2011-04

大雨

本日のこの大雨。
もうギャグだろう!

今日は、キョージュの結婚式なんです。
50代で再婚だけど、お相手は初婚なので豪華にあげるみたい。
恵比寿のうえすちんの二次会、二百名無料招待、なんて太っ腹!
そんで僕もお呼ばれで、珍しく着物で行くことにしたんですわ。
小紋ですけど。
十三参り(京都で数え十三歳に渡月橋を振り返らず渡る儀式)で振袖着て以来。
成人式も卒業式も面倒で着なかったのに。
新しい服買うより、ずっと安上がりだし、
たまには面白いかなーと思ったからなんですが。
何しろレンタルと着付けで7000円なんですよねー。

しかし。
わざわざ木曜に着物選びまで行ったのにー。
髪の毛の予約とかもしたのにー。
この台風みたいな天気の中、裾を汚さず進むことが可能とは、到底思えない。
「雨降って地固まる」とかなんとか。
つまんねー祝辞とか、今日は飛び出すんだろうか。
そんなことはどうでもいいんだが。。
花嫁さんのセンセーもかわいそうだなあ。

うえすちんは、なぜ駅からあんなに遠いのだ。
もうタクシー必至でしょう。つかまえられるか不明だけど。

同僚ちゃんが乙女なので。
僕の睫毛をマキマキするとか、眼力つけるとか息巻き。
そのためメガネ禁止令がでました。
ハードコンタクトすら面倒でやめてたのに、ソフト使い捨てだけど。
大きすぎて、眼に入れるのがしんどい。

乙女ちゃん、昨日は爪までやりやがり。
塗り塗りしたうえに、変な粒を爪の上につけました。
しかし、乙女ちゃん、乙女だけど不器用で。。
観れば観るほど、気が狂いそうな感じです。
僕の中のおっさん魂が破裂して、削り落としたくなるー。

ふつー、このオサレというものは、乙女をわくわくさせるものらしいですが。
おっさんには、胃を掻き回されるような、いたたまれないしんどさ満点です。

なんとか天気が少しでも回復してくれることを祈る。
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How many days can we keep?

体力に著しい経年変化を感じるこのごろ。
年をとることって、キャパが減ることだとつくづく思う。
いわゆる心臓疾患リスキーな性格、典型的なタイプAに属する僕は、
いつも今日やること、今週やることの目標が非常に多い。
この週末二日間も、当初は。

・一階の整理整頓、カーペット上掛けの洗濯・交換
・コンタクトレンズを久しぶりに買う
・鰤のあら煮をつくる
・一箱古本市の本を集めて値つけする
・ヤフオクの出品写真をとる

という目標を高らかに掲げていたのだ。
しかし。
実際には、一階の整理整頓、いわば人間が二人坐ることもままならない空間
全周を覆う、本を初めとした諸々の紙を片側に寄せ、
下の電気カーペットの冬用上掛けを外す。。。そこまでに土曜の半日を有した。
洗濯機が壊れる寸前かという大きさの代物を洗い
蒐集しまくった、地下鉄戦利品:中央公論アダージョとミニ荷風をファイリング。
素氏の部屋以外にある全文庫本を一階に集合。
VHSビデオの棚を整理して、一部を文庫棚にしようと目論む。
さらにその上に、二階の文庫棚をもってこようと目論む。
小学館の落語CD月二回配布用箱26個を潰して紐で縛る。
この辺で晩御飯を食べていないことに気付き、アンパン一個齧る。
夜中11時すでに、作業は12時間を超えて、全く終る気配なし。
倒れて眠る。
そういえば、風呂に二日入っていない。

日曜日。
二日酔いとかなんかで仕事をボサって布団で丸まる素氏に時折、
どうしよーとか叫びつつ空中楼閣のようなVHS棚・文庫棚・コレクション棚の三段積みを目論む。
ふらふらで、棚をからにして、積み上げ。。。られず。
わずか、1cmも満たないが、天井にごちんごちんぶつかって、積み上がらん。
この小さいながらもスチール棚を持ち上げたヘラクレスタヌキの情けない姿。
うおーーーっと叫びたくなる。
何しろ、壁がないんだ。
本には壁が必要なんだ。
普段、不動産の図面見るときの最大ポイントは、部屋数多く壁が多いことが重要。
広いリビングも、収納家具もいらないから、壁をくれ。

