手に染みこんだのは醤油と紹興酒
日曜の講演会の内容をちょこっと。
グレムリンはあのギズモたちのことなんですが。
元々は世界大戦の頃、イギリスの妖精が戦闘機に侵入して世界をめちゃくちゃにしてしまうものを片っ端から壊してしまおうとした伝説に由来しているというのです。
それは平井呈一が精力的に訳したアーサー・マッケンの「恐怖」にもつながり。
飛行機乗りたちの間の悪しき伝説にもなり、ついにはディズニーが子供向けの絵本として出版するきっかけにもなったと。
本の作者はあのロアルド・ダール。
実際に飛行機乗りだった彼は、不時着して負傷し、その後諜報官となったらしい。
その周辺の画像はこちらのサイトでご覧になれます。
アリャマタ先生のすごいところは、自称・ゴミばかり集めてるという、どこかで聞いたような蒐集癖ですが。
同じこの「グレムリン」絵本を何冊も集めて、ついには確かにこれがロアルド・ダールが書いたものだと突き止めたこと。
中扉にサインがあって、挿絵に自分の考える妖精には、ツノがあるんだからちゃんと描いてくれなきゃ困ると、指示出ししている珍本だったというのです。
素氏もよく言いますが、周辺とも思えない、自分の好きなものを喩え他人にとってはゴミであろうと積み上げているうちに、とんでもない円環をみつけてしまうといった所業。
アリャマタ先生は、そのスケールはなんともなんとも大きいのですけど、頷きながら沢山楽しませて貰いました。
そうそう、都市が生み出す狂気、最大の怪奇は内なる私にあるという話に及んで。
「蟹工船」「セメント樽の中の手紙」を初めとするプロレタリア文学が「帝都物語」根幹の一本になっているというお話も面白かったんですが、なんといっても、グランギニョールのプログラム絵が出たときは笑った。
だって、10/18に取り上げたばかりの「責苦の庭」が出てきたんだもん。
そうだね、やはりあの陰惨な地獄絵図はグランギニョールにこそふさわしいかも。
でも、東京グランギニョールから嶋田久作へと繋がるならば、「帝都物語」の挿絵師・丸尾くんにもつながってほしかったなあ、とかなんとか。
アリャマタ本で最初に買ったのは、多分「花空庭園」だったと思います。
二十歳くらいの頃、今はネットで本を買うのは当たり前だけど、神戸三宮のジュンク堂で、取り寄せ通販みたいなことをしてくれてて。
目録見ながら届くのをドキドキ待っていた一冊です。
でも私的に一番好きな本は、何年経っても「本朝幻想文学縁起」だなあ。
副題の【震えて眠る子らのために】というフレーズが大好きで。
「幻想文学」というジャンルもあやふやだった自分には、実はこれが開眼の一冊だったようにも思えます。
![]() | 本朝幻想文學縁起―震えて眠る子らのために 荒俣 宏 (1985/12) 工作舎 この商品の詳細を見る |
埴谷雄高展の方は。
憧れのトカイワインのボトルが飾ってありました。
一度飲んでみたいんですが、いまだ真剣に探したことがないので。
Absolute Citronみたく、一度カウンターでうまーーーいと叫べば、必死になって探し出す。
いまや我が家には空き瓶に違うお酒が入って並ぶようにまでなったんですから。
いつかきっとその甘味を舌の上で転がせるはず。
印象深かったこと。
そのいち。
ハニーが子供を作ることを拒んだ遠因として、父親の婚外子(私生児って言葉はだめになったのかと素氏と最近語ったばっかりだけど)が生後まもなく死んでしまったことと、パネルに書かれていたこと。
そのに。
「闇の中の黒い馬」の挿絵を描いた駒井哲郎さんが、具象的でかつ幻想的なものをと依頼されて。
神様に目と鼻を描いたら、「僕の神はのっぺらぼうなんです」と言われ。
半年以上苦悶し続けた駒井さんは、最終的には目も鼻もない形を生み出したと。
言われてすぐに直せる訳もなく、その格闘の変遷が見てとれました。
駒井さんを始めとするモノクロ銅版画の世界は、世の中に胸揺さぶる絵なんて一向に見つけられなかった私に、あああっと電流を走らせてくれた人たちです。
そのさん。
島尾敏雄は自分から弟子と名乗ったから、弟子にした。
高橋和巳は死んでから、自分で弟子だと思ったから、弟子にした。
やっぱり素敵だ。
どんなに大きな壁であっても、いつか高橋和巳は眼鏡文人で取り上げたいです。
でもって、「群像」だよ急遽探さないと行けないのは。
「死霊」構想ノートですもん、超大事なのです!
![]() | 群像 2007年 11月号 [雑誌] (2007/10/06) 講談社 この商品の詳細を見る |
ハニーとグレムリンと蟹
帯に惑わされるな!

一ヶ月位前、亀戸のサンストリート来ていた古本市に偶然居合わせた。
こういうショッピングモール系は市カレンダーにも早々でないので、偶然にしか頼れなくて(涙)。
来ていたのは、市川の草古堂さんで、お店の方も何度か行ったことがあるけど、入りやすいくせに侮れない系なんですよね。
以前は、近くのアピタにも登場していて、味を占めた我々は、市が出ないかと心待ちにしていたのですが、いつのまにテリトリーを変えたんだ!
