2007-04

可愛い子には旅をさせ

昨晩は悶絶した。
というのも、アラートをかけていても滅多に引っかからない某銅版画家R氏の逸品が一週間前からオークションにでていて、ずっと見守り続けていたのに、最後の夜にすっかり失念して入浴してしまったのだ。
最後の最後に入札しようと思ってたのに。
金欠甚だしいけど、福澤さん二枚まで出しても!と意気込んでいたのに。

でもその他の種々チケットは続々と集合中。
本日いく予定の「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」から「澁澤龍彦展」「パルマ展」と…最近ノンビリモードにしているはずなのに、予定は目白押し。
ちなみに、日曜日は「夜明けまえ 日本写真開拓史1」に向かいました。
写美は規模は小さくても魅力的な展覧会が多くて、ここのところ一番お出かけしている場所ともいえます。
今回は名刺サイズでも際だった肖像写真、彩色風俗写真が一杯で。
彩色写真は、そのとってつけた色の風合いが、逆にノスタルジックで可愛くてしょうがない。
ちょっとホホウと思ったことは、恐らく写真技師というものが際立って稀であった時代に於いては、技師の名前がブランドとして成立していたのだと理解できたこと。
名刺サイズであれば裏側にきっちりと名前が印刷されていて、台詞に貼り付けられた場合には金箔押しで名前が刻まれている。
背筋が伸びた、自信たっぷりな雰囲気が微笑ましかったです。

やっぱり、なんとしても九月末の大事な日には、写真館に行こう。
無理矢理にでも引っ張っていこう。
できればスナップでは決して味わえない、あのぬったりとした銀粒子が語りかけてくるようなモノクロで撮ってもらえるようにおねだりしてみよう。

さて、ズンドコ杯の締め切りも目前なのですが(一週間前には読了しているんですが、副読本も併読して唸っている最中です。今回は、何も書けないじゃなくて喋りたいことが多すぎてまとまらないよー)、本日は岩波文庫月間5冊目ということで。
ちなみに、緑と赤を交互に出しているのは恣意的です。
白、青、黄も素氏は所有しているけど、ハードルが高いわね。
以前は岩波文庫の存在自体をハードルの高いものとか、鹿爪らしいとか考えていたのですけど、読めば読むほど面白くなってくる。
懐の深さと、結構ヤバイ話が転がってますぜダンナ、ということを実感している次第です。
思い起こせば、松岡正剛の「千夜千冊」にしても記念すべき第一回は緑の中谷宇吉郎の「雪」ですもん。
ちなみに我が家には「千夜千冊」の約1100夜分が、ちゃっかり両面カラーレーザーで打ち出され、背中にタイトルまで付けてファイリングされて並んでいる。
二年前のパラダイスな職場の時代にがふんがふん印刷しまくったのだ。
嗚呼、パラダイスな職場に行きたい!


カンディード 他五篇 カンディード 他五篇
ヴォルテール (2005/02)
岩波書店
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おバカちゃんの話である。
話全体が、プププなおバカに彩られている。

纏めていうなら―――
「三つ子の魂百まで」バカ!
「人の不幸は蜜の味」じゃなくて…「辛酸を集めてはやし大冒険」バカ!
「死んだはずだよお富さん」バカ!
「18世紀文学って、やっぱりあけすけでエッチね」バカ!

いやはや、だんだん読んでいる私もバカなのがよく分かってきます。
ちなみに以下、悉くけなしているように見えますが、あにはからんや、誉めてます、可愛がってます。

主人公カンディードは幼い頃にパンタグロス博士に植え付けられた「あらゆるものは善なり」の教えに忠実である。
実際忠実なんてものではない、己自身に、あるいは周囲の恋人や恩義ある人々にこれでもかと不幸が見舞われても、しくしく泣いていても、何かといえば、論客をみつけて、教えが正しいですよねと確認せずにはいられない。
肉体に与えられた傷み、経済的な陥落、精神的な打撲を負っても、少々ことが好転したならば、にっこり顔をあげて、「世界はすべて善として仕組まれてるんですよね」と言わずにはいられないおバカちゃんなのである。
それは、世界各地を当初は逃亡から、ついでは愛しいキュネゴンド姫を求めて荒々しく駆けめぐる間に、多種多様に差し出された宗教の一つと呼んでもおかしくはない。
異端者に下される裁きは、こと日本人などにとっては笑えてしまえるのだけど(実際笑うのがこの本の読み方なのだろうけど)本質をじっとみると、笑えない…けど笑う、この堂々巡りである。

