2011-06

警句

じつはあのころ、ぼくはたえずこう自問していた。ぼくはどうしてこうも愚かなのか、もしもほかの連中が愚かで、やつらの愚かさがぼくに確実にわかっているなら、どうしてせめて自分ぐらい、もっと利口になろうとしないのか。そのうち、ぼくはさとったのさ、ソーニャ、やつらが利口になるのを待つとしたって、いつのことになるのかわかりゃしない……それから、またさとった。そういうときなんかぜったいにやって来やしない、人間なんて生まれ変われるもんじゃない、まるで意味がないとね!そう、そうなんだよ! それがやつらの法則なんだ……法則なんだよ、ソーニャ! そうなんだ! …今になってわかるんだ、ソーニャ、頭も心もつよくてしっかりした人間だけが、やつらの支配者になれるってことがさ! いろんなことを思いきってやれる人間だけが、やつらのあいだじゃ正しいってことになるんだよ。よりたくさんのものに唾を吐きかけられる人間だけが、やつらの立法者になれるんだ、だれよりも正しいのは、だれよりもたくさんのことを思いきってやれる人間だけさ! 今までもそうだったし、これから先もそうなんだ! その見わけがつかないのは、ぼんくらだけさ!

『罪と罰3』 第五部 146p



で、ご存じですかね、やつが分離派《ラスコーリニキ》の出だってこと? いや分離派なんてもんじゃなく、異端派ですよ。(略)
さて、そこで監獄に入れられるっていうと、どうもミコールカは尊敬する長老のことを思い出したらしくて、聖書がまた顔をだすことになった。で、ラスコーリニコフさん、『苦しむ』ってことがああいう連中の一部にとってどんな意味をもつか、ご存じですか? それはね、人のためにっていうんじゃない、たんにひたすら『苦しまなくてはならない』、つまり、苦しみを受けるっていうそのことが必要なんで、それがお上からのものであれば――それにこしたことはないわけです。

『罪と罰3』 第六部 238p



《それにしても、あいつら、なんだってこうもおれを愛するんだ、おれにそんな値うちなんてないのに! そう、もしおれがひとりきりで、だれもおれを愛してくれなかったら、そして、このおれもだれひとり愛することがなかったら! こういうことは何ひとつ起こらなかったろうに! (略)
彼は深く考え込んだ。《いったいどういうプロセスをたどれば、理窟ぬきでもうやつらの前に屈服する、信念によって屈服するってなことになるんだ! でもなぜ、そうならないって言える? むろん、そうなるに決まってる。なにしろ、二十年の絶えまない圧迫が、最終的に何か目的を果たさないなんてありえない。雨だれだって石をうがつじゃないか。それがわかっていながら、なぜ、どうして、今さら生きていく必要があるんだ、どうして、おれはこうして歩いてゆくんだ、すべて本に書かれているとおり、そうなる以外にないとわかっていながら!》

『罪と罰3』 第六部 398p

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tumi tumiki kuzure ru

「罪と罰」読了。
トーマス・マンの「魔の山」「ファウスト博士」一生に一作品、精魂籠めるに値する、身を捧ぐにふさわしい作品だったけど、これも捧げられるなら捧げてしまい話だった。
こんなに続けざまに、僕は命を削る本に出会っていいのか。
あるいは、もう残りがないのだから、こういう本にだけ出合い続ける甘美に興じるべきだろうか。
と逡巡する必要もない、問いで是非を問う。

ドストエフスキーは、策略家だな。
劇場型の人間だな。
プロットの巧緻さもさることながら、刺激の高いドラマで哲学をぶちやぶるな。

でも。
面白さと、裏腹に、ああ、これは、僕の探した絶望じゃなかったなと思った。
崖の淵においこまれ、犯罪の露見、恐喝と悪と善のコペルニクス的転回。
きれいだったな、鮮やかに醜いサーカス曲芸だったな。

だって、愛っていうんだもの。
許しと呼ぶんだもの。
この期に及んで、マリア様を、神の導きを、血のつながりを信じてしまうのだもの。
ラスコーリニコフは、復活の芽を摘まれることがないのだもの。