今回の本は、そこで帯がキラリンと光っていたので、200円で買ったもの。
こんな作家で盛り上がるなんて、時代を逆行していると笑ってやってくれ。
★「鐘」アイリス・マードック 丸谷才一訳
(現代の世界文学 集英社 1969)
じゃあ、まずその帯の面妖な惹句から。
【姦通、男色、ゆがめられた性の世界――
囚われた状況のおける男女の姿を描いて人間存在の本質に鋭く切りこむ!】
そして、実は既に家に転がっていた(ダブったのよ、相変わらず)もう一冊、世界文学全集版の帯。
【ドーラは夫から逃れたくて新聞記者ノエルと関係する。
そして男色者マイクルに片恋した。
そういう彼女にマイクルに犯された少年トビーが近づいた…。
社会の規範から外れた愛の形を通して現代人の魂を探るマードックの傑作。
それぞれの人物の孤独な姿は哀切な鐘の響きにも似ている】
訳者はどちらも丸谷才一さんで、中身も同じはず。
なのに、なぜこうも違うことが書いてある。
そして、全集版は惹句以前に大嘘!ちゃんと読んでから書け!
ドーラはマイクルに恋してません。マイクルはトビーを犯してません。トビーとドーラが接近したのは恋愛とは無縁です。
もう、ひどいよこの帯。
そういえば、先日の「十蘭を語る」で浜田さんが、三一版十蘭全集編纂に加わった中井英夫さんの編集ノートから、帯案を読み上げていらっしゃったんですけど。
熱い拳を観た気がするなあ。
帯って、未知の作家に触れるときには大事じゃないですか。
既知の作家の時は、往々にして苦笑になることもありますけど。
今回は、騙されたとまでは言わないですが、確かに帯の内容も若干入っているんですが、本筋は違うんでない?と読み進めるごとに戸惑いが、怒りに変わり、最後はでも面白かったからいいやになりました。
粗筋を書くのは結構難しい。
宗教を中心に集まったコミュニティの中で、反宗教的な感慨にふける人々。。。っていうのも違うな。
遺産として受け継いだ土地(敬虔な宗教活動を行う修道院を含む)で一種の社会的シェルターを築いた青年マイクルが、同性愛者で。
そこには、彼が昔思いを通じたのに、手ひどく裏切られて教職から追放させた昔の教え子ニックもやってきていて。
ニックの妹キャサリンは、マイケルのことを想っていて、一方で尼僧になる決意を固めていて。
大学入学を目前に控えた少年トビーは、マイケルに手を出されてしまい(チュウだけだよ!)。
奔放で不倫を重ねたドーラは、厳格な夫に別居先から呼びつけられてコミュニティの仲間に組み込まれてしまい。
一体誰が主人公なのかといえば、表はドーラで、裏はマイクルという奇妙な構図。
この話で読者が首を傾げ、唖然としてしまうのは、各人が些細な事柄に対しても「こうしたら、ああなる、だからこうしなくちゃだめだ」と延々葛藤と逡巡を積み重ね、引っ張っていきながら。
次の瞬間、ええー?一体この数頁悩んでいたのはなんだったのさと叫びたくなるような、思考と正反対の行動を取るということ。
人間はこうしたものです。
哲学的な思索、深遠な発言を重ねたところで、体は勝手に動いちゃうものだとでもいいたいのかと思うほど、「裏切る」わけです。
次の行動を予測できない不安感は、例えば奔放の名で集約できればいいけれど、「鐘」いたっては決してそうではない。
読者を裏切ること、ままならなさを突きつけることで、余計にストーリーの絶望感を浮き彫りにしている。
一方で、非常に無邪気で、子供時代の冒険心を掻き立てるような、民話的な挿話が底流にあるのです。
この場合は、当然ながら鐘がキーワード。
伝説としての鐘。
14世紀頃、尼僧の一人が外に恋人をもった。恋人は修道院の壁を上って彼女に会いに来たけれど、落下して死んでしまった。
院長は尼僧たちに申し出るように詰め寄ったけれど、誰も申し出ないので、司教が僧院に呪いをかけた。
すると大きな鐘が塔から舞い上がり湖に落ちたので、問題の尼僧は湖で投身自殺してしまった。
その後、幾世紀も発見されなかった鐘。
トビーが水泳中に水底に発見してしまった鐘を、ドーラがなんとしても二人で引き揚げて、みんなを驚かそうとする。
そして深夜、引き揚げた鐘を磨くドーラは誤って鐘を鳴らしてしまう。
またもう一つの鐘。
長らく鐘がなかった修道院に新品の鐘が運び込まれる日、鐘は何者かの手によって荷車から転げ落とされて、川の中に沈んでいく。
それを見ていたキャサリンは発狂し、妹の姿を見たニックは猟銃で自殺する。
コミュニティも鐘の沈下によって、解散へと追い込まれる。
三つの鐘が幾重にも絡まりあい、すれ違い、人々の心や道行きは余りにも絶望の淵に追いやられるのに、情景だけはひどく美しくて、やるせない。
そう表層は、帯で抜き書きにされた人間の行動は現世的なのに、水底はひたすらに澄んでいる。
懊悩も刹那的な欲望も、鐘ととも沈んでしまえば、総て赦されるとでもいうように。
