2008-11

ねむねむねむ

奇跡的に通称三連休のうち、二日お休みがあったけど。
散髪して、赤ペン握り続けたら、終わりました。
入力校正、入力校正、入力校正。
合間に素氏に「意味不明、肉をぶらさげるより、骨をつくって」と叫んで終わりました。
既に、本日ものすごい睡魔が襲っています。

次の休みは、年末ですね。
今日、年越しは「恐らく」ないだろうと、言われました。
「恐らく」って、あなた。
どうか細胞ちゃん、一足早いお餅でもたべて、冷凍庫で眠ってください。

室生犀星集―童子 (ちくま文庫 ふ 36-10 文豪怪談傑作選)室生犀星集―童子 (ちくま文庫 ふ 36-10 文豪怪談傑作選)
(2008/09/10)
室生 犀星

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あなどれない、このシリーズ。
古書店では、全然でないこのシリーズ。
でも迷ったもう一冊、小川未明の方がお買い得だったかしら。

先日、例の英会話な女子から、三島の「春の雪」を読んだけど、
始めの数行で倒れた旨、告げられました。
いわく、古文だと。。。。
えええ?どうするの、三島が古典なら、貴女。
なので、僕の大好きな「午後の曳航」を薦めておきましたが。
三島も川端康成も僕にかかれば、みんな変態であり、きりきりの美学の持ち主で
だからこそ、面白いのですが。
「そんな変態、私、求めてません」だって。

あ、でも、彼女に、安部公房の「箱男」が教科書に載っている情報を教えてもらいました。
なんか、十違うだけで、全然載ってるものがちがうのかも。
ちょっと、国語の教科書、覗きたくなりました。


犀星は、童話チックです、落ちのないふわふわっと物悲しい童話です。
それと、オノマトペが独特だったのだと、改めて感じました。

怪談というほどでもない、異形譚のものも多いけど、
時々、あんまりな落ちのなさに、物語が落ちるより、自分が奈落の闇に落とされて。
背中が真っ青になります。

久々に、「蜜のあはれ」を読み返したくなりました。
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やっと休日

やっときた。。。。一日まるごとお休みの日。
くーーーっ。
実に一ヶ月ぶりだ。

少しだけゆっくり眠って。
昨日真っ青になって、背中に黒い影をしょっていた素氏から最新ズンドコ情報を得ていたのであるが。
いわく、財布なくしちゃった事件。
でも、早朝職場のロッカーで発見されたと聞き、安心する。
ズンドコ神様、肝を冷やすだけにしてくれてありがとう。

お昼にミクタンと僕達が呼んでいる、(ほんとは味久アジキュー)
和食屋さんで、定番の「あら煮定食」に舌鼓。
色々美味しいものがあるんだけど、ここのあら煮はやみつきよ。

で、冬物出しました。
冬物出すのは意外にさっさと終わりましたが、
ついでにやった掃き掃除が二時間。
箒で掃いただけなのに、、というのも、綿ぼこリがものすごいんだ。
一応、この部屋は、僕の部屋兼布団敷きっぱなしの寝室も兼ねているから。
去年水抜きした膝が怪しい気配を増している。

夜はがふがふ入力の続き。
しかし、「変態心理」に留まらず、大正期の論文って、一文が異常に長いのね。
長いだけじゃなく、論理展開が二転三転ころがりまくるので、
行のすっとばししていても、気づかなかったりします。

また、当時は流行だったのか。
まあ、谷崎の「人魚の嘆き」をみれば分かりますが。
漢語好きな人が多過ぎで。
きっと日常茶飯に浸透していたのであろうが。
べべんべんべん♪
琵琶法師でも登場かと思うくらいに、
ある種躍動感のある、描写がなされているのでありました。

「変態心理」合本を眺めていると。
基本的には広告はないのですが、青山脳病院の広告を発見。
院長 斉藤紀一 ときて、医学士 斉藤茂吉先生ご登場。
月水金しか診てもらえないようです・笑。
ついでに、リンヂヤ氏注射は、月木しかお願いできません。
リンヂヤ氏注射ってなんでしょう。
リンゲル液のことかなあ。

ちなみに、脳病院関係で、山田病院のことを調べたいんですが。
何しろ大正期のことゆえ、困ってます。
モトム、医学士 佐多芳久 情報。
恐らく、京大医学部出身で、千葉医大の先生になって、山田病院にも勤務して、虎ノ門の院長もやって、最後に佐多病院作ったはずだけど。
どうも出てくる論文が、生化学関係だったり、お灸関係だったりで。
精神医学が専門なのかもよく分からないんですよねえ。

ただ面白かったのは。
昭和9年発行のキング文庫「彼が一旗挙げるまで」という
まあ、各界の著名人の苦労話みたいなのに。
「一郵便局員から発奮医学博士」として佐多センセイが出てくる。
えー!
すごくオモロイ経歴の人かもとか。
一応8号関連とはいえ、無駄な時間を過ごしていたりしています。

あと、google chromeを入れてみたんだけど。
軽いタブブラウザと触れ込みをうけて。
しかし、僕が多用するhotmailがログインすらできません。
そもそもhotmailは、無駄にデザインを変更しすぎなんだ。
回を重ねるごとに、使い勝手が悪くなっていくんですけどー。
仕方がないので、なくなくIEに戻すしかないようです。

