2014-01

異母姪

梅の香も漂ってきたことだし、また振り返り日記少し書きます。

1/25桑野塾での「虫太郎の世界」なんとか終了。
当日の朝まで、スライドをもとに喉をからして素氏が練習していました。
その予行演習の様を伝えたら、そんな人いないよーと笑われる。
いや。。練習必須でしたでしょう。

僕は横でスライド送ったり、小突いたり。
傀儡師と呼ばれました。
23名の参加者の方、予定は一時間半のところ余分にもう一時間もらって
喋り倒していましたが、じっと我慢して黒死館に関係ないような話
聞いていただきありがとうございました。
特に遠く新潟からきていただいたIさん、こんなに遅れてですが
本当に嬉しかったです。

常々自分は、頭がすっからかんで、喋りたいことなんて何もなく
一方で、人の喋りたいこと書きたいことを纏めたり立て直したりする羽目になっていて
ああ、あれだ、海岸に転がった雲丹の屍骸のようなものなんですね。
中身は全部、もはや海の藻屑として消え去り、
ただ棘だけが、いまだツンツン尖っているまま残されてる。
だから、人を威嚇する、切磋することばかりになってしまう。

**

当日配布した資料に、黒死館登場人物系図というのをつけました。
わりと簡潔にできたので、
いまさらさらさらですが、載せておきます。
我ながら、「眼鏡文人 ノリハゼクマ編」が役立ったのよ。

あと、算哲と津多子の関係って、よくわからんの。
「異母姪 いぼてつ」なんだけど、この言葉がねえ。
おそらく、算哲の腹違いの兄弟姉妹の子供ってことだろうけど。
それが、弟伝次郎なのか、あるいは明記されていない兄弟がいるのか。

ま、虫太郎もそんなこと熟考していないと思われます。
系図では、伝次郎とは繋げず、津多子の父母不明にしました。


kokushi_keizu.jpg
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2014.2.24記
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モー

DSC_0358222.jpg

すごーくダメ人間状態。
もう半年以上こんな感じ。

年明けて、コツコツ日記を埋めていこうと思ってたのにな。
今日は既に21日です。orz

僕たち趣味は似てるけど、性格は全然違うので、
短所と長所も全く違うので、
得意分野を各々合体させ、ダメダメーズ二人合わせてなんとなく立ってます、くらいなものか。
そうやって、本を作っています。

手相の線が、超アミアミ状態の僕は
些細なことで、神経がキリキリマイになる。
気にはなっている、すごーく気になっている、うわーっとなるくらい気になっている。
いろんなことが、毎日。

でも、まったく体が動かない。
夜が明けたら、背中から根っこが生えて布団に縛り付けられている。
それでも、無理矢理動かすものだから、
どかーーんと反動がくる。

どこかで誰かが、
「十年たっても、充電中。いまだ充電終わらず」
みたいな台詞を吐いていたけれども、
僕は、コンセントもささっていませんが。

凹凹モーな気分なので。
昨秋に仙台に行った時、高速バスの立ち寄ったサービスエリアにあった
デコ牛の写真でも載せておこう。

なんか変。
なんか愛らしい。

いちおう告知なぞ

kuwano21.jpg


素氏が宣伝しないで~と言っているのですが
まあこのブログ見てる人、ごく少数なので。
それに一緒にやってくださる方がチラシ造ってくださったり、
諸所で告知してくださってるので、申し訳なく。

1/25土曜日 15:00より 早稲田の桑野塾で、
サーカスプロデューサーの大島幹雄さんと素天堂が
「小栗虫太郎の世界」というタイトルでお話することになりました。
詳しくはこちらへ

実は我々この塾に前回初めて参加したばかりで。
一箱古本市で顔見知りになっていた大島さんから声を掛けていただいて
打ち上げの席で黒死館のことを話しているうちに、
何故かこのような事態に。。。汗。

一度きりの参加でしたが、小さな教室でのほのぼのゼミといった雰囲気です。
前回の沼辺信一さんのバレエ・リュス講義が凄すぎて
余計に、僕はアワワワと動揺中。
即売会で出してる同人誌も販売します。

