2014-05

猫の末路

数日前に見た夢が何度も頭をよぎる。
高速道路の路側帯で、じっとたたずんでいた猫が、
車が通った瞬間、わざわざ狙いすましたように、走りだす。
はねられて、転がって、よろめきながら反対側の路側帯に辿り着き、力尽きる。
猫の毛の模様は次々変わるが、同じように飛び込みはねられる。
その繰り返し。

あれは、なんらかの「自死」への警句か。

もしもっとずっと若い頃に、ドストエフスキーを読んでいたらどうなっていただろうと思う。
今でも、21世紀の小説なんて読むものはないと、
生意気ばかり述べる僕だけど、
もっと早熟といえばきこえはいいが、傲岸にそう思っていたに違いない。
深奥から咽ぶこともなく、美を見出すこともなく、
ただ人間の複雑怪奇な、異常な恐ろしさに震えて身動きが取れなくなっていたことだろう。
そしておそらく
僕の根底と最も近しい、けれども近づくことを赦さない
基督教にたいして、より深く愛惜と憎悪を見出していたことだろう。

本日「悪霊」第二部読了。
まったくこの小説ほどあらすじなど読んでも、何も理解できないと強く感じる。
恐ろしい、そして濃密な時間。

ジュリアン・グリーンの自伝(英訳)が4冊、英国米国から届く。
各冊の冒頭にはワーズワース、バイロン、ノヴァーリスからの引用。
そして最終巻の冒頭は「罪と罰」からの引用であった。


Restless Youth: Autobiography : (1922-1929) (Restless Youth (Autobiography, 1922-1929))Restless Youth: Autobiography : (1922-1929) (Restless Youth (Autobiography, 1922-1929))
(1996/04)
Julien Green

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farewell

お通夜だけ参加させていただきました。
いい写真が飾られていました。
精進おとしのあと、お顔を拝見しました。
ご無沙汰していたので、二年ぶりぐらいでした。

狭量ですみませんでしたと、こころの中で謝る。
いまだに、自分の性別否定しているので、それゆえ
ものすごく嫌なのでした、母性を感じられることが。

またまた不思議なことに、Kさんと邂逅してしまい
ゆっくりとお喋りしてしまう。
「○○さんはこころがキレイだ」という唇をもつ貴方の心が誰より綺麗だと思う。
「素敵な話だね」とはにかむ貴方の感応が、誰より素敵だと思う。

故人の話のあれこれの合間に、映画の話で盛り上がって
ようわからんけど、素敵な夜でした。

お写真でしかみたことのない、お歴々が妖怪大図鑑(ほめてます)
のごとく、同じ空間でお酒を飲んでわいわいされていたことが
同時に夢のような夜でした。

ありがとうございました。

メランコリー

ようやくドストエフスキー「悪霊」を読みはじめる。
「カラマーゾフ」「罪と罰」「地下室の手記」とはまた随分と異なる雰囲気ではじまる。
今までの、急転直下怒涛のドラマ性は、まだ一巻では感じられない。
さてこのマッタリ感がどう変化していくのか。

二十代後半から三十代前半と、僕が偏愛した埴谷や高橋和巳が
ドストエフスキーの強烈な影響をうけて作品をうみだしていたということは
知識としては持っていたけれど、
こうやって先祖帰りのように、その根幹に立ち戻るとまた奇妙な気持ちになる。
もう一回、根幹を味わってから、彼らの元へ戻りたいと。
「死霊」も「邪宗門」も「日本の悪霊」も、
まったく表層しか染み込んでいなかったんだなあと、きっと思うに違いない。

僕はよく、小説に「絶望」を求めているというけれど。
この「絶望」はどこからくるかというと、
ある種のメランコリ気質が人間の最高級の精神の落下を創造し描いたもの
という感じなのだけれど、うまく説明がつかない。
メランコリは、生来備わっているのか、それともごく幼い時期に、
ありがた迷惑な(本当にない方が幸福なのかもしれない)天啓のようにもたらされるものなのか。
降りて来た人にだけわかるようなもので、
まあ、ずっと背中にのっかっている憎みきれない妖怪のようなものだ。
個人的には、「鬱」とは似て非なるものだと思う。

高橋和巳は自分のことをメランコリ気質と呼んでいた。
ジュリアン・グリーンも日記の中で、よく自分のそのメランコリについて語っている。
ジュリアンはよく囚われているが、メランコリの人は自分を不幸などとは思わない。
むしろ、年に数回、非常なる多幸感に襲われている。
あれはまるで、雲間から差し込んだ光が眩いばかりに弾けるような不思議な感覚で
どこか特定できない宗教の極限のようなものを感じる。
しかし日常は低空飛行であり、ゆえに「絶望」を、創造しうるかぎりの「絶望」を
探しているようなところがある。

ドストエフスキーは、陰惨な内面をえぐりだしているけれど、
到底メランコリな雰囲気は感じ取れない。
極限を想定しても、どこかもっと冷静で、もっと躍動と博打的な匂いがあり
それゆえ、ドラマチックにもなり、下降一辺倒に陥ることがない。
(ドストエフスキーをさらに外側から見て、
革命を諧謔的に悲哀に充ちた笑いにかえているのがコンラッドだと思うのだけど
「密偵」「西欧人の眼に」とか、その透徹ぶりにぞくぞくする。)

