2011-02

部分は全体の部分である

ほんとに偶然に。
NHKで四回シリーズでやっている「四十九日のレシピ」というドラマを二回連続で見る。
なんて綺麗で優しい物語だろう。
生活することが厭わしい、生活するために生活することが辛い。
そんな呪詛を吐くくせに、僕はなぜか「暮らしの手帖」の「すてきなあなたに」の世界を大事に思う。
ドラマの中で、伊東四朗も和久井映見も風吹ジュンも、みんないびつで一生懸命に生活している。

泪を流して、洗われて、とてもしんどくなる。
僕はいつか、赦せる日が来るのか。
暖かい家庭というものを知らなかった子供時代を、憎まなくてすむ日が来るのか。
同じように悲しい子供をこの世に殖やしたくないと願う気持ちばかりで、
世界に刃を向ける時間を棄てることができるようになるのか。
答えは、見つからない。
ドラマは当たり前に解決の光をみせるのに、置き去りにされたままだ。

***

NZが大変なことになっている。
いまはもう海外旅行に余り興味がなくなってしまったが、
20年前の僕は、語学研修に行く友人に誘われて、NZを一ヶ月一人旅したのであった。

誘われてはみたものの、当時一回目の大学は英語学科だったものの
今も昔も他人と一緒に行動もできそうにないし、英会話もどうでもよかったので
二日だけ合流することにして、(結局それも途中で別れた)
後はバックパッカーでユースホステルをゆったりと移動していった。

北島から南島へは船で渡り、クライストチャーチの非常に近代的なホステルに泊まった。
そこで僕は二週間前に別のホステルで同室になった、英国人と再会することになった。
僕の下手な英語を熱心に聞いて笑ってくれた彼女は、今頃どうしているかな。
レストランなどほとんど行かず、いつもスモモみたいに小さな林檎とパンをカバンに入れて、
おなかが空いたら齧っていたっけ。
むしろ自然の豊かな郊外を選んで移動していたので、実際にはこの町の印象は薄い。
オークランドに戻る国内線を四苦八苦で予約した。
郵便局で紙に欲しい切手を書いて、綺麗な切手を求めた。

遠く離れて悲しんでも何もしなければ意味がないけど。
映像を見ていると苦しい。

***

今日は、また休みを取って、庭園美術館に行きました。
「20世紀のタイポグラフィ」展をみてきました。

同僚ちゃんに、タイポグラフィとはなんぞや?と訊かれた。
うーんと、
文字を言葉として情報を伝えるというよりも、デザインの一部、視覚に直接訴える一手段として用いるために、フォントを意図的に選び時に作り、効果的に配置すること?
1920年代の大好きなソ連の赤と黒のポスターから、80年代まで何よりスマートでカッコいいポスターが並んでいた。
ポスターは距離をおき、何を語るか聴きたいので、階段の下から見上げたりした。
シンプルで力強いものが多いから、本来の目的を考えると、狭い小部屋に配列されたポスターたちは、少し窮屈そうに感じられた。

デザイン原稿を元に、イラレでいつも素氏に表紙原稿を作ってもらっていた頃。
字間、フォントの縦横比、配列を少しずつ変えては、あーだこーだと検討した。
あの僅かな差異を決めるのは、カッコよさの一語に尽きる。
二人のなかにあると信じたい、嗅覚のみの美学。
素人の僕たちの何千倍何万倍の精密さで極められた今日のポスターたちは、
タイポグラフィを主題に選ばれただけあって、
イラストの要素を含んでいてもフォントが訴える逸品ばかりだった。

けれども、文字は、意味を解せられるその国の言語で描かれた場合、情報を持ってしまう特質がある。
それが欠点でも利点でもあって、
たとえ文字だけのポスターであっても、「一部」になってしまう宿命をもっている。

僕は今回、竹尾ポスター展告知ポスターがとても気に入りました。
ローマ数字の上に漢数字が重ねられ、離れると梵字の掛け軸のようにも見える一枚が
ストイックな海外のローマ字のポスターの中にあって、異質に光っていました。

また表紙つくりたい!と思う時間だったな。
↓は今回の展覧会には関係ないものです。
可愛いタイポグラフィの一例。

fiodor-sumkin-12x.jpg
rod-71x.jpg
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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

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