これがマードック流の濾過装置なのかな。
では、鐘を発見する直前のトビーの水との戯れを。
そしてもう一つ、マイクル先生とニック少年の交歓を。
どちらもとても澄み渡っていると思います。
彼は水際に立って体のつり合いをとりながら、下を見おろした。湖の真ん中のほうはぎらぎら光っていて、色がないくらい明るいけれども、水際では緑の土手と青空が反射しているのが見える。明るい色だが、みょうな具合に変えられて、仄暗くて曖昧な世界の彩りになっている。静かな水のなかで泳ぐ魅惑。鏡を通り抜ける感じ。水面という鏡を乱して、こちら側の世界のいちばん下から延び広がってゆくあちら側の世界へと、はいってゆく感じ。トビーは一、二歩踏みだして、身を投げた。
彼はしばらくのあいだそっと泳ぎまわり、水面の波紋が失せて、またぴんと張った絹の布のように水面が顎に触れるのを待ちながら、体が冷たい水のなかで相変わらずほてりつづける、素晴らしい感触を楽しんでいた。まるで銀の薄い膜が自分を覆い、四肢を愛撫してくれるよう。彼は戻って行って、頭と肩だけ水から出し、石の勾配の上に取り残された魚のように横たわった。するとたちまち、灼けつくような日ざしのせいで肌が乾いてゆく。
117P
彼が去ってから、マイクルはずいぶん長いあいだ、闇の中でじっと椅子に腰かけたままでいた。彼はそのとき自分が敗北したことを知っていた。ニックの手の感触は彼に、じつに強烈な、あえて言えばじつに純粋な喜びを与えたのである。この言葉をここで使うのは、いささか異様に響くかもしれないけれど。それはずいぶん長い歳月ののちに思い出しても、体がわななき、もう一度あの圧倒的な喜びを感じるような体験であった。彼はいま、自分の部屋で椅子に腰かけ、目をつむっている。体はぐったりしている。彼は、自分の本性には、こんな甘美な喜びの誘惑に逆らう力はないことを悟っていた。あれからさき、自分はどうしたろうかと、あるいはそのことがどんなによくないことかと、考えるゆとりはなかった。霧のような感情が、彼を固めようとしている決意を覆っていたし、その霧を払おうとしない。いや、決意とはむしろ、ものも言わず身を引きもせずに、ニックが手を自分の膝の上におくがままにほうっておくことだったような気がする。彼は、自分が敗れたことを知っていたし、そのことに気づいたとき、久しい以前から敗れていたのだということを悟った。彼は、習慣的に誘惑に屈服する人々ならよく知っている一種の弁証法を使って、まだ早過ぎるので戦うことができないときから、もう遅すぎて戦うことができないときまでを、一瞬のうちに通り抜けたのである。
翌日ニックがやって来た。それまでのあいだ二人は、ずっと想像力を働かせるのに忙しかった。彼らの気持ちはさらに進んでいる。マイクルは椅子から立ちあがらない。ニックは彼の前にひざまづいた。二人は互いにじっと見つめあう。ほほえみは浮かべない。それからニックは彼に両手を差出した。マイクルは一瞬、その手を強く、ほとんど荒ら荒らしく握り、そうしながら少年を引き寄せる。震えないようにする努力で、彼の体はこわばった。ニックは色蒼ざめて、厳粛な表情である。
82P
いいところで引用止めるな!ですが(笑)絹子さんは意地悪なので、この辺で。
期待を抱いた方は、是非本文に当たってくださいな。
さて、今更ですが、アイリス・マードックって。
てっきり男だと思ってました。
アイリスって名前見ても、口絵の写真見ても、文章読んでも、男だなーって。
でも、宇野千代さんの講評で「女流とは思えぬほど視野が広く、見事に男色の世界を描破した」なんていう言葉があるじゃないですか。
なので、もう一度写真を眺め入った。
うーーん、いや女性にも見える。
かも?

この口絵の写真がね、めちゃくちゃ腺病質な青年に見えませんか?
でも海外サイトで画像探すと、結構普通に娘時代からオバサン、老婦人へと変遷してるし。
なんだこの写真だけが特異なんだ!集英社め!
でも内容に繋がるような、若さのキリキリした感じ。
倉橋由美子の若い頃も、こんな感じに引き締まった容貌ですよね。
実は手元に、もう一冊マードック本があります。
こちらは、オヨヨ書林さんで購入。
「砂の城」と聞けば、すぐにナタリーが階段から落ちて流産!ミルフィーユ出てくるな!とか思い浮かべるのは、バカですか。
(しかし小学生の絹子にとって、あの漫画は、初めて触れた大人のドロドロ世界だった気もします、初めて触れたレディコミだった気もします。よく陸奥A子と同じ紙面に並んでいたものだ)
「鐘」の印象がかなり良かったので、続けて読もうかと思ったんですが。
素氏いわく、初期の写植というものはこうだったなんですよー。
縦書き文字が左右にぶれまくる、字間はメタメタ、特にカタカナのひどいことと言ったら!
