2010-02

体育会系整骨院とか

お久しぶりです。

えー、二週間前、水上に一泊温泉旅行にいきまして。
すごーく楽しかったのですが、どうも温泉につかりすぎたらしく。
何しろ秘湯の混浴と家族風呂を夕方楽しんだ後、満腹ぱんぱんの夕飯を摂り、さらに内風呂と女性専用露天風呂で、満天の星空をひとりきりで楽しんだものですから。
あー、オリオン座が、手を伸ばせば届きそうって、素敵!

ぐうぐう眠り込む素氏を蹴飛ばし、星見に行こうよと誘ったのに。
まあそんなこんなは、既に素氏が日記に書いてくれたのでよしとし。
どうやらタヌキのお宿で、タヌキ自身が湯あたりしたと判明したのは帰宅後。

首が、痛くて痛くて、、死ぬ。
あんまり痛いので揉んでもらったら、どうも炎症を悪化させたらしく、激痛でもげそう。
そして、同時にウツがかつてないほど一気に加速。

目覚めたときのたとえようのない絶望感。
午前中は仕事にも向かえず。
出勤したら、溢れそうな独り言を抑えるのにマスクをし。
嫌人症も音速でびゅんびゅん増して、もう誰とも喋れない。。。。
救いは、僕の仕事が、人と話さなくてもなんとか許されるということだけ。
翌日から、早寝して五時起きなどして、なんとか出勤しようとするも、着替えられず。
とそんなことを繰り返しながら毎日少しずつ正規の時間に家を出る。
首の痛みが治まって、肩甲骨に痛み移動。

ウツが少し上向きかけ、世は五輪波の応酬。
お祭り騒ぎが怖くて、特に金曜の昼(わかりますね、日本中が一番沸いた時間)、別の階に避難。
したはずが、、、そこでもワンセグで盛り上がっていた。
なんとか耐えて深呼吸。
そして夕方、行ってみました。
人生初の整骨院。
なにしろ職場から最寄り駅までに、6軒もあるのですよ、整体と整骨が。
歯医者の選別方法は知っていても、こちらは不明なので、えいやと適当に飛び込む。

そうしたら、当然かもしれませんが、めっちゃ体育会系のノリで、、、
ドン引きより以前に笑ってしまった。
来院者があるたびに
「○○さん、こんばんは~」「こんばんは!」
「◎番ベッドメイクできました、低周波入ります」「入ります!」
スタッフ全員の大合唱!掛け声掛け声の津波!
ここは居酒屋か!
内心、「よろこんで~」と叫んでいた。
まあ、夕方は特に中高生が患者になってることが多いからかもしれんが。

しかし、患者の数が半端じゃない。
保険請求の制限があるにしても、この回転率は驚愕です。
加えて、院長が聖徳太子並の耳のよさなんだ。
誰かと話していても、別のスタッフの動きを見ながら指示だし、別の患者を移動させ、さらに別の患者が帰る姿に声をかけ、さらにさらに別の患者の質問に間髪いれず答える。
僕、片耳きこえないせいもあって。
このスピードについていけませんでした、まったく。

で、金曜土曜と連続で通ったせいか、随分と痛みは緩和。
このまま、体のゆがみとか猫背とかも治していけると、もう少し前向きになれるかな。
心は、まだ病院までいかなくてもなんとかなるでしょう。
と思いたい。
昔、身内で二人通院していたので、薬でふらふらになっていたのみてるので。
簡単には踏み出せないです。


さ、そろそろの復活のステップアップとして。
今年から手帳を作りました。
勿論、本購入手帳です。
できるだけ買わないように心がけているのですが、1、2月で55冊!
嗚呼、おかしいなあ。
ちなみに、我が家の家計はエンゲルとホンゲル係数でほとんどを占めます。

ということで、購入本リストを記録しておきます。
◎は新品、無印は古書

1月
一般書

「ものと人間の文化史 さいころ」 増川宏一 法大出版
「ものと人間の文化史 すごろく1、2」 増川宏一 法大出版
「今純三・和次郎とエッチング作家協会」 松濤美術館
「宿命の道化たち」 CA・リー ありな書房
「camera 1974.11 ロバート・ドマシー」
「私の小さな本」 桑山弥三郎 桑山書体デザイン室
「どぜう地獄」 岡本一平 大日本雄弁会
「美術手帖 1981.7 現代の人形たち」
「新世界へ―鎖国日本からはみ出た栄寿丸の十三人」 佐野芳和 法大出版
「ブルータス 2003.12 切手デザインなめんなよ」
「さすらいの青春」 フルニエ 旺文社文庫
「二つの庭」 宮本百合子 新潮文庫
「サンカの真実 三角寛の虚構」 筒井功 文春新書
「自殺クラブ」 スティーブンソン 福武文庫
◎「切手帖とピンセット 1960年代グラフィック切手蒐集の愉しみ」 加藤郁美 国書刊行会

