2013-06

J/Gの日記より4

だーかーらー。
余裕のある6月に仕事回せってあれだけ云ってんのに…。

7月多分、倒れる。
ほんと体力が落ち過ぎてて、同時に一気にいろんなことが押し寄せるから。

ということで、夏の予告はしない。
自分でも完成できるか自信ないので。
暫く、ブログも落ちる可能性大ということで。

**

昨日、子供のASD治療に関するNHKの番組みてて、色んな事考えてしまった。
言語記憶<視覚記憶とか、フラッシュバックとか、親の発症率とか。
うちは三人姉妹で
上の妹は臨床心理士になったのですが
三様方向は違っても
結局、三人とも子供の時の体験と今の自分という結果が
どう繋がっているのか、ずっと答え探しをしているんです。

「あれ」は何だったのか。
なぜ、何年もその異常体験が継続したのか。
甘えることもねだることも、三人とも一度たりともしたことがない。
大人になって、人とは違うと気づき
誰も寄せ付けないことに繋がっていると気づく。

名前のない、病。
決して解放されえない、軛。

**

では、暗い話はおいといて
ジュリアン・グリーンが観た絵画4回目です。

本日はジュリアンのところへ25歳の美青年が訪れた場面から。
彼はまだパリで画廊経営をしていた頃で、デザイナーにはなっていなかった。

今日の午前、クリスチャン・ディオールと名乗る若い男がぼくを訪ねて来た。そうだった、ぼくは彼にぼくのもっているベラールの絵を見せてもいいと言ったのだった。
彼は片手で顔を支えた若い男の肖像は彼が見たベラールの肖像画のなかでもっとも美しいもののひとつだと思うと言った。白、グレー、黒だけがこの油絵の色である、それらが色であるのを認めた上でのことだが。
ディオールはやさしい声、非常に洗練された物腰、ばら色の顔をした青年で、きわめて礼儀正しくかつ控え目、とても内気だ。

1930/12/29 「日記1」55p




このくだり、ゲイのジュリアンの観察が素敵です。

ここに登場するベラールとは、Christian Bérard (1902-1949) のこと。
コクトーの大親友であり、コクトー映画の美術デザインに関わったり、ヴォーグの表紙にイラストを発表したりし、舞台美術をやったりした人。

dior2.jpg

March 1945


ジュリアンとは仲良しだったようで、引っ込み思案で社交界嫌いのジュリアンもベラールとはよく逢っていたようです。
ジュリアンは彼を評して、知性や才能だけでなく思いやりが十分にある一方で、子供っぽい謙虚さの欠如が、人を不快にするというより、愉快な気分にさせるタイプだと書いています。

ディオールに見せた絵は、ちょうど5日前にベラールから贈られたものでした。
描かれた男はテーブルに座っていて、小さな絵だと。

日記から該当する絵を探す難しさは、それが個人蔵のものである場合、タイトルが分からない場合です。
ジュリアンがよく訪れていたルーブル蔵とかならいいのですが。
もし長くジュリアンの元にあったとしても、
世間にはなかなかでないものでしょう。

なので、クリスチャン・ベラールの作品の中から、
ちょっとムリムリで該当しそうなものを探しました。

モノトーンの油絵ということから1930年頃描かれた
この辺りを疑ったのですが。。

dior1.jpg

dior4_young_man.jpg

頬杖ついてないし、ちょっと綺麗と呼ぶには難ありかな、特に上。

で、荒いデッサンでテーブルには坐ってないけど、これ!

christian_berard_portrait_dhomme_d5528371h.jpg

あくまで、僕の個人的なイメージだけど
これが下絵とかだったら、二人ともウットリしないかなと。
本当に想像の域を出ませんが。

美青年の肖像を見つめる、二人の美青年!
妄想が高まります。
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鎮静剤

大人になると丸くなるというが
一向にそうならない。

「尖がっている」とは一種若さの褒め言葉であり
「鋭敏」とか「研ぎ澄まされた感覚」とかにも通じるのだろう。
でも、トゲトゲだけ残ったら、
それはただの偏屈であり、極まると癇癪玉にもなる。

同じ職場に長く勤めるとよくない。
制御不能になる。
このジンクスというか、流浪の民には不治の天敵。

最近、自分で自分の癇癪にビックリするもんなあ。
リセットする。
できるだけ他人に逢わないですむ所にいくしかない。
どうやって修正すればいいのかわからないもの。

だから、結構困ってます。
もしかしたら敷かれちゃうかもしない諸々のことに。
常識や普通と云うものに呑まれることに。

なので鎮静剤かわりになるもの。
ある種尖端で、ある種大勢を容易に包みこめる力を持ったもの。
両立することは厳しいスタンスをやってのけた
二つの作品に出会いました。

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この繊細なタッチで仕上げられた不可思議な生物たちの集まる世界は
何度も何度も読み返させてくれる。
エドワード・ゴーリーとか、西岡兄妹とか、遠く岡田史子も連想させるけど、実は底流が非常に優しいもので包まれているので、毒が毒として発効しないまま、すっと咽喉の奥で融けてしまう。
決して、むき出しの刃でこちらに向かってこない。

漫画を
精神を切り刻むエキセントリックな物差し一辺で
計りうることはできないのだと、強く認識させるもの。

この隠された毒は
黒死館に出てくる「砒食人アーセニック・イーター」ではないけれど
微量であれ飲み続ける砒素が体内に蓄積し
その人が奥底に抱えていた、何かしら「聖なるもの」と
奇妙な融合を続けてゆき
そして多くの人に幸福な化学反応を示すような気がする。
これは、「稀有な大衆化」だと思う。

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鉄壁の水木ワールド再構築。
ルビの洪水に含まれる、相当な衒学趣味に驚いた。
そんじょそこらのファンタジーなんて蹴飛ばしてしまう。