で、「すべては善である」教の申し子は、ひとつの趣味があり、それが他人の不幸話の蒐集なのである。
つまりは「お前は一番不幸だっていうけど、みーんな苦労しまくってんだよ」と言われて、一度他人の不幸話を聞き始めると、もっともっと聞きたいと堪え性のない青年なのだ。
天真爛漫や純真は一歩間違えれば、他人を傷つける刃になるのだが、あるいは学習能力のない人間は愛想を尽かされるのが落ちなのだが、カンディードの場合、先に述べた鋼をも打ち砕く信条を掲げているがために、妙に憎めない奴になっているのである。
カンディードのバカさ加減においては、集めても集めて、どんな波瀾万丈も他人の論理も消化されないまま、腹の奥底ので眠っているので、彼にとって不幸話は「蜜の味」にならない。
むしろ、弾圧のために存在する必要のない一神教に守られた、物質的にも満たされた、「ありえないものの象徴」としてのエルドラドだけが、時折彼の胸を掻きむしるというのも、象徴的である。

話自体がおバカに彩られているというのを典型的に表しているのは、ゾンビの出現である。
墓場から腕を突き出して歩いてくるならまだいい。
いやはや主要な登場人物の大半が無惨に殺されたと思いきや、つぎつぎと蘇ってくるのである。
カンディードがその目で惨殺されるのを見た、あるいは自ら手にかけた人間までもが、かっはっは、傷が治ってなと現れるのである。
その強烈さは、魔法なんていうチンケな手腕に到底及ぶことができない、リアリズムの究極である。
そうシュールレアリズムと呼んでもおかしくないかもねえ。

諷刺というものが、一般に「ひねり」であるとするなら。
この作品は、パン生地をぎゅうぎゅう捻っているうちに、ぶちぶちにちぎれて四散してしまい、その発酵不十分な断片がべたべた顔についてしまって、大笑い、そんな感じに受け取りました。
非常にふざけた感想で申し訳ないんですが、楽しめることは請け合えます。
究極の脳天気弁士カンディードは、肉体をもって戦い、口吻をもって戦ってきた様々な周囲の人間に感心こそすれ、最後まで納得のいく答を得られません。
ついに自ら見つけた答とは、むしろ作者の全否定にちかい、全否定の裏側はあらゆるものをあるがままに受け取るべしという声となって聞こえてくるのですけど、いかがでしょうか。

一通り読むと、ほんの少し西洋の宗教史のお勉強になるのかもしれません(無理があるかな)。
でも私は何度訊いても覚えられない○○派という言葉が飛び出るたびに、巻末を捲り、なるほど~と頷いておりました。
基礎知識のある方には、ヴォルテールのイヤミな前歯が一層光って見えるのではないかと思います。

キャンディ キャンディ
テリー・サザーン、メイソン・ホッフェンバーグ 他 (2007/02)
角川書店
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最後に素氏に教わった豆知識。
私は映画版しか観たことがないのですけど(音楽が滅法よかった)、↑の元ネタなんですって。
変格はカンディード→カンディー→キャンディーと覚えるべし・笑。

※私が読んだのは、1956年発行吉村正一郎訳(絶版)の方で、「カンディード」しか収録されていません。
現行本は、全六編なのでお買い得だと思います。
でも吉村さんの解説は捨てがたいな。
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一箱古本市に出品します