8版まで出しているなら、何故直さない太陽社!
この日記を途中まで書きかけて、昨日。
一ヶ月ぶりぐらいにオヨヨさんを覗いてみました。
いつもの三冊百円セールで、「極秘」と銘打たれたやばい右翼リストを掴み。
(奥付をわざと印刷していないこの分厚い冊子の発行年を特定することで、またも素氏とひとくさり盛り上がった。キーポイントは、団体結成年と、住所の記載方法。西銀座とかいまは無い地名があったり、川崎市も区制になっていない)
それにしても、小心者の私はどうしても百円だけ払って逃げられず、店の中で何かちゃんと買わねばと思ってしまう、いわば作戦にひっかかってる気もするんですが。
入ったら、海外文学の棚で、三冊目のマードック本が手招きしてました。
分かった、分かったよー、アイリスちゃん。
「ユニコーン」って、また水底にはフォークロアが眠ってるんだね。
またも水底は澄んでいるのに、水面は汚れた油でドロドロになってるんだね。
買いますとも、喜んで!
(居酒屋の店員風・笑)
↓はとても気になる一冊。
![]() | ロレンスとマードック 野口 ゆり子 (2004/04/24) 彩流社 この商品の詳細を見る |
モブログとかいうらしい
懲りない孔雀たち
グッと来ますでしょ。
読む前から乾隆帝がものした圓明園で繰り広げられたやもしれぬ爛熟の宴なぞ思い浮かべるでしょ。
ええ、確かにこれは中国人が生み出したお庭らしいのです。
女王様もお名前はクララと申しますが、どうやら中国の血を引く麗人らしいですわよ。
![]() | 責苦の庭 (1984年) (フランス世紀末文学叢書〈5〉) 篠田 知和基 (1984/06) 国書刊行会 この商品の詳細を見る |
いざと、扉を開いてみますと。
主人公がどうにもならない男でしてね、単純に言えば飽きっぽいと申しますか、学友であった前途有望な政治家殿にいくら要職を与えられても、ポーンと全部大事なところで捨てちまう輩なんです。
ですからいい加減イヤになった友達はですね、彼を発生学の権威として(大嘘)学術調査へ行ってこいと、左遷させるわけです。
船に揺られてドンブラコドンブラコ。
到着したのが、一体どこの国にあるのかも分からない広大な「庭」でありました。
そしてなぜか船に同行していたのが、クララ姫であったのです。
ここまでが、序章および第一部です。
そもそも牧神社版では、続く第二部しか訳出されておりませんでした。
しかしながら、「庭」に至るまでの経緯が第二部と等量に語られてはいても、読んだみなさんは、せいぜいが主人公がダメダメ君なのだなといった背後関係しか掴むことはできないでしょう。
結局は「世紀末叢書」にふさわしい横溢の限り、腐爛の限りを尽くして、読者の胃の腑をキリキリと締め上げるのはようよう第二部に至ってからなのです。
さてどんな麗しい欲望が手招きしてくれるのでしょうか…と思いきや。
こちらはどうもスプラッタ・ホラーの世界です。
快楽をここに見いだすのは、少々私などでは趣味趣向が厳しすぎます。
残虐、陰惨極まりない情景の中で、私たちが見いだすのは、近年喧しいハードSMといったものや、いわゆるバタイユ的な死を目前にした麻薬的恍惚=最高のエロチシズムという図式でもありません。
確かに表層的には、受刑者の肉体と精神は飢餓の極限に置かれ、完膚無きまでに生皮を剥がれるのですが。
むしろミルボーの意図した国家批判という、原始欲求とは明らかに対極にあるものに無理矢理に、そう腕の骨が折れ、血が噴き出しても、引きずられていくといった感があります。
ミルボーが本当に中国に心酔していたのかは分かりません。
むしろ「責苦の庭」と名付けられた鼻が曲がるほどの甘い薫り、有機体が最も腐敗するに適した温度と湿度が取り巻く楽園を生み出した「中国」というのは、フランスに対するアンチテーゼにすぎないという気がしてなりません。
むしろ「中国」ではなく、夢想の国名を配してもよかったのかもしれません。
あからさまな母国への絶望は、主人公の唇からこんな風に漏れ出します。
同時に、クララの愛国心も、同郷人を慈しめば慈しむほど、激しい加虐となって現れ、一面に漿液を吹き散らすのです。
中国人たちは比類のない庭師だ。不敬な技法と呪うべき交配によって植物の美を破壊する西洋の園芸家など足もとにも及ばない。西洋の園芸家などまったくの犯罪者だと言っていい。自然の生命の名のもとに彼らを厳罰に処する法律をなぜ早く制定しないのだろう。彼らを情容赦もなくギロチンにかけたらさぞすっきりするだろうと思われる。彼らとくらべたら、あの蒼ざめた人殺したちのほうがはるかにましである。なにしろ彼らは立派な社会的<<淘汰>>を行っているのだから。大抵のばあい彼らがねらうのは、醜悪で、けがらわしいブルジョワの老婆であり、人生に対するたえまない侮辱のような連中なのだ。それに対して我が国の造園家たちは恥しらずにも、単純な花の感動的で美しい魅力を破壊するばかりか、かよわい薔薇や、星のような花弁のクレマチスや、大空のような美しさの飛燕草や、紋章学のような謎をもったいちはつやつつましげなすみれに、年取った将軍や、厚顔無恥な政治家などの名前をつける。
(中略)
花が政治信条を代表し、選挙スローガンを流す役に使われる!神聖な事物に対するこれほどの冒涜、これほどの罪に匹敵する精神の愚行や堕落がほかにあるだろうか?魂が欠如した人間が花に対して憎しみを覚えることが可能であるとするなら、ヨーロッパの庭師、とりわけフランスの庭師こそ、この信じられないような涜聖の逆説を証明するものにほかならない!