全然美女には見えない
(なにしろ水木絵そのままですから)
美少女といわれる二人の少女+吸血ガールにやいやい唆される
典型的な巻き込まれ型古本少年のかわいさよ。

でも、実は本編以上に面白いのが
各話の最後につけられたヒトコマ漫画のツッコミなんですよ。

この表情は、この街の描き方は、
たしかに水木漫画で観た筈とニマニマしつつ、
一方でこの顔は水木漫画の流れにあっただろうか
とウンウン唸ってみるもよし。
こちらも、繰り返し心を緩ませることができるのでした。

二巻で完結しております。

顔本の恐怖

職場のメール(独自ドメイン、outlook使用)開いたら
同室の秘書さんから
「facebookはじめました! ○○さんと交流しましょう!」
なメールが届いていた。

なぜ、顔本に一切近づいていない、僕のところにこんなメールが?
と思ったら、
秘書さんがyahooメールでfacebookに登録して、
迂闊にも、アドレス帳に入っていた人全員に、ご招待状配信されたとのこと。
そのへんの初期設定不明のまま、発車していた。
そしてそのアドレス帳には、仕事関係が、かなり含まれていたと。

こえー。
ほんと気持ち悪いよ、SNS.
最近、twitterでもhotmailと連動させて、勝手に友達検索しちゃうらしいけど。
絶対、連動させないぞー。
絶対、ラインも顔本もミキシも参加しないぞー!

というか、なぜブラウザメールなんていくらでも取得できるのに
仕事とプライベート混ぜちゃって平気なんだろう。

号泣の名曲たち

二十歳の頃大好きだった曲。
今も聞けば涙が一杯になるよ。









よれよれのpooh sticksは英国でもあまり売れてなくて。
音楽雑誌ではボロクソに叩かれていたけど、女性ボーカルのHuw Williamsの声が、かすれ気味で可愛いんだ。
女性のこのタイプの声が大好きなの。
Salon Musicの竹中人見さんしかり、
VaselinsのFrances McKee しかり、
Saint EtienneのSarah Cracknellしかり。

gangwayはデンマークの二人組。
神戸元町の中古レコード屋のおやじに、買いますって渡したら、唇の端持ち上げてニマニマされた。
いつの間にかこのCDも高値になっちゃって。

pooh stiksは、レコード狂だから、既にCD優勢の時代にレコードでしか最初は音源なかった。
あんまり↓↓↓のジャケが可愛いので、妹と一緒にこのジャケをシルクスクリーンに仕立てたよ。
2010年に再結成したらしいけど、オッサンオバサンになっても、音はよれよれでした。

Poohsticks.jpg

宝物だった7inch
poohsticks2.jpg

宿阿

宿阿と云う言葉には、非常な禍々しさがあって
まるで指の先から黒く腐り落ちていくようなイメージがある。

同時に外界からの眼に見えぬ侵入というよりも
己、内部に巣食う原罪の響きも感じる。

僕の右手は、一年来何者か不明なものが棲みついていて
発疹と水疱と決壊と乾燥とを繰り返している。
水疱は嗤うかのようだ。
かゆみが拡がるにつれ、もっと欲しいと膨れ上がり、
僕は自制を失って、全て壊すまで血を噴くまでかきむしる。

その血が、
菫色の美しいジュリアンの布装や小口に
沁み込んでしまったことにも気づかずに。

深更、その事実に気づき、幻をみる。
そのほんの数秒前、僕は彼の一文で夢をみていた。
リセに通っていた頃、フランス語の文法の先生が
ジュリアンたちが、上手く課題をこなせないと
叱るよりも頭を抱えてあまりに嘆くので
彼らは、叱られるよりも強い衝撃を持って、
なんとかそのひしがれた恩師の背中を支えたいと願ったという思い出。

僕は、本文用紙や菫色の布に沁みて
薄い枇杷色になった血が、
ちょうど遠い昔の教室で、
決してそんな師はいなかったというのに
黒板に額をつけて項垂れた教師の
白いワイシャツの背中に、ゆっくり拡がる幻が複視のように
二重写しのごとく重なり、離れる幻をみる。

幻は視覚に洪水のように
或る瞬間流れ込んでくる。
その幻は、いつも突然で、捕まえようとする瞬間に消えていく。

トイレには十冊以上の出版社目録が並んでいて
特に東洋文庫だとか、白水社のクセジュとかの頁を繰っていると
洪水が頻繁に起こる。

いくら潰れた水疱を見つめても
そこには、醜い決壊の痕跡、
次を待ちわびる嗤笑しか残っておらず
幻を留めおけぬ無力な罪悪感のみが湧きあがってくるだけ。

そらまち

あー、ノーパソが重い。
僕の愛機、acer aspire one
フリーズ知らずの、カワイコちゃん。
ネット以外は、今でもさっくさくのWinXP機。
もう、フラッシュ広告山盛り、リアルタイムtwitter表示とか、いらないから。
アフェリエイト撲滅してほしい。
せめてトップページくらい軽くするように、運営者は努力してほしい。

この子は四年目ですが、小さいネットブックで、
本当にいい子なので、もたせたいんだけどなあ。
そろそろ次機買うこと考えねば。
PCに関しては、国産品否定派なので、ACER第一候補だねえ。
国産のは、「余計なお世話やめなはれ!」としか言いようのない仕様。
デスクトップみたいにノートも組立系すっきりちゃんが
作れるといいんですけどね。

**

今日は、いつも視界に捉えていながら、
行ったことのなかったスカイツリーに接近してみることにしました。
いや、むしろソラマチ見学。
我が家から徒歩40分くらいです。
電車で二駅です。
でも、なぜかバス大好きっ子・素氏の発案で、都バスでゴー。