三月の下旬、清澄白河のとあるギャラリーで「彷書月刊」祭があった。
嗚呼、田村編集長の古本屋にまつわるトークショー聴きたかったな。
(田村さんには一度だけ、おめもじが叶ったことがあって。それは美学校に松山俊太郎さんの講義を聴きにいった時。田村さんと素氏は美学校の第一期生同士なのである。それにつけても、美学校はいい感じだったなあ)
話を元に戻して、そのギャラリーで同時開催されていたのが、小さな一箱古本市だった。
売り子さんを勤められていた、東京せどりーぬ(なんて愛らしい名前!)さんに、GWのこのイベントに出品してみてはとチラシを頂いた。

ということで、前置きが長くなりましたが、一箱古本市に出店します!

4/29(日)11:00-17:00
於:不忍ブックストリート

詳細はこちらから。

申し込んでから一ヶ月。
このイベントのことで頭がいっぱいになっていたりする。
店名は「LIBRE TONSURE」(申し込み時には綴りミスして、TONSREで登録してしまった)
まあ、河童書房と同義です・笑。
店主の素天堂には帽子をかぶらないように命じておきます。
先週末は、本の選択、値付、箱の準備などで終わってしまいました。
下記にリストをあげておきます。
基本的には、ダブリ本、あるいは面白かったけどもう手元になくていいや本、あとは道で拾った、職場で拾った本・苦笑。
てんでばらばらジャンルっぽいのですけど、一応、ミステリ・海外歴史小説・映画などが多いでしょうか。
今回の目玉は、光文社文庫の都築道夫作品たち(新刊ダブリの呪いにより状態がかなりよい)ですね。
個人的には、荒俣宏「ブックライフ自由自在」とか、沢野ひとしのあの天真爛漫縦横無尽な絵について語っている「沢野絵の秘密」なんかお勧めです。

ガムテ、セロテ、ポップ台、つり銭、筆記用具、電卓…って、ほとんどいつものイベント参加と必要品が同じじゃないですか。
違うのはちっちゃな椅子と、スーパー袋くらいかな。
我々が一番懸念していること。
もちろん、屋外なので雨天決行とはいえ、カミモノを扱いながらの雨はいやーーなのですが。
さらに恐ろしいのは、交代で店番をしている合間に、売った本以上の本を他の箱から買ってくること。
ありえそうだ。
非常にありえそうだ。
だって、100箱も出るんだもん。
しかし、楽しみである。
お散歩がてら、お友達が来てくれないかなーと思い描いてみたりもする。

