うつろな眼の色 溶かしたミルク

読書記録、日々の呟き、サークル「蝸牛のささやき」活動記録。

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螺子と歯車

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なんだかタイトルが、埴谷雄高の評論シリーズみたい。

現職で、日々ダメっぷり晒しを重ねていますが。
そんなにダメっこなのに、念願のネジになりきれないところが笑えます。
むしろ広大な麦畑の中に放置された、鍬一本の風情。
でも、素氏は、せめて歯車くらいであいたいそうです。

最近、おうちで何をしているかといえば。
裏方さんです。
今日は、鬼編集になるかたわら、もう9箇月も放置していた某サイトをいじってました。
WEB担当は僕ですが、本当の管理人は素氏です。
裏辞典(といっても別に怪しくないので)、早く公開できるようにしたいんですが。
何しろ、元データが残ってなかったり、残ってても怖ろしい状態だったりで。
タグと格闘しなくちゃなりません。

写真は、春におさらばした前職場。
みんな、もうそろそろ逃げ出した頃かな、と思いを馳せています。
まさに社会性皆無の絹子ですが、それでも人間経験だわ〜とか、思う今日この頃です。
それにしても、最後にあの巨大図書館に潜り込もうとしたら、休館日だった!というのは、痛恨の極みでした。
二度と入館証をゲットするのは無理でしょうから。


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無人島のお供に―「彼方」(1)

もう何度も書いてきたように思うけど。

ウツ神が背中にのしかかろうと、辛い時間が重なろうと。
僕は自分が、「ツイテイル」と信じて疑わない。
無宗教だけど、限りなくプロテスタントに近しい場所で、守護神が手助けしてくれていることを、一度足りとも疑ったことがない。
だからこそ、いつもウツと同時に、贅沢貧乏を味わっている。

僕は垣根が高い。
一見低く見える部分もあるかも知れないけど、隙間なく張り巡らされた感知器に、一瞬でも触れられたら。
赦さない。
僕は、どういえば、真の意味で伝わるのか分からないけど。
もう悲しいほどに、他人が苦手なんだ。
昔は、「嫌い」という言葉を使ったけど、今は、たとえば、テレビの箱の中(今は箱も薄くなってるらしいけど)、ラジオの中から、見え聞こえするだけで充分。
でもネットは、単方向で済まないことが多いから。
それゆえに、ひたすら発信か収集だけで、留めておきたいのだけど。
発信時に、語りかける口調を使ってしまうのは、いわば極限定された個人、あるいは偶像に対する呼びかけに過ぎない。

ということで。
「閉鎖」とは「閉鎖」以外の他意を含んでいないのです。
精神だけ潔癖症の僕には、「継続」において心の片隅に持っていたある種のさもしさが、我慢なりませんでした。
こんなにも他人が苦手なのに、一方で反応を求める行為を続けることに、耐えられませんでした。
だから、もう「嘘」をつくのはやめようって、思ったんです。
以上、この件に関しては、二度と触れるつもりはないので。
この意味不明な呟きから、ニガヨモギの先端でも見つけていただけば幸いですと。

で、そんな僕は。
ちょっとした知人100人に囲まれて共同生活3日間過ごすよりも。
無人島に1年いる方がいいので。
世の中のありきたりな質問であるところの。
「無人島に持っていく、一冊は?」という質問に叶う本を、時折考えていたりします。

何度読んでも飽きたらず、ちょっとやそこらでは暗記できず、感情的に走りすぎもせず、興味つきない語録が溢れている。
とくれば、多分現在最初に思いつくのは、「黒死館」でしょうが。
「彼方」も仲間に入れてやりたいなあと、思うのです。
そして、両者には、無人島のお供にふさわしい共通点があり、同時にふさわしくない共通項も併せ持っていたりします。
語彙語彙語彙語彙語彙の海は。
澄んだ海水に漂う未知の生物で、確かに賑やかで楽しく、煙にまかれては、またきらびやかな色彩に惑わされるのですが。
いかんせん、図鑑を持ち込めないので、生き物の学名を知ることができません。
かように、「黒死館」も「彼方」も、万が一暗記できたとしても、本当のぶら下がる過剰なモビールの真意を知ることができないのです。
つまり、無人島にも竜宮にも、司書はいなくてもいいから、∞図書館を設置してもらわないと、調べものをして遊ぶことができず、ちょいと欲求不満が重なってしまうのです。

そうなると、こいつは矛盾なわけで、あえなく二冊は鞄から出さなければならなくなりました。
じゃあ、絹子の一冊といえば。
いまのところ、電話帳・笑。
もっと正確に言えば、タウンページよりハローページ。