漫画

◎「恐怖の爪」 陽気幽平 グッピー書林
◎「首帰える」 陽気幽平 グッピー書林
◎「ケケカカ物語トリ小僧」 陽気幽平 グッピー書林
◎「地蔵娘・墓場鬼太郎・畜生塚・死霊の手」 竹内寛行 グッピー書林

2月
一般書

「SAMURAI AQUIRAX」 宇野亜喜良 愛育社
「ものと人間の文化史 機械」 吉田光邦 法大出版
「ものと人間の文化史 鋏」 岡本誠之 法大出版
「白衣の女 上中下」 W・コリンズ 岩波文庫
「伸子 上下」 宮本百合子 岩波文庫
「ムナーリの機械」 ブルーノ・ムナーリ 河出書房新社
「科学画報」 大正13.11,14.10 新光社
「科学知識」 大正15.8,14.3,14.1,13.4,昭和5.11 科学知識普及会
「蒼ざめた馬」 ロープシン 現代思潮
「なつかしい本の話」 江藤淳 新潮
「現代アフリカ短編集 1-3」土屋哲編 鷹書房
「彷書月刊20001.8 植草甚一の時間」 弘隆社

◎「デザインとヴィジュアルコミュニケーション」 ブルーノ・ムナーリ みすず
◎「アグネブーシカ1、2」 カスチョールの会(露児童文学翻訳)
◎「カスチョール27」 カスチョールの会
◎「ロシア絵本の世界 お話の国境を越えて」 岩本憲子 東洋書店
◎「日本の民家」 今和次郎 岩波文庫
◎「新版大東京案内 上下」 今和次郎 筑摩学芸文庫
◎「SUMUS13 まるごと一冊晶文社特集」 みずのわ出版

漫画
◎「いばら・ら・ららばい」 雁須磨子 講談社
◎「卒業生・冬」 中村明日美子 茜新社
◎「卒業生・春」 中村明日美子 茜新社
◎「ノケモノと花嫁」 中村明日美子 インデックス
◎「坂の上の魔法使い」 明治カナ子 大洋図書
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ロールシャッハとケルネル

やっほー、明日から四連休。
とはいえ、内二日は細胞の布団交換に行かねばなりませぬ。
でも二日間は旅行だ!雪見温泉だ!

バレンタインの贈り物。
という名目で自分の欲しいものを購入。
旅行のお供に持ってくと、可愛いじゃないですか。
もちろん、ウイスキーを入れるのです。

CIMG0030.jpg

専用漏斗がついて8ozのステンレスフラスコボトルが1600円なり。
やすーい!
まあ通常の女子は持たないだろうが、僕は艶消し銀色無装飾のこういうブツが大好きなのだ。

ついでにプレゼントらしく、外袋をテレビ見ながら編んでみた。
毛糸はダイソーの一玉100円、三色捩じり糸で極太のため結構編みにくいけど、暖かな配色。
ちなみに僕は鉤針しか編めませんし、短編み・長編みの超基本しかやったことなし。
でも意外と適当に目の増減していくと円形や袋が出来上がるから、好きさ。
後は、鹿角ボタンでも付けてみよう。

***

一時元気をなくして作っていなかったお弁当を、できるだけ毎日作る。
やはり素氏がお弁当いらずというのが、やる気を半減する原因だろう。
だがその「自分の分だけでよい」ということを逆手にとって、超楽な作成法を見出したので、週二回はこの方法。
前夜主に電子レンジで茹で野菜を色々作っておくのだ。
かぼちゃとかにんじんとかブロッコリーとかアスパラとか。
で、朝にレタスとそれらをざっくり詰めて、上にカニカマとかハムを散らす。
後は、淡白なパンを持ってくだけ。
ラボで冷蔵庫に置かせてもらってるドレッシングかける。
挟んでもよし、ざくざくサラダだけ食べてもよし。
うまー。

***

最近時計室の更新が全然じゃないか、虫太郎はどうなっているんだ!
とお叱りを受けそうな気分なので、とりとめもない検索話など。

詩文の謎に挑んだとき。
唯一残された謎が、例のケルネルでした。

それが支倉君、あの夜最後に僕が伸子に云った――色は黄なる秋、夜の灯を過ぎれば紅き春の花とならん――と云うケルネルの詩にあるんだよ。 SML 643p


この詩の原典がなぜ発掘困難かといいますと。
虫ちゃんがいつもはつけてくれるルビがない!
つまりは原文の単語の一端も見出せないということでした。
逍遥の後書きでも触れたことですが、確かに虫太郎は原文の一部を改竄していたり、全く違う作者だったりしたこともあります。
けど、原文の一端でも見つかれば、グーグル教の教祖が何かヒントをくれるものなのです。