そう、今晩見ようと楽しみに待っていたのに。
例の犯人出頭により、NHKの「ブラタモリ」が吹き飛びました。
おーのー。

そりゃ逢いたいです

出来ないことは出来ないと言え。
ひいては、それがみんなの為になる。

そんな格言が粉雪のように舞い落ちる毎日。
実は、連日幅一ミリの平均台の上を歩いているような、おぼつかなさなのに。
端から見れば、できてるんじゃないのと思われている。
らしい。
だから無理難題が降り注ぐのだ。

僕は、叱られるのが大の苦手なので(まあ得意な人はいないだろうが)
予測可能な限りのシミュレーションを施して、予防線を張っているに過ぎない。
だからー。
みんな、期待しないでおくれ。

「みんなの為」なんて、本当はどうでもいいんだけど。
「貴方の為」なんて言われたら、怖気も立ちすぎるほど、立つ。
毎晩、日経ビジネスサテライト周辺を見ていると、
最近必ず飛び出す、ガイタメドットコムのCM。
「貴方の為だから」
やめんしゃい!きーー!
二人して、なんでこんなにむかつくCMが作れるのか、醤油瓶でブラウン管割りそうになってます。
ついでに、今日のニュースで、「赤い赤色灯」とレポートした記者に絶句した。


今日、英会話スクールに通う知人が、
スピーチのネタ探しに困り、僕なんかにアイデアを求めてきた。
いわく、「過去のどの時代でも行けるとしたら、どこに行くか?」

もう、そんなの挙げたらきりがないけど。
第一候補は、勿論、大正から明治初期。
浅草十二階にのぼり、レビューをみて、当時の本屋をのぞき、
路面電車に乗って色んな匂いをかいで、
叶うことなら、色んな文人の素顔を覗いてみたい。
安吾や、綺堂や、諸々の大好きな人たち。
そして、虫ちゃんがまさに黒死館を描かんとする、その脇でじーっと眺めていたい。

ってなことを。
ミルクホールとか、モボモガとかの単純な語彙でもっと一般向けに述べたのですが。
「はいからさん!」の一言を返されて、苦笑してしまいました。
仕方がないので、新聞記者になった紅緒とか、帰ってきた少尉の話で盛り上げておきました。
そうか、あの時代って、袴にブーツなイメージしかないのか・涙。
むしろ女性の社会進出なんて、個人的には興味がなくて、
あやうく、与謝野晶子の歌の好きなところとか、口から流れ出しそうになりましたが、抑えたと。

で、彼女は
「マリーアントワネットになりたい!」と天然丸出しで叫ぶので。
「じゃあ、毎食ケーキでも食べて、首切られておきな!」と返すと。
「でも、平民だと苦労しますよね。トイレ大変ですよね」と神妙なことを言うので。
頭の中に色んな時代の、アナーキストたちがちらちらしつつ。
「じゃあ、ラセーヌの星にでもなっておけば」
と返すと、今度は年が10も下なので、アニメネタが通じなかったという。
情けない夕暮れでありました。

英会話なんて絶対習わないし、スピーチなんて一秒たりともしたくないけど。
(大学生の時、散々やらされて、泣きをみたのも現実)
こういうネタで何時間でも、想像の海に漂っていられるのが、僕は一等楽しいなあと思いました。
しかし、誰でもこういう遊びは楽しいものかと思っていたのに。
そうじゃないと気づくと、ちょっとびくっとしてしまうものですねえ。

昨夜は、素氏が書いてきた前説を校正。
いやいや、一旦はまあこんなものかと思ったけど。
いざ赤ペンを握ると、相変わらず、きーーっといきり立ち。
素氏いうところの、brain storming(?)←脳をわざとぐちゃぐちゃにしてもらいたいんだって・謎。
のために、侃々諤々しておりました。

あんなにお喋りで、知っていることも知らないことも(笑)喋れる人と。
かたや、文字はお喋りなのに、口は吃音につぐ吃音になってしまう人と。
同じ侃々諤々でも、僕は紙に書き散らして吼え、素氏は、まあ聞いてくれと吼えていました。

はてさて、残り3週間。
八号はどんな仕上がりになりますやら。

かもした、焦げた、燻された

明日から本格的に寒くなるらしいけど。
いまだ夏物が転がる有様。
週末には是が非でも、冬物を出したいけど。
果たして体力が生み出されるや、いなや。

そもそも我が家には、タンスが一棹もありません。
最低限のものが、プラスチック抽斗に入っていて。
後は、季節外のものは、コンテナの中。
素氏のものにいたっては、段ボールの中。
僕たち、本のことしか考えていないのです。

携帯に溜まった写真がたくさんあるので。
整理がてら、いまはむかし、文化の日に赴いた国立科学博物館の出来事など。

Image0951.jpg

「菌類のふしぎ展」いやはやすごい人出でありました。
あんまり愛らしいチケットなので、当日券部分が切り離される前に、パチリ。
なにしろ、石川雅之さんの直筆落書きが、展示のあちこちに描かれている上に、
写真撮影可能なものだから。
中学生くらいの子たちが、全種撮影すべく、走り回っていると。
天井からは、オリゼーたちがぶらさがって、さらに小さなお子様達も大騒ぎ。