いつもながら、下調べ不足の素氏のこと
バス停ついたら、どの停留所で降りればいいか分からないこと判明とか。
バス停前にあるソフトバンクショップに立ち寄り
「おとうさん学習帳ください!」叫ぶとか。
巨大に見えてるのに、バス降りてからも結構歩くとか。

まあ、なんとか到着。
すごーい人の山。
ちょっと見たいかなと思ってた、プラネタリウム、即あきらめ。
ユルキャラとか、うまげなお菓子とか、溢れてました。

DSC_0276.jpg
DSC_0277.jpg

ついつい誘惑に負けて、くまもんと、バリイさんのワンカップ買っちゃった。
くまもんのラベル付いた、美少年も笑えたけど。
こちらは、使用後グラスにできるので、でへ。
中味は、瑞鷹と山丹正宗です。
鯛の昆布じめも入手されたので、くぴっとやるのが楽しみ。

スカイツリー展望台券売所の近くには
多分、山口晃さんの描かれた東京俯瞰図が大きく展示されていて
こちらも、細かい細工がされていて見飽きませんでした。
神田に置かれた巨大トロの握りの横で、
酔っぱらいリーマン吐いてるし。

一番行きたかったムーミンカフェ。
三時過ぎだったのにも拘わらず、並んでるし。
諦めて、グッズコーナーで、ニョロニョロトング購入。
最近、晩酌のため大量の氷を机に置いておけるバケツ購入したので
氷をつかむために、買ったのでした。

酒飲むことしか考えてない、買い物。

DSC_0278.jpg

遅いお昼は、スカイツリー駅(旧業平橋駅)近くの韓国料理屋へ。
さっきまでの、ソラマチの喧噪やオサレ感吹き飛ばし、石焼ビビンバがふがふ。
掘りごたつ形式になごむ。

ついでに、業平橋書店へ行き、古本さくさく。
昔ながらの古書店ながら、ここのご主人は、非常に愛想のいい優しい雰囲気なので、また和む。

北野エースなどで食材をひやかし、
最後は、和風キティショップで、全欲望を抑えて退散。

いいお散歩でした。
今度は、平日に行こう。

J/Gの日記より3

四十肩と吼えていた痛みが、二の腕や腰にひろがり、
もう歩けません、坐れませんとなってしまったので
久々に整骨院に行きました。

院長替ってるやん!
三年前のナンバーツーのガッチリ系の眼鏡に。。。
当時あんまり得意な人ではなかった。
と気づいたからといって逃げ出すわけにもいかず。
施術受けました。

前の院長は、骨盤の歪みに因を求める人でしたが
今回は、インナーマッスル派でした。
筋トレ必須、腕も肩も腹も筋肉なし!
元々腕立て伏せ一回も出来たためしないけど、
同人女をなめるなよ!と重い荷物は平気に持てたので過信したらしい。

なんちゃって腕立て伏せ(腕立てのみだな)すら五秒ももたない事実。
腹筋一回もできない事実。
とりあえず、肩甲骨まわり、腰は二回だけでかなり復調。
二の腕の痺れはまだ続いてますが、ま、これ麻痺に繋がるらしいので、とりあえず筋トレ通院頑張るよ。

それにしても、整骨院って、超体育会系のノリで困る。
入口あけたら、野太い整体師さんの複数の声でお出迎え。
お客さんも、体育会系多いし、高校生多いし。。。
ベッドが十台みっしり並んで、みんなそこで断末魔の叫びあげつつ、なぞなぞ解いたり、ラーメンの話したり。
すげーわ。
僕、そこでロシア語テキスト開いて、ウツブセで電気流されてます。

ま、匂いのきついオサレサロンとかよりは、よっぽどいいよ。

**

ジュリアン・グリーンの観た絵画、三回目はダリです。

1932年頃、ジュリアンを含めた12人で、ダリに出資ならぬ「年金」を拠出することにしたそうな。
この「年金」という名前がかわいいね。
他のメンバーは不明ですが、1938年にブルトンの逆鱗に触れて追い出されるまで、シュルレアリスム・グループに属していたので、その仲間も入っていたでしょうね。

で、「年金」の御礼に、ダリから配当されるのが、彼の油絵大小各一枚と二点のデッサンだったそうな。
幾ら出資したかもわからないけど、後の売れっ子ダリから考えると、すごい配当。
ついでにいうと、ジュリアン、他にも絵を沢山持ってて、結構お金持ちだったようです。

dali2.jpg

ジュリアンはクジ引きで二番を引いたので、二月に絵を選ばせて貰えて、とても喜んでいます。
貰った絵は、「地質学的生成」"Devenir Geologique", 1933

ジュリアンは、ダリから直々にその絵の解説を受けています。
なんという贅沢。

大きな油絵の背景はみごとな岩礁の風景だが、前景に頬髭のあるロシアの将軍らしい男が裸で立っている。彼の顔は悲しげにかしいでいるので、頭蓋に添えられた貝殻と真珠とが見える。一方、小さな油絵は灰色と藤色のすばらしい色調。ぼくはその小さな絵のほうを選ぶ。
彼は自分の絵について長々と話し、ぼくが選んだ絵の意味を丁寧に説明してくれる。彼が『地質学的生成』と名づけたその絵は、砂漠のまんなかで岩に変わりつつある一頭の馬を描いている。
彼はスペインへ発つ。税関の手配や汽車の旅につきもののたくさんのちょっとした面倒について恐怖をもって話す。彼は少々人生におびえている子供のようなところがある。

1933/2/28 「日記1」145p



ダリのほのぼのエピソードもいいですね。

結局ジュリアンが貰わなかった大きい方の絵は、内容が一致するものが見つからず。
気になるので、もう少し探してみます。

**

読み飽きない、日記ですが。
実はこれ、残念なことに抄訳なのです。
全集の2/13占めてるだけでも、ありがたいんだけど、もったいない。
ジュリアン・ファン(そういうことになったらしい)としては、未訳部分も気になるよ~。