またこの「色は黄なる秋~ならん」を見て気づくことがないでしょうか。
そう出てくる単語が非常にありふれているということが、罠なのです。
おそらくドイツ語と予測して、試みに教祖様にお伺いを立ててみます。
黄/Gelb, 秋/Herbst, 春/Frühling, 夜/Nacht, 灯/Licht, 赤/Rot ついでに詩/Gedicht
日本語で考えるだけでも予測できるかと思いますが、こんな特徴のない語では濾過できないのであります。

ではケルネルとは何者か?
現在僕が候補に考えているドイツ系詩人は、
Theobald Kerner 1817-1907
Fritz Körner1873-1930
Theodor Körner 1791-1813の三人と。
今回少し詳しく話したいJustinus Kerner1786-1862です。

Justinus Kernerユスティヌス・ケルナーは日本では恐らくシューマンとの絡みが有名なようです。
ユスティヌスの「秋に」Im Herbsteという詩に曲をつけた歌曲をさらに編曲し、
ピアノソナタ第二番 第一楽章を作ったという経緯があります。
またワイン材料となる黒葡萄の品種ケルナーも、彼の名にちなんでいるということ。
まあ、ここまでは、歌曲好きの虫ちゃん程度の話なのですが。

実はユスティヌスは医者でもありましたし、なんとロールシャッハテストの生みの親とも言われているのです。
勿論ロールシャッハテストの本当の考案者は精神科医へルマン・ロールシャッハですが。
ユスティヌスは彼が1921年に提案する以前1890年に、デカルコマニー風に広がった線対称のインクのシミにわずかな部品を加えて絵を描き、さらに各絵から思い浮かべるイメージを詩にするという作品を残していたのです。
これは、クレクソグラフィーKlecksographieと呼ばれています。

絵をみるだけでも、ドキドキするので。
是非、こちらへ
グーテンベルグで電子化されている原著を覗いてもらえると嬉しいです。

klecks04.jpg


邦訳で見たい!という方は、中井久夫訳が出てます。
「クレクソグラフィー―ロールシャッハの先駆者ユスティーヌス・ケルナーの詩画集」星和書店1990。
絶版です。
古書価はかなり高めです。
欲しいでしょう、この本。
僕も非常に欲しいです・笑。

まあここまでくると、ロールシャッハの日本への紹介は何時なんだ?
とか「変態心理」との絡みはあるのか?
と虫周辺臭が高まってこないでしょうか。

さらに関連性を示しますと、ユスティヌスは、独のヴァインスベルク (別名ケルナーシュタットともいう)に四十年間暮らしているのですが、
彼の家:ケルネル・ハウスには多くの詩人仲間が集まるサロンの役割をしていました。
現在でもこの家は大切に保存されています。
そこに頻繁に訪れていた一人が、ニコラス・レーナウです。
おお、レーナウと虫ちゃんの関係の深さはご存知ですね。
以上で、恐らくドイツロマン派の詩が好きだった虫太郎が選んだケルネルは、Justinus Kernerではないかと思う次第。

Kernerhaus_Gaeste.jpg
真ん中の杖をついたデップリさんがユスティヌス、左の顎を撫でてるのがレーナウ。


ここまで個人的には確信を感じつつも、いまだ明言できないのは、件の詩文が見つからないからです。
グーテンベルグを含む、現在電子化された彼の詩を中心に、先述の単語群を検索してみましたが、発見に至っていません。
全てが電子化されているわけではないし、まだまだ調査が必要というわけです。

というわけで、非常に暗中模索な話ですが、今後探索される方の一助にでもなればと思い、書いてみました。
僕自身も、折を見てケルネルの謎に迫ってみたいと思います。
しかし、いまいち黒死館の中で伸子とこの詩文の関わりが、状況をどう説明しているのか、わからんのだなー。
(あ、この伸子は、紙谷ですから、佐々ではありませんよー・苦笑)