彼の絶望は、彼が人工的に生み出した
いわば、ここに居るくらいならば、地獄の汚穢の壷に突き落とせと甘えてねだる子供のそれだもの。
虚無を知らぬまま、復活の道を選ぶのだもの。
彼の「罰」は狂気に瀕した、【他者による】退路の破壊工作にすぎなかったのだから。
本当の絶望は、そんなものじゃないから。

素氏は一行も読んでいないのに、問いかける。
「罰」ってなにかを?
彼は苦しんだかもしれない、悪夢に追われたかもしれない。
でも、僕は甘っちょろいと思うさ。
それでも、最大の苦々しい彼の責苦は、死を放棄し、こんな世界で生きることを選択したことにあるのだろう。

本当なら、文フリで入手した西岡兄妹のこの本のように。
豚に食われてしまう無の破壊者たる素質/天賦を、ほんの僅かラスコーリニコフは
与えられていたというのに。

神の子供神の子供
(2010/11/30)
西岡兄妹

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**

6/17。
金曜日。
初めて絶叫する耳鳴りを抱いて職場を走り去る。
退勤時間も待てなくて逃げ去る。
いつも親しく鳴っている、高音のピーとも、砂嵐のザーとも、トンネルのワワワとも違う奴がやってきた。
あれは、黒い心臓と癒着した犬の吠えだ。
三人、フツーのひとが、後にいただけ。
本当に、、吐いてしまえれば、ずっとずっと楽だったのに。
心身症すら、羨ましいです。

6/18。
ブラックスワンを観る。
トーシューズのディテールだけ追いましょう。
硬い爪先で硝子を崩して、滑り止めとするんだ。
世界を踏みつけて、これから踊り子だけに与えられた不可能のポーズを可能にする音。
ざりざりざりって、とても綺麗に壊す音。
傷みって、小さいこそ、痛いのだと思う。
爪をはがす、サカムケを引きちぎる、それの方が何倍も刃より強力よ。

僕は無神経だろうか。
他人が無神経だと呪う資格などあるだろうか。
十字架は、きっと年経るごと、深くめりこんでゆくだろうか。

泣いて泣いて泣いて泣いて。
泣きつくして、土曜を締めくくる。

絶望して、もっと絶望して。
震災のあと、「人とのつながりを大切におもうようになりましたか」という質問に
何度もノーを返して。
ニヒリストは、何も動じないねと、五日前素氏と、笑いあって。
こころのなかでも、究極の個人主義者は、ちっとも変化が訪れないとつぶやき。

だから、もっともっと内側へ。


また明日から、絶望の物語を探して、僕は欧州を巡ろうと思う。

倉庫

葛飾区の京成線沿いにとある貸家物件がここ三カ月出ている。
各駅停車しか止まらない駅から徒歩8分、(京成の各駅停車は呪われているが)
4SDK、床面積97㎡で8.5万円という恐ろしく魅惑的な物件である。
およそこういった破格で広さを誇る物件は、謎めいていることが多いが。
ここは、一階に8畳ほどの倉庫(土間)があり、中二階に二間和室があり、階段のルートが一階から中二階と、一階から二階へ向かう二ルートがあって、二階にも新たな玄関口があり入口は土間になっている。
中二階とはいえ、天袋を除く襖一枚の高さはあるので、それほど天井は低くないのだろう。
およそ写真で見る限り、元町工場で中二階に従業員をすまわせ、最上階に社長宅があったような気配だ。

これは、面白い!
家賃も安くなるし、広さは、1.5倍以上だぜ、とか。
都心へ向かうには若干不便にはなるけれど、むしろ僕は通勤が楽になるぜ、とか。
なにしろこの間取りなら、存分に本が並べられるぜ、とか。
思って、指をくわえていたのだが。
先日、素氏にこの物件をみせたら、結構乗り気になっていた。
とはいえ、我が家の本を引っ越しさせるとなると、普通の引越し業者ならどれだけ恐ろしい見積もりが来るかわからない。
今は軽量鉄骨だが、木造になったら耐荷は大丈夫なのか。
と、微妙に逡巡しつつ、夢想していたら。
どうやら、ついに消えてしまったらしい。。。。