でも、仏語版しかないし、仏語勉強する気・・・ないし。
せめて、自伝みたいに英訳出てくれないかなあと思ってます。

タペストリ

平日に先に観ていた素氏に誘われて、「貴婦人と一角獣展」をみるため六本木へ。
天井が高い展示室に掲げられた大きなタペストリ。
細部を見るのにいいと持ってきたオペラグラスも活躍。

日曜美術館や図録を先に見ていたせいか
もはや一生見ることの叶わぬ逸品とはいえ、少し感動が薄れがち。
それでも、立体感を自然に産み出すような女性の衣装のドレープの表現に驚く。
溢れる動物や花のイコンの細かさに魅いる。

kihujin.jpg

僕はなぜか一番マブタの重い、ちょっと酷薄な印象を与える「視覚」の貴婦人が好き。
他のものはきりりとして女王然とした余裕があるのに、
この鏡をユニコーンに映り込ませて、彼(一角獣)にうっとりさせる彼女は、どこか意地悪な、その分少し狭量なイメージがある。
全体が天上の庭とか楽園のような六枚の中で、ちょっと異質な雰囲気がある。

これら六枚以外にも素敵なタペストリがクリュニーからやって来ていて、
特に、「放蕩息子」は必見。
下絵の技術力や絵解き具合から見ると「貴婦人」より上だと思うんだけど、寓意という意味では、そうでもないかも。
でも、柱で三分割された画面にみっちり織り込まれた人物の表情や、遠く彼方にある建物や木々など、飽きないよ。

**

国立新美術館は、一年ぶり。
紆余曲折を経て建築士になった妹が、転職前の短い休みに東京に来た時、案内して以来です。
黒川紀章の抑えられた冒険魂が美しく構造に出ている所が結構好き。
内部写真をパチパチ撮影して、いたく喜んでいた妹。
天井近くの梁構造がよく見えるレストランでランチとったんだけど、
かのボギューズ・フレンチ。。。べたべたなクリームに閉口したのもいい思い出です。

**


さて、ユニコーンたちに別れを告げ、何故かバーでカレーを食し、ミッドタウンの「富士フィルムスクエア」に素氏を案内。
ここ、周囲のオサレ感や「あすたりふと」なんていうガクブル文字に尻込みしつつも入ると、無料で色々楽しめるのです。
「写真博物館」もいいしね、今回はなんと「土門拳 古寺巡礼展」やってた!
大きなパネル、見ごたえあり。
仏像に興味のない人も、ぐぐぐっと牽引される。
普段は流すキャプションも、土門自身の言葉が添えられていて、ついつい読みこんでしまう。


**

その後、日比谷線で人形町にてプチバイト。
見たことのない、怪しい100均ショップでハローキティ三昧。
最後に、御前鮨 関山さんで、「アナゴちらし鮨」購入。

susi.jpg

うまーーい。
酒が進む、進む。

夕方で、もうないんですかと訊いたら、作ってくれました。
アナゴ、蕩けるよ、うまくて。卵焼きと栗もな!
こちらのお店、日本橋高島屋にも入ってるみたいですね。

いちじくの鐘

頭の或る部分を駆使したゲームが好きで
十代後半から麻雀がとても好きだったのだけど
でも、あれは四人必要で
かといって雀荘に行く勇気もなくて
専らテレビゲームを相手にしていたのだったけど。

いつも、本物の牌を触ると
この瞬間、亜空間から
気のおけない、打ち仲間が現われないかと夢想したものだ。
落語の「笠碁」は些細なことで喧嘩した隠居のおじちゃん二人が
お互いしか同じレベルで打てる相手がいないのに
「ごめんなさい」を先に云いたくなくて
お互いすぐ店の近くまで来てる相手を、
首を長くして、気にしていないふりをして、片意地張って待ち続ける話で
とても可愛いのだけど。

僕には、亜空間からひょいと引き出せる人も
傘がないので変な笠を被ってヤキモキ待つ相手もいないので。
そもそもみんな切り捨ててきたので。

ご都合主義はやめなはれ、と思う。

それでも、ジュリアンについて、いいよねえと云い合える友達のようなものがあるといいなと思う。

別にジュリアンのメジャー化とか望んでいないのだけど。
加えてネットの批評とかも読まないから。

己に都合のいい、話はどこにもない。

**

お正月に、年賀状の返信が遅れてやって来た。
僕のつくる変な年賀状に唯一反応してくれそうだった人でした。

僕のような劇場型訣別ではないけど
「もう昔のU(呼称)ではないので」という言葉を眼にすると
「さようなら」と読まざるを得ないと、半年じわじわ考えて理解する。
なるほど、期待して、ごめんなさいと思う。

これで地上から、お友達がすべて消えたと思う。

なので、来年から年賀状は作らない。

**

鏡をみない。
部品程度は、毎朝ちらっと見るけど
全体は決して見ない。

ほんの或る日。
街中で何かに映り込んだものをみて
怪物かと思う。

だから鏡は決して買わない。

**

街がどんなに美しくなろうと
虫を焼き、身体に過剰な栄養を与えようと
ヘドロ化したものを吐き
ヘドロを塗りたくり
なにも、原形をとどめえぬほど腐乱してゆく
人々。

僕が自分を私と呼ぶ日がくるのか
己もヘドロ吐き続け、
五感すべて封じ込めたまま斃れる日が先を越すのか
真剣勝負のないまま、
時間までが、朽ち果てる。

**

夜は美しいはずなのに
朝の前哨だと感じた瞬間濁り、
人々を眠らせることを拒んで嗤う。

**

憎しみなどというものは
もはや関心の同義語と受け取られるようになったのではないか。


**

割れるだろう。
すべからく。

僕は僕をゆるさない。
するとその牢獄は、またひとつ錠を増やすことになる。

過去形のなぞ

酵母発酵と並行して、
夏の爽やかフルーツブランデー仕込み始めました。
たまたまsuntory VO のレシピサイト見たおかげなんですが。
レモン、グレープフルーツ、いちご…なんとトマトまでいけるらしい。