それに対して、完璧な芸術家であり、巧みな詩人である中国人は花に対する愛情と敬虔な信仰とを大切に保っている。それこそ中国の頽廃の中にあっても生き残っている昔ながらの伝統のもっとも貴重なもののひとつなのだ。そしてそれぞれを区別する必要から、彼らは花に優雅な比喩や、夢のイメージや、われわれの心の中で花によってよびおこされる優しい喜びや激しい陶酔の感覚を永続させ、調和させるような純粋さと快楽の名前を与える。
――第二部 182-184P
クララが狂乱的に発言を右往左往させるのはいいとしても、主人公の意識が霞の中で揺れるヤジロベエ状態にあるのには、非常にイライラとさせられるはずです。
結局はプロットが杜撰だという感が拭えないのですが、一方でこの作品の愉悦点は集中型のイメージにあるかもしれません。
おそらく読み返してみたところで、この庭がどの地にあるのか想像する材料は一切ないでしょうし、また建築構造的に庭の俯瞰図を描くことも出来ないでしょう。
ただ私たちは、花や鳥といった美しく淫らな神が気まぐれに粘土で生み出してしまった、嘔吐を促す造形物をサイケデリックに着色されたバスの窓から眺めていれば、感覚器がトロトロに溶けていく残像に包まれるといった具合でしょうか。
孔雀は図々しいくせにびくびくと首をのばし、赤い砂の上に紋の出た尾をみごとに引きずりながらついてきた。中にはビロードのように純白のものもいた。その白い胸には血のしみがついていた。残忍な顔つきの顔の上には扇の形の大きな冠毛がついていて、その冠毛の一本一本の細くびんと立った羽根の先には薔薇色のクリスタルのしずくがゆらめきながらとまっていた。
そこからは鉄の机や用意の出来た拷問台や不吉な骨組が数を増した。巨大な御柳の蔭にはロココ風の肱かけ椅子があった。しかしその曲がった肱には鋸と釘がかたまって植わっていた。その釘の一本には肉片がこびりついていた。クララは日傘の先でそっと巧みにそれを拾うと貪欲な孔雀たちに投げてやった。孔雀たちはそこに殺到して翼で叩きあい、くちばしでつつきあって肉を争った。しばらくのあいだは目もくらむような混乱、きらきら光る宝石のぶつかりあいだった。わたしは嫌悪も忘れてしばらくはそのすばらしい光景に見とれていた。あたりの木の上にはにじきじや、帝王雉や、金銀の象眼の鎧をつけたマレーシアの大きな軍鶏がとまって孔雀たちの争いを見守り、彼らの番を腹黒く待っていた。
――第二部 241-242P
ええ、庭園幻想というジャンルが存在するならば、確かにこの作品は加えられてしかるべきものであります。
けれども庭園SMもとい、庭園エロスというジャンルを求めるならば、むしろ初めに挙げた圓明園を扱う、中野美代子「カステリオーネの庭」を推薦しとうございます。
勿論これは、私が状況エロス、非接触型主従関係に激しく萌えるからなのですが。
十全の加虐を存分に堪能したクララは庭を後にして、気絶し空白の時を刻みます。
二度とは庭には行きたくないと叫びます。
けれども従者たちは皆、よくよく心得ているのです。
クララ様も、恐らくこの主体性のない主人公もまた、クララもうやめようよーと泣きながら何度も「庭」に訪れることになるのです。
だから、この人たちってば、ほんとに懲りないねということで。
この輪廻、閉じた円環の中で永遠に互いを殺め合う術も持たぬまま「観察」に徹する姿こそ、世紀末の名にふさわしいのかもしれません。
![]() | カスティリオーネの庭 中野 美代子 (1997/09) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
秋も一箱古本市
春は町全体がお祭りモードだったので、随分と人出が多かったのですが、今日は平日の雰囲気とあまり変わらない感じ。
吉野屋から漂う牛丼臭に吸い寄せられつつも、満員だったので、お気に入りのパン屋さんでお好み焼きパンとクイニーアマンをゲットし、さっそく頬張りつつ言問通りを歩いていきます。
一軒目の大家さん、パール・オステリア・コムムさんに到着したのが、ちょうど正午頃でした。
くの字に箱が並んでいて、みなさん箱拝見場所を待たれているご様子。
私も遠目に物色しつつ、今回も景品ゲットすべく一枚目の栞をスタッフさんから頂きました。
カフェ・ヒナタ屋さんの箱を覗くと「逆流事典」が。
これ、今まで何度も手にしていたのですが、いつも値段と折り合いがつかず諦めていた物。
でも「お安くしますよー」の声に、簡単に陥落。
本日の第一号は、足穂関連からスタート、オモロイ道行きになりそうです。
二箇所目の宗善寺は、スペースがゆったりとした感じで、端から端までかなりの時間堪能させて頂きました。