午前中。
岩波・ちくま文庫に続き、新潮・創元文庫が収まった。
獅子文六全集とチェスタトン著作集、箱入り息子たちが本棚の上に並ぶ。
平積みにしていた、大量の戦前科学雑誌が、スチール棚に収まる。
でも、床は一面本と雑多なものでまだまだ。
腹が減る。
カップ焼そばで飢えをしのぐ。
六時までにはなんとか、終らせたい。
一気呵成に、煙草をふかし、一気呵成に立ち上がる。
煙草タイムは重要だ。
この間に、ビジョンを固めているのだから。
あの棚をこっちへ、このDVDの山をあっちへと、思考機械である。

で、ようやく、終わりました。
広くなりました。
うーんと、元は6畳の居間ですが、4畳くらい生活空間できました。

今回の整理は。
GWに妹が神戸からやってくるから始めたもの。
泊まらせることは不可能なので、すぐ近所のホテルをとりましたが。
まあお茶とかご飯には来るだろうと思って。
なんとか、獣の棲家から微妙な昇格を遂げようと思って。
頑張りました。

でも、他のことは何もできなかったです。
本日、全身痛くて、ダクダク講社ならぬ、グダグダ講社まっしぐらです。
果たして、この状態がいつまで、保てるのであろうか。

そうそう。
今回の整理で、文庫だけでも凄い量にダブリが発覚しました。
一番笑ったのは、岩波の「中勘助随筆集」。
たまに素氏と僕とで別々に買ってだぶるとか、
こんな安い値段で転がすなんてふざけるな!気分で、故意にダブらせることあるけど。
中勘助は、僕しか読まないから。。。
犯人はオレだ!
三冊も出てきやがりました。

あと、寺田寅彦随筆集、買いたいなーとか、この間店頭で悩んでいましたが。
ちゃーんと、五冊揃いで紐で縛られて出てきました。
おいおい。ついでに一巻はダブリでした。

そんなこんなで、いつまで続くか分らない、一階の壁の一部。

honndana1.jpg
ちくま、岩波、新潮、文春、創元たち。
プチ古本屋さん状態。
でも二列縦隊だから、奥のは取りづらいね。

honndana2.jpg
中央上段。集めに集めた、でもまだ欠けが沢山の科学画報・科学知識・科学世界など。
なんか、灰色の背が不気味としかいいようがないけど。
プチ図書館閉架気分。

honndana3.jpg

ここは、張り出し窓の上。
どこまで日光を遮るのか、この真っ暗な家は。
右上虫太郎文献、付箋貼りまくりの文庫、膨らんでます。
右下、戦前の宗教研究合本、戦前医学書。
見えないけど、僕のお宝雑誌、チバ時報ほぼ揃いが隠れてます。

連敗つづき

衝動買いは、あまりやらない。
特に家電とか家具とか大物を買うときは、
徹底的にスペックや価格を調査するたちなんだ。
でも、ここのところ連敗続きで、へこむ。

素氏の木箱でパズル状に組み上げられた本棚が、3.11で一部崩壊し。
本人からの申請により、フツーの本棚をいれたいですーとのこと。
そりゃいい心がけだと、240cmの壁面に合う本棚を探した。
最初は、幅120の合板本棚はどうかなと思って提案していた。
合板系の欠点は、やたらに棚自体が重いこと、そして中板が本の重みで必ず撓ること。
利点はなにしろ安いこと。

すると、反対側の壁に設置されている今回の地震にもぴくりともしなかった、
ツッパリありの、スチールパイプ本棚がいいとの申し立て。
昔々の楽天購入履歴を探して、やっと同じものを見つけることが出来た。
既存のものは、幅60であった。
そう、同じ幅で四本にしておけば、せめて、80を三本にしておけば、
あるいは、ツッパリしている背面は吹き抜けでとても高いけど、
今回の壁面は上にロフトがあるために、190しかないことをよくよく考えておけば、
このような悲劇は起こらなかったのである。