Image0971.jpg

展示も、各種キノコ類のプラスチネーションやホルマリン標本などが間近で見られるので
かなり面白い。
熊楠で脚光を浴びた、ミクロの妖精ともいうべき粘菌に関しては、
実はこの後向かった常設展示の方が細かく見ることができたのですが。
はたまた、広義の冬虫夏草も各種取り揃えられて、
へーこんな虫から、こんな妖しい生き物が伸びてると、わくわくしたり。
覗き穴から、緑に蛍光発色する不可思議なキノコを眺めたり。
菌類が、植物よりも動物に近い生態系をもつことが、
じんわり伝わってくる展示になっておりました。

Image0961.jpg

僕のお気に入りは、それほど珍しくないけど、このアミガサタケです。
レースな洋燈笠な佇まいが、なんとも素敵。

特別展の後は、ショップでガチャポンをして「もやしもんマグネット」をゲットし。
(ちなみに僕はO157で、素氏はオリゼーでした)
常設展へと向かったのですが、、、もうダメ。
何しろ新館だけで、地下三階から地上四階まで盛りだくさんなんだもの。
一日いたって、回りきれるかどうか。

そもそもこの日は、休日出勤のあと、上野に直行したため。
既に体力はゼロに等しくなっていたのでありました。
その体力を復活させた、お店が。
アメ横の番屋余市!!

アメ横といえば、以前「大統領」という、もうオッサン好みな飲み屋にしけこみ、
二級酒もびっくりな、謎の熱燗を飲んで大騒ぎしたのですが。
今回は、微妙に若オッサン風味な七輪焼きの店です。
冬場は、この顔面炎射な炭火が心地いいでしょうが、夏場は、、たぶん死ぬ。
とはいえ、何しろ廉価で旨いものが、沢山焼きながら飲めるので、ウハウハです。

アサリバターに、ゲソに、野菜に、トン串に、つくねに・・・。
と散々焼きつつ、後方の席を見ると、何やら、どーーーんとどでかい、もはや七輪からはみ出るものが、焼かれておりまして。
それが、初心者はやめておけ!でも病みつき必至のカマ!でありました。
我々の痛恨のミスは、初心者ゆえに、最後にこれを注文したことに尽きましょう。
ものすごい煙、ついには滴る油が発火!
見かねた店員のおじさんが、
「いったん下ろしたらどうですか。まあそのうち上手く焼けますよ」
とトングでひっくり返してくれたのでありました。

この巨大マグロカマが、たったの600円。
信じられないよー。
旨いったらありゃしない。

でもね。
帰りの地下鉄で、僕たち、もの凄い匂い発してました。
だって燻されまくりですもん。
酔っぱらってても、ぷんぷん脂の匂いさせていましたもの。
僕はよれよれでお風呂に入ったけど、素氏は燻しパンダのまま、翌朝出勤していったのでありました。

よし、次回こそ、最初からカマに挑戦だ!

ロリポップ・ノスタルジイ

うーん。
眠りたいです、一日でいいから、爆眠したいです。
もう8月から、突っ走ってばっかり。
なので、今日は、とりとめもなく連想ゲームといきましょう。

黒死館の中にこんな一文が出てくる。

アルボナウト以後の占星学アストロジーでは、一番手前の糸杉と無花果とが、土星と木星の所管とされているし、向う側の中央にある合歓樹ねむのきは、火星の表徴シムボルになっているのだ。
SML355-6p



次回更新予定の「あ03」に含まれるastrologyは語彙だけとれば、別段曲者でもなんでもないけど。
ついでに引用箇所の惑星と事象の(根拠なき?)つながりを虫ちゃんがどこから引っ張ってきたのか、と欲目を出すともう止まらなくなる。
多分、ここなどを覗くと、惑星と星座、星座と石(誕生石)、植物、果ては匂いといったものまで、商業主義も後ろ楯になってある意味整然と表になっていたりする。

ちなみに僕は牡羊座で、火星とつながりが深いから赤が幸運を呼び、金属は鉄がよくて、植物は棘のある木、水仙にゼラニウム、スイカズラにチューリップと節操がない。
じゃあ、黒死館で出てくる、糸杉cypressはどうなのかといえば、牡牛座とてんびん座→金星、山羊座→土星と関係が深いようだけど。。。『土星と木星』にぴたりとは来ない。
無花果figは果物全般?に含まれるのかとか。
そもそも合歓ってPersian Silk TreeとかPink Sirisとか英名が呼ばれているようですが、よく分らない。

また惑星名は神話世界の登場人物だから、ここなどを見ると。
Saturn: fig, blackberry
Jupiter: aloe, agrimony, sage, oak, mullein, acorn, beech, cypress, houseleek, date palm, violet, gorse, ox-eye
なんて、一応書いてあるけど。
合歓ってどうなの、そんなマイナーな。
まあ、、、うん、、この場合中途に一致したからってどうにもならないのよね。
大事なのは、元々信憑性も根拠もない話題では、ぴたりと引用元が合って初めて検証がすんだ、と言い切れるのだから。

毎朝ニュースで星占いを見て、運勢がよければ裏返しに読み、悪ければきっとそうだろうとびくびくしているnegativeさんな僕も、占星術は少しは信じているらしい。
というのも、占星術には星の運行、位置関係という、変化する因数が含まれているからで、一体どうやってラッキーメニュー:ナポリタンとか導き出すかはおくとして、時々刻々変化する理由の最低限の裏づけを持っているから。
一方で、姓名判断や血液型に背負うべき運命の一端があるとしても、日々変化する運勢なんて、どう考えても納得できないのだ。
人が占いをするのは、概ね過去未来の行動の裏づけし、性格や起こした(起こった)事実の一部を転嫁したくて行っているのだろうとか考える。