ちょうどVOが家にストックされていたので
今日は手始めに、レモンを一個漬けてみました。
外の黄色い皮と果肉の間の白い鞘の部分は苦味の原因になるので、取り除けとな。
さらに、苦味が出ないよう、MAX一週間で引き上げろとな。
とりあえず、今回はレシピ通りにやってみます。

酒は毎晩飲んでる位大好きで、なんでも飲めますが、個人的には甘い酒は好みではない。
マッコリとカルアミルクと甘いカクテルはダメなんだ。
なので、もしかしたら、苦味が出る方が吉になる可能性もあり。
ブランデー自体もともと甘いからねえ。

まあ、すぐに出来るので、週末仕上がりを楽しみにしておきます。

***

三ヶ月目突入したルースキー・イジーク。
語形変化激しく、はふはふしながらラジオ講座に随行中。

しんどいけど、面白いです。
これが何よりかなとも思う。

現在のところ、個人的、音感の好きな単語ベスト3。

очки アチキ 眼鏡
「あちきは籠の鳥でありんした」と眼鏡かけた鬼奴を思い浮かべるべし。

сказка スカースカ 昔話
脱力感満点。

учу ウチュー 勉強するучитьウチーチの一人称単数現在形
Я учу. ヤウチュー で「ぼく勉強してるよ」ってなる。
一人称単数現在形は、規則変化だとюユで終わるので、発音が可愛い。
помнюポームニュ(覚えている)とか、愛着わくわあ。

**

元々語学は、文法が一番好き。
必ず例外がある、不規則変化があるとはいえ、いかに体系立てるかということを先人が、特にその言語を母国語としない人が頭脳を駆使した結果、みたいなものを眺めるのが楽しい。
これだけじゃ、奥には進めないと分かっていても、システマチックなものは美しいから。

英語やほんの少し齧った、独仏西語なんかと比べてみると、似てることも沢山あるけど、全然違うこともあって新鮮かつ悩ましい。

be動詞的なもの(=を表す場合ときのみ、存在するという意味では別に動詞あり)なし
冠詞/定冠詞なし→だから名詞の語尾も変化しまくる
語順割りにフリーっぽい(ほんとは何やら複雑なルールが存在する模様)→単語の意味が分からないとSVOC決めづらい

で、6月に入って過去形が出たのですが、そこでうわっと驚く。
現在形は、人称と複数単数で六種語尾変化していたのですが、これは割合今まで経験した感じと同じ。
英語で三人称単数に-sつけてたのを代表として。

が、過去形は人称に依存しなーい!
名詞に性があるのは、よくあることですが
主語が、男性形/女性形/中性形/複数のいずれであるかによって語尾変化する。
これは主語が普通名詞じゃなくて、君、僕レベルでも、変わるってことなんですよ。
うおーっ。
なんか、感覚的に受け入れ難し。

だから、「私は昨日テレビを見た」という文でも
「私」が男か女かで違う文になる。

男性の場合
Вчера я смотрел телевизор.
フチらー ヤー スマトりェール チリヴィーザる
 
女性の場合
Вчера я смотрела телевизор.
フチらー ヤー スマトりェーラ チリヴィーザる

ここで、困って来るのは。
目の前にいる相手が男か女か不明で、過去形で尋ねたい時、どうしたらいいのか!
という素朴な疑問。
あるいは、明らかに女装している男性とか・笑。

こんな状況を考えるのも変ですが
解決したら、また書きます。

ちなみに、この「見る」という単語、不定形はсмотретьスマトリーチですが、
現在形語幹はアクセント前に移動して(一人称単数を除く)スモートリ~となる。
これを僕は「テレビ画面に映る力士を見つめる」という関連画像で、覚えました。
スモートリ!

J/Gの日記より2

冬に大活躍してくれた洋梨酵母。
しばらく冷蔵庫で冬眠していましたが、
ふたたび起き上がり、白ブドウジュースを醸し始めました。

冬場はホットカーペット上で三週間くらい発酵に時間がかかったのですが
やはり気温が20℃を超えてくると、早い早い。
ぶっくぶっくと酸素を求めて泡が立っています。

ただこの時期は、カビが大敵なので、注意が必要。
本職の細胞培養からもいえることですが、
培養している本来の菌の強さで、かびるか否かが決まります。
酵母君ことセレビシエが、頑張ってくれることを祈る。

**

本日のジュリアンの観た一枚は
1930/6/30のギュスタヴ・クールベGustave Courbet "Le Sommeil" (1866)
「眠れる女たち」とか「まどろみ」と呼ばれる、大胆な裸婦像です。

800px-Courbet_Sleep.jpg

この時、ジュリアンは30歳。
(気分はまだ二十歳くらいだそうですが)
二日前にもドリュエ画廊という所に赴きクールベを眺めています。
そして、「気違いじみた考え」と思いつつも、「眠れる女たち」が欲しくてたまらなくなったよう。
大金を用意することも一瞬頭をよぎり、一枚の絵のために没落することもありかなと考えたようですが。
姉妹からは「こんな大胆な絵をサロンにかけるなんて」と非難されると、この絵を笑う奴は誰も家に入れない!とジュリアン、相当ムッしたようでした。

**

先日、日曜美術館で現在東京芸大美術館でやってる「夏目漱石の美術世界展」について
丹念に漱石の小説に出てくる絵画と地文の関係を解こうという試みをやっていました。
実際の絵と、朗読を組み合わせて、おなかいっぱいになる構成だなあと
おもしろく観ました。