合板系の三倍近い価格で届いた120幅のパイプ棚は、確かに軽かった。
組み立ても慣れたら僕一人で出来る代物だった。

しかし…。
まず天井が低くて、つっぱりバネ金具をつけることができず。
ついで、浮かれてぎゅうぎゅうに大型図録を、四六版菊版を二段置きしたら、
あっというまに、各段を支える横方向のパイプが歪んでゆく。
耐荷重量は幅が広がっても大して増えないのに
本は載ってしまうから、耐え切れないのだ。
合板系のように、センターに支柱も入っていないし。

さらに、天井のクロスにダンボールをかましても、棚が横方向に傾き。
ついに片方の棚が、もう一方に凭れ掛かる、そして縦の支柱がしなり、
とーーっても恐ろしい、手を離したら、棚全体が倒れる、斃れる!
という、危機的状況にまで追い込まれた。

あー、諭吉三枚も出したのに!
なんたる失態。
とりあえず天井に仮の支え楔を打ち込み(ちなみにうちは借家だ・汗)
倒れそうな棚の横に三段ボックスを置いて中味をびっしり詰めて支えにする。
ここで、ようやく一時的な倒壊の危機を脱して眠る。

翌日の昼休み、僕は職場近くのホームセンターで、
おっさんに混じって、ウンウン唸りながら、金具を探した。
ようやく掴んだのが、これ。

CIMG0402.jpg

その名も。
角バンド タルキオサエ用!!
垂木って、、、なんか凄い大物抑えるものじゃないんですか。
もういいわさ、@150円だし。
ついでに言えば、初めてネジを買おうとしてその種類の多さに絶句しました。
まあ、長さと太さと土台の種類と頭の形と本数なんだけど。
(十分ファクターが多いわね)
ホームセンターとはいえ、工務店も御用達なのか、ネジ2000本で498円とか言われても…。
そんなに、いらんわ!
ネジ選びにも時間がかかり、ようやく25本入りを発見して、職場に戻る。

いや、垂木用角バンド、がんばりました!
素氏がガッツリ天井の木に打ち付けまして、めでたく本棚自立に成功!
ええ、借家です。
ごめんなさい、大家さん。
一時は、一階の本棚と交換か(一階は天井つっぱりに十分な高さがあったので)
とまで考えましたが、何しろ、人間二人坐るスペースも確保するのに不自由している居間も
あるいは他の部屋も、交換に応じるために本を逃がす場所が、全くないのです。
よかった。。。なんとかなって。。。

さて。
もうひとつの敗北事件。

こちらも素氏からの申請でした。
元々電源の入り方がおかしかったPCモニターが、完全に旅立った由。
新しいのがほしいんだと。
一度は職場で転がってるのをチョロマカソウとか、
中古のを買ってこようかとか、ヤフオクで中古落とそうかとか考えたんですが。
まあ、一万円前後で17インチ買えそうだったから、注文しました。

そう、一番安かった、デルのキャンペーンモニター。
呪われた直販。
最初に見たとき、震災の影響で納期は一週間ほどかかりますという文言が出ていた。
まあ、仕方がないかと、一週間くらいならなと。
カード決済もすまし、発注書のPDFも届き、ついでにオーダーステータスの案内も来ました。

ここまでは、スムースだった。
でもステータスを覗きに行ったら、8日の時点で納品は21日前後になりますと書かれていた。
えー、それって二週間!と叫び。
それでも、まあ、仕方がないかなと思ってました。

そのステータス画面では。
発注メールがアメリカに届き、製品が出来たら空輸されると書かれています。
ついで、ステータスが、製造→輸送準備→空輸中→国内受入→配送と日付が入るようになっています。
なんだかイヤな予感がしました。
ヤバイ匂いがしてきました。
ネットで今更ながら、デルの直販評価について眺めて愕然としました。