で、合歓(ねむ)といえば。
僕の通っていた小学校の前には、「学校前」と呼ばれた文房具屋さんと喫茶店があった。
ちなみに、さらにその横には、有文堂書店という古本屋が今も残っている。

(そうそう、いつの間にか、こんな便利な神戸大阪古本マップが出来ていた!
帰省の予定は全くないけど、神戸も兵庫区以西は未踏の本屋さんばかりなので、覗いてみたいなあ。)

「学校前」は子供たちに大人気のお店だった。
正統の文房具屋さんであったはずだけど、必ず子供心をくすぐる商品が入荷されていた。
はっきり言って消えないけど匂いが素敵な、色鮮やかなソーダ消しゴムやフルーツ消しゴム。
多分元は製図用とかだったはずだけど、手垢で真っ黒になるまで捏ね回した練り消し。
冬の早朝の風物詩、全校生徒揃っての縄跳びに使われた蛍光なわとび。
綾取り糸に、20色もの芯が差し替え可能なレインボーペンシル。

でもその横の喫茶店には一度も入ったことがなかった。
以前書いたとおり、僕の育った町は繁華街なので、飲食店を生業にする家の子も多かった。
ビロードのソファと薄暗い照明に閉ざされたバーで、吐くほどコーラを飲ませてもらったり。
インベーダーゲームが並んだ喫茶店で、みよしららの「キノコキノコ」をソーダ水片手に読みふけったりもした。
でも、その喫茶店には同級生の家じゃなかったから、正面の校門横で蟻の家が売られていたり、学研のおばちゃんが「科学と学習」の勧誘に来ているのに吸い込まれていても、いつも素通りだった。
喫茶店の名は、「合歓」。
初夏になると店の前の高木にはふわふわの羽のようなものが広がった。
先がほんのり紅色がかって、もう半袖の時期なのに、綺麗だと思う以前に冬に広がったらもっと気持ちよさそうだと思っていた。
その木が「ねむ」という名で、漢字で書くと「合歓」と呼ぶと知ったのは、もう六年生くらいになってのことだったろう。

僕は小学校だけじゃなく、いつに時代も同じ空間に長く籍を置くことが苦手で。
一学年五十人にも満たない、学年の枠を超えてみんな幼馴染みたいな空気がかなり辛かったけど。
(だからこそ、中学も高校も誰も同じ出身校にならないような場所を選んだ)
それでも今の何倍も友達がいて、誰もが懐かしむようにあの頃は色彩に満ちた世界だったように思う。

チェスタトンのことを、単純に「嫌味」などと言ってしまったけど。
『詩人と狂人たち』『棒大なる針小』を読了して、それはたった一面に過ぎないと浮薄な表現だったと思っている。
まだまだ見えざる多面体であって、そんな中でも、読めば読むほど「可愛さ」が際立ってくる。
作風を何かしらの言葉で纏められれば、それはスタイリッシュかもしれないけど、
今はせいぜい「可愛い」としか言えないのだ。
(でも、「可愛さ」は僕にとって最大限含みのある勲章なんです)

『詩人と狂人たち』はガブリエル・ゲイルの人となりが後半に向かうに従って明らかにされていくと、ますます切なさが際立っていく。
奇妙としか呼べなかった第一話も、最終話からぐるんと見事な円環をなしていたことに、驚き。
実はこれが『木曜日だった男』で扱われた反政府主義を、狂気という、
一見『木曜日』の悪夢と同等に見えて正反対の残酷なまでに現実を用いて描いた作品だと分かりました。
さらに、とても禁欲的な優しい恋愛譚であることも。

チェスタトンの可愛さは、退屈を知らないということ。
子供のようにどんな仔細な事象に対しても、想像が溢れるほどの想像を生み出すこと。
おとぎ話を、色とりどりの置き去りにされてしまうものを、決して忘れないこと。

それは『詩人と狂人たち』の「紫の宝石」でゲイルが夢中になるソールトの店の景色に、嘘みたいに輝くお菓子のステンドグラスに現れている。
僕はこれを読みながら、あの指環の形をした大きなキャンディーを思い出しました。

「きっかけとなったのは、店のウインドウに並んだ色つきの菓子だろうと思います」とゲイル。「その菓子からぼくは眼を離せませんでした。それほど見事だったのです。宝石より菓子のほうが立派なのです。子供たちの意見ももっともです。子供たちはルビーやエメラルドを食べているのも同然なのですからね。さて、ぼくは、このウインドウの菓子がぼくに話しかけているような気がしました。そのうちに、何を語っているのか思い当たりました。あそこの菫色というか紫色の苺のドロップは、店の中から見ると、アメシストのように生き生きと輝きを帯びるのですが、外から見ると、光を受けて、かえってぼやけて光沢なく見えるのです。それに、同じ菓子でも、もっとくすんだ色のもので、外から眺めるお客さんの眼にずっと派手に見えるものがあるのに、それは陳列していないのです。ここまで考えたとき、ぼくは、ステンドグラスの窓を内側から見たいから是が非でも伽藍の中に入り込みたいといった人を思い出し、それと同時に、謎が解けました。
p240