遊びの想像はそれこそ無限大に膨らみます。
たとえば、7桁の番号であれば、全頁を000-0000から999-9999まで、並べ直してみる。
抜けが出ている確率を調べる。
フリガナは振られていないから、変わった名字や名前の読み方を想像する。
番号に+-*/を組み込んで、美しい数字を作る。
名字と名前を組み合わせて、お馬鹿な名前や、洒落のきいた名前を作る。
麗しい名前ができれば、それに見合ったお話を想像する。
最高のデータシートの塊じゃないですか。


彼方 (創元推理文庫)彼方 (創元推理文庫)
(2000)
J.‐K. ユイスマンス

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と話はどんどん横道にそれたけど。
「彼方」はストーリーはトンデモ系です。

ユイスマンス作品はみんなそうらしいけど、小説の体裁を辛うじて保ちながらも、評論といったほうが手っ取り早いです。
でも、「彼方」はまだ筋がある分、逆に筋を辿ると、アラアラと口が開いてしまうこと請け合い。
そう、小難しく捉えること人が多いのは百も承知の上で。
敢えて僕は笑い飛ばせるよ!
だから可愛いんじゃないか!
と撫でてしまえるのも、「黒死館」と共通するところであります。

今晩は、感想第一回だから。
詳細は次に送るとして。

ああ時代巡れど、同じことに嘆く人多し。
かような嘆きを吐かせてしまうところも、げに愛しいのお。
ってところを引用したいと思います。

主人公デュルタルと友人のデ・ゼルミーの掛け合いって、一人の人間が創作対談作ってるみたいな偽物臭い感じが出てるんだけど。
反駁仕合わずに、一本の流れに収束しがち。
とはいえ、一応の相づちは打つけど、お互い好き放題にしゃべくるから、おかしくってしょうがない。
法水と久我鎮子みたいに、自己陶酔しつつ(笑)炎上してもらいたいんだけどね。


「うん、いまド・レー男爵閣下の訴訟を克明に調べているのだが、読むにも書くにもあまり興味の起こらないところでね」
「だが、いったい、その本はいつごろできあがるのか、やっぱり分からないのかい」
「分からないね」と、デュルタルは伸びをしながら答えた。「しかし、いつまでもできあがらないほうがいいと思うよ。これを仕上げてしまったら、ぼくはどうなるんだ。ほかの題目を捜して、章の割りふりや何か、書き出しのくだらない段どりをやらなければならない。そうなると、きまってぼくはすることが手につかずに、何時間もいやな思いをしなければならないのだからね。まったく、考えてみると、文学にはただひとつの存在理由しかない。それは文学にたずさわるものを生活の嫌悪から救うことだ」
「それから、いまどき心から芸術を愛している連中の貧苦を、情ぶかくまぎらせてくれるのと」
「そういう人間はごく少ないね」
「しかもますます減って行くね。新時代の人間はもはや賭博的な遊戯と競馬以外には興味を感じなくなった」
「そうだ、そのとおりだ。今の人間は賭博ばかりしていて、決して本を読まん。本を買って、その成功と失敗を決定するのは、いわゆる社交界の女だ。生ぬるいねばねばした小説が世の中に横行しているので、ショーペンハウエルのいう貴婦人(ラ・ダーム)のおかげだ。ぼくにいわせれば小さな鵞鳥どものおかげさ」
デュルタルはちょっと言葉をとぎらせてから、またつづけて
「ああ、だがそんなことを問題にする必要はない。いま多少残っている真の芸術家はもはや大衆を考慮のなかに入れていない。彼らは客間や文学の常連の喧噪からはるかに逃れて、生活し仕事をしている。彼らがこころから感じる唯一の恨みは、本が印刷されて、大衆の汚らわしい好奇心にさらされるのを見ることだ」

(中略)

「いまの文壇と自称する社会を見て、いつもながらに第一に印象されるのは、偽善的な性質と低劣な趣味とだね。たとえばディレッタントなどという言葉は、数かぎりない醜態をおおいかくしているじゃないか」
「そうだね。なにしろ伸縮自在で、実に融通のきく言葉だからね。だが、それよりもっと浅ましいのは、ディレッタントという言葉を讃辞だと思って、得々として肩書きに使っている現代の批評家どもが、実は自分で自分の横面をはるにも等しいのに気がつかずにいることだ。なぜなら、煎じつめてみると、これくらい理屈にあわない言葉はないからね。ディレッタントは個人的な性格ではない。なぜなら、ディレッタントは嫌いなものがひとつもなくて、何もかも全部好きだというのだろう!だが、個人的な性格のないものに、才能のありえようはずがないじゃないか」
16章 p296-299




