2012-04

ばかり

怖い夢ばかりみる。
そう書いてみて、よくよく人の弱さを知る。

三日連続で怖い夢をみた。
それは事実だがそれ以上でも以下でもない。
「ばかり」と呼ぶのは、少なくとも八割以上該当しなければ使えないのではないかと思うが。
どうだろうか。

被害、マイナスの残像は人の統計観念など、簡単に吹き飛ばす。
夢日記をつけたとしても、毎日の夢は記録できない。
あれは断片のつながりで、目覚めた瞬間に、誰かに話したり文字にかえて再構築してはじめて、意味がうまれる。
怖いか怖くないか、
目覚める瞬間に切り取られたfilmを拾っても、本当は判断できない。

怖いかともう一度問われて、言葉を窮する。
怖いか、いや心臓の鼓動がおかしくなるほど衝撃のある日もたしかにある。
けれどむしろ、それは不快なイメージだ。
脅えるような、広い空間にいても、一人箱に詰められるような閉塞だ。
数えよう、何日続くのか、月に何度なのか。

平凡な、むしろ「ごくまれに」「たまに」としか呼べない、裏返しの鏡像こそ、悪夢の頻度にふさわしいと、自分に思い知らせるべきなのだ。

助手席に座った僕は運転手に話し掛ける。
「今日は死亡フラグが立ってるね」
車は100km/hをゆうに超え、山道をかけ上がる。
トンネルが見える。
トンネルに入る。
一瞬暗くなり、抜けた先からくる路線バスが中央分離帯に掛かって横転する

すぐさま爆発しながらこちらの車線に流れ込んでくる。
オレンジの焔が脚をもったかのように迫る。
車は右にハンドルがきられ、こちらも激しく分離帯にぶつかり、僕は身体中に衝撃を受ける

ボンネットが曲がり、割れたフロントガラスから僕は腕だけだし、後方を振り返る。
発煙筒を焚かないと。
そのことばかり考える。
どうやらシートベルトが外れないらしい。


ただ印象的なだけ。
不快なだけ。
眠りは怯えさせるものではないはずだから。
決して「怖い夢ばかり」ではないから。
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手順書

実験の世界では、ひとつひとつの工程を標した手順書のことを
プロトコルと呼んでいる。
事前に共通言語である基礎科学知識や機器の使用方法を知っていれば
たいていの実験はできるようになっている。
料理でいうところのレシピである。
あれも、大匙一杯が何ccとか短冊切りはどんな切り方か知っていれば
それ一枚と材料でなんでも作れるのと同じである。

人は、経験によってあまりにも多数のプロトコルを頭に入れている。
無意識にできてしまうことに、誰も感動など覚えないが
その手順の多さを数えてみれば余りの膨大さに眩暈を覚えるほどだ。

たとえば。
インスタントコーヒーを淹れてみよう。
薬缶とコーヒーと水とガスコンロがある。
薬缶の蓋の開け方、蛇口のひねり方、点火の方法、沸騰の意味すること、火や熱湯の危険性、瓶の蓋の開け方、匙で掬うという混ぜるという行為、溶けて茶色く温かなものができるという意味、それが飲んでいいものだと知ること、苦味と深い味わい、熱いという感覚、果てはなぜ飲むのかということ。

これらをもし、ひとつひとつ確認しないといけないとしたら。
もしすべての行為、すべての意味に疑問をもってしまうなら、迷いが生じてしまうなら。
わたしたちはもうそこで幾時間立ちつくしても、前へ進むことができなくなる。

毎日決まった時間帯に電車に乗れなくなってしまい、
僕は、朝8時から正午すぎまで、毎日違う電車に乗るようになる。
元々下り電車の終点までいくので、電車はいつもガラガラなのだ。
だから、人々はとても緊張を解いて、思い思いの時間を過ごしている。
思い思いに最低限の節度を守りながら、自分を解放しているので、
そこに日常の果てから少し歪んだ何かを僕は観察するのだ。