※下記リストですが、はっきりいって二箱分あります。
なので、箱詰め如何、荷造り如何によっては、持っていけない本もあるんじゃないかと思いますので、ご容赦ください。

★文庫★

フランチェスコの暗号(上下) コールドウェル&トマスン 200
ダヴィンチ・コード(上中下) ダン・ブラウン 300
前日島(上下) ウンベルト・エーコ 400
ドライブ旅行 吉野晃生 100
東京風土図1 産経新聞社会部編 100
文豪ミステリ傑作選 河出文庫 100
戦争の法 佐藤亜紀 100
ボルジア家 マリオン・ジョンソン 100
薔薇の女 笠井潔 100
妖怪草紙 荒俣宏vs小松和彦 100
古地図に魅せられた男 マイルズ・ハーベイ 100
死の泉 皆川博子 100
ポオ小説全集1 エドガー・ポオ 100
狂王ルートヴィヒ ジャン・デ・カール 100
今ひとたびの 高見順 50
孤島の鬼 江戸川乱歩 50
遠臣たちの翼 赤江瀑 50
八雲が殺した 赤江瀑 50
文豪ディケンズと倒錯の館 ウィリアム・J・パーマー 50
業界の濃い人 いしかわじゅん 50
ジョーシキ一本釣り 玖保キリコ 50
美食倶楽部殺人事件 嵯峨島昭 50
砂絵呪縛後日怪談 野坂昭如 50
富士日記(下) 武田百合子 50
にわとりのジョナサン S.ワインスタイン,H.アルブレヒト 50
丘の上の出会い アンヌ・フィリップ 50
天人唐草 山岸凉子 50
地下鉄のザジ レーモン・クノー 50
あきらめ 木乃伊の口紅他四編 田村俊子 200
フロム・タイム・トゥ・タイム ジャック・フィニイ 200
なめくじに聞いてみろ 都筑道夫 200
猫の舌に釘をうて 都筑道夫 200
女を逃がすな 都筑道夫 200
三重露出 都筑道夫 200
悪意銀行 都筑道夫 200
河鍋暁斎戯画集 岩波文庫 200
アンソロジー短歌殺人事件 斉藤慎爾編 200
アンソロジー俳句殺人事件 斉藤慎爾編 200
花の旅 夜の旅 皆川博子 200
真珠郎(ミステリ秘宝) 横溝正史 200
ブックライフ自由自在 荒俣宏 200
真珠郎(角川文庫) 横溝正史 100
幽霊塔 江戸川乱歩 100
月と手袋 江戸川乱歩 100
ハリスおばさんニューヨークへ行く ガリコ 50
ハリスおばさんニューヨークへ行く ガリコ 50
桃源郷の機械学 武田雅哉 300
百頭女 エルンスト 400
少年傑作選5忍者ハットリくん 光文社 400

★単行本、雑誌、その他★
電脳炎4 唐沢なをき 100
At Your Own Risk デレク・ジャーマン 100
停電の夜に ジュンパ・ラヒリ 100
瓶詰めの街 いしかわじゅん 100
時じくの香の木の実 山岸凉子 50
とんでもない月曜日 ジョーン・エイキン 50
自然と象徴 ゲーテ自然科学論集 200
最後の晩餐の作り方 ジョン・ランチェスター 200
月館の殺人(上) 綾辻行人+佐々木倫子 200
古代シチリア連想の旅 加藤静雄 200
古代ギリシャに遊ぶ 加藤静雄 200
沢野絵の秘密 椎名誠他 200
ミイラ医師シヌヘ ミカ・ワルタリ 200
魔術師 西岸良平 100
下町交狂曲 益田喜頓 300
ロチェスター卿の猿 グレアム・グリーン 800
名探偵カマキリと5つの怪事件 W・コツウィンクル 500
オペラ知ったかぶり 相澤啓三 600
大理石 マンディアルグ渋澤・高橋訳 800
魔法探偵 南條竹則 600
天球の調べ E・レッドファーン 600
謎の蔵書票 ロス・キング 600
映画とたべもの 渡辺祥子 400
第四次元の小説 ファディマン編ハインライン他 500
ブラックユーモア傑作漫画集 水野良太郎編 800
特別料理 S・エリン 600
英吉利文学と詩的想像 尾島庄太郎 800
博士と狂人 S・ウィンチェスター 600
ホーソーン マーク・トゥエイン集 全集 100
僧正の積木歌 山田正紀 500
すべては消えゆく マンディアルグ中条訳 300
ウィーン 都市の私学 池内紀 500
書物の王国8美少年 須永朝彦編 700
書物の王国1架空の町 東雅夫編 700
1970年大百科 別冊宝島339 300
続 西洋歴史奇譚 ブルトン、ポーウェル編著 400
モーリス・ベジャール自伝 構想社 800
寺山修司ワンダーランド 沖積社アルカディア別冊 400
筑摩現代日本文学全集93 現代譯詩集 敏、荷風、白秋他 500
引き裂かれた神の代理人 ジャン・ラスパイユ 500
猫の王 小島瓔禮 400
からくり百科 不思議の部屋4 桑原茂夫 400
チェシャ猫はどこへ行ったか 桑原茂夫 400
小鬼の居留地 C.D.シマック 300
コロンブスをペテンにかけた男 J.ミルトン 800
グノーシスの薔薇 D.マドセン 800
ダンテ・クラブ M.パール 800
ウィアード・ムービーズ・ア・ゴーゴー 光琳社 500
スラップスティック・ブルース 高平哲朗 600
医者見立て英泉『枕文庫』 田野辺富蔵 500
映画を作る方法2 スタジオボイス 200
写真集 パトリック・デュポン J=P・パストリ 1000
写真詩集 栄光の残像 倉橋健一、細川和昭 400