うーん、気持ちいい。
かくいうユイスマンスは、社会的には終生、実直な内務省官吏であったのでした。
いいなあ、こういう二面性と禁欲をはらんだ内燃機関。

生臭さは梅雨のせいばかりじゃなかろうて

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雨が近づいてくると、先に雨の匂いが鼻につく。
それはなんとも生臭いものだと感じるのは、絹子ばかりじゃないでしょう。

土曜日、梅雨の谷間をかいくぐり向かった「五反田愛書展」。
多分過去最高の支払い金額と、最高の重量を誇ったかもしれません。
ユイスマンス「彼方」は読了したけど、感想書くのはちょっと重いので、今日は、掘り出し物ならぬ、怪しい拾い物の紹介です。
僕がゲットしたのは、写真のような帯はなくて、もう少し状態が悪い。
でも、200円じゃなかったら、こんなお笑いSM小説買いますかいな!

1952年水谷書店発行、まさしく戦後のカストリ文化を匂わせる、仙花紙本の徒花中の徒花でありましょう。
ネットの海にも、某スパンキングサイトでさらりと取り上げられている以外には、感想が見当たらないので、恥と爆笑のために記録に残しておこうというわけです。

これ、邦題は「咽び泣く青春 テキサスの無軌道お転婆娘」と申しますが、原題は”Whips&Tears"と書かれています。
作者のブラックスミス君。
これがねえ、見つからないんだ。
いくら検索しても。
いやこんな生ぬるすぎる、えすえむなんて呼ぶのも恥ずかしい内容は、現地でも一向に顧みられないのかもしれませんが、どうも僕には、訳者の大谷進なる人物の創作なんじゃないのかと、穿ってしまうんです。

では、どんな内容かというと。
粗筋を書くよりも、冗長ではありますが、大笑いの章題を抜き出してみましょう。
きっともうこれだけで、読んだ気分が味わえるはず。

1.南国の荘園に隠された秘密―精力的な農園主ダン・ドーバー 女家庭教師と愛の戯れに悦楽の園をさまよう

2.鞭打ちの脅威に悩むメリイ―ダンの変態的なお仕置きの噂、交際社会に広まる

3.大変シックな女ばかりの学校―エロと怪奇な歓迎の儀式(お臀打ち)

4.メリイの悪夢―犬の戯れを見て

5.ファンニイとルイザのお臀を抱いて、その窪にキッスをするドリイ

6.少女メイ、二人の女から肉体の窪(泉)に愛の折檻を受ける

7.二人の美少女に対する変態なお仕置き

8.寝室でのお講義―性の神秘をメイは知ってるの?……更に女同士の悦楽に耽ること

9.乗合馬車の中で、ハンサム・ボーイのジョンを交えて、悦楽に耽るメイとヘレン

10.山陰より突如現われたる山賊に、娘達の宝石を弄ばれ、果ては陶酔の境に入るメイとヘレン

11.インディアンの襲撃―メイとヘレンの吊し上げ

12.ダン、メイ探索の旅に出る―女家庭教師の受難

13.後見人ダン・ドーバー、メイの若草の園を掻きわけ戯れる

14.メイとヘレンの逃亡―変な形の雲が出た


いやー、こんな親切な章題みたことがない・笑。
こんな身も蓋もない、情緒の欠片もない、タイトルみたことがないです。

簡単にいえば、生娘のメリイ(メイ・通称ベビィちゃん)が叔父さんと家庭教師にぴしぴしされて、でも一度厳しい寄宿学校にでも入れれば、もっと「いい女」になると追い出され。
行った先が、想像にかたくない百合の園だったと。
新入生の儀式はシーツを捲られて、みんなからお尻ぺしぺしされ、先生達もぺしぺしが大好きで。
夏休みに友達と家に戻る最中に、山賊に襲われ、次の瞬間、インディアンに襲われ。
どうなってんのか分からないまま、叔父さんの元に戻ってたと。
でも、お転婆ちゃんだから、家出しちゃったら、空には雲が浮かんでいた。

雲は落ち付いて何やらお臀のような形に丸くなりました。その間にもう一つの雲が千切れて長く伸びて「九つの尻尾の猫」の形に変わって行きましたが、見る見る中に結び付いてしまいました。それは、ヨオロッパ大陸へ逃げたところで、また二人の柔らかいお臀は鞭から免れないと、暗示している様に思われるのでした。