この宇宙のいちばいいもの、いちばん貴いものは皆半ペニーで手に入る。もちろん、太陽、月、地球、人びと、星、雷雨、その他もろもろのものは別で、それはただである。もう一つのものも別なのだが、それはこの新聞では書くわけにはいかない。その値段は最低で一ペニー半である。それはそれとして、今言った法則が正しいことはじきにわかる。たとえば、このうしろの通りでは、今半ペニーで電車に乗れる。電車に乗るというのは、おとぎ話の空飛ぶ城に乗るようなものだ。それからきれいな色のキャンディも半ペニーだせばずいぶんもらえる。
 しかし、半ペニーでどれほど厖大な、面くらうほど美しく並んだ値付物が得られるかを知りたければ、きのうの晩私がやったようなことをやればいい。私は、バンシーの通りの中でいちばんものさびしいパッとしない通りにある、暗い光に照らされたちっぽけなおもちゃ屋のウインドウに、ぺったり鼻を押し付けていた。その四角な光は薄暗かったとはいえ、中は(いつかある子供が言っていた通り)神様がこしらえたありとあらゆる色でいっぱいだった。この貧しい人たちのおもちゃは、それを買い求める子供たちに似ていた。どれもこれも不潔っぽいが、また、明るいのである。私としては、明るさのほうが清潔よりも大事だと思っている。前者は魂にかかわり、後者はからだにかかわるものだからだ。
『棒大なる針小』p290「亡霊の店」


覗き込んだら、後から呼ぶ声が聞こえたよ

寒くなったらホットカーペットの季節です。
ぬくぬくで幸せだけど、猛烈な睡魔に襲われながら、入力頑張ってます。
日記は、下書きしては嫌気がさして、ざっくり消してばかりです。
もっと肩の力を抜きましょうよ、絹子さん。

ということで、「詩人と狂人たち」を読み進めています。
当初、あまりの奇妙な切り口に、唖然としていたのですが。
そもそもミステリーと呼ぶならば、QとAが存在するはずなのに、Aは元よりQさえ霧の彼方に消えてしまっている。
半分を超えた所でようやく、この話は、基本的には新たに生まれようとする狂人、あるいは図らずも生まれてしまった狂人たちを詩人ガブリエル・ゲイルが救おうとする筋立てだということが分かった。
ただゲイルは「狂気」が花を開かせる瞬間を捉えることができる稀有な存在で、
当然ながら読者を含めて一般人はそんなサインを捉えることが出来ないわけで、
ゲイル自身の方が先に狂ってしまったと、みんな感じるのだろうなあ。

こんなおかしなおかしな物語ですが。
「木曜日だった男」の解説や、チェスタトン熱に油を注ごうと企てる素氏が持ってきたエッセイ集「棒大なる針小」を並行して読み進めると、色々と考えさせられることが出てきます。

例えば、「木曜日」の解説で南條氏は冒頭に捧げられた詩が、チェスタトンの若き日の苦悩を示していると示唆しているのですが。
セント・ポール校を卒業した彼は美術学校に進み、そこで詩作や絵画に没入しながら、狂気寸前の精神的危機に陥ったといいます。
ガブリエル・ゲイルは詩人であり同時に画家であり、常人では感知できない「狂」の信号を鋭敏なアンテナで掴み取る稀有な存在です。
チェスタトンの淵に立たされ、呑み込まれんばかりに立ち尽くした状態と完全にシンクロした人物のように思えます。

「ガブリエル・ゲイルの犯罪」という一編では、その鏡面構造が如実に現れています。
かつて牧師だった青年が、いつも彼が招待された日に雨が降るために雨男呼ばわりされて、からかわれている。
ある夜、彼がやってきた瞬間、今まで晴れ上がっていた空が掻き曇り、激しい雷雨となった。
ゲイルは『神様になったような気分になるだろう』と追い打ちの言葉を投げかけ、さらにふらふらと牧場への坂道を登っていった青年を追いかけ、投げ輪で捕まえて大木に縛り上げ、熊手であわや殺そうとしたのだった。
遂にゲイル自身が発狂したと周囲は大わらわになっている状況の下、ゲイルだけが落ち着きはらって、自分は狂人すれすれの電撃療法で、青年を狂気から解放してやったのだと述べるのです。
粉砕へ向かう懊悩をほんの数ミリ下がって俯瞰するゲイルの言葉には、じんわりと涙を誘うものがあります。

