2013-04

なんだかなあ

今日だけちょっと吐いてみる。

激昂しやすいし、我儘だし、社会性もないし。
辞めて良しといわれるなら、今この瞬間でも二度とリーマンにはなりたくないのですが。
とりあえず、リーマンでいないといけないので。
趣味というか、職人かたぎであることを唯一の救いとして日々を送っております。
創意工夫、もくもくと実験する。
美しい結果を生むことを、たくみのわざに近づくためにやっております。

で、職人は頑固です。
そしてその裏側には、自負が潜んでいます。
その技を買ってくれる人を、求めている訳です。

この自負が踏みにじられることが、何より神経を逆撫でるのであります。

ぼく今年で多分七年目なんですが。
そしてその技を持っているのはぼく一人なんですが。
結局は、信用されていないんだということがずっと続き。
出来栄えに対する最終責任は、作業者はぼく一人なのに、
臨床の大事な工程を担っているのはぼくなのに。
ずっと違う窓口経由で、無茶な依頼が来つづける。

持っている他の技は、
ほとんどがスポイルされたまま錆びてゆく。

ほんと疲れ果てちゃったなあと思う。
変性窓際症候群でしょうなあ。
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ねぢねぢ

ねじの回転 (新潮文庫)ねじの回転 (新潮文庫)
(1962/07/09)
ヘンリー・ジェイムズ

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初ヘンリー・ジェームズかと思いきや。
以前に「アスパンの恋文」読んでいたわ。
「死都ブリュージュ」に近い朦朧とした釈然としない男性心理のようなものがイメージとして残っているが、もう思い出せない。

今回は、自宅に戦前岩波文庫版(富田彬 訳)しかなかったので、途中何箇所か理解に苦しむも一気読み。
視点の縛りが強烈で。
決してその視点を持っている21歳の女性家庭教師の心理と、シンクロできないようにもなっていて。
彼女の思考論理に納得がいかず、はたまた尊大さにむっとしつつ、決して同化できない不快感を抱えたまま、読者は見えているのか分からないモノを見せられて。
本当に子供達はそんなにさかしらで、策略家なのかも最後までわからず。
庇護を必要とする、本当に可哀そうなこどもであるかも分からず。

ヒステリーの伝播なのか、本当に幽霊がいるのか、判然としないまま。
ただ確かにそこに、命を奪われた子供の遺体は横たわっているという。
ぞっとするというより、狭い箱に首を固定されて世界を観ている、旧世界の閉塞的な女性像みたいなのが、なんというか、うーん。
表層の「意識の流れ」系で、ちょっと面白かったです。

たまたま、「幻想と怪奇」9号(1974年7月号)観ていたら、巻末に「世界幻想文学作家名鑑」というのがついているのだけど。
そこのHenry Jamesの項、「ねじの回転」の説明が
「二人の子供をまかせられた女家庭教師が悪魔のいけにえにされようとしている子供たちをまもってただ一人悪戦苦斗し、しかもそれがすべて幻影かもしれないという心理的な怪談」
ってあるんだけど。

悪魔…。
彼等をそう呼ぶべきなのか。
一体なにか悪いことしたっけ。
いけにえ?
それは言い過ぎだろう。
せいぜい青白い顔して立ってるだけなのに。

むしろ、ゲイルズバーグみたいな家つき幽霊さん、とも思えなくもないのに。
そう、結構、恐怖以前に、友達になれるかもって思ってしまったのでした。

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