すればポロポロ。
これも専門用語の一つでしょう。

で、もらった処方箋見たら、未知の軟膏がでていまして、
いわゆる複数の薬剤を薬局で練って作ってもらわないといけないと。
あーこれは時間かかるなあと思って、午後から出勤だし
うちの病院の前の薬局に出して、夕方でも取りに行けばいいやと思ったのが運のつき。

せっかく飯田橋に来たから、ブックオフのぞいちゃえとか、
おお、ギンレイホールは今日もオバサマたちでいっぱいね、上映はなにかしら。
とか、余裕かまして職場に戻り、薬局へ行ってがっくり。
夜はリント布(これは今日初めて知った)というフンワリした木綿の布で軟膏シップを作り
手に巻きつけておけ!という大事なこの特殊軟膏の材料が置いてない!
二軒目の薬局で、「これは普通の調剤薬局には在庫ないですよー」といわれ
結局、明日材料を取り寄せてもらうことで決着をみました。

そうだよねー。
どこでも大きな病院の前の薬局ってその病院の先生が出しやすい薬優先してるもの。
T病院前なら、すでに練り上げたものもあったかも知れないのに。

さらに調べると。
その軟膏って
同僚ちゃんから教えてもらったアトピーの権威の皮膚科の先生が調合考えているっぽい。
そりゃ、T病院御用達じゃないと、すぐには出ない。
というか、全国どこの調剤薬局でもいいですよーと、わざわざ念押しした会計の人。
確かにどこでもOKだけど、こういうトラップの説明してほしかった、、、。

CIMG2411bb.jpg

クスリつながりってことで。
写真は春に行った江戸東京たてもの園にあった、星製薬の看板。
星新一のパパがつくった会社ですね。




双子星

スマホもケータイもなくなればいいなあと思う気持ちが
なんとなく世にも浸透しているのか、
ただアンテナたててるせいなのか、
最近以前より、電車の中で読書する人が増えた気がする。

ほとんどの人はカバー掛けてるので見えないけど
図書館派の人はよく見せてるので、タイトルが気になる。
今日は向かいのおぢさんが「百鬼園随筆」を読んでいて、嬉しくなった。
なかなか自分の好きな本を読んでる人には出会えません。

いろんなジャンルの文字を綴る人たちは
僕にとって天球のドームに散らばった星みたいなイメージがあって
その位置は、刻々と軌道を描かず変わるのだけれど
おそらく個人的な思い込みや謬見によって、変なところで並ぶ星がある。

百閒は長らくボルヘスと並んでいた。
その理由を説明するのは難しい。

あまりに右手がベロンベロンにひどいので
同僚ちゃんの知ってる先生のいる大きな病院で診てもらうことにしました。
しかし、その先生は大人気で予約が三週先までとれないとのこと。
仕方なく別の先生にお願いすることにしました。

実は僕は大学病院に勤めてるんですけど。
うちの皮膚科は紹介状なしでは診てもらえない建前になってるけど
職員ならもぐりこめるらしいと分かっていながら
なーーーんか嫌なんだよねえ。
なので、明日は早起きせねば。

ピョートルの恋

週末「悪霊」読了。
うーーーん、凄かった。
追い込まれた人間の発狂寸前の凄まじさが随所に現れていて、
実際には脈拍はあがっていないのに、心臓の裏打ちが聞こえるような気分になる。

すかさず、亀山先生の一度は読んだこの本を再読。
先生が用いられる「使嗾 しそう」という語彙にもっとも相応しいスタヴローギンのことを、延々と考える。


ドストエフスキー父殺しの文学〈下〉 (NHKブックス)ドストエフスキー父殺しの文学〈下〉 (NHKブックス)
(2004/07)
亀山 郁夫

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「悪霊」を読む前は、
ただあらすじだけを読んでいた段には、
もっと積極的に悪意を前に出す人物だと思い込んでいたのですが、
全く違った。

或る意味、今までにない「巻き込まれタイプ」なのかもしれない。
完璧な美青年で、貴族でありながら学は不十分、実際一番熱心であったのは、スケコマシ。
生きることに倦んでいて、戯れに発する言葉は、戯れであるはずなのに、
我知らずその言葉や振舞いは、人を強烈に感化し、彼を「絶対神」のように祭り上げてしまう。
スタヴローギンに惑わされてた三人、ピョートル、キリーロフ、シャートフの崩壊ぶり。
むろん、スタヴローギンは、彼らがどうなろうと知ったことではないのだけれど。