こんな雨続きじゃ春眠も貪れない

今朝のことだ。
真っ黒な視界。
その向こうから、ひとつの女の声が聞こえた。
「しいちゃんが自殺したんだって」
どっどっどっどっどっど。
遠くから低いドラムのような響き。
視界は相変わらず、真っ黒なまま。
そのまま私は眼を開き、息を詰めたまま自分の心臓が不用意に激しく打っていることに気づいた。

「しいちゃん」が誰なのか分からない。
今まで、そんな渾名の知人には一度も出会っていないから。
とはいえ自殺してもおかしくない人は身近にあって、なんとなく夢の来歴を結論づけようとすれば結論づけられるのだけど、境界線のない夢はなんとも恐ろしい。


春昼(しゅんちゅう);春昼後刻(しゅんちゅうごこく) 春昼(しゅんちゅう);春昼後刻(しゅんちゅうごこく)
泉 鏡花 (1987/04)
岩波書店
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さて、岩波月間4冊目。

鏡花を読むのは数年ぶりだろうか。
なんとなく鏡花はハードルが高くて、感想を書くなら「草迷宮」「海神別荘」なんかを再読しても良かったのだけど、あえて読んだことのない話を手に取るのも一興。
鏡花のハードルの高さはおおむね自分の教養のなさに由来していて、ついつい単語で躓く。
同時に必死に具象化映像化を試みようと四苦八苦しているうちに、石にまろび、気づけば彼の地に立たされている。
いわく夢の場である。
特に今回の作品はのどけき春の暖かみが頬の寸前にまで近づいてきており、鏡花お得意の艶やかな色彩と微に入り細を穿つ部品に見とれていると、もうすっかり掌の上で転がされているのだ。
ただ今回は、なんとなく少し、本当に少しだけ頭が柔らかくなったのか、その靄けぶる世界を楽しむことができた。

随分と昔に読んだ「外科室」の時にも思ったのだけれど。
人が恋に落ちるとは、かくも短い瞬間に、かくも他愛ない道理で起きることなのだろうか。
簡単にいえば、ヒトメボレの信憑性はどのくらいあるのかとか。
そういった数理的には身も蓋もなくなってしまう、不可解なつながりに(私も運命は信じておりますが)我が身を捧げてしまう姿が、さらにいえば、まるでどこか確固たる信念の置き所を求め続け、見つけたならば喩え何の根拠もなく昏い淵であろうとも死を簡単に選んでしまえる姿。
情念はひとしおに強いのに、凄まじいばかりの美しさを誇っているというのに、なぜか鏡花の描く人物には、実体がないような、生まれ落ちて以来ずっと幽霊であるような、質感が薄いような気がしてなりません。
こんな事を書くと、ちゃんと読み込んでいる人からはめちゃくちゃ叱られそうなんですがね。

今回のお気に入りのシーンといえば。
件の二人が、夢でまみえる舞台の幕が広がるところ。
一体広さにしたらどれほどの距離があるのか、山にかかった靄が幕と混じり合い左右に分かれていく壮麗さ。
壮麗と呼ぶ前後には物の怪が蠢く不気味さも聴覚から視覚へとじっとりと繋がっていきます。