お散歩ラララ

土曜日。
夕方神保町へ出没。

東京堂へ寄ってから、古書モール。
その前にモールの一階下にできた三省堂古書部に寄る。
綺麗に整理されて見やすいけど、ちゃんとした値付で面白みはそんなにない。
とはいえ、W・コリンズ「白衣の女」三冊セットと、微妙に収集中の法大ものと文化シリーズを二冊買う。
古書モール入口付近の4冊100円文庫棚に「伸子」があったらと冗談で言っていたら、素氏が本当に見つけてくれる。
先にそれだけ会計して、店内を巡る。
そしたら、今度は100/200円均一棚で、黄色い箱に「伸子」と書かれているのを見つける。
あー復刻シリーズだ。
そしてこれもなぜか買うことに、いきなし版違いだぶり状態。
恥ずかしいので、素氏に買い物を頼む。
レジのおじさんが、「今日はよく『伸子』が売れる日だ」
と。。。呟きませんでした・笑。
モールはかんたんむさんが主流で、一部数店舗に棚貸しされているけど、今回奥に行くほど、ドロボウ!とか思うほど棚が荒らされていて、ちょっとびびる。
アルバイト募集札が出ていたから、人手不足による不整理かとも思われたが、とにかく荒んでいた。

美学校講義は数ヶ月ぶりの参加。
いつもの二倍ぐらい人がいて、びっくりする。
講義が終わってつかつか進み出、名刺を差し出した人。
某有名出版社の編集さん。
が、この人、考えられないほど漫画にでも飛び出しそうなイヤナヤツ。
講義後の飲み会にも平然とついてきて、M山さんの横に座り、図々しい風をがんがん吹かす。
頭のポマードだけでなく、すべてギラギラしてて、同時につまらない。
個人的にはこの出版社大手とはいえ、かなり好きなので、存在自体ありえんと思う。
いつもは社交性抜群の人も、にこにこ温和な人も、みんな完全に凍りつく。
最後には、閉店の音楽が鳴ると待ってましたとばかりに、勇み足で「終わりましょう」宣言。
びっくりしたー。
こんなイヤナニンゲンが世の中にいるんだー。
編集だからってわけじゃないはず、今まで面白い編集さんいっぱい会ってるもんねー。

***

日曜日。
素氏が誘われた、目黄不動からアワサカツマオさん墓参までお散歩ツアーに便乗参加する。
日比谷線三ノ輪駅で待ち合わせ。
陽だまりは暖かいけど、日陰は風が強くて、寒さ爆裂。
プチハプニングやデカハプニングが続出し、笑ったり道に迷ってヘナヘナになったり。
みなさん廃屋が気になると見えて、前半の元気な頃はそりゃよく立ち止まって写真撮影していらっしゃった。
詳しい道程は素氏が日記で書いているので省くとして、僕的に印象深かったこと。

目黄不動で御堂がガラス張りで中がよく見えず、賽銭投入口に手をかけたHさん。
勢いあまって小窓が御堂の中に落っこちた。
風だ風!とごまかしつつ、笑い転げる。

浄閑寺で、アラーキーの奥様のお墓の横にあった首洗い井戸。
結構不気味だなと思ってたら、SDさんなんのためらいもなく蓋を取り外す。
け、、、けっこう浅い、水涸れてる。

中井英夫碑の横にあったの、タコ八郎碑!・大笑。

歩く・迷う・怪しむ・歩く・寒さにガクガクになる。
樋口一葉の呪いというより、実録「蒼白者の行進」ではないか!と思う・笑。

虫ちゃんの墓参いかがですかと提案されるも。
やはり伝記に興味なしと無碍もなく断る素氏。
ぼくはどうかな、でもきっとお墓みても、感慨はさほどないだろう。
昔日本海の荒波の側でみた安吾碑が、思い入れもあったせいか、一人で行ったせいか、グッと来たんだなあ。
まあ、僕たちは何かとお空の虫ちゃんに話しかけては、メンドクセエ!と渋面作らせてる輩ですから。

どじょうは駒形でない方にいく。
二階はとても見晴らしがよく、写真を残しておかなかったことを後悔する。
やはりどぜうは開きより、丸の方が数十倍うまし。
泥鰌やナマズの唐揚げ、ほわほわのさらし鯨、ウナトロロ、みんな美味しかった!
二十本近くお銚子もビール瓶も登場してたけど、やはり八人もいるとお会計が安いのに驚き。
二日連続で日本酒飲みまくったけど、みんなの話が面白く大笑いのうちに酔いもせず。
へろへろになってるSさんの姿とか、初めてみたけど、ああいう管の巻き加減は最高に可愛いとか思う。

なぜかお腹が足りないという素につきあって、ばーみあんに寄る。
お腹の加減がわからず、天津飯・アイス盛り合わせ・紹興酒を頼み、結構ポンポコだったことに気づく。
ハプニングは多かったけど、楽しい冬のお散歩三昧でした。
そうそう、一万歩超えたって話だったので、5km以上歩いたんだわ。

そして月曜日。
ウナトロロが少なかったと地団駄踏んだと思われていたのか、
素氏が蒲焼買ってきて、とろろかけて出してくれました。
うまー。

アンドロギュヌスの宴1

やっと週末が来た。。。
しかし、土日はおでかけ予定がしっかり入っているのだ。
この黄昏時期に、たくさんの人に会って、大丈夫かな、僕。
少なくとも喋らなければいいわけだ。
喋らないで聞き役に回れば、きっとフラッシュバックは起らないはず。
酒を飲んでも調子に乗るなよ、絹山!