早く準備しないと。
アワワワワワワ。

名刺

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公私ともに人生初の名刺ができたよん。
プリントパックさんで無料で100枚作ってもらいました。
デザインテンプレが可愛いのがあった。

しかし。
配る相手がいないので。。
どこかで出会った方に差し上げよう。

目を開け

元旦に放映されたNHKの「1914幻の東京 よみがえるモダン都市」をようやく観る。
予告を見るだけでは、これはレトロ建築ミーハーの心をくすぐるような映像作品になっているかと思っていたが、内容はかなり違っていた。
もちろん、新橋、銀座、浅草、東京駅周辺とCGで風景が再現され、そこに蠢く市民は実写で組み込まれるという手法は美しく、活気に溢れたあの時代をよく伝えていたし、建築も凌雲閣(十二階)をはじめとして、見ていて楽しいものだった。

でも、NHKの伝える姿勢は、単に郷愁を誘うものではなかった。
大正時代というのは、僕の最も憧れる時代であり(虫太郎は14歳の青春まっさかりですね)、なぜかと言われれば、来るべき崩壊へ向かって壊れる寸前の頽廃に満ちた、世紀末の様相を持っているからなのです。
NHKは、その崩壊の道筋を、明確に描き出していました。
大正デモクラシーが盛んになり、欧州文化の流入で街は一気に華やいでいく。
豪奢な洋風建築が立ち並び、三越が開店し、映画館は連日大満員。
一方で、物価はあがり、貧民窟では残飯屋が職工の腹を満たし、格差は広がってゆく。
そして、九年後には、関東大震災がやってくる。

番組では、現代のリーマン青年が、1914年の月給取りのしがない男性の生活を覗くという設定がなされていた。
常に瞳は、現在から投げかけられていた。

この番組が、元旦に放映されたことに大変な意義を感じる。
一度も言葉には出されなかったが、これがNHKの鳴らす警鐘であることは痛いほど判る。

1914年、国会議事堂にデモで押し寄せた民衆は、三越に遊山にでかけ、青島制圧の報道に湧き、日章旗を振って大騒ぎする。
その姿は、どこへでも列をなし、反核のデモをなし、同時に五輪招致にヤンヤする民衆に重ならないか。
景気は一過性の上昇を見せて、成金を生み、またたくまに大恐慌へと落ちた。
今また格差は広がり、国家は再び「戦争は好景気を生む」という幻想に取りつかれて、どんどんと右傾化してゆく。
そして大震災。

百年後の今、再び同じことが起きている。
その恐ろしいシンクロナイズを彼らは問いかけたかったに違いない。

***

幻想的な芸術を志向する多くの人が、
同時代の政治に対しては無関心を装い、
一方で、過去の政治思想や革命に関しては決して無知ではなく、
むしろ精通していることがいつも不思議でならなかった。

いわば過去のそれらの闘争は、事象として深く認識しながら、
目前の彼らを阿呆の踊りと冷笑し、ひたすらの絶望と諦念を表には出さない。
ここではないどこかへと、逃げすさぶ心。
非常にスマートで、ある種、非常に狡い心。

2013の映画

2013年に映画館で観た映画。
少ないなあ。

「飼育」 大島渚監督 1961
「絞死刑」 大島渚監督 1968
「ドウエル教授の首」 レオニード・メナケル監督 1984(露)
「静かなる一頁」アレクサンドル・ソクーロフ監督 1993(露独)
「日陽は静かに発酵し」 アレクサンドル・ソクーロフ監督 1988(露)
「アエリータ」ヤーコフ・プロタザノフ監督 1924(露)
「不思議惑星キン・ザ・ザ」 ゲオルギー・ダネリヤ監督 1986(露)
「宇宙旅行」 ヴァシリー・ジュラヴリョフ監督) 1935(露)
「舟を編む」 石井裕也監督 2013
「ローマ法王の休日」 ナンニ・モレッティ監督 2011(伊仏)
「アルバート氏の人生」 ロドリゴ・ガルシア監督 2011(伊英愛蘭米)
「二人のブルディ」 レフ・クレショフ 監督 1929(露)
「陸軍登戸研究所」 楠山忠之監督 2012
「スタフ王の野蛮な狩り」 ワレーリー・ルビンチク監督 1979(露)
「誓いの休暇」 グリゴーリ・チュフライ監督 1959(露)
「火の馬」 セルゲイ・パラジャーノフ監督 1965(露)
「鬼戦車T34」 ニキータ・クリーヒン監督 1964(露)
「瀕死の白鳥」 エヴゲニー・バウエル監督 1917(露)