ピョートルは、本当はただ一つしか作れなかった五人組を操り、
あたかもペテルブルグで起きている革命運動の巨大組織の指令を受けていると偽って
県知事夫婦をはじめ、権力者たちを地に落とそうとする。
彼はまだ五人組を一つしか作ってはいなかったが、この先スタヴローギンを頂点とした真の革命を起こすことを、夢見ていた。

確かにスタヴローギンの告白(「チーホンのもとで」)における彼の少女陵辱や、少女の自殺を止めないことにマゾヒスチックな快楽を得る部分の衝撃も強いのですが。
僕が一番強烈なイメージを受けたのは次の場面でした。

やっと人神論者キリーロフが自殺する決意ができて(神無き世界では、人間が神となり、その最初の人間は恐れなき死によって神となることを証明する、これはスタヴローギンのある言葉に感化されて作り上げた思想であった)、その現場に立ち会うピョートルの焦りと狂気でした。
キリーロフは、いつでも自殺する準備は整っていて、己は死することにのみ意味があるのだから、ピョートルたち革命派の都合にあわせた、遺書を書いてもいいと宣言していたのです。
ピョートルは、自分の思い通りに人間を操るために、既に密告などしない、ただ考えが変わったから(これもまた、スタヴローギンの言葉によって)足ぬけしたいといっているだけのシャートフを、五人組たちに「密告するのは当然」と思い込ませて、殺害させるのです。
ドストエフスキーが最初に「悪霊」を書くきっかけになった、実際にあった内ゲバ事件を描いた部分です。
ピョートルはなんとしても、キリーロフに遺書を書かせてこの殺害の罪を被ってもらいたい、だがなかなかキリーロフは書いてくれない、ようやく書いてもらっても、なかなか自殺してくれない。
その描写の恐ろしさ、湿度の高い粘り気が絡みつくような時間の停滞。
「チーホンのもとで」は反社会的ということで、連載や最初の単行本では、作者の抵抗を受け入れず削除され、その後書籍自体が発禁となって、何十年と読むことが叶わなかっただけあって、表現がかなりぼかしてあります。
けれど、ピョートルとキリーロフのこの最後のやりとりには、一切容赦がなく、むしろ殺害シーンよりも遥かにおぞましいのです。

で。
なぜ、ピョートルがこんなにも焦っていたのかというと。
彼が殺人罪を免れることよりも、自分が神輿をかつぐ、スタヴローギンの消息が数時間前に絶えてしまったのが、一番の原因だったと思われます。
どんな工作をしようと、自分がどれだけ多くの人間を操ることが出来ると示威したくとも、見てほしい人は消えてしまったのかと。
かといって、回り始めたものを最早止めることはできず、ならば完遂あるのみと。

ピョートルは二巻の最後で、まるで愛の告白のようにスタヴローギンを崇める言葉を吐き続けました。
貴方がいなければ、僕の夢の国は総て崩れ去るという叫び。
もともとは、ピョートルもキリーロフやシャートフのように、スタヴローギンの言葉によって、歪んだ理想を育んでしまった。
そしてピョートルの思いは、当然ながらスタヴローギンを動かすことはなく、虫けらの扱いを受けるだけだった。
つまり、BL的には、非情な悲恋に終わるわけです。

では、読んでいると、赤面してしまうような告白シーン。

「スタヴローギン、あなたは美男子です!」なかば恍惚としてピョートルは叫んだ。
「ご自分が美男子だってことを、ご存じなんですか? あなたのなかでいちばん大事なのは、ときどきそのことを忘れているってことです。そう、ぼくはあなたという人を研究しつくしました! ぼくは、しょっちゅうあなたを、横から、隅のほうからながめているんです! あなたには素朴なところ、ナイーヴなところもあります、そのことをご存じなんですか? まだあります、まだ残ってるんです! あなたはきっと苦しんでいるにちがいない、真剣に苦しんでいるにちがいない、その素朴さのせいです。僕は美を愛している、ぼくはニヒリストだけど、美を愛してるんです。ニヒリストが美を愛さないとでもいうんですか? 連中はたんに偶像を愛さないだけです、でも、ぼくは偶像を愛している。で、あなたはぼくの偶像なんです! あなたはだれも侮辱しない、なのにみんながあなたを憎んでいる。あなたはみんなを平等にながめている、なのに、みんながあなたを怖れている。そこがいいんですよ。
(中略)
自分の命であれ、人の命であれ、命を犠牲にすることぐらい、あなたには屁でもない。あなたこそ、まさにうってつけの人です。ぼくには、ぼくには、あなたみたいな人がまさに必要なんです。ぼくは、あなた以外にそういう人をだれも知らない。あなたは指導者だ、あなたは太陽だ、ぼくはあなたに寄生する蛆虫だ…」
 彼はそこで、いきなりスタヴローギンの手にキスした。悪寒がスタヴローギンの背中を走りぬけ、ぎょっとしてその手を引き離した。