特に真ん中あたり、「南蛮幻想」を売っていただいた一箱さんは、どんどん補充されていくので、さらに私好みの本が多いので、あとからもう一回まわってこようかなと思わせるラインナップ。
(結局力尽きて一周しかできなかったんですが)
マンションの一階を利用されたライオンズ・ガーデンでは、緊張しながらアセテートさんに話しかけてみる。
素氏が何度か通販で本を買わせて貰っているので、図々しくも「これからも素敵な本を作って下さい!」とか。
まあ、即売会でいつも声掛けしてもらって嬉しい分、こんなところでささやかな勇気を出してみる。
途中の歩道で内澤旬子さんをお見かけしたりもしました。
(いや、もうただお見かけできるだけで嬉しい)
貸はらっぱ音地からコミュニティーセンターへ向かう途中の凝った意匠の瓦塀(正式名が分からん)や階段直前の開ける眺望が大好きで、この道を歩いていると、根津周辺に住みたくなる。
私の住んでいる江東区の長屋風地帯の場末感とは違った、しっかりとした趣がある町なんだなあ。
途中途中で、「こんなに安くていいんですか!」と叫びつつ。
持参した手提げを存分に膨らませつつ。
五枚栞を無事に集め終えて頂いたのは、しのばずくんのブックカバー用紙でした。
フルカラーのしのばずくんに色気を感じたのは私だけかしら。
←栞五種大きくなります一瞬、古書ほうろうまで足をのばそうかと思ったのですが、本日はもう満腹。
千駄木駅近くで見つけた、誰もいないカフェバーでチーズケーキを頬張って、帰宅。
前回の店主参加も楽しかったですけど、ゆっくりのんびり回れた今回もすごく充実した一日でした。
あ、でも一つ身悶えた話が!
宗善寺でSF関連の文庫を沢山出されていた一箱さん付近で。
マッカラーズの「針のない時計」の表紙付を握られていたお嬢さんが!
あああああ、それーそれーーー!
いや、もってるんですけど、表紙なし版の講談社文庫。
でもマッカラーズは何冊あってもいい。
もしあれが、「金色の眼に映るもの」だったら、タヌキに変身して襲いかかっていたわー。
目前で探索本を買われていく涙を初めて味わった日でもありました。
戦利品一覧
「タルホ逆流事典」 高橋康雄 国書刊行会
「南蛮幻想」 平野威馬雄&川上澄生 濤書房
「生きていたパスカル」 ピランデッロ 福武文庫
「犬神博士」 夢野久作 角川文庫
「風俗明治東京物語」 岡本綺堂 河出文庫
「ふたりの山小屋だより」 岸田衿子&岸田今日子 文春文庫
「怪談人間時計」 徳南晴一郎 太田出版
「百合子さんは何色」 村松友視 筑摩書房
「千のチャイナタウン」 海野弘 リブロポート
「たべるトンちゃん」 初山滋 ほるぷ復刻
「浮揚譚」 舟崎克彦&建石修志 パロル舎
「ワンダー植草甚一ランド」 晶文社
「少年とオブジェ」 尾辻克彦 角川文庫
タヌ嬢になりたいミニ絹
先週の土曜日「十蘭を語る」(別名:ビビリまくりのトークショー)を覗いてまいりました。
少々寂れた講義室、前面の黒板に並ぶ四人のパネラーと司会の浜田さん。
偶然受付で一緒になった豚印のPさんとともに、ほぼ一番前の席に落ち着いてしまう。
困るんだよ、こんなに前に座られたらさー、とのっけから緊張全開の絹子でした。
パネラー各人の十蘭作品との出会いから、刊行のきっかけへとゆるゆると会は進んでいく。
当初は十蘭ほとんど読んでいないに等しい人間が、こんな席に座っていてもどうにもならないかなとか、危惧してはいたのですが。
実際には、本好き、書誌好き、ネチネチ作業好きの好奇心旺盛な人であれば、みんな楽しめるような内容でした。
特に日頃、「黒死館辞典」という厄介かつ汲めども尽きせぬ迷宮の泉に腕を差し込んでいる人間の横で、作業の難しさと面白みを聞いている者にとっては、ふむふむと頷ける話も多くて。
異稿の取り扱い、ルビの取り扱い、語彙の正誤/出典の有無などなど、いくら作業しても綿密精確を期せば期すほど終わんない。
特に戦争によって資料の散逸や、はたまた検閲による削除などハードルが否応なく高まるのは、虫太郎も十蘭も同じなんだなとか、しみじみ納得。
色々とオモロイ話はあったのですが。
例えばこんなところで。
三一書房版全集の編纂時、都筑道夫は「顎十郎捕物帳」底本にヌケがあったので、自分で書き足した・笑。
(今回はちゃんと初出誌から補完されるそうです)
十蘭には改稿癖があり、単行本発行時やスクラップ状にした原稿への書き込みが多数あって、どれを選ぶか非常に悩ましい。
(改稿したものの方が、前者よりもよくなっていないことも多々あり)
特に「海豹島」のヒロイン名が、もし最終稿を選んだら、ハナ→ウメになってしまう・笑。
なので編纂者の間でも、侃々諤々になっているのだそう。