ロシアブームだった一年。
封切は、「舟を編む」だけで、後は総て名画座。
はずれはなく、強いて言えばソクーロフが難解だったくらいでしょうか。

昨年のベスト3は甲乙つけがたいが、
1.キンザザ 
こんな可愛いSF映画があったのか!多分この先もこんなに楽しい一本はないはず。
まるでアニメみたいなんだよね、キャラの立ち方が。
皆揃って、クー!

2.スタフ王
最高の幻想民俗譚。意匠が素晴らしい。
最後の、馬に乗って現れるスタフ王の亡霊たちが実は幻影ではないという所がミソ。
つまり幻想以上に、高度のミステリであったと。
痺れまくりの一作。

3.火の馬
こちらはもっと土着的な民俗譚の激しい恋愛物。
美しい狂気の数々。
どのシーンをとっても絵になる。
加えて、理に落とさないところが何よりかっこいい。

あと、「アエリータ」「二人のブルディ」「瀕死の白鳥」はサイレントで柳下美恵さんの伴奏で見られた幸福に感謝。
「瀕死の白鳥」は映画館ではなく教会の礼拝堂上映という、場所も最高でした。
ロシア万歳!

選択の自由


隻眼の少女 (文春文庫)隻眼の少女 (文春文庫)
(2013/03/08)
麻耶 雄嵩

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もう何年も現代ミステリを読んでいなかった。
でも、この人の騙してくれる感覚が面白かったなという記憶で、新作を読んでみた。

素晴らしく精緻に練り上げられたプロット。
ミステリの基本を突き崩す、戦略的な解決。
女系三代、同じ名を継ぐ探偵と、被害者のシンクロナイズ。
読後振り返れば、初代の探偵が解決したというオリエント急行的事件の概要も、
非常に婉曲的に全体構造の鍵を示唆していて、
どこまでも、練りこまれた細工物を思わせた。

そう、きっと素晴らしいものであったのだろうと思う。
多くの人を愉しませるものであると思う。

でも僕は、自分の求めるところと違うところ進んでしまった
現代の小説全体に、再び溜息をつくことになった。

やはり、ここには心が一切なかった。
ミステリはエンターテインメントであれば、それでいいのかしら。
そもそも、漫画にすら娯楽性を求めていない、
むしろ奥深い絶望や孤独を求めているのだから、救いはない。
(これも誤解を生みやすいが、真の絶望はそうそうは描けない、陰惨とは非なるもの)

本作の語り手は、
母親を保険金目当てに父親に殺害された大学生。
そして事実を知った彼は、警察に訴える前に、父親を階段から突き落とした。
その絶望(と呼べるのか)をもって自死するために湯治場へ向かった人物であった。
しかしこの分厚い本の中には、
彼の本当の心は見抜かれていなかった、一切。
ただ、構造のための道具でしかなかった。
横溝張りの記号化された情景、人物たちが次々に消されていく。
記号は組み替えられ、
本来人間が複雑に持ちうる心情は放擲されて、
鮮やかに、まさしくプロットが宙返りをして結末の驚きが生まれる。

記号化しているのは、ミステリだけではない。
ほとんどの、80年代以降の小説はみんなこういう上面を撫でるばかりだ。
本当は、深い心を持ったミステリ、
例えばチェスタトンとかだって、あったのだよ、昔は。

