2010-10

neon of psycofants

疲弊する、訳もなく。

寒暖の差が激しい日々が続き、
女子な女子から、履く靴はサンダルとブーツしかないと聞かされて、腰を抜かす。
熱ければサンダル、寒ければブーツ。
それが、世の常識とかなんとか。
でも帰りの電車で眺めても、真ん中のどっちでもない靴のひとが沢山。
混乱する。
僕は、フツーというものに、とても混乱する。

五年近く会っていない妹が、東京に来るとメールしてくる。
向うも、どう書いていいのか分らず、変な敬語のよう。
自分が誰かわからないといけないから、「神戸の」なんてつける。
あまり会いたくないけど、仕方がないので会うことにする。
郷愁とか、血とか、なんとか。
フツーはとても大事なものだという。
とても混乱する。

誰にも会わなくていいので。
誰にも会いたくないので。
誰も彼もが、人のツナガリが、大切という。
孤独の意味も、寂寥の実感も、空漠の感覚もみんな知っていて、
僕はいつもそれを、荒削りの鉱石のように大切に抱えて生きているので。
丸める必要など、磨く必要など一切ないので。
フツーに満たされうるものとは、大きく異なっていることを、絶叫する。
とても混乱する。

僕の領域はいかに親しくあろうとも不可侵だから。
友達の友達はミナ友達だとか。
大事な人の大事な人は、ミナ大事な人だとか。
薄いつながりをあさましくも拡げて、世界がひろがったと快哉を叫ぶとか。
そんな風がフツーと呼ぶならば、
僕は混乱する。

書いた物や、描いた物は、手を離れた瞬間、もう僕のものではない。
忘れてしまう。
その仕上がりと同時に、歓喜も充足も快楽もみな消滅する。
だから、僕のものではない、きっと受け取った人にとっても一瞬のそういう片々は
散りゆくまま、どうか見送って欲しい。
でなければ、僕はひたすらに混乱する。

そして、もう何も作らないと誓いそうになる。

***

遠い昔。
無機質への憧れ、意味不在の名付け親だった日。
妹と一曲ずつ交互にカセットテープに音源を重ねてゆき
それら貧弱で壮大なコンピレーションに、ひとつひとつ名前をつけた。

コメツキバッタの人工光/Neon of Psycofants
そう名づけた記憶は、
このPsycofantという単語が、この世のどこかに潜り込んでしまったのをみて、
綴りがどう間違っているのか分らなくなり、幻は余計に幻になり、
同じ音をもつ、sycophantの意味を知って、笑う。
sycophantこそ、桃色に闇の中で病んでいる。
なんて、ふさわしい質感だろう。
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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