この短い引用の中にも、トンデモ魂は入念に仕組まれている。
そう、まずは文体に着目。
ですます調だけじゃ済みません。
はっきりいて、低俗な内容にまったく相容れない、童話風なんです。

たとえば、前半で叔父と家庭教師の絡みの部分。

そしてハンナはすっかり裸にされてしまいました。淫獣は、ごっくりと唾を呑んで、なおも攻めの手をゆるめませんでした。そして遂に目的を果たしてしまいました。が、不思議にも、あれほど狂おしく憧れてきたほどの大きな悦楽ではなかったのでした。彼はその意味を考えてみました。



ね、アンデルセンもぶったまげます。
これが官能小説なんて、誰が思えますかいな。

で、この話、訳者(と主張する大谷氏)の後書きによれば、ギリシャ神話や「ビリチスの歌」を引き合いに出して高尚さを強調する一方、これはまだ前半だから、読者の要望があったら、後半も訳すよと言っているのです。
そのくせ、山賊→インディアン→叔父さんの農場への行程は、ぶっとばしの抄訳ともいえないほどのつながりのなさ。
いいように解釈すれば、その部分はそそらないから飛ばした!といえるのかもしれないけど。
穿てば、大谷氏の創作がその辺で、面倒になってなんとか落ちをつけようと、雲がお尻や鞭に見えたなんていう、イソップも真っ青な因果応報に持ち込んだのではとも読めるのです。

創作かと感じたのは、ディテールに進むほど脆弱になっていくバックグラウンドといえばいいでしょうか。
舞台はテキサスとか一応はアメリカ気取りですが、実質的な描写は全くありません。
さらに細部にいくと鞭を形容して「九つの尻尾の猫」なんて、、、。
九尾の狐か!

すみません。。こういう種類の鞭があるらしいです。
cat-o'-nine-tailsっていう。

Cat-o27-nine-tails_28PSF29.jpg


さらに今、帯を見ながら気づいたけど、仏蘭西が発信元と主張してる?
そのくせ、原題はなぜに英語なんだ?
完訳ってどの面下げていう!


とまあ、ツッコミ満載の一冊ですが。
敢えて欲情と呼ぶならば、主人公メリイとハンナの百合百合シーンくらいでしょう。
えすえむにおける精神性は一切触れられていないので、盛り下がることならいくらでも保証できるのですがね。

最後に二人を乗せた馬車の御者を務めたジョン君への賞賛で、爆笑して終えたいと思います。
山賊に娘っこたちを奪われて、ちっとも役に立たない脇役ですが。

「まあ?メイったら、およしなさいってば、けがらわしいぢやありませんか。アラアラアラ」
注意をする間もなく、メイはジョンの前に膝まづき男性の象徴に手を触れつつ叫びました。
「まあ?……何と立派な生き物なんでしょう。ヘレンこれなのね、何時かあなたが、お医者のご本を私に見せながら説明して呉れた、男の飛道具なのね」


表裏一体の必然

地の底の笑い話 (1967年) (岩波新書)地の底の笑い話 (1967年) (岩波新書)
(1967)
上野 英信

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アンテナが増えると、引っかかるものが増えるというのは当然の道理で。
それが増えた直後のだと愉しいという思いの方が多いのだけれど、アンテナの重みである日突然ぐわっと頭を掻き毟りたくなる。。こともなくはない。

素氏によれば、この本は発売当初ひそかなブームを巻き起こしたらしい。
ベストセラーなど目もくれない毎日だけど、その割りに今まで古書店で見過ごしていた。
変なタイトル。
悪魔崇拝的(嗚呼まさに、「彼方」は悪魔のイビキも同然でありますが)なものを想像して、あれれと首をひねり。
モノクロで製版された山本作兵衛氏の絵に惹きつけられた。
そして、古書店で、ちゃんとその画集が私を手招きして待っていたんだから、アンテナ作用も笑えます。
この絵から最初に連想したのは、香港タイガーバーム公園を彩るヘタヘタだからこそ無残な地獄絵巻。

無残と同居する活力と不調和な明るさは、本文の吸引力にそっくりそのまま引き継がれている。

一気に読了して、こんな一時も目を離せないような面白い本久々だなーと。
面白いの一言でまとめちゃいけないけど。
それでもオモロイという叫びが、こういういまや忘れられそうになっている歴史の新たな呱呱になるんじゃないのかな。。。とも思う。

どうしても浅薄な感想になってしまうけど、眼を覆いたくなるほど酷い扱いを受けた炭鉱人たちの悲惨さの裏側には、おかしみや愉しみがあり、必ずもう一度そこへ戻りたいと願ってしまう求引力があった。
この二面性を何よりも強く上野さんが訴えかけてきている裏には、筆者自身、かつて悲惨の側しかルポルタージュできなかったという、悔恨と慙愧があるから。