とりあえず日記でリハビリを図っておこう。
で、多分、内容が複雑化することは目に見えているので、数回にわけて「二つの庭」と「オーランドー」をある視点からながめて観ようと思う。
視点は、両性具有とかフェミニズムとか同性愛とか、その辺り。

しかし僕はフェミニズムに関していままで意図的に目を瞑ってきたので、
実際には何も語ることがない、語れない、語りたくない。
でもきっと触れないわけにはいかないので、最初はその目を伏せてきた理由と僕のスタンスを書いておく。

以下、気持ちが重いので、三人称で話を進める。

Kは昔から他人の大多数が嫌いであった。
最近は、静かなる無視という技を身に付けたので、苦手という言葉に変換している。
Kが苦手なタイプで今回関係があるといえば、例えば、こんな感じだ。

・流行/王道に手放しで身を投じ、他の道の存在すら認識しない人
(認識を行ったうえで、意図的に流行/王道を選択している人はのぞく)
・流行/王道から外れたことを本質的には苦々しく思っていて、そのくせ彼らの「理想の本流」に近づく努力を一切行わず、不平ばかり並べる人
・あらゆる意味で鈍感な人

Kは粘液質に、再びこう宣言する。
「万民すべて異端児である必要などない。
しかし、マイノリティの存在を認めよ。
異端児が異端児の道を進むのを、拒む権利は、彼らにはない」

ここでKは考える。
Kにとってのフェミニズムの最初の定義は、女性の権利の回復を目指すというものだった。
たしかに、「かつて」はそれが非常に重要な課題であったことだろう。
けれども、Kがフェミニズムに不快を覚えるのは、「女性」という一元化された語彙にある。
運動には集団の力が必要である。
しかしまるで差別される側が、差別語をそのまま使って集団化するかのごとく、
「女性」という二分法には、一切「個」が見えない。

K自身には根本的に性別の認識がない。
肉体的にどうであれ、精神はいずれにも属し、いずれにも属さない。
homosexualであり、heterosexualであり、Narcissistである。
集団として一纏めにされているゲイ文学に触れ、いわゆるやおい小説を書き連ねて、足が動かなくなる。
そうして煩悶と数年置きにたちどまり、こうした分類が完全に無意味なものであることも気づく。
つまりKは、集団化して行動を起こす意味は分かっても、結局集団自体の意味がいずれ瓦解すると感じているからこそ、ismを受け入れられず、我が道を進む。

「二つの庭」の一面として。
百合子と芳子の同棲生活が描かれている。
しかし、実際には当時の経験を振り返っておよそ20年を経て小説にし、一種客体として二人のすれ違いを浮き上がらせている。
果たして、それだけの時間をかけて過去を再構築する意味はどこにあるのか。

「二つの庭」の時間軸の後、二人は揃ってソ連に赴くのだが、違和感は既に浮上している。
単純にいえば、芳子は百合子に確かな恋愛感情と、同時にライバルとしての敵対心を抱いている。
百合子は、時間をおいてなお、相手の剥き出しの感情を思い出し、同調できず、「深く考えないようにしよう」としている部分が多い。
気づいていながら、無神経に自分の内側に閉じこもってしまおうとすることが、多い。

今夜は、芳子の二つの感情が織り交ぜられた場面を引用して、いったん終了。
それにしても「二つの庭」は、引用一つすると、リストカット一回みたいな気分になる。
加えて、こうした男女を規定した考え方は、さきほども述べたように、かなり息苦しい。
二人とも、その枠から抜け出すのは、まだまだ時代的に難しいのだ。