あー、残念だ。
ほんと、今住んでいる借家も、日当たり不良で(本は焼けませんよ)好立地なのに、破格だからね。
なかなか、重い腰があがらないんですが。

ヤフオクで。
昨晩、二年以上、再出品に再出品を重ねた、蕪村本がお婿に行くことが決まりまして。
早速入金を頂戴し、いそいそと発送準備にかかろうとして。
真っ青になりました。。。
ええ、商品がみつからないんです。
はじめは、高をくくって、大丈夫、この段ボール五個の中にあるわいなと、煙草吹かしていましたが。
何度函をひっくりかえしても、見つからない。

だんだん冷や汗が出てきて、絶対あるはずのない、素氏の部屋のカオスを眺めてみたけど、ロフトに登ってみたけど、当然ながら、見当たらない。
既に探索から、一時間が経過し。
まさか、どこかで売ってしまったのかと、古いデータをかき回し。
記憶の神経衰弱を重ね、、、、そういえばと思い当りました。

先日一階の片づけを徹底的に行った際、このデカイ本が所定の段ボールに収めるのも面倒な大きさで。
売る予定のない、普通の本たちに紛れ込ませたのではなかったかと。
それから、三十分、ほとんど半泣きで棚を一つ一つのぞいていくことに。
ほんとにね、本は前後二列縦隊にするのは、やめた方がいいわ。
なぜか海外文学の集まり、晶文社「マン家の人々」三巻本の後ろに、眠っていました!
うおーーー、神様ありがとう!

と、叫んだのは、既に夜中の二時半。
はい、今日も大名か社長かわからない出勤時間でありました。

もうここ5年、頑張って売ってきたかいがありまして。
手元の同人誌が、、、う、売るものがねえ。。的に減少しました。
そこで、数か月に一度仕入なんかもやっているんですが、普通に中古同人屋さんから、目鼻をつけるもので、少しは自信があっても、なかなか価格的に難しいものがあります。
なので、僕のささやかな夢はですね。
このどんな職場でも馴染めない(最近、ようやく自分の性質にあきらめがつきました)
給与所得者から脱するという夢を可能にするには。
この路線しかないだろうと思うわけですね。
なにしろ、一般流通本とISBNをもたない同人誌の差は、市場の狭さ=購買範囲の限定=入手困難さ、という意味で格段に事業価値があるわけですから。

しかし、実現のためには、潤沢な倉庫がなにより必要で。
同時に、個人からの買い取り路線が不可欠と。
あー、世の中には、実際にそれをやっている人もいます。
また今は一部の時間をこれに当てているのを、もっと十全に当てなければいけないのも分かります。
でも、こういう不毛のプチ事業がやれたら、もう少し前向きになれるような気がする、そんな日々です。

心理を舐る

「ねぶる」という言葉が嫌いだ。
熟れ過ぎた苺が崩れ始めたその色もて、ねばり付く唾液を引きながら、舌がうごめく。
「舐める」でもなく、「しゃぶる」でもなく。
湿度の高いその言葉は、使う人の下卑た醜悪さを表してもいるように感じる。

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
(2008/10/09)
フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー

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「罪と罰」はまさしく、心理をねぶるに等しい筆致で、吾々を不快の極みにつれてゆく。
ヘドロ化した藻が首に巻きつき、追い詰められて、同時に興奮をするという。
そう、奈落に落ちながら、期待に胸をふくらませるのではない、興奮。
昏い昏い、一人きりの喜びをみつけたみたいに。
目のまえで、皮が剝がされ、腐肉をかきまわし、骨を引き出して、固まりかかった髄を膿盆の上にこぼす。
衝撃と嘔吐感で、僕は、鬱の極みにありながら、躁の極みのようにはしゃぐ心の切れ端を感じる。

不思議だ。
こんな小説に出会ったのは、初めて。

たしか、僕は、絶望を探して旅をしていたのだ。
五年前はラテンアメリカを旅し、近年はフランスやイギリスを逍遥していただろうか。
日本を離れて幾年月、蜻蛉かえりはあっても、もう地に足をつけることはないだろう。

