2011-01

外向き

年明けてから一日でも家にこもっていたことって、あったかな?

なにしろ僕は飛びまわっている。
外へ、外へ。
雨は降らず、カラリと、キンと尖り切った天候の下、歩く。
時に走る、時に飛ぶ。

始めは特に行こうと思ってなかったのだけど、
一度チケットが取れない悔しさを味わうと、逆に急き立てられましてね。
先々週木曜は、赤坂BRITZで、満員電車が縦揺れ横揺れ斜め揺れ、汗となんだかわからない物が飛び散り。
挙句は、三日後から今月二度目の発熱、月曜は台湾講習会の最終日に這って出勤。
ヤバイ気配に早退したら、40℃越え、医療関係者なのに、インフルエンザになっとりました。

病院勤務とはいえ、僕は直接雇用ではなく、
いわゆるダミー会社からの給与所得者なので、
三千円の有料になるインフルワクチンを逃げたら、この体たらく。

さて、タミフルというのは、恐ろしく効く薬でありまして、
翌朝には、日頃の体温を遥かに下回るまで急降下。
一日で5℃の体温差って結構こたえます。
ついでに、いまだに喘息様の咳がゲッホゲッホ。

そうはいっても、僕は走る、僕は飛ぶ。
久々のライブでなにが重要か、何が先を制するかを赤坂で習得したので、
開場前に寒くてもカットソー一枚になり、
チケットとドリンク代、携帯だけズボンに突っ込んで、寒空の列にならぶ。
そう、土曜日はZepp東京で大層盛り上がってました。
すぐ後ろにいた子達が、河合の模試とか、三角関数の話してまして。
あー。僕、君たちよりも、25歳は年上だよーん。
でも、飛びますよ!

オールスタンディングのライブって、そういえば或る種の無法地帯だった。
とりあえずキャパ1200で800番でも、2500で1500番でも、もたもたしなければ、前から五列目とかで見られる!
しかし、男性ファンがそれなりに多いので、デカイ男の集団には要注意。
赤坂では帰宅直後からコムラ返りにあい、翌朝は筋肉痛になり。
それでも、今回のお台場では、爪先立ち2時間でも、元気元気!

そして来月は、仙台まで行っちゃうのだ。
だんだんオッカケと化していると揶揄されてはいるが、まあこの仙台で打ち止めなんだから、大したことはない。
それよりも、仙台では、古本屋巡りを目論んでいる。
噂のブックカフェ・火星の庭さんとか、バスでしかいけない郊外の超大型古書店。
さてはて、往復バスの僕に(それも昼行)そんな時間があるのか。
一人で、牛タンの店に潜入できるのか。
いろいろ楽しみな二月です。
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有機体茫洋

時には朝四時半に出勤したりする人がいるので、
朝が弱い僕は、最近晩御飯のあとにお米を炊いて、真夜中12時過ぎにお弁当をつくったりする。
冷え冷えとした台所は足首か凍えそうだけど、なんだか不思議に面白かったりする。
オイスターソースの匂いが、豆板醤の匂いが、真夜中に換気扇から周囲の家の屋根にむかって流れてゆくのだ。

***

魔の山のサナトリウムの風景。
もっともそのユートピア的な風景は、夜の横臥療法の時間に尽きるだろう。
一日五回の栄養満点の食事。
合い間の少しの散歩にお昼寝三昧の日々。

横臥療法は、個室のベランダや屋上で行われている。
最適な角度に保たれた寝椅子と、下界では見つけられないほどの最適な硬さの枕。
冬は皮袋を加えた二枚の毛布で、彼等はプロの手つきをもって全身をくるんでゆく。
枕もとの小さなランプひとつ、静かに音楽が流れ、零下を超えた寒さの日にも、アルプスの山並みが闇に溶けた中、澄み渡り凍てつく乾いた空気の中で顔だけ出して、満天の星空、月明かりを満喫する。

贅沢な空間の中で、時間は通常の測量法を逸脱して、針を失う。
漫然とも、退屈とも、不精とも異なる、ただただ横たわるだけの時間のなかで、
われらが、悩みを哲学の不毛の種を買いあさるハンス・カストルプは、このサナトリウムにきて造船技師としての未来を投げ打ったかにみえる。
そして、にわかに買い取った種、医学や科学といったものに目覚め、自己陶酔にはいる。

思索の種。
枝葉をのばし、一見非常に美しい箴言めいた言葉を連ねているが、
そして僕自身、いつだかの青い青い時間を思い出し、
たとえば、ロラン・バルトの響きのよい、エクリチュールなど読んで浸った分ったような気分、
自分だけがひたすらに純化していくような気分を、もう一度体験するのだ。