あー、リハビリというより、余計に首を絞める真綿を自分で探しているみたい。

素子と暮らす話をきめてから、伸子は、二三日佃のところへ戻った。にげたようなままで離別することは、伸子に心苦しかった。佃に会って、別れる結末をつけて、そして新しく素子と生活をはじめようと思った。けれども佃のところへ行ったら、伸子は又ほだされた。涙を流して生活のやり直しをしようとすすめる佃を拒絶しかねた。佃は、気をかえるためにと、それまで住んでいた家の、前のせまい通りをへだてた向い側の新しい二階家に引っ越しかけていた。伸子は、そこにこれから住もうとは、思わなかったが、佃にたいする最後の思いやりとして、その引越しを手伝った。引越しが終わった日の夕方素子の家をたずねた伸子は、
「ああ、さわぎだった!引越ししたの」
といいながら、坐った。
「引越し? だれが」
「わたしたちの家」
素子は、坐り直し、その二つの視線で伸子の顔をハッシとうつようにけわしく、
「だから、この間、いったでしょう。君に私の気持なんてわかりっこないんだ。馬鹿馬鹿しい!」
眼に涙を浮かべた素子は、
「だから女なんていやだ!」
侮蔑と痛苦とをこめた声でいった。
素子の苦痛は伸子を畏縮させた。けれども、伸子のこころもちは、ぼうっと広く開いたままで、素子の切迫した感情の焦点を一致するようにしぼりが縮まらなかった。そのことに気づいて伸子は一層素子にたいして気がひけた。
「君はよかれあしかれごく自然なひとさ。自然なだけ、ひどいめに会うのは私にきまってるんだ」
素子は伸子の方を見ないまま、
「いつだったか、いったろう? 私は、男が女を愛するように女を愛すたちだって。――あのとき、ぶこちゃんはわかったようにあいづちをうったけれど、実際には、いまだって、わかってなんかいやしないのさ。わからないのが、佐々伸子さ」
涙の粒が、素子の小麦色の頬をあとからあとからころがり落ちた。
「私に、ぶこちゃんの自然さがわかるのが、百年目だ」
伸子も泣いた。素子の苦しさがせつなく、自分が素子をそんなにせつない思いをさせた、それが苦しくて。――素子の手を自分の頬にもち添えて泣きながら、伸子は、それでもやっぱり自分の心が素子と同じ皿の上の同じ焔とはなっていないのを感じた。素子に誠実であろうとしている自分の心の偽りなさは伸子にわかった。素子にもそれは通じている。それもわかった。しかし素子は、女はだからいやだ、とそんなに苦しむ。そのいやさを、伸子は自分の感情として実感することが出来なかった。どっさりの黒い髪を頸の上につかね、小麦肌色の顔を苦しさに蒼ずましている伸子に向かっておこる。その素子にわるい、と思う気もちばかりつよく感じられるのであった。

新潮文庫 1949年 92-94p

  

伸子は老父の滞在中、毎晩編物をした。(中略)伸子は、編むひとめひとめに、まぎらわしようのない心の憂さと屈託を編みこんでいるのであった。だけれども、佃は、激しい言葉をいわなくなって、手もつけない本棚の下で、赤い毛糸の玉をころがしながら編んでいる伸子の姿をよろこんだ。家庭生活らしい、そして家庭的なときの伸子は美しいと、ほめた。ほめことばは、編物の上に伸子の涙をおとさせた。
伸子は、素子に、その話をした。
「だからね。わたしの場合一人一人の道具立てのちがいだけが問題じゃないのに……いくら違ったように見えても、男のひとたちの考えかたのなかには、どっか同じようなところがあるわ。そこがわたしには問題だのに」
「そりゃわかってる。――ぶこちゃんとしては、ほんとにそうなのさ。それに関係なく私は不愉快だよ。私が女だもんだから、そんなにして暮らしている心持の真実を無視する権利が、男の自分にあるようにうぬぼれてやがる、そこがいやなんだ」
「対等に考える必要なんかないのに」
「私は、ぶこちゃんに都合のいい範囲で仕事をたすけてやって、都合のいい範囲で利用されて、おまけに、虚栄心まで満足させるような、そんな便利な愛情なんか持てないんだ」

95-96p

タダイマケンサクチュウ

明らかにバイオリズムのせいで、一月に一度、僕はひどいウツかひどい攻撃性を見せるようになる。

公開の日記というものを、もっと淡々と感情を排除した記事とできれば、
少しでも落ち着きがとりもどせるのではないかと考えあぐねるけれど、
なかなか如何ともしがたいものがありますねえ。

実はヴァージニア・ウルフ「オーランドー」を読んでいる最中で。
読めば読むほどいろんな想いが錯綜して、余計に混乱しているのですが。
今書くと、また爆発必至になりそうなので、今夜は情念を排除した追加報告など。

「二つの庭」検索作業は日々進行中。
竹村英二君が見つからない理由は、彼の住まいや生活についてはかなり詳細が分かっているが、彼のなした業績が一向に分からない点にある。
小川 豊助=山内 封介も竹村君同様に湯浅芳子の早稲田露文仲間だけれど、彼には翻訳書の「オブローモフ」という重要なキーワードがあるのだ。
実際、素氏がヒントに引っ張り出してくれた、戦前のロシア詩、戯曲関連の全集や雑誌合本などを眺めると、元々当時露文に携わる人が少なかったせいか、若い山内封介氏も積極的に起用され、翻訳に名前が散見されるのです。