埴谷雄高が、ドストエフスキーの影響を受けているというには、誰しも知るところで
ながらく、知識としては抱えていたけれど、実感をしたのは今日が初めてだ。
読んでいなかったのだから、こんなに歴然とした事柄も、分るはずがなかった。
歴然、歴然。怖ろしいまでに。
特に第三部後半から第四部にかけて。

命題、それも答えのない、極めて簡素で極めて難解な命題を提示すること。
命題をとくために、状況を設定すること。
命題の答えを導くために、最大限の振幅をもった人物をうみだすこと。
語らせること。
議論させること。
互いに混乱をうみ、たがいを幻滅させること。
答えを導くために、誘惑を与えること。
夢、幽霊、幻。
影をあえて闇の中におき、黒に黒を重ねて、映えうるものによって恐怖を生み出すこと。

「死霊」は最終的に、命題のなかの小命題を生み出そうとして袋小路に入り込んだ。
「闇の中の黒い馬」は、幽霊を召還し、美しい命題の追及の果て、闇に舞い戻った。

どんなに近似していることか。
まるで、僕には「罪と罰」の鮮明なスチール写真、あるいは描かれたデッサンを、
一生かかって埴谷が細い細い硬筆で、その輪郭をルドンの黒みたいになぞってなぞってなぞり尽くして。
エッチングの黒インキも入り込めないほどの線でなぞり潰して。
残ったのが、あの「死霊」の暗渠を歩く、判別できないのに完全には暮れきらない景色のように思えてならない。
「死霊」がずっと静的だと感じるのは、格段に照明が落とされているからだ。

物語を読んでいる瞬間、僕たちは新たな物語の気配を感じる。
囲まれた空間の匂い。
捕まえなければ、すぐに気化する、あの気配。
同じものなど書きたいわけではなく、その気配だけを瞬間吸い込んで、全く別の世界を。
この物語は、僕が求めた孤独の幻想など、完膚なきまでに叩き壊すのに。
何度も、「幽霊」を見させる。

亀山少年は、ラスコーリニコフが、ついに斧を振り下ろした瞬間、憑かれたと語っていたな。
翌朝登校しても、自分が殺人を犯したのだと、完全に思い込んで震えていたと語っていたな。

第二部に斧が降りるまで、僕も殺人に至る興奮を味わったよ。
偶然という呪い、聞きかじった後押しで、
斧を外套の内側に作った紐にぶら下げて、ポケットでぶらぶらしないようにして、運んだよ。
血まみれの手で、質草を漁ったよ。
悪夢を何度も重ねて、爆発的に興奮しながら彷徨し、計算高く自己防衛に走ったよ。
自分でも抑えがきかいないくらいに、雄弁に「選ばれた者」について語ったよ。
隠匿工作に走り回りながらも、ああ、全部ぶちまけてやれ、こいつらみんなに俺がやったって教えてやれって思ってたよ。

