2009-05

灯火

頑張っても頑張ってもと、報われないことをなげくくらいなら、
一生懸命になること自体を放棄すればいいという。

そうだ、報いなどというものは、他者への過剰なる期待であって
他者を拒むという前提にあるのならば、最も求めてはならないものである。

僕は、XX歳になってしまう前に、消えてしまおうとずっと考えていた。
その年齢をあっけなく飛び越したとき、待っていたものは。
当時XX歳の自分が想像できないからという理由が一義にあったけれど、
その落とし穴は、外見よりもむしろ内面にあったのだと、歩き歩き考える。

GW明けから往復一時間歩くことにして、交通費をわずかでも浮かせようとしている。
歩きながら読書できるほど、通りに精通していないし、
また歩くこと自体を愉しんで、脇道にそれたり、新しい発見に目を奪われることもできず
ただただ考えて、頭が軋んでもはや考えきれなくなったころ、目的地に到着する。

外見は、なぜか誓いを立てた頃とほとんど変わっていない。
けれど、僕は、いつのまにか、「生活」という呪いに締め上げられる。
ぎりぎりなのは、ずっと同じなのだ。
心持ちだけが、僕を追い立てる。
生活必需品の価格帯は一円刻みで頭を啄み、
一杯の休憩も「贅沢」と耳の裏側の囁きで爪弾きにされ、家路へ急がせる。
他人が買うものにまで呪いで判別しようとする。
倹約を楽しさへと転化する術が、いつの間にかすり替わる。

そう、僕が何十年も前に予感していた黒い穴は。
あの逃げ出した家の中で絞り出された、黒い穴の奥からぬっと出された
「愛情」とか呼ばされた手にそっくりなのだ。
僕は自己犠牲などしていない。
そう信じたい。
誰もそんなことなど、望んではいないと知っている。
けれど遠い昔、自己犠牲によって自己を身ぐるみはぎ取り、
その報いに応えないと狂乱の果て叫び続けられた、あの声がこだまする。

僕はまだ楽しみを知っている。
そう信じたい。
たとえそれが、もはや受動的なこと、もはや読書しか残っていなかったとしても。
何世紀も何マイルも遠い世界の住人であっても
僕が他者の存在を唯一実感できるのは、
本の中だけであったとしても、まだ――――
呼吸くらい、していても、許してもらえないでしょうか。


****

「一粒の麦」が中盤を越える。
ジッドは、15歳になった。
選民である、詩人であると、鼻持ちならないことばかり言うようになってしまった。
素氏が辛気くさいと呼んだ、抑圧されるがゆえに清らかな、精神世界は遠のいていく。

****

読書は楽しければ、それでいいじゃないかと言われる。
どうして、孤独や鬱屈でのたうち回る、
ひねくれた深い深い淵にまで追いつめられないといけないのかと、言われる。
僕が結果的には、その共感こそが楽しみになっていたとしても、
他者にまで同意を求めてはいけないという。

そうなんだろう。
たとえ万人が、カポーティやマッカラーズを読んでも震えないように、
僕もまた、差し出された荷風に、何も感じないのだから。
自分とまるきり同じ人などいないと、よくよく空想であったとしても、認知していたはずなのに。

****

「法王庁の抜け穴」で僕が一番好きなところは。
ラフカディオの手帖の中に書き込まれた、秘密の暗号だ。

将棋でプロトスに勝ったために==一突
自分がイタリア語を話すというけぶりを見せたために==三突
プロトスよりもさきに返事をしたために==一突
言い負かしてしまったために==一突
フェ-ビーの死を知って泣いたために==一突



阿呆のジュリアス(ラフカディオは彼の父親である伯爵の隠し子、つまり義弟)は、この記述をみて、【突】を貨幣単位だと思いこむ。
純粋気取りの盲目精神の無感覚の作家なのだ。

病床の父親からラフカディオの様子を本人には知られないように教えて欲しいと頼まれながら、のこのことジュリアスは義弟の家におしかけて、不在と知るや、家宅侵入して手帖をのぞいたのだった。
戻ったカディオは、初対面でも平然と対応してのけ、彼が帰ってすぐに、手帖に新しく「一突」の文字を加えて、事に及ぶ。

彼は、かくしから、刃が非常に細長くてほとんど短い錐のようになっている小刀を取り出して、その刃をマッチであぶった。そして、ズボンのかくし越しに、一突きさっと腿に突き立てた。彼は渋面を禁ずることができなかった。だが、それでは足りなかった。さきの文句の次ぎに、腰かけないままで、テーブルにのしかかって、彼はまた書きこんだ。

そして、やつめに、それと感づいたふうを見せたために==二突

今度は、彼は躊躇した。ズボンをはずして、わきにたらした。彼は今付けたばかりの小さな傷が血をにじませている腿をながめた。彼は、まわりぐるりと、種痘の跡のように残っている古い傷あとを調べた。彼はまた刃をあぶった。それから、手早く、二度、またもや肉に突き立てた。
「もとは、これほど用心しなかったものだがな」彼はひとりでそう言いながら、薄荷入アルコールのびんを取りに行って、傷の上に数滴たらした。
p68-69



思春期/青年期の自傷行為は、他傷行為と同意であると、僕は思っている。
またこの危うい時期の彼等には、独自の戒律を、自己や他者に激しく求めることが多分にあるといえるだろう。
戒律は大人達からみれば、利己的で、無法なものではあるが、彼等は律することによってのみ、綱を渡り、ニセモノに見える世界の酸素の粒をつかむことができるのだ。

アンジェイフスキーの「天国の門」で淫らに行進をつづけた子供達や、三島の「午後の曳航」で動物を解体し、ついには「彼」に手をかける少年達は、徒党を組んでいたが、彼等を牽引したのもまた、独自の戒律であった。
また、「蝿の王」ではふたつの異なる戒律がぶつかり合いながら、原始の狂気へと少年達を駆り立てた。

引用した部分だけでは、人物紹介が不十分だから判りづらいだろうけど。
ラフカディオが罰していたのは、罪科を唱えたのは、世界へそりをあわせてしまった罰である。
大人たちの社会通例への迎合を罰とした。
また、のちにカディオ自身が呪縛から解き放つことになる、寄宿学校での神的存在プロトスを穢すことを、罪としていた。

だが、ラフカデイオは、いつまでも同じ戒律の中に安穏としていたわけではない。
この「恰好のよさ」に酔いしれているばかりではない。
まもなく手帖は暖炉の灰と化し、彼は母親の恋人達、自分を可愛がってくれた数多の「叔父」たちから学んだ洗練をまずは外見から纏って、進んでゆく。
そして、新たな戒律をもって、一人の男を列車から突き落とすのである。
しかしながら、以前に書いたように、ジッド自身の洗練は一貫することなく、カディオに手痛い恥をかかせることになるのだった。
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