この沿線には、知的障害者の施設と、大手製薬会社の実験施設と、インド系の学校がある。
そこに通う彼らにも決まった時間があるはずなのだが、
この四時間余りの広い範囲のずれにも、定時というものから外れた人たちが、
優雅に、そうまさしく自己をふわりと解放させて乗車している。
英語で交わされる子供達の密談、大音響でゲーム機を叩く音、毎回違う厚いミステリの文庫、論文の束、駆け抜けるおじさん、鏡をしまっては取り出ししまっては取り出して除く少女。

終点につく。
そのホームにいることもある。
階段の途中にいることもある。
改札口の前にいることもある。
改札の外の別路線に向かう長い長い通路に立っていることもある。
朝だけではない、夕方に出会うこともある。
ただ、一度も車内であったことがないし、終点の駅以外で会ったこともない。

その女性は、週に何度も眼にする。
彼女はプロトコルを失った人だ。
四十代だろうか、濃いくらいに化粧をして、色味は派手だがスーツを着て、一見普通の会社員に見える。
けれど、瞬間あとに彼女はどれだけ混乱し、迷っているかを僕たちは知る。

いつもの同じ道、同じ階段、同じ電車。
けれども、それは本当は同じではない。
ポスター一枚が貼り替わっている、エスカレーターは違う向きに流れる、電車はもっと恐ろしい、毎回車両の模様も違えば、行き先も、車両の数も違う、そして周囲にいる人間はもっと違う。
僕たちが、同じものとカテゴライズして、同じと呼ぶものを同じと呼べない人もいるのだ。
そして、彼女は恐らくその些細と、取るに足らないと呼ぶ差異以上に、覚えることができないことが多すぎるのだろう。
階段を下りてきた瞬間、自分が、駅に向かっていたのか、離れて行こうとしていたのかさえ、分からなくなる。
何度も立ち止まる。
左手をこめかみにあて、右手は小刻みに指差している。
指の先には、消えかかっているプロトコルがあるのだ。
普通の人には書かれることもない手順が、何百と書きたされ、そのひとつひとつのチェック欄に印をつけては、また迷う。
階段の途中で立ち止まった彼女の脇を、大勢の人が一瞥を加えて駆け抜けてゆく。

僕はずっと考えている。
この人が、外見通り、どこかで仕事をしているとして、そこに毎日辿り着くには何時に家を出ないといけないのだろうかと。
けれど、よくよく考えれば、この人に仕事をしてもらうのは、どれほど難しいことだろう。
コピーをお願いして、コピーが出てくるのはいつだろう。
詮無いことだけど、ようやく僕は思い至る。

おそらく、この人は毎日、どこかこの終点の駅の周辺に向かうこと、それが仕事なのではないかと。
到着し、ラジオ体操の朝のハンコのように、何か一つのことをなし、そして帰宅する。
それが滞りなく、プロトコルなしに行えるようになることを。
何年も何年も、ずっと繰り返しているのではないだろうか。

僕たちの、無意識と言う名の恩恵を、
ある日突然、失われてゆく、当たり前と呼んだ時間を、
僕は、ぼんやり、愛しいような悲しいような、取り返しのつかないような気持で思い描く。

ある日のことでした

その密やかなる隠れ里は唯一無二の臥処でありました。
道筋は果て、いままた振り返り。
幾百年、幾秒遡り、また明日はまだ見ぬ明日は。
ほんの少しだけ。


人の夜毎の夢にも現れ悪さを繰り返す小人たち。
なかんずく彼らにも優しき御手をかざしたまえ。
狂気を餌とし、敢えて貪食を好まず、
我らに狂いを吹き返す。
しばし狂気は我ら人の餌ともならん。


心地よく湿りし岸辺。
靴先つかまる片足のもげた蟹の骸。
潮を吹きしまま赤茶けて岩肌に絡まる海藻。
濁りきり深く視界を阻む宙天とわだつみの境界なき滲み。
私たちは明日はここから旅立とうと話し合う。
入江に終わりのないことを知っている。
入江はロゴスを飲み込み、吐き尽くす。
私たちは白い空洞である。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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