早稲田の露文は、1937年いったん閉鎖され、1946年に再開されたという事実も知ることが出来、調べてみるといろいろおもしろいんですね。
やはり赤狩りの影響が出ていたのでしょう。

それはさておき、今まで判明している実在の人物名と仮名を眺めてみると。
親しい人、近すぎる人はかなり伏字度が高いのですが、概ね語呂合わせで名前が出来上がっている。
また地名や諸々の個人情報に歪曲はない。
ただし近しくなくとも、内容がスキャンダラスなものは、伏せなければならなかったのか。

遠藤絢子として登場する人物は、特徴的な歯並びの持ち主。
さして百合子とは親しい間柄ではなかったが、芥川の死後、彼女の元を訪れて、どうか信じてくれと懇願する。
しかしその行為は懇願というよりも、売名/妄想に近いものではなかったか。
芥川の遺書に出てくる愛人の女性を仄めかす部分に触れて、あれは自分のことだと述べるのです。
信用するも何もないから帰ってくれと言えば、私は芥川と、ついでに菊池寛ともキスをしたという。
ついでにその「事実」を新聞記者にまで話したという。
百合子は、非常に不快感をおぼえるといった具合。

菊池寛には多くの愛人がいて、その中でかなり有名なのが、僕たちも小森のおばちゃまとしてテレビで親しんだ、小森和子なのですね。
芥川にも秀しげ子という愛人が有名なそうですが。
どうも僕は前者に印象が傾いているのですが、確証がありません。

また倉田淳と大島のり子ですが。
こちらもヒントで書いたように、かなり扇情的な内容ゆえに絞り込むのが難しい。
漱石門下で古典・演劇に精通といえば小宮豊隆が怪しいのですが、愛人が浮上しない。
森田草平&平塚らいてうでは、らいてう側の年齢や情報が合致しない。
名前で似ている辻潤&伊藤野枝は辻潤の経歴が合致しない。

そこで女性側から考えると、当時大学教授を父親にもっていたと明白になるのは、今のところ、百合子&芳子周辺では円地文子のみ。
彼女の父親は東大国語学の上田萬年教授でした。
病弱で学校も休みがち、教えのほとんどは父から受けたものということで、哲学の論文作成中という記述は、よく分からない。
ただ慶応で演劇講座をもっていた小山内薫の聴講生であったことは確かで、多大な影響を受けて戯曲を書く。
その処女講演の日に恩師小山内は倒れ帰らぬ人となってしまったという、かなりドラマチックな展開。
円地文子はその翌年、新聞記者の円地与志松と結婚、さらに翌年長女を出産。

また小山内薫は、漱石門下と言いがたいかもしれないが、漱石周辺人物としては諸所で取り上げられている。
東大でラフカディオ・ハーン解任反対運動に参加、ハーン解任後漱石がそのポストについたという経緯があって複雑。
勿論、二人の関係を示唆する情報も見つけられず、悶々。
本文中一度は仮名で登場した菊池寛も実名で出ている部分もあり、一度、佐内 満という名で出た小山内をもう一度引っ張り出すのは、無理かしら。
なにしろ、大島のり子なる人物が、後年なんらかの業績を残していなかったら、ますます混迷するのは必至なのである。

ということで。
いまだ書き出しそこなっているものも含めて、あともう少ししたら、前回の記事の最終版を出したいと思います。

そうそう、「二つの庭」の前作である「伸子」や関連作「播州平野」「道標」も併読しないといけない気がします。
うーん、面白いけど、いつもながらに、訳のわからぬ遊びにはまりこんいるものです。
宮本百合子研究など非常に進んでいると思われるんだけど、とっくに誰か調査していないのかな。
それとも、下世話な遊びすぎて、誰もつっこまないんだろうか。 

小さなおじさん

雪が降ったり、地面が凍ったり、吐息が紫煙よりも深みを増したり。
冬は相も変わらず気持ちいい。

先週末はドタバタの十乗。
眼精疲労と肩こりの極み。
任務先と勤務先は三時間の距離。
土曜の昼、任務先で切っていた携帯の電源入れてみたら、恐ろしいメールが。
ツートントン、カクマクヤブレテ、キンキュウオペ、オペカイシ7ジマデニ、シートヨウイセヨ、トンツー。
いや、実際には出動できるかの打診だったのですが。
今回は青色申告準備で丸二日かかっても終わらないレシートの山、財務会計入力の山で。
上司と相談の結果、月曜休んで、勤務先まで往復することに。
移動時間だけでも6時間が消えました。
結局月曜の朝も徹夜して、パソコンに向かう羽目に。
ついでに、その財務会計ソフト、なぜか今時DOSモードで動くので、保存先がFDそう、魔のAドライブしか選べない。
さらに、OSがMEなせいかUSBが怪しく、外付けFDドライブ認識がめちゃくちゃ怪しい。
まるで呪いのSCSI接続のように、再起動しないと抜いたと認識できないとは、いかに。