笑いの部分も堪能出来た一方で、真面目な十蘭観も聞き逃せませんでした。
先程の改稿癖の根幹についても。
一般的な完成度を高めていくためといった考えから、時代に即して変幻自在に演出を施していった、そして何より十蘭は文章を弄ることを愉しみ続けていたと導いていく。
また戦中戦後の戦争協力/天皇批判などのデリケートな問題に取り組まれている川崎賢子さんが、GHQによる検閲の有無を確認するために、米で調査された話等々。
没後五十年という時間を経て、資料散逸はますます厳しい状況になっていても、一方で後世の研究が一層進み、逆に公開されるようになった資料もあるということで、経年の重みのようなものも感じました。
これから十年、二十年長いスパンをもって、これが初読となる若い世代の期待にも、研究者の期待にも応えられるようにしたいという意気込みも、拳を掲げた熱血とは違ったじんわりとした熱を貰ったのでした。
その他、発行寸前の「十蘭従軍日記」を携えて著作権継承者の十蘭夫人の姪御さんが登場されたり。
その方のブログ管理人の方が、みんなにシャンパンを振る舞われたり。
質問コーナーでは、ムムムとなる手裏剣が宙を舞ったりしておりましたが、一方で、「日影丈吉全集」のCDみたいな特典つかないんですかーなんて、私的にも笑える質問も飛び交い、沢山愉しませて頂きました。
ちなみに、「日影全集」定期購入していたんですが、面倒がって完結してもシールを送らないでいたら、某ルートからCDを頂戴できまして。
でもまだ聴いていないので、バカ!!と殺されそうですが、こんなところで謝罪しておこうと思います。
まあ、CD聴いてないからお礼も言えなくて…ではないのですが、何しろ質問コーナー前後から呼吸困難になってしまい。
写真撮影ではなんとか一枚撮るぜ!と勢い込んで、素氏だけ送り込んでカメラを構えて、ますます息が出来ず。
結局、受付では懇親会出席に○つけたくせに、遁走。
なんといいますか、私、自分にとってコアであり、かつ大切なのに自信がなくてどうにもしがたいジャンル(つまりは幻想系とか)を肴にしないといけないとなると、うわーーってなるんですよねえ。
畏れ多くて恥ずかしいんですよねえ。
加えて今回は、そもそも「王子様見学ツアー」ですから。
もうもう、十分堪能いたしました。
はぐらかし、意地悪満載で、おなか一杯でした。
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一方の素氏といえば。
ちゃっかり懇親会に出席して、王子様の前に坐ったらしいです。
名刺代わりに、同人誌押しつけたらしいです。
よ、よかった…間違っても「眼鏡文人」なんて渡されなくて。
ということで、国書つながりで、ミルボーの「責苦の庭」(フランス世紀末文学叢書)を読了したので、次回はその感想でも書きましょうかね。
それにしても、もうちょっと肩の力をぬいた日記を書きたいです。
消える法
青と白に二分されていて、表紙にはピカソの子供の落書きチックな絵が描かれている。
タイトルには素っ気ないゴチックで「呪い」と書かれている。
見る人が見れば、白水社Uブックスというシリーズは、「新しい世界の文学」等の系譜を嗣いで、妖しい匂いを漂わせていることは嗅ぎつけるだろう。
そして作家の名を見て、ニヤリとするひとも10万人に一人くらいはいるかもしれない。
(本当はもう少し多いかも知れないけど、どんなに多く見積もっても一万人に一人だ)
けれども「呪い」というタイトルを見て、ホラー?とか安直に首を振ってもおかしくないのである。
さてそんな誰も気づかないんだから大丈夫だよと満ちる君などが囁く一方で、当の絹子は頁を繰りながら唸り始める。
そわそわし始める。
意味不明に隣の眠りについているおじさんが、瞬間ぎろっと目を剥いて笑いかけてくるんじゃないかとか。
向かいで携帯を必死に弄っているお嬢さんが、意味深に足を組み替えるんじゃないかとか。
ざわざわと落ち着かなくなる。
![]() | 呪い テネシー・ウィリアムズ、志村 正雄 他 (1984/11) 白水社 この商品の詳細を見る |
これはそういう類の本だ。
実に簡素で凡庸な顔立ちで周囲を欺き、その実とんでもなくヤバイ本なのだ。
最初に現れる「片腕」の元海軍兵は腕を喪失して以来、一切の羞恥を感じることなく売春にいそしみ、ついには殺人を犯す。
刑務所に収監され、死刑を待つ日々に彼の元には、以前関係した男たちから慰めの手紙が何百通と届くことになる。
死刑実行数時間前に訪れた牧師は、「神の御心」をもって「片腕」の青年の恐怖を取り除くどころか、彼に陥落されそうになって逃げ出してしまうのだ。
まさに欠落と汚穢から生まれる奇形の清明さが、男色の骨髄の中で花開き、のっけから頭を打ち抜く。