『追われゆく鉱夫たち』に対して筑豊の炭鉱労働者から与えられた批判を、私は忘れることはできない。その一つは、筑豊香月のS炭坑の労働者からの批判である。私はこの呪うべき圧制ヤマの労務係が食物もなくて寝ている鉱夫の家を訪れ、袋に入れた米をみせて「入坑する者にはこの米を与える」とそそのかし、せめて一食でも我が子に米を食わせようという親心から、鉱夫たちはよろめく足をふみしめて入坑してゆくと書いた。これに対して批判者は、おまえはなぜ真実を書かなかったと迫ってきたのである。彼の主張するところによれば、そのような卑劣な手段で労働者を坑内に追いこんだ後、労務係はふたたび米袋をさげて家を訪れ、米と交換に彼の妻の肉体を奪うのだという。「なぜそれを書かなかったのか。それを書かなければ、ほんとうのことを書いたことにならないではないか」と彼は追求するのである。
p17



上野氏はこの批判を受けて、闇にはさらに深い闇がひそみ、さらなる深い地底、いつ崩れるかもしれぬ地の底にある明るさをも見いだそうと試みている。
「笑い話」というのは、決して表面的な語ではなく、疲れ果てた鉱夫たちをわずか一時慰める口伝えの噺だ。
怪奇あり、艶笑あり、悲嘆あり、噴飯あり。
種々の内容にかかわらず、慰めと活力を与えた根元に、「笑い」という語を当てている。

また、鉱山独特の「ケツワリ」「八木山越え」「スカブラ」といった語にも、何層にも重なる意味が含まれているんだと、もう眼が離せない。

「ケツワリ」というのは、朝鮮語の「ケッチョガリ」が転じたもの。
被圧迫民として地底に投げ込まれた朝鮮人の悲惨な運命が、鉱山から鉱山へと点々と逃げ惑う日本の鉱夫にも定着したらしい。
上野氏も、「尻を割る」という生々しい語感が、一旦は定着したはずの底を叩き割るという、肉体的な痛覚の凄まじさに通じて、彼らに愛用されたのだと読み解いている。

で、その逃亡だけど。
逃亡に失敗すれば、晒し者として死に瀕するほどの責苦を与えられるといった一面から、監督側があえて逃亡へと追いこむパターンもあったらしい。
つまりマージンの甘い汁を吸い取った監督(納屋頭)は、追いかけるふりをして、逃がしてしまうことも。
決死の山越えの最中、真っ暗闇で人の気配を感じて睨み合い、二つの集団があわや殺し合いになりかける瞬間、相手もまた自分たちが向かおうとしているヤマからの逃亡者と気づいて、大冷や汗をかくことも。
また、どんな鉱夫よりも蔑まれた部落出身の男をかばった礼に、逃亡中、部落にかくまってもらった家族。
そして、猛者の中の猛者たちは、決して逃亡不可能といわれた離れ島から逃亡し、わざわざ俺はケツワリだ、いま○○にいるから早く探しに来いと葉書まで書き、一つ成功を収めると、新たな難所を求めて別の離れ島の鉱山へと入っていく。

「スカブラ」というのは、著者もはっきりとした語源が分からなかったらしいのだが。
「スカッとしてブラブラ」とある老人に言われた、あっけらかんな説明に妙に納得してしまう。

スカブラは、みんなと一緒にヤマには入るけど、一向に仕事をしない人間のこと。
鉱夫のおしゃれは、真っ白の手ぬぐいを各人各様に工夫して締めることだったらしいのだけど(熱い坑内は裸同然)、みんなあっという間に真っ黒にする手ぬぐいをスカブラだけが、白いまま輝かせているという具合。
じゃあ、彼がみんなから嫌われ、厭われていたのかというと、決してそんなことはなかった。
スカちゃんと呼ばれて、大事に可愛がられていた。

スカブラは、日に何度も現場と詰め所を往復する。
ツルハシを一度も振らずに詰め所に向かって、だらだらと係員とお喋りをし、ヤマに戻ってはみんなに休憩時間だ、ほらもっと精を出さないと終わらんぞと声をかける。
そうすると、何故か仕事はめきめきと捗る。
一方で、このおかしなスカブラが時計の代わりをしてくれない日には、一向に作業が進まない。