謎を解くために差し出された、探偵小説が一挙に色あせる瞬間。
興奮と、破壊への疾駆は続く。
さあ、第五部へ進もう。


「じゃ、ごくふつうにはどう言いますかね?」スヴィリガイロフは横を見つめ、少し首をかしげながら、ひとりごとのようにつぶやいた。「ふつうはこう言いますよ。『あんたは病気だ、だからあんたに見えるのはたんに実在しない幻覚にすぎない』とね。でもそこに厳密なロジックはないんですな。わたしも同意しますよ、幽霊が病人の前にしか現れないってことは。でも、そのことで証明されるのは、たんに幽霊が病人の前にしか現れないということでもあって、幽霊が、幽霊それ自体が存在しないということにはならないんですな」
「むろん、存在なんてしてませんよ!」いらだたしげに、ラスコーニリニコフは食いさがった。
「存在していない?あなたはそうお考えになる?」スヴィドリガイロフは、相手の顔をゆっくり見あげて話をつづけた。「それじゃ、こう考えてみたらいかがです(ここはお知恵を貸してくださいよ)。『幽霊というのは、いわばほかの世界の切れっぱしであり、断片であり、それらの始まりである。健康人には、むろん、そんなもの見えるわけもない。なにしろ健康人というのは、もっとも地上的な人間だから、もっぱらこの地上での生活を生きなくちゃならない、その充実のため、秩序のためにです。ところがちょっとでも病気になり、オルガニズムのなかの正常な地上的な秩序がちょっとでも壊れると、たちまちほかの世界の可能性が出現しはじめる。病気がひどくなればなるほど、ほかの世界との接触は大きくなる。だから、人間は、完全に死んでしまうと、そっくりそのままほかの世界に移っていく』。これは、わたしが昔からあたためてきた考えでしてね。もしも来世を信じるなら、こういう考えだって信じられるわけです」
「来世なんてぼくは信じちゃいません」ラスコーリニコフは答えた。
スヴィドリガイロフは、すわったまま考え込んだ。
「でも、もし来世にあるのが蜘蛛の巣だけとか、何かそんな類のものだけだとしたら、どうです?」彼はふと口にした。                                          
《こいつめ、くるってやがる》ラスコーリニコフはそう思った。
「われわれはこれまで、永遠というものを、理解できない観念として、何か巨大なもの、大きなものとして想像しているでしょう! しかしなぜ、ぜったいに大きなものでなくちゃならないんですか? ひとつ、そんなものんじゃなくて、そこにちっぽけな部屋を想像してみたらどうです。田舎風の煤けた風呂場みたいなところで、隅から隅まで蜘蛛の巣が張っている。で、これこそが永遠っていうふうにね。わたしはですよ、そんなふうな光景が、ときどき目に浮かぶんです」

光文社古典新訳文庫 「罪と罰2」 232-234p 

                    

映画メモ 5月編

僕もう窓際族にぐったり疲れて、
なぜか職場でシャービック苺味とか、日本酒のシャーベットとかつくってます。
関東地方の給食の出たとかいう、リンゴのシャーベット家で色々レシピ変更しながら作り
職場の-80℃の冷凍庫で凍らせたりしています。
家庭用はせいぜい-20℃なんで、かなり急速冷凍ですが、さらに急速望むなら、
液体窒素もあるぜよ。。。なんだけど、なにやってるのか、頭割れそうです。

世の中、確実にクサイ文化が横行していると思う。
ふぁぶりーずとか、れのああぴねすとか、もろもろの化粧品とか。
僕、百貨店の一階をダッシュで駆け抜ける人なので、
昨今の、衣類叩いて弾ける薔薇の香りとか、
この間サンプルで送られてきた、一か月五千円とかする化粧水とか。。。
もう死んでしまふ。
回答には、臭くて使えませんと書きました。
でも後ろの同僚ちゃん、これご愛用らしく、癒されるとか申します。

なんだかね。
ふつーの女子な人と話してると、絶望するんだ。
ほんとうに、紙とかびりびりに引き裂いて、いい加減にしろ!って叫びたくなるんだ。
タオル10年、柔軟剤なしゴワゴワで使い続けることがなぜ気持ち悪いのか。
ウォシュレットない生活が、なぜおかしいのか。
ゴキブリを新聞で叩いてやっつけることが、なぜおかしいのか。
消えたくなる。
僕は、慎ましいではなく、工夫と潔さと合理性にみちた暮らし、
等身大の憧れなど抱く必要もない暮らしが、何より安心する。

ウツのカーテンを明日からは、もっと十全に引かねばならない。

****

映画メモ
沢山観てるけど、感想とか書くと凹むので、手短に。

5/15 炎上@角川シネマ有楽町

ビックカメラ有楽町の8階、よく試写会があったという読売会館。
ここの難点は、全席指定で、ありがたくも開演ぎりぎりになっても、ここが見やすい、ここは隣に人がいるとかなんとか、情報多すぎて座席が決まらんという発券。
神保町シアターのように、整理番号順に入らせろ!