漱石のようにがっつり小説の中に組み込むことはしないけど、
福永武彦やジュリアンの絵画をみつめる瞳って
より深層と呼応するエッセイや日記になって現われていて
もっと絵と文章を見比べたいなあと思わせられます。

**

「つみびと」は多田智満子・井上三朗の共訳だったせいなのか
それまで読んだものでは感じなかった日本語としての躓きを感じて。
ここ日記に到ると、もっと首を傾げることにも。
福永武彦によれば、ジュリアンの訳は、直訳調の方がいいんだよと。
中村真一郎によれば、普通の仏語感覚より描写が緻密で、長すぎるんだと。

ちなみに、ジュリアンはアメリカ人だけど、フランスで育ちフランスに根付いた人。
なにやら独特の癖があるようだけど、ぼくは全く仏語ができないし、検討もできない。

なので、和訳された日記でちょっと考える。
彼らしい孤独の溢れた内容です。
ちゃんと理解できると、もっともっと深く沁み込むのに。

ひとは知っているだろうか、自分のいないあらゆる通り、そこでは自分と知り合いになりたいと思っているかもしれない人々が自分を待っているのに、誰も来ないのを知って行ってしまうそんなあらゆる通りのことを絶望的に考えながら、ひとつの通りを歩いてゆく、その苦しみを?

1931/1/8 「日記1」57p



なんとなく掴めるようで、きちんと理解できない。
もしかしたら、こんな解釈なのかな。

自分がいない通りすべてで、自分と知り合いになりたいと願っている人が本当は自分を待っているというのに、彼は、今目の前に誰も自分を待ってなどいないということだけで絶望を感じ、その通りをひとりで進んでゆく。
ひとはこんな苦しみを知ってるだろうか。



うーん、ちょっと違うんだろうなあ。
ではこんな風に。

自分がいない通りすべてで、自分と知り合いになりたいと願っている人が本当は自分を待っているというのに、結果的に彼は誰とも知り合うことが出来ない。知り合いたがっていた人々は彼に会えず、そのままあらゆる通りから立ち去ってゆくのを感覚だけで離れている彼は感じながら、絶望し、そのまま通りをひとりで進んでゆく。
ひとはこんな苦しみを知ってるだろうか。



こっちの方が合ってるような気がする。

なんというか、
誤訳とかじゃなくてね、
こうやって、唸りつつ想像するために佇む時間も愛しいなあと思うのです。

J/Gの日記より1

ジュリアン・グリーンはパリに住んでいたのだから当然かもしれないけど
本当によく美術館に足を運んでいる。

公開を目論んだ日記の題材としては恰好で
(彼が決して無難を目指していなかったことは、日々の告白で明らかだが)
今なら、日記に出てくる絵がどんなものか大抵検索できそうだから、
彼が観て回ったものを題材にして、
新たに何かを書いてみるのもきっと面白いだろうなあと思う。

で、J/G日記に出てくる絵画を一枚ずつ紹介する
という作業はその方面に造詣の深い人にはもってこいと思うのだが
僕では、美学ヘボヘボが完全にばれちゃうのでねえ・笑。
絵を張るだけで赦して下さい。

絵に関しては、評論を読んだりするのが苦手です。
建築もそうですが、後年、学者のみなさんが決めた○○派とか…
いつまでたっても覚えられない~理解できない~。
もう大人だから、試験に出るから覚えろ!とかなくてよかった。
マニエリスムって、バロックって、なんやねん!です。

かわいいな、綺麗だな、ずきゅーんと来るな。
これだけでいいので。。

こんなどうでもいい話はさておき、今日の一枚は
1931.10.8にルーブルで彼が観た
リベラレ・ダ・ヴェローナLiberale da Veronaの『エウロペの誘惑』

europe.jpg

原注によれば、当時はフランチェスコ・ディ・ジョルジオ作と考えられていたとのこと。
ジュリアンはどんな風に感じていたのか。

このような絵を前にすると、ぼくは世界が消えるのを感じる。あるいはむしろわれわれの世界にもうひとつの世界がとって代わるのを。ほら、ぼくは難なく夢の国に入る。ぼくの知るかぎりでは、この種の奇蹟を完全に実現できるのは、ほとんどシエナ派しかない。フィレンツェ派の画家たちはわれわれをこの地上から離れさせない。むしろ彼らはわれわれを地上にひきとめる。
(中略)
葵色の砂の岸に、人の歩みはどんな足跡も残さない。牝鹿としゃこの類はあさみどりの水のほとりを歩いている。川のすぐ近くには、若い娘たちが花束の花さながらに押し合いながら、耳の上に編まれた冠を戴き、厳かに後肢で立った大きな白い牡牛を見守っている。エウロペは、金で縁取られた衣と赤い靴下を着けて、牛の首と銅との上に半身を横たえている。彼女は怖がってはいない。『善政』の壁画(註:アンブロージオ・ロレンツェッティ『善政と悪政』)の「平和」のように落ち着いている。
けれどもそれについて語って何になる?まるで音楽を言葉で表現しようとするようなものだ。
十五世紀のシエナ派はつねに、自らの時代のなかに追放されていると自ら感じている人々の故郷であるだろう。

ぼくはその絵から哀惜をもって離れた。眼は疲れ、心は少し重かった。
ぼくはわれわれがどこへ行くのか知らない。ぼくはわれわれがしていることの効用を理解していない。すべてがぼくには空しく、偽りに思われる。いくつかの絵、いくつかの音楽、そしていくつかの詩を除いては。
あらゆる可能な道によって、今日シエナ派の絵がぼくにかいま見させてくれた、あの失われた国をふたたび見出すこと。

1931/10/8 「日記1」p80(人文書院 小佐井伸二訳)