そう、本日発注から既に一週間。
い・ま・だ。
製造工程にも入っていないんですよ!
どうやら、途中で到着予定が遅れていくらしいです。。。
お好みスペック組んでるPCじゃなく、デフォしかないこんなモニターひとつでも
一ヶ月かかることもあるそうです・涙。
普通だと、価格.comとかで、販売店の評価とか出てるけど、直販はでていなかったんですよねー。
以前職場のPCをデルでスペック複雑に組んで依頼したことあったけど、
業者さんが間に入っていたせいか、国内で組んだのか、
三日後くらいに届いたんですよねー。

ああ、言い訳しても仕方がない。
もうキャンセルしようかとか思って、Q&A読んで、再び涙。
キャンセル不能みたいで、届いてから返品(送料自己負担)しろと。。。
もう二度と頼まないぞー。

と拳をあげても、仕方がない。
いつも偉そうに、大物買い物引き受けてる自分が情けなくなってきました。
なんとか、21日前後に届いてくれることを、、祈る。

初心者はぽつぽつ潜る

震災のあと。
家に引き篭もっているのがしんどくて、映画に行こうとした。
僕がいつも参考にさせてもらっているのは、「魅惑の名画座」というサイトである。
おそらく通な人たちは覗いていらっしゃるだろうが、
僕も暇を見ては覗き、毎日のように何か面白そうなのやってないかと、眼を凝らしている。

3/20
計画停電華やかなりし頃(?)、停電を免れた都内でも
映画館は軒並み休館宣言がでていた。
そんな中、フィルムセンターは夜上映は休みだったけど、昼の二回は行われている。
名画座といっても、僕の触指がうごくのは、ミステリー風味や夢幻風味が多いので
えいやっとばかりに、休日出勤を済ませて、京橋に向った。

初めて訪れたそこには、大勢のおじさんたちが犇いていた。
どこもここも開いてちゃいねえ、けど映画が観たいぜな人たちの中に、
ルールも分らぬまま、500円硬貨一枚握り締めて、
二階の券売所につながる階段の列に紛れ込んだ。
フライヤーも掴み損ねて、開演30分前に中央の席にすべりこみ、
背後から、東電神話は崩れた!と大声で喋るおっさんの声に驚きつつ、
スクリーンが開くのを待つ。
どんどん混んでくるので、鞄を胸に抱えて、周りの人を観察する。
そうしていたら、眼の前の席に、確かに知っている人の姿を認めてびっくり。

映画は、鈴木清順が清太郎名義で作った「8時間の恐怖」というサスペンスモノ。
大きな体に大きな眼鏡で料理をつくる姿しか記憶にない、金子信雄が、
たまげるほどハンサムさんな護送される殺人犯の軍医で、
彼を含めたいろんな経歴をもつ乗客を乗せたバスに、強盗犯二人がジャックしにやってくる
ハラハラドキドキものだった。
キップのいいパンパンのお姐さん(利根はる恵)の奮闘で、敵をやっつけちゃう。
胸のすかっとする、あっという間の映画だった。

8jikannnokyouhu.jpg

映画が終って。
普段は、街中で知人に会ったら、遁走する僕なのに。
なぜか、その日は気分が違って、声をかけてみた。
すると、IKさんは、すぐにお茶に誘ってくれたのだった。
その後、仕事を上った素氏にこの出来事を連絡すると、
どんなマニアックな映画だ!と、爆笑のメールを送ってよこし、めでたく合流。

京橋/日本橋/東京駅の位置関係がいまだに分らぬ僕はふらふらとついてゆき、
運良く丸善で開いていた川瀬巴水のミニ展覧会を三人でのぞき、
最後は当然のごとく、居酒屋にしけこんで、オダをあげたのであった。
辛味に強いIKさんと素氏はロシアンルーレット状態の
一個だけ激辛味の入った弾丸コロッケを次々に口に放り込み。
どれが辛いか、いやこれがあたりかもしれないけど、ちっとも辛くないとニマニマし、
店員を唖然とさせていた。
なんとも偶然のなせるわざ、楽しい一夜でありんした。