ここは時々古い映画をやってくれるようで。
このときは、三島由紀夫映画祭でした。

市川雷蔵が、時代劇ではないのをやると、全く色香が蒸発してしまうのは、なぜでしょう。
特にこの映画(原作「金閣寺」)の雷蔵は、大学生/僧侶の役だったけど、高校生にも見紛う雰囲気。
この間の「英国王のスピーチ」でも感じたけど、吃音の演技というのは、大層難しいに違いない。
溜めに溜めた音が爆発する瞬間、鬱屈した感情が、火花のように破裂する。
仲代達矢のびっこの崩れた同級生役が、同じく不具を抱えた代弁者で、ぞくぞくした。
己や他者の破滅を望むこと、炎も刃も向かう先は、内も外も同義である。
こういう破壊への助走は、誰しも一度は経験していて
それを「やれるか」「やれないか」の跳躍の違いに過ぎないんだ。

いま、ドストエフスキー「罪と罰」が第二巻に中盤にさしかかり。
絶望と、破壊は酷似する瞬間もあれば、全く異なる根を持つこともあるのだと感じている。

あとねー、印象的なのは、浜辺を棺を掲げて大勢が進む葬儀のシーン。
これって、寺山の「田園に死す」に多大な影響を与えているような気がする。



5/22 肉体の学校@角川シネマ有楽町

離婚によって自由でハイソな生活を手に入れた女性たち。
岸田今日子が獣のような荒々しい男をもとめて、年下のゲイバーのバーテン山崎努にのめり込む話。
岸田今日子さんがオシャレで可愛いさ満点。
心は千々に乱れているのに、つんとして、私貴方にぞっこんなんかじゃないのよ。
もっとドライな関係でいましょ、お互いどんどん浮気しましょうなんて言ってしまう可愛さ。
イヴサンローランの内覧会とか、凝った部屋のインテリアとか、そういう方面が好きな方は別に面白みが増す気がするけど、それはさておき。
まあ、山崎努の仮面/虚勢が剥がれてゆく瞬間が、とてもいいです。
特に、岸田今日子をお姉さまと慕う、ゲイの男の子の切り札の差し出し方は渋い渋い。
また、別れの儀式で、切り札の写真(映像では一瞬しか出ない山崎努の緊縛)を、しっかり目に焼き付けるのよと迫真の女の凄みで、コンロの火で燃やさせるシーンとか。
俗物を究極まで俗物として描きながら、映像は諸手を挙げて素晴らしい映画になってます。



5/22 黒蜥蜴(1962)@角川シネマ有楽町

久々に素氏と一緒にみたんだけど、京マチ子の黒蜥蜴が観たいというので。
。。。。
。。。
ひどい、、、、ひどすぎた。
僕的には、至上最低のと冠してもいいと思うくらい。
笑うに笑えない、帰りに食べたホルモンの味がひん曲がるくらいに、ひどかった。
開始30秒、ぬぼーっと立つニヤケた背広の男が口を開いて黒蜥蜴の紹介をした瞬間、
これは全速力にやばい!と悪寒が走ったのであった。
大木実@明智小五郎、、、こんな意味のない演技力ゼロ自意識過剰の探偵、誰か絞め殺してください。
コントもどき、ミュージカルもどきの前半、中途で席を立ち逃げ出す人も出たのも当然か。
突然歌と踊りが始まって、僕は思わず耳をふさいで、目を閉じた。
そして、他の映画ならもう少しましだった、川口浩など京マチ子を除く全員が
撮影数秒前に台本を渡され、リハーサルのまま、テイク1で撮影終了かよ!
これは監督か映画会社への、新手のボイコットかよ!
と思うほどの、台詞棒読み、演技なしの連続。
最も酷いのが、全くミステリーの体をなしていない、無茶苦茶な論理の飛躍。
いったいどこの黒蜥蜴ちゃんが、こんな探偵に惚れるかよ!
せめてもの救いは、後半少し、ミュージカルがなくなったことかしら。。。
誰にもお勧めできない、ギャグにもならない、恐ろしさでした。

炎上 [DVD]炎上 [DVD]
(2004/10/22)
市川雷蔵、仲代達矢 他

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肉体の学校 (ちくま文庫)肉体の学校 (ちくま文庫)
(1992/06)
三島 由紀夫

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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