そして頁半ば、「欲望と黒人マッサージ師」というとてつもない短編に至ってしまう。
地下本として発行されたと解説には書かれていたが、これは「眼球譚」や「城の中のイギリス人」を遙かに越えた危うさで(個人的には未成年有害条例なんて馬鹿馬鹿しいと思ってるけど、これこそ一般書籍として扱いが許される境界線を越えているような)迫ってくる。
有体にいって、めちゃくちゃ好みの美学満載なのだが。
意志を持たないゴム人間の真っ白な肉体と、愉悦に一切の罪悪を認めない下層で鍛え上げられた黒い肉体が示すぎらぎらしいコントラストで目が眩み、確かにそこに下水から逆流する薔薇色の怪物の色彩を見失って恍惚としてしまうのだけど。
これは谷崎の「美食倶楽部」を彷彿とさせる一方で、落ち着いて考えるに、力量ある作家(勿論同性愛傾向は極左極右な)が、筆が流暢なことに任せて、みずからの欲望を剥き出しにしてしまったものにも映る。
だから、特に最後のカニバリズムに至っては眉を顰めるどころか、嘔吐をまぬがれない人もいることだろう。
思えば日本の作家にしても、地下であれ地上であれ筆が滑るがままに任せる行為に至った人たちが、特に晩年に醜悪な一面を見せることもあった。
また解説の引用になってしまうが、晩年のテネシー・ウイリアムズは暴露/書き散らしが頻発し、特に『回想録』など「抑制の利かなくなった老女の浅ましさ」を示しているという。
(そういえば、正月の古書市で『回想録』をかなり廉価で入手して、小躍りしていたのだけどね・笑)
さて「片腕」と「欲望〜」に挟まれる形で「呪い」(全くホラーじゃないです)と「詩人」という短編が含まれている。
両者にも男色のほのめかしはあるものの、むしろこの二編では、前後の作品の別の一面を強調しているように思われる。
それは、「なすがままの人」いや「なされるがままの人」という確かにどこかにはいても、忘れられる人間像である。
貪欲な管理人に始終見張られ、結核病みの画家に犯される青年も、密造酒を蓄えて若者たちだけに解る万有紀を語る詩人も、みな一撃を加えれれば逆らうことなく撥ねてゆき、また一撃でバウンドしてゆく。
そしてついには、歪んだ笑みを浮かべたまま地上から消滅してしまうのだ。
もしかしたら、テネシー・ウイリアムズという幼年期病弱で家に引きこもっていた彼は、「なされるがままの人」になりたかった、延々と壁(これは乗り越えるべき障害などという、偽善に満ちたものではなく、単純に物理的なもの)にぶつかっては、遠近法と重力の法則に従いながら消え、あるいは跡形もないほど踏みつぶされてしまいと願っていたのではないかと、妄想させる。
消えてゆく方法は、数知れずあるけれど。
もし、煙のごとく、たちまちのうちに消えてしまえたら。
「ご崩御の記」というこの短編集の中でも最も奇譚めいて、怪談的で、その実、最も妖美に結実した作品の中で、我々はその絶妙な消去法に巡りあうことができるのだ。
あるいは、「なすがままの人間」とは、もはや人工物であったほうが幸福なのではないかと。
もう一言付け加えるのなら、男色と同時に大いなるテーマであったはずの「宗教」も「ご崩御の記」でひとつの答えに到達している。
聖人さまはガウンをお開きになって、胸部を露出なさいました。その心臓が薄い塵紙のように何枚にも割れました。その何枚かが吹き出しました。吹き出してお従弟さまの顔に吹きつけましたので、お従弟さまは唾を飛ばして咳をなさり、まるで唐辛子の粉を吸いこんだかのようでございました。私はその薄片が飛散するのを押えようといたしました。何枚か押えまして、押えました何枚かを聖人さまの胸の裂け目に押し入れたのでございます。が、手遅れでございました。時計のゼンマイが微かに軋む音がいたしました。それも、まもなく止んでしまいまして、ビー玉のように硬くて美しい青の眼球が、きらきらしたバネ仕掛けで、まっすぐに飛び出したのでございます。
放せ、とお従弟さまが言われます。
私ども二人して押えていた両脚を放しました。こまかな、冷たい水煙が私どもの顔にかかり、聖人さまの組織はばらばらに分解して飛び去って行きます。三十秒ほどで聖人さまはすっかりお消えになったのでございます。
「ご崩御の記」85P
「宗教は最もみだらなものだ」とのたまうテネシー・ウイリアムズに恍惚としながら、この恍惚感が宗教に通じるのか、あるいは禁欲に巣喰う恍惚感がみだらがましいのか悶々と考えつつ。
次に手に取ってしまったアイリス・マードックの「鐘」との相関に、またしても「世界はかくも繋がるかな」と失笑を禁じ得なかった。
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