第八章「イワン皇子」 p513-515

僕の庭

春までplaydomというdisney傘下の会社によって運営されていた庭。
その名も、Garden of time
ネズミの呪いにより、もうできなくなると泣いていたら、Facebookでがんがん出来るという事実。
歴史建造物あり、夢の建物あり、自分独自の庭が設計できるのです。
ストーリーはタイムエージェントが、クレオパトラやシーザーの起こした時空の歪みを治すというのが大まかな筋ですが、英語苦手な人は、ストーリーは無視してもOK.
エージェントたちの恋模様が、かなり可笑しいんだけどね。

リアル世界で友達ゼロなのに、
海外のお友達300人とか、、、友達いないと進まないので仕方がないというか
このノンビリモードが受けて、海外ではおばあちゃんたちが、たくさん仲間なんです。
写真のぽっちゃりおばあちゃんたち見てると、和みます。
ここまで一生に一度もすれ違うことのない人たち、だと落ち着きます。

小さな写真に収めるのに忍びないので、今回はサムネイル仕様にしました。
凱旋門やエッフェル塔が金ピカなのは、建物をレベルアップしていくと変化していく証拠です。
クリックで大きくなりまふ。

garden5.jpg  garden4.jpg 
garden3.jpg  garden2.jpg   
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庭に登場する、実在するけど、日本ではスゴーくマイナーな
不思議建造物とか、紹介したいなあ。

たとえば、この円形の。

garden6.jpg

イントラムロス intramuros は、フィリピン/マニラにある16世紀に西班牙人によって建てられた要塞都市なのです。
実物はこんな感じ。

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竹ラグ

ものすごい量の物(主に本)にまみれる我が家。
その上、二人とも掃除が苦手。
手湿疹も治まることを知らず、甲や手首にも広がり始める。
このままでは、ハウスダストとダニで加速度的に症状が悪化しそうなので
一年ぶりにチャリに乗り、南砂のニトリに初めて行ってみました。

ホームセンターは楽しい。
ふらふらして、竹ラグを籠に積んでよろめきつつ帰宅。
やっとホットカーペットとひどい木綿ラグを外す。

明日もオペなので、もう寝よう。

写真はそれこそ30年ぶりに登った神戸のビーナスブリッジ。
今はなき神戸小学校出身の僕は、毎年ここまで遠足に来ていました。
夕暮れ前から日没まで、絶景を堪能。
気温がぐっとさがって寒かった。
昔はなかった小洒落たレストランが展望台にできていた。
素氏は運動不足露見しまくりに、ぜいぜい云ってました。
枯葉で足元暗くて滑りやすいので、日が落ちてから登るのは危険です。
来る人少ないので、穴場スポットですが。

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あとブリッジへの近道である諏訪山神社の参道の急勾配ハンパなし。
神戸の坂道の恐ろしさよ。
加えて境内のライトアップがこわいのなんの。
お狐様の写真以外びびって撮影できず。

六甲山荘

4月末に訪れたヴォーリズが設計した六甲の山荘
ボランティアの方の熱意によって長く女子校に所属していたものが、購入され丁寧に手入れされ保存されています。

木のぬくもりと、随所にあふれた機能美に驚きしきりでした。
のんびりテラスでお茶をいただくのも素敵です。
建築好きの方は是非とも行くべし、行くべし。

六甲ケーブルに乗って、そこからバスと徒歩で。
オルゴール博物館へ抜ける、獣道めいた道は一人だったり、雨の日はお勧めできませんが、
春から初夏には楽しいハイキングコースになります。
森林浴だ。

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↑なんと、各お部屋から女中さんを呼ぶシステム。
どのお部屋から呼ばれたか、番号をみれば一目瞭然。
ファミレス方式ですね。

お客様が居間に来ても、ダイニングとの間にきっちりしきりができて、
さらには居間からは開けられないように取っ手がない
つまりプライベートがきっちり維持できるとか、回転式の雨戸とか
先進的なシステムも沢山あったのです。
なにしろ、湿度の高い地にあって、今も稼動するところがすごい。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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