2008-02

Kのトランク、Kの昇天、Kの溺愛

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原稿期間じゃなかったっけ、絹子さん。
いいの、いいの。
ちゃんと「地獄八景亡者戯」、頭で踊らせてるからね。
きっと二週間後には、小人さんが側で、森の木陰でどんじゃらほいと仕上げてくれる。
はず。

さて、巷間で「ねこて」と親しまれているらしい、「猫の手帖」。
これは、その創刊号であります。
現在は猫の手帖社から発行されていますが、昭和53年創刊当時は、たざわ書房発行、現代企画室発売となっています。
社は変わっても、現在の「ねこて」の創刊号に偽りはないようであります。
ちなみに表4(この書き方が自分ながらに、イヤ)には、創刊号の前に、「原本」というマイナス号的な一巻があったことを教えてくれます。

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内容はといえば、恐らく、いやきっと、ベクトルは現行誌とは全く違う。
「特集:猫の絵本」とか、執筆陣に落合恵子、竹中労、立花隆といった面々が名を連ねる辺り。
当初は、猫にまつわる一歩孤高を極める視点を狙いたかったんじゃないのかなと、思わせる節あり。

しかし、なにしろ、この一号だけをもってして何も語る資格はないわけで。
確かに私は猫は犬の数千倍好きだけど、でも蛇の十倍くらいという程度で。
何より、他人と生活できない体質の人は、一切の生物と生活を共にできないので、遠目に見るに留めている。
通りすがり、出会い頭、室外機の上、ぽつねんとしていると、おおおっと一瞬視線を送る。
これで、私的な挨拶は終了。
実際、視線は絡まず、その無視される具合にもひどく安堵して、立ち去る。
そんなこんなで、猫について語る資格なし。

ではなぜ、遊古会の一階の埃の海から救い出したかというと。
「絶対的溺愛者」というエッセイが掲載されていたから。
ほんものの、詩人。
あえて、名は伏してみる。
一度だけ、同じ空間にいることを許された。
酒類を嗜まないその方は、カウンターの隅で、灰橙色の灯さえ眩しそうに坐っていられた。
そのくせ、頬の隙間、うなじの翳りからは、紅顔の美青年がけだるげに木蓮の花びらをむしるように、顔を覗かせる。


もう猫を飼ってあげない、とおとなたちに宣告されてKはいまにきっとぼくが猫を飼うと誓ったが、幼い誓いのほとんどが実現しなかったうちでも、猫を飼うことはついになかった。Kがようやく決意をかためて自分の家に猫を迎えいれるとその第一夜から、Kは自分が飼い主ではないことをいや応もなく自覚させられたのである。愛執の奴隷、愚かしい父親となったのである。
父親と、もっともらしく口に出してはみるものの、Kには父親という生物がどんな代物なのか皆目、見当がつかない。「おとうさんが生きていればそんなだらしないことは許されません」だの、「おやじだったら口で叱るだけじゃすまないんだぞっ」だのとさんざんにおどされ、「さあお父様の前でおわびをいいなさい」と、懐剣をつきつけられて位牌に頭を下げさせられたおそろしい記憶ばかり鮮やかで、以来刃物はだいきらい、美術館のガラスケースに収まった日本刀を見ただけで目の前がまっくらになる。おとなはみんな粗暴でおとなになんかなりたくないけど、おとなにならないとおとなの悪を糾弾できない。ディレンマとか不条理とか、Kはそんなことばを用いて考えていたわけではないけど、おとなのなかで最悪のものらしい父親という怪物に、ものごころついてから会った覚えがないのは、なによりも救いであった。

  *

はてさて、Kはその愛する黒猫ペロオについて語ろうとすると、自閉症だったおのれ自身の可愛いげのない幼年時代を語りそうになるのである。もちろん、母親でもないひとが風呂に入っているすきに、その脱ぎすてた衣類をわきにうずくまっているのを、おとなたちに見咎められたら、どんなに折檻を受けるかKは充分心得てい、悪夢のような長い長い幼年の歳月とどうにか生きぬいていたのだが、ペロオには、腕白でもいい、丈夫に育ってくれと祈りつづけていたのに、どういうわけか自閉症気味なのである。いやあ過保護だよ、と心ない友人はいいすてるけど、Kだってペロオの躾にはきびしかった。養子に貰いうけて、まだ掌にのるくらいの頃――ああ、またここで涙がにじむ――Kと戯れているうちにあまりに興奮してベッドの上におもらししたり、Kが帰って来るのを見てかくれんぼするつもりで積み上げた本の間に入りこんだらついおシッコが出たりして、この二回だけはKがペロオの鼻先を汚れたところにおしつけて叱りつけたのだが、幼いペロオが耳を伏せ、歯をむきだして抗議した有様がKの胸にこたえた。

  *

Kが小さな家に借金ともども暮らすようになったのは、人生の謎で、そこにもうひとりが住みついたのは、神様のおぼしめしというもので、そうしてやっと同居人のゆるしの許に猫の居る生活が実現したのである。ちゅうびょうペロオと、もうひとりの住人がいいだした時には、エッと思ったが、日に何回かの戸外巡回がすむと、Kと同じくらいペロオを愛しているもうひとりの住人にはニャッと短く声をかけるだけでKの居る部屋に行ってしまうし、寝る時には必ずKの方に頭を向けてい、その様子は忠猫ということになるのだろうか。
Kの家のもうひとりの住人はペロオとよぶのにペエーエロと、極めてメロディアスにしてリズミカルに立派なフレーズを構成するのだが、Kはその同じ長さの時間を、非音楽的にペロペロペロペロとかぼくのペロ猫ちゃんとかことば数をふやしてうめている。ペロとはスペイン語で犬のことだから、ペロ猫とは奇妙だが、Kとしてはシャルル・ペロオのあの『長靴をはいた猫』にあやかったつもりである。

  *

次々に生まれるこどもを全部育てる余力のないKは、思いあぐねて、ペロオの同意もなく、卵巣子宮全摘出手術による不妊処置をとったのである。絶対者の呵責ない腕を一度だけ振ったとはいえ、この一度はペロオの生に加えられた最大の暴虐だったろう。
こうしてペロオは生殖のくびきをはずされ、Kと同じく生殖の連鎖環の外に立ったのだが、Kが父親にならないのはKの哲学的意志によるのだが、ペロオが母親にならないのは自分の選択ではない。Kはペロオに対して生涯罪の意識を抱きつづけるであろうが、同時にKは絶対者のやましさということも考えるようになった。



長い長い引用は、ある種に衝撃の証。
いったいあの詩群の中で、自分は何を見ていたのだろう。
迸った内面は、確かに刃を光らせていた。
ぎらぎらと、殃や鋏を。

でも安堵したのだ。
いや衝撃も安堵という言葉も、ふさわしくないかもしれない。
いわば内は外であり、外は内である。
内側が鏡張りの球体の中心に閉じこもると、眼前に己が映り込み、目尻の端に、幽体と化したもう一人の己がふわふわする。
(この実験結果は、ほんものの現代科学者を驚天動地させたのだ)
その幽体は、親しい近しい分身であり、「幽霊さん」なのだと思っていい。
そんな感じかな。


上記エッセイは、確認はしていないけど。
「猫のための音楽」(第三文明社)に収録されている予感大。
探さなくちゃね。
そして靴下猫とすれ違う一瞬を願って、眠りに就こう。

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