彼は決して単にラジオの時報を務めたのではない。彼はみずから地獄の柱時計の振り子となってゆれ動くことによって、みずからを時そのものと化していたのではあるまいか。そして既存の物理的な時刻とはまったく異質の秒を刻みつづけたのではないか。彼が休んだ日は、それこそ時間の流れが凍結してしまったように感じられるのも、けだし当然というほかはない。堪えがたい時をみずからの運動としての時と化してゆく者、それこそが寝太郎であり、スカブラであろう。スカブラとは、もっとも絶望的な秒読みの音に肉体を刻まれつつ生きてゆく楽天主義の名でなければならぬ。
p105



ああ、なんていいんだろう、この文章。
そして、落盤事故が起こった日、今まで一切仕事をしなかったスカブラは、三日三晩一時も休むことなく、仲間を助けるために働き続けた。
係官も、納屋頭も、どんな偉い奴も、みんなスカブラに怒鳴り散らされて、救助に向かわされた。
そんな出来すぎにも思える噺にも、純粋に頷いてしまう。

もっと巧く紹介できればいいんですけど。
ほんとにオモロイので、是非一読あれ。


筑豊炭坑絵物語筑豊炭坑絵物語
(1998/07)
山本 作兵衛森本 弘行

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かれーどすこーぷわーるど

大人の科学マガジン Vol.13 ( 投影式万華鏡 ) (Gakken Mook)大人の科学マガジン Vol.13 ( 投影式万華鏡 ) (Gakken Mook)
(2006/09)
不明

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延ばし延ばしになっていたタスポの申込書をようやく作りました。
久々にスピード写真撮ったら(パスポートサイズじゃないとだめなんだ)
まったくの別人で、これでいいんかい!というくらいで。
こんな大きく撮らせるくせに、セロテープで貼れってどういうことなんでしょうか。

と、やらないといけないこと、やりたいことが一杯なのに。
気持ちはダラダラで、一向に前に進みません。
そのくせ、気分の大半は退屈虫に取り憑かれている。

ということで、ずっと放置していた、工作をやってみました。
このキット、かなりよく出来てます。
万華鏡の一番コアな部分、三角形に鏡を組み合わせるのが、やはり一番難しかった。
というか、表面の保護シールを誤って一度で剥がしてしまい。
指紋付かないように組み立てるのが、大変だったと。

光源の前に水平に差し込むのが、液式の試験管なんですが。
液式のどろどろ粘稠度をあげるために、液体のりか、ガムシロを使えと。
つまり、キットには含まれていないのですよ!
液体のりは、下手すると、固まる可能性も考えられ、試験管が一回でダメになることも予想されたので、ガムシロ使いました。
ゴム栓を閉める前に、リード線を入れておいて、引き抜き、恐らくエア抜きを簡単にさせているんでしょうが。

ガムシロって、つまり砂糖だもんねえ。
ある日気づいたら、中に入れたはずもない、緑や黒のふわふわが踊るんじゃないかと。
ちとびびってます。
なので、職場で実験用のグリセリンくすねてこようかな。
おそらく50−70%くらいに希釈すべきでしょう。
じゃ、水道水より、蒸留水の方が、よりカビ防止になるかな。

ただ、グリセリンはグリセリンで、火気厳禁だし。
本書でオススメされている、中身の一部、石油系のものには、合わせられませんね。
しかし、、、ハーブやドライフラワー詰めるのはよしとして、イクラやイナゴって、、、怖すぎる。
自家製琥珀の世界。

投影は、15センチと75センチが選べます。
ピント合わせが難しいけど。
あと勿論、眼に直接あてて、眺めることもできる優れもの。
初期の蝋燭ポンポン船時代などに較べると、かなり応用が出来るキットで嬉しい。
試験管の太さが合えば、以前購入した、孔雀洞さんの液式も使えるんだけどなあ。

猫屋敷

幾百星霜 1 (Fx COMICS) (F COMICS)幾百星霜 1 (Fx COMICS) (F COMICS)
(2008/05/22)
雁 須磨子

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最近、めっぽー疲れているので、家では漫画、通勤ではお堅い物と区分してます。
カリスマコさんとの出会いは、BLにどっぷりはまっていた時代に
「いちごが好きでも〜」「ひな菊」で
絵柄はいまいちなんだけど、空気がおいしい(謎)作家さんだなーと思って。
そのあと、「どいつもこいつも」で驚嘆し。
同人誌も、ルパン3世、京極といったマイナー路線まで見つけだし。
そして自ら身を投じたカカイルで活動されていると知ったときには
めちゃくちゃ嬉しかった。