で。
「悪霊」には、選民意識をこっそりもってしまったメランコリさんたちに
こんなイヤミの一撃が加えられております。
この素晴らしい人間観察。

主人公スタヴローギンと、家庭教師ステパン・ヴェルホヴェンスキーの関係について述べるところ。

もっとも、子ども(スタヴローギン)の教育や精神面での成長となると、母親はひとりヴェルホヴェンスキー氏にまかせきりにしていた。そのころ夫人は、彼をまだ完全に信頼しきっていたのである。ただこの教育者は、自分の教え子の神経を、いくぶんなりとも狂わせたと見るべきふしがある。

(中略)

これまた念頭に置いておきたいと思うのだが、この親友同士(スタヴローギンとステパン)が夜の夜中しっかりと抱きあい涙にかき暮れた理由は、なにも家庭内のごくつまらない内輪話のせいだけではない、ということだ。ヴェルホヴェンスキー氏は、友だちの奥深い心の琴線に触れ、まだぼんやりとしたものながら、あの永遠に消えることのない神聖な憂いの最初の感覚を、少年の心のうちに呼びさますことができた。選ばれた人間というのは、いちどこの憂いを味わい、それを認識したが最後、もはや安手の満足に安住しようなどとは思わなくなるものである(世の中にはこの憂いを、かりにそういったものがあるとしての話だが、このうえなくラディカルな満足より大事にしている物好きもいる)。

光文社古典新訳文庫 「悪霊」 亀山郁夫訳 第一巻 90-91p




西欧人の眼に〈上〉 (岩波文庫)西欧人の眼に〈上〉 (岩波文庫)
(1998/12/16)
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かゆかゆ

左手の爪の間には、右手に肉片が詰まっている。

えぐい。でも本当。

発症から一年、ますますひどい。
病院はしごしたけど、変化はない。
市販薬でもハンドクリームでも病院薬でも、変えて一週間はびっくりして少し収まる。

アトピーの人の苦しさを少しわかる。
水疱と掻き毟りと流血と乾燥と崩壊の繰り返し。

昨日から、皸(アカギレ)用の変わった絆創膏を使ってみる。
見かけは普通のに似ているけれど、ガーゼやビニールではなく、耐水性の高い紙が吸い付く感じ。
夜はがしてみたら、少しだけ治癒していた。
とりあえず、不眠症に重ねて痒みでいらいらしないようにしたい。

先日、好酸球だけ回収する実験のために、自分の血を40ml採血した。
もともと、多血症なせいもあるけど、白血球中の顆粒球系が異常に回収できて、
その中のアトピーの人並みに好酸球が。
ちなみにアレルギーもちは好酸球がぐんとあがります。

この実験、かなり面倒なので。
ついでにお手伝いなので。
後一回くらいで終わること、希望。
溶血(赤血球の壁を破壊する)したとはいえ、流しに真っ赤な血がどばーっと流れるのは不気味だ。

恐水病といえば、狂犬病の別名だが、
右手は、恐水症というか恐汗症。
ラテックスやめてアセトニトリルの手袋に替えてみたが、
結局己の汗に反応するので意味がない。

手袋は自分の身を護るためにすると一般的には思われているだろうが、
僕たちは自分が汚いからするので、外すことは出来ない。

そういう逆説の真実をわかってもらえない、様々な世の中に
余計にブツブツが身をもたげるのであります。

他愛

人は他愛もない嘘をつく。
イエスと応えても、ノーと応えても差異のない状況で、
勝手に口が動いたみたく、違うことをいう。
でも、まあいいだろうとか、すぐに流す。

その嘘を見つけたのは、偶然のことだったけれど、
読んだ僕にはむしろ影響のないことだが、
書いた本人にはとても大きな嘘になりそうな、ことだった。

僕に云ったことが本当なのか、
書かれていることが本当なのか、
そもそも偽って何の理があるのか、妄想なのか、希望なのか。

直接触れることは決してしたくないので
忘れるに越したことはないだろう。
穿てば、ここにも血の呪縛。

それにしても、「他愛」というのは奇妙な言葉だ。
「たあいもない」と否定した時だけ、他愛は当て字になっているのだと。
一方、余り使わないけど、「他愛」という語もあるらしい。

「自分のことよりもまず他人の幸福や利益を考えること」

むしろ当て字ではなく、
本来の「他愛」と緊密に結びついていれば、よかったのに。

そうすると、「他愛もない」は利己的なという意味になる。
他愛なくみせかけた、そういう他者を困惑させる事象もあると思うのだ、実際。

帰省

今年に入って二回も帰省。
野暮用と妹の結婚式とか。

十年ぶりに実家に泊まったら
結果的には風邪引きだったが、布団に寝たとたんものすごいくしゃみの連続。
鬼門である。

いい町だと思うけど、客観的にみると。
今回も六甲ヴォーリス山荘とオルゴール博物館と
夜の諏訪山神社と、ビーナスブリッジのぼって夜景堪能したし。

でも。
もし無理矢理タイムスリップさせられて
子供時代からやり直せといわれたら、発狂する。

80%くらいの確率で、年内に実家が取り壊される。
思い出とかなにもないと言い切る。
叫び声と狂気の染み付いた壁も畳も、すべて瓦礫と化すがいい。

ついでに血の呪縛も雲散霧消すればいいと思う。
どうして、人は何の疑問も持たずに、血縁関係を砦のように感じることが出来るのでしょう。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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