ジュリアンの日記は暗9/明1の割合です。
内省と苦悩の毎日です。
この頃は、ナチの影がすぐそこに近づいている。

今夜やりたかったのは、実は日記のまったく違う部分で。
もしかしたら、ジュリアンの和訳は凄く難しいのかなあという話とか、
もっと、共鳴する部分を色々取り上げたかったのですが。

なぜか、前フリで書いた、ちょいネタのみで力尽きる。
まあ、誰も待たないけど、まて次号!っことで。

ちなみに絵に関しては、説明できません。
シャコはどこにいるのかな。
ブログのカラムサイズ制限で大きい絵が張れないので
エウロペちゃん部分の拡大だけしておきます。

以前『黒死館逍遥』でも「ボスフォラス以東」という語彙に絡めて
エウロペちゃんについてやったなあとか思い出しつつ終る。

verona2.jpg

向日性

ただ白い家が建ち並ぶせいかと、少し抗ってみても
本当に地中海の光は、どこよりも眩しいと
テレビの画面を見ながら、いつも思う。

行ってみたいな、よその国。

あの光を浴びていたら、
暗い気持なんて全部吹き飛んでしまうだろうと信じる。
嘘みたいに眩しくて、
転がりながら噴き出してしまうようになるのではないかと。

坂道のアポロン BONUS TRACK (フラワーコミックス)坂道のアポロン BONUS TRACK (フラワーコミックス)
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小玉 ユキ

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時々、同僚ちゃんに無理やり付き合わされて
つたやでレンタル漫画をします。
いわば、現代版貸本ですね。
一週間で20冊800円とか。
読み切れないし、誘うわりには漫画選べないので
いつも半分、僕が借りるのです。

今回は、ずーっとまとめて読みたいなと思ってた
「坂道のアポロン」、全9冊+番外編借りました。
表紙のメガネ君に惹かれたのだったのか
表紙みてるだけで、これは好みだと思ったのか
もう忘れてしまったけど。

だから、1966年設定のジャズる高校生の話だなんてまったく分かってなく。
途中に挟まれたジャズの名曲(僕レベルでも知ってる曲)や、
ちらっと描かれた植草甚一「ジャズの前衛と~」の書影に
胸を躍らせて、一気に読み切ってしまいました。

先日観た「舟を編む」もそうだけど。
ときどき、油断している時に
ぼんやりしている時に
(自分で映画館に行ったり、漫画借りてるのだから自発的ではないとはいえないけど)
予想だにしなかった、「善なるもの」「幸福の欠片」が
ぐわっと押し寄せてくると
僕は、うわわわわっと押し倒されてしまうのです。

辛い設定やマイナスの設定であっても
「本当にイヤな人間が一人もいない」物語というのは
身構えていれば、そんなクサイものはいらん、となるのですが
自分には魂を切り裂くような悲壮だけでいいと撥ねつけられるのですが

油断すると、だめだ。

アポロンも舟を編むも、完璧でした、感服でした。
脱帽です。
少しの間、光に向かせてくれて、ありがとう。

地中海の光、もし本当に浴びたら、
きっと僕は、瞬間に、焦げ死んでしまうよ。

多国籍雑貨ビル

気晴らししている場合じゃないけど
本日は、散歩がてら馬喰横山に雑貨を観に行ってきました。

最近その存在を知った生のロシアネタの宝庫で
とっても面白い「ロシアぶろぐ(仮)~目指せ1日1ロシアネタ」さん
が紹介されていて、うわ覗いてみたい!となったので、出掛けました。

その雑居ビル・アガタ竹澤(東京都千代田区東神田1-2-11)は、
都営新宿線・馬喰横山/JR馬喰町から徒歩五分圏内。
地下から四階まで欧州雑貨のお店やギャラリが詰まってました。
チェコ・フランス・ドイツ・オランダ。

チェコの絵本に、じゅる。
オランダのミッフィーのこけしに、じゅる。
オーストリア・旧東ドイツ、西ドイツの切手(一枚20-40円!)に、じゅる。
目付きの悪い猫マトリョーシカに、じゅる。
大きなムーミンのケーキ型に、じゅる。

色々逡巡して購入したのは
フランス雑貨屋さんで、メイドインチャイナで、日本の作家さんプロデュースで、ロシアのマトリョーシカ型のペンケース。
リアルに多国籍丸出しやん。
あんど、多分定期別にしたら失くしそうで使わないかもしれない、でも粋なパスケース。

rusia.jpg

その後、近くに繊維問屋街はあれど土曜は閉まってるので
ふらふらとシモジマに吸いこまれ。
ええ、陳列材とか、梱包材とか、袋ものとかを小売してくれる店。
お店やってる人には馴染み深い、同人誌販売でも色々使えそうなアイテム満載な店。
たしかに日頃見かけてはいるけど、何処に売ってるの?
ホームセンターでも置いてないぞ的なものが、わんさと陳列されてる。

特に、福引の三角くじ。
はずれから、一等、二等、三等…ってばら売りされていて、
自分で当選確率決められるようになってる。

つい、コミケとか文フリで福引やりたい!と思わせるからこわい。
でも賞品何にします?と聞かれたら困るよね。
以前から作りたいと思ってた、虫太郎バッヂは、十三舎さんに先を越され…。
ちなみに、もう完売してしまったみたいですが、こちら

テレーズ人形、フェルトで作るか?
とか、誰も欲しがりそうにないモノしか思い浮かばない散歩てくてくな一日でした。

こわばり

先の中村真一郎の月報の結び近く
「老年の訪れとともに、グリーンの魂の中には、ほとんどかたくななといいたいような、こわばりを感じるようになって来ている」
という箇所がみられる。