さて。
それから三週間後。
4/10の日曜日。
平常営業になった神保町シアターは、「華麗なるダメ男」特集である。

日常生活では、矯正可能な(ここ重要!)メガネダメ男しか気にならない僕であるが、
なぜか、古い邦画の世界では、いわゆるニヒルなイケメンが好みなのである。
天知茂のムンムンキザっぷりが、今のところ一番なのだけど、
どこかに新たなムンムンがいないかと、覗きにいくことにする。
ダメ男かもしれないが、森繁も勝新もちっともニヒルでもムンムンでもないので、却下。
ムンムンたっぷりとチラシに書かれた山崎努の「肉体の学校」は日程が合わず、観れなかった。
そこで、少しはニヒルと予測され、内容が探偵系の「悪魔からの勲章」を観にいくことにした。

137.jpg
※このポスター画像は、大映の元副社長さんのHPから転載させてもらいました。
すごい画像がたくさんあります。→ジュニアー・ラッパ思い出のホームページ

ちっともダメ男じゃなかった、田宮二郎。
オープニングで彼のシャワーシーンから始まるサービスぶりに、噴きだしそうになる。
ストーリーも明快な割りに練り込まれていて、最後までちっとも飽きなかった。
江波杏子の美貌もまだ少し幼さがあるけど、ぞくぞくできた。
でも、田宮二郎には、ムンムンはこれっぽっちも感じられなかった。
なんというか、演技派でアクションもできて、
「あばよ!」も「○○だぜ!」もちっとも恥ずかしくなく決まるけど、
たとえこの作品のように善の側に立たなくとも、悪の色香からは遠い存在だ。
本人も恐らく製作サイドもその路線を狙ってるのに、どうしたって滲み出てこない。
それがなんだか可哀想だった。

映画が終って、首を回して凝りをほぐしながら、ロビーにあがる。
何も考えず、外に出ようとしたら――。
またもIKさんに会ってしまう。
IKさんの横には、何度かお会いしたいつも映画のちらしを宴会で見せてくださるTさんも。

お茶でも飲みましょう。
はい、喜んで。

待ち合わせの予定だった素氏も合流し、またも不思議なお茶会をラドリオで。
珈琲酒をちびちび飲みながら、映画の話を三人から聞きながら、僕はニマニマしていました。
よく考えれば、僕は初心者のなかの初心者で。
ちょこちょこ名画座に首をつっこみ、そこにディープに出没している人にあってしまうのは
偶然でもなんでもないのかも、しれません。
でも、また、幸せな深海の素もぐりを終えた後、偶然がおこると面白いなと思っています。

Never Let Me Go

映画館で映画を観る理由。
月に三本、四本と。
きっかけは休日ひとりきりが増えたから。

なんだろう、海の底にいるみたいになる。
受動態のひとりきり。
すぐそばに人がいてもひとりきり。
二時間ちかく、潜って、泡も出さずに、呼吸をつづめる。

本の世界は、想像の糊代を多分に残して、人の心を、
普段はいっかな見つけることのない心を見つける旅。
僕の余白と、目に見えない余白をつないで、震える。

そういえば、吹き飛んでしまったけど。
マンの「ファウスト博士」を読了したとき、僕は電車の中にいた。
ちょうど代々木上原から新宿に入る急行電車で、一時間のクライマックスを味わった。
不覚にも?
いや、もうマンはちゃんと最初に粗筋をきちんと開示していたのだ。
なのに、僕はその技巧もケレンも一切なしのレーベルキューンの心に打たれて
ボロボロと大勢の前で泣いていた。

たった一度きり娼婦と寝たことを、悪魔に魂を売り才能の花を授かったと思い込み、
たった一度きり、十代の少年の何十倍も拙く無知な求婚で絶望を味わい、
たった一人きり手許に来た、まさしく天使と思しき甥っ子を失い、
一度も自ら生み出した曲を己の力によって為し得たものと信じることなく
自らを穢れたものだと思い込んで、発狂し、天に召された彼の。
その非情な絶望を思い。
僕は、氷づけにされた花弁が、一度も完全に蕾を解くことなく砕かれるような
哀しみに打ち震えた。