もしかしたら、どこかにあるのかもしれないけれど
その余りに少ない確率に縋るより、
過去へ遡ってゆけば、僕は真実、心揺さぶられる人々に出会うことができる。

読書する時間は有限である。
だから、現代には本当にサヨナラする。

寧ろ

1/6 3日から別の仕事で弱っていたせいもあるが、新年の挨拶がしたくないという理由で休む。

1/7 誰とも喋らず、聖域に籠もって作業する。

1/8 既に吐き気やまず、正午過ぎ現れ、再び聖域に籠もる。

1/9 患者さんが待っているので、這うように現れる。
 
1/10 吐き気と泪収まらず、休む。

1/11 誰もいないので、日が暮れてから一人現れ、落ち着いて作業する。

そんな僕の一週間の仕事ぶり。
寧ろ馘首してくれといいたい。

やめることができないのは、
どんな仕事でも人に会わなければならないのを承知しているから。
どこでも同じになってしまうのをよくよく知っているから。

暴力

『プレゼントって暴力だから あげるのも もらうのも 僕は苦手だな』
 -ぼくだけが知っている/吉野朔実

降誕祭の日、数年来音信を絶っていた知人から
前触れもなく、プレゼントが送られてきた。
板チョコ一枚だったが、中身の如何にかかわらず、
かなりの衝撃と当惑を味わった。

元々音信が絶えたのも
僕が頻繁に送られてくる手紙に対して
百分の一も返信しなかったことに由来する。

一度も、もうやめてくださいとは云わなかったが
無言が、無視となり拒絶となっていたはずだ。

それが再来した。

底意の知れない、恐ろしい暴力に思えた。

だから、再び沈黙を守った。

だが、振り返れば
僕も何度も親しいからといって、同じ暴力を振るわなかったといえるだろうか。
悦びを強要しなかったといえるだろうか。

恐ろしいものである。

無の意味

為すことに意味があるのは、ほぼ蓋然性があるが
為さないことにも、半分くらいは意味がある。

沈黙は金とは、非常に正しいことだけれど、
沈黙が、拒絶を明言するとき、答えを生み出してしまう。

返答しないこと。
それが日常と化す。

一語一句、挨拶であれ手紙であれメールであれ呟きであれ。
発した瞬間に、己のものであった言葉は、主を失い、
矢印を正反対に向き変えて、こちらに向かってくる。
それらは、おそらく誰も気づかないはずの、
気づいていても恐ろしいほど鈍化されて社会に埋もれている
巨大な「嘘」となり、僕を殺し続ける。

嘔吐もひとつの明らかな拒絶である。
向かってくる、主を失った言葉、
本当にささいな一語に苛まれ続けることに
ほとほと嫌気が差している。
嫌気がさしたと擲てるなら、それでもよかろう。
けれど、実際には身動きがとれず、何日も嘔吐する。

ならば、答えは沈黙でしかありえない。
それを無視ととらえようと、無礼ととらえようと構わない。
悪意というよりも、防御であると明言できれば
力も湧くだろうが、本当はそんな容易なことではあるまい。

ただ、昔は、断絶のために、はっきりとサヨナラの言葉を叩きつけた僕は
それほど苛烈ではなくなって、
世の習いに従い、
「嘘」を重ねるくらいなら、唇を開かず、文字も書かない
とするに至ったというだけのことである。

凍土

月日は駆け抜ける。

子供の時間が大人の時間より遅いのは、
毎日が刺激的で変化に富んでいるからだと
誰かが云っていたけれど。

呆然とはしていない。
けれど感覚は確実に鈍磨している。
体力は確実に落ちている。
顔はナイロンたわしで磨くのでつるつるだけど
白髪は驚くほど出ている。

不惑以降は既に余白に等しい。
いまだ余白を埋めるものも見つからない。

二時間で仕上げられたはずの校正に三倍かかる。
それは自分の速度が明らかに相対的に遅くなっているわけで、
過去の自分からみれば、コマ落としみたく動いているのだろう。

だから、今年も時は風に舞う。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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