非常に多くの青年が発狂の一歩手前まで行きます。けれど、大部分はそこで留まり、普通は正常さを取り戻すのです。一定の異常期間があることは正常であるとさえ言えるのです。外界の事物と内心との釣り合いが不調になると、この異常期間が始まります。あなたがたがご存知の大柄で健康な男生徒たち、クリケット競技と菓子屋にしか興味のない生徒たちは、うちに秘めた逞しい不健全さではち切れんばかりです。ところが、この青年の場合、異常さは彼の外観にさえ象徴的に現れていました。彼の図体が大きくなって服が合わなくなった。足が半長靴に入らなくなった、そんなふうなのです。内部が大きくなりすぎで外部に合わなくなったというわけです。彼は外部と内部とを結びつける方法を知らず、たいていは結びつけずにいます。ある意味では、彼自身の精神と自我とは一個の巨大な宇宙と思われ、外界のすべては些細で遥けく見えるのですが、逆に言えば、彼にとっては世界は大きすぎ、彼個人の考えは、しまい隠しておかねばならぬ脆弱な品物というわけです。このような不釣合いに秘密を保ちたがる症状を呈する人はいくらでもおります。ひどい学校で行われていた嘘のような暴行沙汰に関して、少年たちがどんなに固く秘密を守ったか、あなたがたはご存知でしょう。女の子は秘密が守れないというのは事実かどうか知りませんが、秘密を守ることのできる男の子は、破滅しやすいものなのです。
さて、この危険な異常期間中に、特に恐ろしく危険な瞬間があります。つまり、主体と客体、頭脳と現実の事物とのあいだに最初の連結橋が架けられるときがそれです。それがどんなものであるかは時と場合によってまちまちです。本人の自意識を強めるのが普通ですけど、自己欺瞞を強化することになる場合もあるからです。あの青年はあれまで一度も他人の注意を惹いたことがなかったのですが、そこへ、フラムボロー夫人にあなたは雨男だと言われたのです。しかもそれは、彼の平衡感覚と未来感覚とが完全な錯乱状態に陥った直後だったのです。
p124


この一編を読み終えたとき。
深い安堵とも羨望ともつかない音なき溜息がもれました。

イギリス人独特のギチギチと笑いたくなる嫌味エッセイが書けるようになった、チェスタトン。
genuine crisisとでも呼べばいいのか。
通過儀礼とでも呼べばいいのか。
過ぎ去ってしまった、俯瞰できるようになった。
そして正確に深奥を描き直すことができる時が訪れているチェスタトンの凄さに感嘆しながらも。
決して淵から離れられない人間、
大きな器に小さな心のアンバランスに永遠にふらふらしている人間にとっては、
ゲイルの言葉が「今眼前にあるもの」のように思えて切なくなってしまうのも事実なのでした。

少々薄暗くなったけど。
チェスタトンの笑い(今回も笑いのつもりなんだけどねえ)については、もう少し続けたいと思います。

棒大なる針小―文学論・随筆集棒大なる針小―文学論・随筆集
(1999/10)
G.K. チェスタトン

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懐古するべき時代ももたない

先日大量の同人誌をダンボールに詰め込んでロフトにあげた。
これで本棚に並んでいるのは極精鋭部隊、全体の一割弱になった。
僕は卵発掘が好きで、けれども卵が孵ってしまうと、次第に遠ざかる傾向にある。
羽海野チカさん、稲荷家房之介さん、宮本佳野さん、中村春菊さん、草間さかえさん・・・。
みんなみんなメジャーになってしまって、メジャーになったことは嬉しい反面、
多くの人があの頃の輝きや個性を失ってしまったように思えてしまう。
だからこうしたかつての卵は、置き去りにされた殻は、ダンボールに封印されてしまうことも多い。

で、精鋭部隊に留まった中から、よしながふみさんの同人を一気読みしてみました。
SDや銀英やセルフパロ、40冊以上。
実はもう同人誌は元より商業誌も買わなくなったんだけど。
それは輝きを失ったとかではなく、むしろこちらの何かが変貌したせいに思える。
だって、この人変わらずずっと面白いもの。

特に改めて感心したのが、社会性といったものでしょうか。
人が格好よくきりりと見える、あるいは情けなく見える、一つの指標の境目に社会publicとの間の取り方があって。
この指標は好むと好まざると、受攻、弱者強者の配分に使う人もそれなりにはいるけれど。
よしながさんは、その社会性の裏打ち、リアルさがすごいんだと、数年ぶりに驚いた。
世渡り上手で悪辣なくせに、単なる気障やイヤミ人に落ちぶれない。
むしろ可愛げも十分に持ち合わせる。
どうしようもない弱点を持ち合わせる。
真似のできない、堅牢な裏打ち。
それはコマ割りや悉く排除された背景にも繋がっていて。

でも、なんだか、一年、いや数年に一度くらい読み返すといいくらいな。
もっともっとと次を欲したくなる感じではなくなってしまったのは、悲しいなあ。

そもそも自分にとってBLってなんだったんだろう。
過去形で語らなくてもいいけど、妄想もまだ残ってはいるけれど。
間口は確実に狭まった。
必然性と質。
同性愛以前に確かな物語性がないともう駄目なんだ。
同人誌も同じ。
この「同人誌」という言葉さえ、本来の意味を回顧したがる後向きの気分に押しつぶされて、首を傾げてしまうようになった。
本当は、きっと「在る」はずなんだけどね。
仲間を一切欲しないくせに、厳しく批判しあう磨きあう、決して馴れ合いでない世界にこそ使うべき言葉ではないかと思ってしまうのです。
嗚呼、文学はこんなに気持ちの悪いものじゃ決してないはずなのになあ。

映像化熱望

木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫 Aチ 1-1)木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫 Aチ 1-1)
(2008/05/13)
チェスタトン

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最近、個人的な当たりが続いている読書であるが、
今回のチェスタトン初挑戦も大当たり。
一旦読みかけた本は必ず読了することという掟にしたがっている分、
ハズレを引いている余裕もないと。
そういう訳ですね、絹子さん。