本当は人には目的なんてなく。
意味もなく。
それを知っているからこそ、何か証拠が欲しいと足掻いている。
でも最初から目的を与えられて、時限を定められた生を享けたなら。

奇しくも、ここ数日。
僕がずっと眼を背けてきた、一切の関心を払うことを拒んだ話題が身近で何度も出て。
事象の表には必ず、裏側があると驚いていた矢先だった。
端的にいってしまえば、僕のように子孫を残すことを全否定する裏側には、
どうしても残したいと願う人が、そこにもここにもいるということ。
アウトローと己を呼び、そちらを憎き順当/因習と呼び、
何もかも分っちゃいるけど、俺の言い分も聞けよと声高に叫ぶばかりだった僕が
いかに、裏側の実態を知ろうともしなかったことに恥じ入った。

本当に憎むべきは
苦もなく、集合体の中心、切り捨てられない整数に乗り、切り捨てられたモノを省みない人なのだ。

「わたしを離さないで」の原作を読んだとき。
カズオ・イシグロに抱いたのは、作りこまれ過ぎている、
完璧すぎて逆に生々しくあってはならないはずの造作に現実感が強まり、
腐り落ちる寸前の完熟具合に首を縦に振れなくなった。
膨れ上がった絶望は、読了に至る前に弾けていた。

今日、映画を観て。
その完璧さの意味を知る。
予告編を観て泣いても、本編では原作と同じように置き去りにされる予感が、
映像の中途では次第に強まったというのに。

映画評で、この作品を過去SFと呼んだ人がいた。
医学の画期的革命により、平均寿命が百歳を越えた世界。
「誰かの延命のため」に作られた子供たち。
肉体の健康だけでなく、心の健康を保つことを義務づけられた子供たち。
どうして?
部分だけが欲しいのなら、ずっと保育器の中で目覚めることなく、培養すればいいのに。
どうして他者を認識し、心の葛藤を教え、心の生み出すものを奨励しなければならなかったのか。
シャーロット・ランプリングが校長であるあの特別な学校は、
医学革命の先駆者ではなく、むしろ婉曲すぎる反革命の旗手であったと思えても仕方がないのだ。

僕はいままで何匹の実験動物を殺してきたことだろう。
平気だった。
少しの躊躇もなかった。
動物を愛玩とするために飼うことなど、まったく出来ない僕は、
動物に感情をいだくこと、好きも嫌いもない無感覚のことに疑問を抱いたことはなかった。
ならば。

僕を継続するために、同じ遺伝子配列をもった、同じ姿形のもう一人の僕が殺されることを知って。
果たして平気でいられるだろうか。
ましてそのもう一人の僕が、同じように本を読んで泣き、誰かを好きになり、笑っていたとしたら。

原作も、勿論映画も。
この提供受ける側の人間については、一切が描かれていない。
むしろ本来感情を持つべきではない提供者に感情が与えられていて、
施術者はロボットの如く手術を行い、為政者は無感動に規則を伝えるにすぎない。
この恐ろしく倒錯した、心の配分は、考えれば考えるほど震えてしまうのだ。

キャシー、ルース、トミー。
三人の運命の子供たち。
感情を与えられていると書いたけれど、彼らは本当の意味で逃走を考えてはいなかった。
猶予は求めても、拒絶や反抗は考えていなかった。

詳しく描かれていない管理方法については、想像の域をでないけれど
たとえ、肉体にチップが埋め込まれ逃走することは不可能だったとしても
彼らは、自らの意味を放棄する、命を絶つこともできたはずなのだ。
けれども、彼らには、やはり遵守と統制が植えつけられていて、
我々が安易に想起するような手段など、初めから抱くことのないようにされていた。
あるいは、元々自身が培養器であった彼らは、命を絶ったとしても
部品のいくつかが欠けた、納期が遅れた程度にしか思ってもらえない絶望を、
とっくに知っていて、考えることもなかったというのだろうか。