「幾百星霜」は大正ロマン?風ですが。
むしろそう見せかけたSFなんじゃないかと思ってる。
断髪のモガがカフェで男装の麗人になって働いてるとか。
それって、執事カフェじゃないの?って大笑い。
絵柄も一時期の試行錯誤から抜け出て、可愛い感じに落ち着いてきました。
いいなあ、こういう何気ない機微と、すっとこどっこいな展開。

新職場で執事カフェに何百万とつぎ込む人の話を聞いて、寒心寒心でしたが。
むしろ男装の麗人がいるカフェなら行ってみたいわ。

私の好きな漫画にはほとんど反応してくれない素氏ですが。
というのも、絵柄が合わないんだって。
きついんだって。
でもさあ、コマワリ君を可愛いとは。。。僕どうしても言えないよ。
むしろ子供の頃、あの絵の毒っけに当てられて、ホラーのように感じてたもの。

で、その素氏がやっと納得してくれた入江亜季さん。
もう大型新星以外の何ものでもない、
個人的には、一般の人と久々に共有感覚が持てそうなのは、漆原さん以来じゃないかと。
それでも気に入ってくれたのは、すごく嬉しくて。
入江さんがカリスマコさんを好きだってインタビューに書いてたのも
嬉しいなあと。


グーグーだって猫である(4)グーグーだって猫である(4)
(2008/05/30)
大島 弓子

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大島さんは、サバ付近が大好きです。
かつて「耽美歌発掘事件簿」という掲示板をやっていたとき、
(今もネットの海に浮遊してますが)
まだ仲良しでなかった素氏が、「綿の国星」の一節を書き込んでくれたのも懐かしい。
「四月怪談」の映画化で、中嶋朋子さんがあんまりにも可愛いので
胸がいっぱいになったのも懐かしい。
「つるばらつるばら」「いちご物語」「毎日が夏休み」。。。
あげれば切りがないけれど、
破綻した家族関係が激しく分散して集まる瞬間とか
いま剥き出しになってなんの衝撃もなくなってしまった同性愛を切り刻んでしまう手腕とか。
みんなみんなどれだけ泣いたかしれません。

で、4巻ですが。
一軒家に引越されて、、、、まさにそこは猫屋敷では?とか。
やや引きながら読んでしまいました。

基本的には人間もダメなんだから、動物なんて!と思ってる僕にとって。
その愛情のベクトルって、こちらもSF的でありました。

で、お堅い方ですが。
現在、ユイスマンス「彼方」と格闘してます。
虫語録にぶつかりそうだけど、ぶつからないそうです。
それにしても、どいつもこいつも、お喋りが過ぎる!
何頁喋り続けたら気が済むんだ!

後半分、ジル・ド・レから何度も脇道にすれつつ、いい加減にしろのオンパレードですが。
楽しみたいと思います。

生きる糧

幻の馬車 (角川文庫)幻の馬車 (角川文庫)
(1961/01)
ラーゲルレーフ石丸 静雄

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子供の頃お父さんが、沢山のドーナツ盤を買ってきてくれて、ペギー葉山や梓みちよは理解できなかったけど、哀れに恐ろしい童謡の数々は今も頭に残っている。
久世光彦さんが好んで引いた西條八十の歌などと同じに、教科書にも載っていない明治大正生まれの童謡たちは、どうしてあんなに寂しげで、どこか陰惨な匂いを含んでいるのだろう。
「幻の馬車」を読み始めてすぐに、耳の奥から聞こえ出した音律もリズミカルなのに短調で。
タイトルと正しい歌詞を思い出したいのだけど、どうもネットの海に見当たらなくて、困ってます。
川田正子さんが歌っていた「夢のおそり」じゃないかなと思うんだけど、
間奏が「高校三年生」に似てるんだよねえ。
うろ覚えの歌詞はこんな感じ。

遠い町から吹雪をぬって、夢のおそりが駆けてくる
ほうらりんりん聞こえてくるよ、夢のおそりの鈴の音が。

「幻の馬車」というタイトルは、映画化された時の邦題を踏襲しているのだそうだけど、内容的には原題の直訳「死神の馭者」の方が合っている。
素氏いわく、いまだ「幻想文学」といったジャンルがジャンルとして確立していなかった昔、なんとか幻想怪奇を求めて出会った作品だとのこと。
宗教的寓話と呼んでしまうよりも、幻想怪奇側から読んだほうがやっぱり面白いです。