この小説、確かにとっかかりは悪いけど、
なんですか?の疑問を胸にページを繰って三章当たりに辿り着くと、
だんだん漣めいた予感が背中をむず痒くし始めた。

一体、この小説をジャンル分けするなら、どこに分類すればいいのやら。
ミステリー?
ハードボイルド?
思想小説?
いやいや、僕的はこれ、シュールレアリスム小説の筆頭にあげたいです。
アナーキズムを手玉にとった恐怖小説とも。
あるいは緻密すぎて壊れたプロットが奏でるナンセンス叙事詩とも。

だって読後すぐ思い出したのが、ジャリの「超男性」だったんだもん。
客観的に見てしまえば、狂気の沙汰の追いかけっこ、めくるめく色彩美。
あの自転車にまたがって、「ちびくろサンボ」の木を巡ってバターになった虎みたく融解昇華していく雰囲気が、とても似ている感じがしたから。

七曜日の名を冠した反政府主義者が大暴れします。
各人とっても個性豊かだけど、大ボス「日曜日」が怪物なので、
その他の曜日が異常にびびりまくります。
勿論、びびるのにはちゃーんと訳があるのだけど。
その理由はお揃いの青いカードに端を発していると。

なんだ、全然わかんないよ。
ええ、ええ、ごめんなさい。
これ以上の粗筋が書けないのが口惜しいのだけど。
まあ、最初の十ページほど、我慢してみてください。
きっとサイムが、「僕は安息日厳守者だ!!」と口走り、
木曜日候補に挙がっていた友人を蹴落として、難なく「木曜日」に収まる瞬間、
なんて洒落た小説だと必ず思うから。
そう思った瞬間、サイムの悪夢にどっぷり浸ることができるから。

しかしチェスタトンって、難解というか、絶対翻訳難しいだろうなあ。
読み比べしていないから分らないけど、きっと南條さんの訳が悪いんじゃないと思うんだ。
これでも噛み砕きまくっているはずなんだ。
けど、何回瞠目して読み返しても、何を言っているのか分らない部分あり。
特に、サイムが「日曜日」と睨み合いを続けている場面とか、警官と反政府主義について語り合っている部分とか。
どうにも破綻してるんだよね、論理が。
何が書いてあるか、全く不明だったりするんですねえ。

たとえば

思いは激流のごとくかけ巡ったが、一度も思い浮かばなかったことが二つある。
p108



などと書かれれば、思い浮かばないことが2個例示されるのが当たり前なのに。
思い浮かんだ恐怖が書かれているんだよねえ。
おかしいなあ。

あるいは、終盤の「日曜日」が紙吹雪のごとく投げつける、
いったいこの小忙しい追撃の合間を縫って、
いつ書いたんだ!と突っ込みたくなるメモを投げつけるシーンとか。
(ええ、日曜日は愛すべきバケモノですから)
意味不明なんだけど、なんだかチェスタトンにかかると箴言めいてくるから不思議。

「今すぐ逃げろ。君のズボンの伸しの真相がばれたぞ」

「思うに、ふさわしい言葉は“ピンク”ですね」

「あなたさまのおうるわしさは、わたしの心を動かさなかったわけではありません――小さな待雪草より」
p.270-279



どれも意味のない、どうも意味深めいた。
でも・・・きっとこれ酔っ払いが書いた自動筆記に近しいと考えた方が。
きっと心穏やかになるはず。


灰白色の薄暗い公園で主人公サイムが、ルシアンと教義問答めいた論争を戦わせている時空から
観客は幾度となく、闇と光の洪水に翻弄されて、
最後には、一点ぽつんとインクの染みになって消えてしまうこの感覚。
イメージを遮断させる部分、色彩を二値化してしまう部分と。
逆に横溢氾濫させて、読者をカーニバルの狂乱めいた興奮へいざなう部分があんまりにも対蹠的で、翻弄される喜びを存分に味わえるのです。

少し調べてみたら、これ、
オーソン・ウエルズがやっていたラジオドラマ「the Marcury theatre」で
ドラマ化されているんですね。
なんと音源も残っているのですよ。
メタな部分が多すぎて分りづらいと酷評されたみたいですが、さもありなん。
登場人物も多いし、特に禅問答めいた会話を冗長にやってしまうと、聞く気がしなくなるのも分る。

けれど、「木曜日だった男」は、絶対映像化したら面白いと思うんだ。
異常な緊張感がぷつんと切れて、木曜日が水曜日の鼻をつまんで、挙句にそれが取れちゃうところとか。
お前も△△だったのか!と各曜日が叫び合うと、読者(観客)も薄々気づきながら、ぷっと吹いちゃうところとか。
高級なギャグは、タメが肝心とばかりの設えなのです。
加えて、後半には大エキストラを使い、象がパオーンパオーンと吼えながら抱腹絶倒のドタバタ追いかけっこを楽しむことができる。

もしかしたら、昨今難解さを許容する素地が下手なドラマよりはるかに大きい
アニメの方が、もっとスペクタクルになるかもしれませんね。

チェスタトンの宗教観、政治観といったものを併せて考えるならば、
いくらでも深読み可能な作品だろうけど、
このキチガイお茶会、キチガイ双六めいた雰囲気に大笑いできるとそれだけで
十分幸せな作品なのかもしれない。

詩人と狂人たち (創元推理文庫 M チ 3-8)詩人と狂人たち (創元推理文庫 M チ 3-8)
(1977/09)
G.K.チェスタトン

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で、主人公サイムは、ガブリエルっていう大天使の名を冠している。
そして今読んでいる、さらに狂気の沙汰も読者次第な「詩人と狂人たち」の主人公も
同じ大天使さまの名を抱いている。