完璧なのだ。
僕たちが考え考えても答えの出ない、余白も糊代もあまりにありすぎて。
今日、涙は流れたけれど、それは自然の涙じゃなかっただろう。
無理やりにでも、泣いておきたいと引き出した涙ではなかったか。
裏側の、そのまた裏側で思いつくたくさんの想像は、
たとえば、僕たちに与えられた生殖を拒む自由/自らの命を絶つ自由が
いかに不遜な、無感覚に享受してきたものかと知らしめる。

もし、僕がこの映画で泣いた理由をひとつ挙げるなら。
それは、キャシーに最後まで貫かれた抑制であったと思う。
子役を演じたキャシーと大人のキャシー(キャリー・マリガン)の酷似は、
驚くべきものだった。
顔が似ているとかではなく、
その押さえ込もうとする、ささやかな幸福をかみしめて、大きな忍苦を耐える微笑が
全く同一のものだったからだ。

for prayers,for ironists

僕は元気です。
夏か冬に向けて、入力作業も少しずつ再開しています。

映画も二つ観にいきました。
展覧会もいきました。
気分の悪い画廊にもいきました。
本もいつもより多く読み終えました。
桜も満開になりました。
夢も血だらけで怖いものから、自分の笑い声で眼が覚めるものから、たくさんみました。
神戸の同級生からのメールも返信しました。

それでも停滞する気持ちは、
そこに理由を委ねようとする、甘えなのかどうなのか。
日々、アクティブに動き、日々、発信し、爪先がきゅっと上った幾人かの人たちに
敬意と感謝を。
彼らはむしろ何も出来ていないと歎くけれど、
無発信に沈み込む僕らより、、、、本当にありがとうって言いたい。

***

寺田寅彦『柿の種』から。
祈りと自戒に纏わる皮肉をこめて。

震災の火事の焼け跡の煙がまだ消えやらぬころ、黒焦げになった樹の幹に鉛丹色のかびのようなものが生え始めて、それが驚くべき速度で繁殖した。
樹という樹に生え広がって行った。
そうして、その丹色《にいろ》が、焔にあぶられた電車の架空線の電柱の赤さびの色や、焼け跡一面に散りばった煉瓦や、焼けた瓦の赤い色と映え合っていた。
道ばたに捨てられた握り飯にまでも、一面にこの赤かびが繁殖していた。
そうして、これが、あらゆる生命を焼き尽くされたと思われる焦土の上に、早くも盛り返して来る新しい生命の胚芽の先駆者であった。
三、四日たつと、焼けた芝生はもう青くなり、しゅろ竹や蘇鉄が芽を吹き、銀杏も細い若葉を吹き出した。
藤や桜は返り花をつけて、九月の末に春が帰って来た。
焦土の中に萌えいずる緑はうれしかった。
崩れ落ちた工場の廃墟に咲き出た、名も知らぬ雑草の花を見た時には思わず涙が出た。

大正十二年十一月 (岩波文庫 68p)




大震災の二日目に、火災がこの界隈までも及んで来る恐れがあるというので、ともかくも立ち退きの準備をしようとした。
その時に、二匹の飼い猫を、だれがいかにして連れて行くかが問題となった。
このごろ、ウェルズの「空中戦争」を読んだら、陸地と縁の切れたナイアガラのゴートアイランドに、ただ一人生き残った男が、敵軍の飛行機の破損したのを繕って、それで島を遁げ出す、その時に、島に迷って饑《う》えていた一匹の猫を哀れがっていっしょに連れて行く記事がある。
その後に、また同じ著者の「放たれた世界」を読んでいると、「原子爆弾」と称する恐るべき利器によって、オランダの海をささえる堤防が破壊され、国じゅう一面が海になる、その時、幸運にも一艘の船に乗り込んで命を助かる男がいて、それがやはり居合わせた一匹の迷い猫を連れて行く、という一くだりが、ほんの些細な挿話として点ぜられている。
この二つの挿話から、私は猫というものに対するこの著者の感情のすべてと、同時にまた、自然と人間に対するこの著者の情緒のすべてを完全に知り尽くすことができるような気がした。

昭和四年十一月 (岩波文庫 120p)

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プロフィール

絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

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