さてそれなら、生命とはいったいなんだろう?それは熱であった。形態を維持しながら一瞬も同一の状態にいないものがつくりだす熱、同一の状態を維持することが不可能なほどに複雑で精巧な構成を持つ蛋白分子が、たえず分解、新生する過程に附随する物質熱である。したがって、もともと存在しえないものの存在であって、分解と新生が交錯する熱過程においてのみ、甘美に、せつなく、辛うじて生命線の上にバランスを保っていることができるものの存在である。生命は物質でもなければ精神でもなかった。両者の中間物であって、飛瀑にかかる虹のように、または焔のように、物質を素材とする一現象である。生命は物質ではないが、しかし快感と嫌悪を感じさせるまでに官能的で、自分自身を感知するまでに敏感になった物質の恥知らずな姿であって、存在のみだらな形現であった。万有の純潔な冷気のなかにおける敏感なひそかな蠢動であり、栄養摂取と排泄のみだらなひそかな不浄であり、炭酸ガスと素性も性質も明らかでないいかがわしい物質とからなる排泄的呼気であった。生命は肉と呼ばれるぶよぶよしたもの、水と蛋白と塩分と脂肪とからなり、形、高貴な形像、美ともなりうるが、また、官能と欲望の塊りでもある物質が、転変きわまりない生活の余剰を資本として、あたえられた組成法則にしばられつつおこなう増殖、発展、形態の組成であった。生命が達しうる形と美は、詩や音楽の作品のように精神を素材とするのではなく、また造形美術の作品の形と美のように、中間的な、精神に浸透された物質、精神を純潔に官能化している物質、を素材とするものでもなかった。むしろ、生命の形と美とは、ある未知の過程によって肉欲に目ざめた物質、分解しつつ存在しつづける有機物質、臭う肉を素材としていた。
「魔の山」(岩波文庫) 上巻 478p



「魔の山」の面白いところは。
非常に特化された生物学/医学の専門用語と、
まったく同じ地平の上に観念語彙が並べられている箇所が多数あり、
そのくせ超婉曲、超暗喩と思わせながらも、けっして読者をワケワカメな状態にはしないことである。
一体、これを該博とか呼ぶべきなのか、本気で考えて書いているのか、
それともマン自身が37.8℃ほどの微熱に浮かされたまま、書き綴っているのか不思議でならない。

まさしくこんな凍える冬に。
もしできるのなら、僕たちも屋外に寝袋でも包まって、青く乾いた指先で頁を繰りたいと
そんな風に、日々思っている。

ロシア夫人

先週からずっと英会話づけ。
台湾人四人に細胞ちゃんのあれこれ教えてます。
元々こみゅにけーしょんなんて一切求めていないから、喋るだけ。
ひたすら喋って、聞かない、聞き取れない。

僕台湾がどこにあるのかも認識してなかったので、
パイナップルのお菓子もらって首傾げました。
そうか暖かい国だったんだ。
さぞかし、現在の東京/千葉は寒かろう。
ついでに、ちっちゃい急須とちっちゃい湯のみ貰いました。
どうしたらいいんだろうか、ますます頭悪くて悩む。

専門用語とかそれなりに予習して喋ってるんですが。
初日、歯医者さんとの間に入って通訳でした。
そしたら、いきなり、、、「耳下腺」っていわれて、、、知らんわ!
俺の辞書にないわ!
で、予習した単語で一番憶えにくいのが、「麻酔」anesthesia
アナステージア。
頭の中で変換→→アナスターシャ。
ロシアの女の人の名前。
なんとか、スターシャとかナターシャにならずに、通訳終了。

うーんと。
なんだかんだ云って、冗談云って笑い合えるくらいの喋りです。
でも向うも少し日本語が喋れて、いきなり「ミズ」と言われた日には、「水」ではなく「miss」と聞き間違う。
そんな右耳、しらんぷりの左耳の毎日。
あと一週間余り、なんとかなるかもしれません。

***

魔の山〈上〉 (岩波文庫)魔の山〈上〉 (岩波文庫)
(1988/10/17)
トーマス マン

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ロシア女性といえば、マダム・ショーシャ。

今年も僕は、誰も読まない(もはや読んでいる人は奇跡)な本だけ読むことにする。
年初めは、「魔の山」です。
いつだったか、縁を切ったS先生が、死ぬまでにもう一度読み返したいと云っていた本。
そんなに面白いのだろうかと手をつけた。

ええい、しんきくさい!
しんきくさいけど、なんだこの面白さは!
堀辰雄、立原道造、福永武彦路線でサナトリウムに親しんだ日本人は、
こっちのえらく死の匂いの少ない、おかしなサナトリウムにはドン引きするかもしれない。
そして、純朴とは無神経の裏返しの主人公、ハンス・カストルプのお馬鹿っぷりに失笑を禁じえない。

この「粕取夫」とでも当て字しないと憶えられない、
そのくせ一頁に5回も6回もフルネームで出てくるお馬鹿ちゃんは、
ついに上巻のなかばにして、ただ遊びにきていただけ、
従兄弟の相手をするために休養にきていただけなのに、
まんまと山の魔の手に捕まって、
ついでに、子供の頃の初恋の少年(ここが、トーマス・マンたる所以)とそっくりな
マダム・ショーシャにぞっこんになって、山から下りられません。

ついつい、わーいわーい、バカヤロー。
伏線どおりに、つかまったー。
とか、大笑いしているのは、僕だけだろう。

セテムブリーニだけじゃなく、もっともっと奇人変人のオンパレードになればいい。
さればこそ、魔の山であるじゃないか。
哲学問答、空疎でこねくりまわしの煩悶、すべてが、おかしいの。
憂いの騎士がマントを翻したら、中に(笑)って書いてある感じ。

2010年のマイベスト長編は、ウィルキー・コリンズの「白衣の女」でした。
あれも、一部素面で周到なギャグが隠されていたものね。
三巻あっという間に読み乾せた、素晴らしい冒険活劇でありました。
さて、魔の山は、2011年マイベスト長編になるでしょうか。


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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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