で、電車に乗る時間が長すぎて、膝下クラッシュ症候群ですが。
三冊本が読了できたので、よしとしよう。

***

年明けに会ったJ君から昔聞いた言葉の一つ。
「おじさんが、アリャマタ先生だったら、どんなによかったろう」
そりゃ素敵だと、当時僕も同意したものだった。

そう今回のキーワードはおじさん。
おじさんといえば、X年前、小さいおじさん事件があった。
当時僕は、一人暮らしするために、住まいを探しておりました。
で、当然必要になるのが、保証人というもので。
一人暮らしの理由が他人には明かせない類のものだったし、加えて親兄弟は他人同等な僕にとっては、かなり厳しい状況。
その時、「おじさん」として署名したのが素氏でした。
ええ、叔父でも伯父でもなく、本当は小さなおじさん=小父なのにね・笑。
しゃあしゃあと、親類風を吹かせて、言わなくてもいいことまでぺらぺら不動産屋に喋っていました。
ついでに、この転居先が、素氏の当時の勤務先の目と鼻の先にあったのは、偶然かくも恐ろしやという蛇足。

で、おじさんとは、頼もしい導き手であるというのが、共通の認識でありましょう。
美しい絵、愉快な本、綺麗な映画、趣味のあれこれ。
勉強なんてそっちのけで、無責任に一緒に遊んで、世界の扉を広げてくれる。
血が繋がっていれば、一応お互いに離れにくい「理由」もできるけれど、本当のところ子供たちにとって血は関連付け程度でいい。
又従兄弟の奥さんの又従兄弟だっていいわけです。
二町先のクリーニング屋さんだっていいわけです。

その世界の扉がひとつでもあれば、僕たちは外を見ることが出来る。
自分で遠回りして無理に開いた扉をばたんと閉めて、また走り出すことを繰り返した少年少女たちは、いつかそんな面白くも無責任なおじさんを探しているのです。
そう、走り回った人にこそ、おじさんは輝いて見えるのです。

さてと、年末にとまっていたミステリーランドの感想を再開します。

ステーションの奥の奥 (ミステリーランド)ステーションの奥の奥 (ミステリーランド)
(2006/11/09)
山口 雅也

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山口雅也作品は初めて触れたけど、中盤までは非常に面白い展開になっている。
同居するおじさん(屋根裏部屋で本に囲まれて暮らすところなんて、わくわくするね)と共に、夏休みの自由研究「東京駅の秘密」を調査するため、東京駅のステーションホテルに宿泊し、最初はおじさんの友人の駅員に案内されて、後には二人きりで駅の秘密の通路を探り始めるといった具合。
霊安室に繋がる通路とか、障害者専用の通路とか、
で、奇妙に損壊された死体が発見され、密室もできあがり、おじさんも密室から消えてしまい。。とさらに読者は、この大風呂敷に広げられた謎にますます期待を膨らませるのだけど。

うーんとね。これ謎解きがいわば超現実手法なんですよ。
ありえないことも、それを信じるならありえてしまう、という奴。
エロイムエッサイム状態に入った瞬間など、僕はかなり引いてしまった。
しかし、この解答を得るまでに、少年少女はミステリマニア(なにしろブラウン神父ものまで大人版で読んでいる。チェスタトンを面白いと言える小学生って、凄すぎる)よろしく、心理トリックの検証まで大真面目に行っている。
詰めるときは、詰める。
過程を楽しむという意味では、かなりよく出来た筋立てで、結果になんじゃこりゃ!と怒るも笑うも人それぞれだろうけど、こういうのもありなんじゃないかと思います。
恐らく謎解きに対する感じ方は、子供だったら納得し大人だったら反感を感じるとかではなく、ほぼ趣味の問題だろうから。
謎解きは別にして、大好きなおじさんが少年の側にもういてやれない状況になってしまう別れが最後に描かれていたことが、非常に好ましく思えました。
一方で、この人の描く子供像はやや薄っぺらな感があり、子供は子供なりの意識の流れをもっと描くべきだったと思うし、たとえチェスタトンが楽しめたとしても、何かしら子供としての思考回路があってしかるべきではないかと。
体が小さい大人みたいな雰囲気でしたから。
おじさんとの別れにも、もっと感傷的な部分が欲しかったというわけです。

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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

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