一番面白いのは、ダヴィットが、浮浪者を集めて、大晦日の夜に怖い話をする辺りから。

知ってるか?
大晦日の夜、一番最後に死んだやつは、死神の馭者にならないといけないんだ。
そいつはくたくたに疲れきった右目を盲いた馬に引かせた、今にも壊れちまいそうなほどのおんぼろ車を操ってる。
手綱は何度も切れるから結び瘤が無数についていて、車輪からは恐ろしいぎいぎいぎいぎいときしむ音が出てるんだ。
御者はくたびれ果てた男で、大鎌をもって座っている。
本物の死神じゃない、死神が楽しめないようなつまらない死人を回収する役目を負わされた哀れな男さ。
そいつはいったん馭者になったら、一年間嫌でもその務めを果たさないとならないんだとさ。

などと雰囲気たっぷりに聞かせているうちに、聞き手は退場し一人残された途端、ダヴィットはばたっと倒れて大喀血。
さあ、まさしく。

ほうらぎいぎい聞こえてくるよ、死神のお馬車の軋む音が〜♪

おいマジかよ、これって幻聴だよな。
おい誰かここに来てくれよ、起こしてくれよ。
と慌てても体はぴくりとも動かず、ますますぎいぎいの音色は近づくばかり。
そしてついに死神の馭者とご対面。
あんまり人伝えに聞いた姿とそっくりそのままだから、恐怖も絶頂に達する。

実はこの男、ダヴィットと旧知の仲で、お前をこの責苦に引きずり込むのだけは、避けたかったんだがと落ち込んでくれる。
と同時に、一年交代と思われている苦役だがな、その一年が半端じゃなく長いもので、今日を迎えるまで何百年と彷徨っていた気がすると言われ、ますます死にたくないとダヴィットは嘆願する。

さてダヴィット・ホルムというこの男。
ならず者で多くの人間を悪の道に引き込んできた経歴の持ち主。
十字軍の女兵士エーディットは、博愛の象徴であって、彼女に出会った者はいずれも改心し神への誓いに進んでいったのに、このダヴィットだけは改心させることができなかった。
いままさに彼女は肺病で死に瀕していて、彼に遭わせて欲しいと懇願していた。
最後まで神の使いとしての役割を果たそう・・いやいや。
実は彼女はダヴィットのことを愛していたんだ。
さらには彼に妻子があったことを知り、自分の不倫に衝撃を受ける一方で、ダヴィッドから逃げ回っていた妻子に復縁すべきだと進言して、挙句妻子はまたまたの主人からのひどい仕打ちを受けさせてしまった罪にも苛まれているといった状態。

もう大晦日も終わらんとしているのに、馭者は悠長にも、引継ぎ(笑)もしないまま、ダヴィッドを連れて、エーディットへ、はたまた監獄で死に掛かっている弟の元へ、そしてどうしても夫を待てず自死を図ろうとする妻子の元へ連れてゆく。
幻想怪奇的には、死に掛けの人間にだけ薄ぼんやりと浮かび上がる二人の姿が、なんとも素敵に怪しいんだけど。

この話で一見、善の化身って、エーディットに見えるけど、本当はそうじゃない。
一番の救いは、死神の馭者なんだ。
ほんといい奴だよ、こいつ。
交代の時間過ぎても、サービス残業で死に掛けの人のところへ出張して。
ましてや他にも死に掛けはいるはずなのに、ダヴィットにまつわる人の所にばっかり馬を回してやって。
ついには、本当の意味の改心をさせる。
生きる意味を与えてやる。

馭者はこれからまた一年、己が同じ道程を辿ることが分っていても、可愛い呪文でダヴィットを解放してやる。
この呪文は妙にあっけらかんと放たれるけど、腐女子的には愛の呪文にも聞こえるね。
「囚われ者よ、なんじの牢獄より出でよ!」
と肉体からの解放と、地獄への導きを行った馭者は数時間後には
「囚われ者よ、ふたたびなんじの牢獄へ戻れ!」
と、あの懐かしい☆のステッキでも一振りしてもらった気になる。

たしかにここは牢獄ではあるけれど。
僕たち、つまんない、やる気がでないと倦怠感に包まれる者へのとっておきの呪文が、ラーゲルレーフから与えられる。
きっと清らかに澄んだ活力となる。
これを見えざる第三者に依存した言葉ととってしまったら、どうにもならない。
僕たちは神様が自然に与えてくれた果実ではなくて、むしろ早摘みされて冷蔵保存された酸っぱい葡萄に近しいものなんだから。

「神よ、わが魂をして、刈りとらるる前に熟さしめたまえ!」

宗教を越えて、善悪を超えて。
地獄も天国も死後の世界なんて意味がないよって言ってるみたいなところが、何より驚きと面白さがあったのでした。
さすがは、「ニルスのふしぎな旅」の作者です。

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