では、最後にチェスタトンの本当の箴言を引いておしまいにしよう。
そしてチェスタトン大天使ファンは、
チェスタトン公式サイト(?)で↓のフリスビーをゲットして
サイムたちと一緒に、追いかけっこに参加するといいかも。

"Angels can fly because they take themselves lightly."

frisbee.jpg

読書記録11月その1

えへへー。
新しいノーパソ買いました。
ACER ONEです。

A5版サイズで、液晶部分は9インチ弱です。
素氏には小さすぎるのでは?と言われましたが、
もうこの可愛さと、リーズナブルな価格に目がくらみました。
実際キーボードとか打ちやすいし、
HDは120G、CPUも1.6GHzって、十分じゃないですか。
これで五万切ってるんですもん、ヨドバシポイントでさらに安いし。
えへへーと可愛がっています。

これで、我が家で稼動素しているパソコンは五台。
この狭い家の中でなんでそんなに!なんですけど
みんなちゃんと役目が違うので、よしとしましょう。
このペラペラ君2号は、めでたく素氏が冬コミに受かったので
がふがふ入力の手伝いができるように!
という大義名分のもと、一時間店頭で眺め回したのでした。

しかし、世の中の不景気を反映してか。
はたまた冬のボーナスの冷え込みを予測して、財布がきゅっとしまっているのか
いつも混雑している休日のドバシが、すかすか。
店員の方が多い気がした。
まあ、僕は生涯ボーナス貰えそうにないので。
そのくせ「ボーナス一括」などと言って自分で背中に氷水を浴びせているわけですが。
久々の買い物、楽しかったのです。

で、これから。
少し真面目に?
いや、へこんでいても出来るだけ毎日。
ブログ更新したいなあと思いまして。

一週間に一度は、簡単でも読書記録をつけようと思います。

・牧逸馬 「浴槽の花嫁」 社会思想社
→確か、件のたなべ書店に最初に素氏がいった日、「一人三人集」を買っていて、初めてこの人の名前を知った。
僕はまだ林不忘も、谷譲次も読んでいないんだけど、この世界の奇怪事件実録集は、相当じわじわ読ませてくれます。
本当に筆力がある人が書くと、耳たこになっているはずの、切り裂きジャックやマタ・ハリさえ、こわーと思えるもの。
奥さんがすごい浪費家で、その大切な奥さんを支えるために、働き尽くめで早逝してしまったのですと。

・久世番子 「暴れん坊本屋さん」1,2 新書館
→ちまたでよく見かけるようになった。
なので、どんな風に面白いのかと、BOの均一棚で掴んでみた。
そうかWINGS系だったんだ。BLからみだったんだ。
本屋さんの裏話はすごく面白いけど、読めば読むほど、笑えないような気分になる。
予想していたよりも何倍もこの業界が、煮詰まっている感じがして。

最近、暇をみては、日経で株価急落ランキングや、帝国データバンクで破産情報をみるといった暗い遊びをしている僕は、データバンクに出ていた業種別先行き予報をのぞき。
(年度ごとにお天気マークであらわされている)
出版業界の連続雨予報、そして「雑誌は壊滅的」の文字に、唸った。
いや、わかっちゃいるけど。
雑誌全く買わないけど。
ちなみに、今年度も晴れているのは、唯一商社業界だけでした。
むー。

・明治かな子 「生まれ星」 大洋図書
→僕が買い続けている、最後に残ったBL漫画家さん。
三村家シリーズ完結編。
実は想い合っている幼馴染の二人の片割れが、相手の兄と関係を持ってしまい、長い時間をかけてくっつくという。
しかし、前巻くらいから感じ始めていた違和感が、ここにきて如実に。
おかしい、こんな悪い意味のロハス漫画なんて描く人じゃないかったのに!
植物を描くならチクチクとした蔓の絡みを、枯れて老婆のように捩れた枝を描いていた。
空を描くなら、月さえ顔を覗かせぬ、鴉さえ溶けぬ濁りきった闇夜を描いていた。
のにー。のにー。

かつて「絶対麗奴」に掲載された作品で、僕は学生服の裏側の、抗いきれぬ憂鬱と孤独を確かに見たのに。
「甘い針」はだからこそ、最高のコミックだったのに。
長文のファンレターを送って、お返事をいただいたときには、、、涙した。
なんだろう。
もう一度棘を、もっと研ぎ澄ませてもらえるといいのに。

・横田 順彌 「明治不可思議堂」 ちくま文庫
実は単行本もあるので、ダブっていたことに気づいたの。
うーん。
スポーツねたが多いせいか、明治大好きなんですが、イマイチ入り込めませんでした。
変な猟奇事件の部分だけ、やや頭に残ったのですが。
むしろこうしたエキセントリックな部分だけでなく、全体を淡々と情報を小出しにするだけでなく、牧逸馬的に盛り上げて頂きたかったです。

・内堀弘 「ボン書店の幻」 ちくま文庫
→これ、もう、最高!
今年の読書、ベスト3に必ずや入ります。
凡百のミステリーを凌駕する面白さ。
思わず、素氏から山中散生「火串戯(ひあそび)」の復刻版を借りてしまいました。
こちらの感想は、また明日。

うん、明日もちゃんと頭をあげて、深呼吸しよう。




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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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