この「頑な」という言葉の意味するもの。
筋肉がしなやかさを失い、徐々に固まっていくように、
人は社会道徳あるいは他人の見出した真理などからは遠く離れて
経験にもとづく、いくつかの決定項をつくりあげてしまう。
固執、不可侵の取り決め、こういう風にしかならないという思い込み。

これは誰にもあることで
「三軒先のじじいの頑固さにほとほと呆れる」
とかいった表現にも近いものもあるのだろうけど。
でも、彼が表現者ならば、異なる見方もしたいと願ってしまうのは
難しいことだろうか。

特に選ばれし鋭敏に研ぎ澄まされた感覚と
年経るごと、ひとつずつ残酷にも交換せねばならない
この膠着を放置したままにすることに抗わないはずはないだろうし。
もし、交換させられていることすら、感じ得ないようになってしまうなら
もっと切ないだろうと思う。

**

誰かに憧れること、誰かを尊敬できること。
そういう、ある種の崇高な時間を持てる人を少し羨ましく思う。

僕にはもうほとんどそういう対象はいなくて
唯一思いつくのは、鯵缶のボーカルさんだけど
ライブには行くけれど、直接会いたいとかは思わない。

ただ、遠くから観ていて感じる姿は、
本当は非常に排他的で他人に理解を求めないのにもかかわらず
志向が世界に向かって開花し
たゆまない積み重ねによって、
年齢に逆行して感覚を磨き、
言葉や音自体のもつ力を倍加できるようになっている人だということ。

天賦の才は決して永続的なものではなく
むしろ確かであったはずの種の多くは無情に啄まれ朽ちる中で
抗い転げまわって、
今も「綴ること」「響かせること」ができるという力に驚嘆しています。

**

若気の至りは、万民に注ぐ太陽みたいなものではあるけれど
しかし手放したくないと、もがかなければ
簡単に陰ってしまうのだろうと、
単純なことながら、自分に言い聞かせる。

ことのは

ここ最近はひとのブログとかtwitterほとんど見なくなってしまった。
もともとツナガルとか、目指していないから
見ないからといって問題はないのだけど。

自分の発信がつらいのは
自分の考えていること、感じていることの1/100も文字にすることができなくなってしまったから。
頭に入って、変換される時に、語彙が腐る。
変換しようとしても、乖離してゆくばかり、空疎な方向へ。

紙に書き落とす方が、まだ少し近くなる気がするので
最近は、紙に書くことにしました。
もともと、人に読まれることに恐れて
(それが意味するところは自意識の断崖みたいなもの)
いるから。
紙上の文字を移す方が、ましなのかもしれない。

十年前に書いた文章とか読むと
「掴めているなあ」と思うことが多い。
感覚が、瞬間凍結されているような。

いまさらロシア語とか勉強するのは
自分の、こういう鈍感に愚昧になってしまったものを、
本当にそうなんてしまったんだよ、君は
と自分に言い聞かせる作業なのです。

何か原書で読みたいとか
ロシアに行ったるで~とか、
野望はなにもない。
確認作業なの。

なぜそれが、完全に未知の言語に身を浸すことで可能になるのか
と工程を組んでいる僕も
ほら、言ったように変換回路が壊れていて説明できない。

**

一週間前の手帖より

**

ジュリアン・グリーンは百歳近くまで生きた。
彼は思わなかったろうか。

なぜかくも長く生き続けなければならないのかと。
これもまた原罪のひとつであろうかと。

快楽の飢餓を絶ち、放心もせず、ひたすらに苦悩し続ける者にとって
ある種の劫罰を常に受容すると誓ってしまった者にとって
我知らず、潔癖の習いを身につけてしまった者にとって
生は、あまりにも長すぎる。

**

僕は僕を許せないんだ。

地獄的感覚

さっきまで書いていた日記が、全部消えました。

四十肩がどうやら出たみたいで、毎日湿布三昧です。
肩をぎゅうと抑える、黒いものが飛び出さないように。
ドラマ・カラマーゾフのイワン(いさお)のような気分に浸れるけど、
実際は痛いだけです。

ジュリアン・グリーンの「つみびと」のあらすじや感想も消えちゃった。

がっくりです。

同性愛ネタをちまちま書いてたから、嫌われたのかもねPCに。
まあ気が向いたら、もう一度書きます。

ただどんなにサディステッィクでマゾヒスティックで、
暗くて救いがなくて、
もはやトーマス・マンやマルタン・デュカールのように泣いたりできないほど
深い海の底、闇の中、脇にいる人の苦しい喘ぎ声の反響する中に閉じ込められようとも
僕は、ジュリアンが好きだよ。

でこの暗鬱の正体、魅惑の正体は何かということを。
若き日の福永武彦とジュリアン・グリーンのシンクロぶりについて、中村真一郎が全集月報で書いている。
ということだけは、ちゃんと残しておこうと思います。

その頃、福永がグリーンのなかで最も問題としていたのは、彼の作品を覆っている、恐ろしい地獄的感覚であった。ドストエフスキーを読むために、ロシア語を学んでいた福永にとって、フランスの現代小説には珍しい、この孤独と絶望と狂気と官能とのまじりあった混沌たる世界は、自分の魂の深部を映す鏡のように感じられていたようだ。
それに福永は幼時のプロテスタント的家庭教育によって、清教徒的素質が優勢であったが、グリーンのアメリカ的血液のなかにある、あのピューリタニズムは、一層、彼を惹きつけたものと思われる。



地獄。

それでも、僕はまだジュリアンを読み続ける。

日課となりつつある、彼の日記を一夜一年分読み進めるのをやめない。

コクトーやジッドやマルローとの繋がり。
恋人との精神的に濃密な時間、肉体的には「つみびと」と同じく「飢え」を抑えようと禁欲を強いる時期。
戦争がすぐそばに迫る時期。
小説の裏側。

毎晩、読む。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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