また、陰気な、湿っぽい音で、コツコツと拍子木を打(ぶち)違える。
やはりそのものの手から、ずうと糸が繋がっていたものらしい。舞台の左右、山の腹へ斜めにかかった、一幅の白い靄が同じく幕でございました。むらむらと両方から舞台際へ引き寄せられると、煙が渦くように畳まれたと言います。
不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と一側(ひとかわ)並べに仕切ってあって、その中に、ずらりと婦人(おんな)が並んでいました。
坐ったものもあり、立ったものもあり、片膝立てたじだらくな姿もある。緋の長襦袢ばかりのものもある。頬のあたりに血のたれているものもある。縛られているものもある、一目見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、幽(かすか)になって、唯(ただ)顔ばかり谷間に白百合の咲いたよう。
慄然(ぞっ)として、遁(に)げもならない処へ、またコンコンと拍子木が鳴る。
すると貴下(あなた)、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな婦人(おんな)の姿が音もなく歩行(ある)いて来て、やがてその舞台へ上がったのでございますが、其処へ来ると、並のおおきさの、しかも、すらりとした脊丈(せたけ)になって、しょんぼりした肩の処へ、こう頤(おとがい)をつけて、熟(じっ)と客人の方を見向いた、その美しさ!
正しく玉脇の御新祖(ごしんぞ)で。
p79



夢とうつつの境界線はあまりにおぼつかなく。
うつつでは視線を交わした程度の男に(男はとっくにメロメロなのですが)既に恋が芽生えていたかは定かではなく、同じ夢の舞台に立った時点で唐突に恋を確信したと、女は「後刻」で主人公に切々と訴える。
そして、男が怯えながらも招かれて夢とうつつの境目で足を踏み外した淵へ、女は進んで身を躍らせる。
このゆるゆるとした、読者もぼんやりと夢になだれ込んでいるうちに、ぽいと放り投げられる感覚。
私のように読み下手であれば、投げられた事すら気づかず、引き戻っていざと構えなくてはならない感覚って、独特です。

いつも鏡花を読むと、その擬音語、擬態語の多様さに新しい渦に巻き込まれる気がするのですが。
今回一番感心したのは、変なところで。
他にもいいところはたくさんあるんですが、爬虫類好きとしてはなんとも蛇の描写が素敵だわ。

「湯殿の西の隅に、べいらべいら舌さあ吐いとるだ」(p91)

「べらべら」でも「にょろにょろ」でもなく「べいらべいら」ですもん。

最後に蛇足な突っ込みですが。
描写絢爛な鏡花にかかれば、人づての話でも事細かになるのは当然なんですけど。
ちょっと語り部の坊さん、アンタ詳しすぎ。
講釈師見てきたような嘘をいい(笑)。


叶わぬ願いこそ、すべての原点である

グラン・モーヌ グラン・モーヌ
アラン=フルニエ、Alain‐Fournier 他 (1998/12)
岩波書店
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寂しい話が好きだ。
絶望と隣り合わせで、ハリネズミみたいになっている人たちが好きだ。
絶望と言っても、どん底にはほど遠い、むしろ彼らの生来の「いたたまれなさ」からくる鳴動でざわめき立ってしまう、逃げ出したくてなってしまう人たちが好きだ。
日本人の書くものは、どうしてかやけに湿っぽくて困るのだけど、絹子が嘆息してやまない海外の作品たちは、みなからからに干からびて、頬打つ風に一滴の涙さえ浮かばないほどなのだ。

筋書きにはこう書かれていた。
「運命的な彷徨のすえに、不思議な屋敷で美しい令嬢イヴォンヌに出会うが、それは長い探索の旅のはじまりであった」
果たして、「彷徨」という言葉をここで我々は文字通り受け取っていいものか迷うに違いない。
我々はあまりにも精神の彷徨に疲れ果てているから、身を持って知る彷徨の何たるかを知らなさすぎるのだ。
おそらく、滅多に乗ることの叶わない蒸気機関車が最速を誇っていた時代、青年に満たない少年たちは、手綱を握りしめて馬車を初めて走らせるという強攻に出たとき、そして闇を迷い道を失い馬を失ったとき、ひたすらに歩く。
当たり前の行為。
歩き続け、歩き続け。
草原と樹影と、彼方に放牧された家畜たちと。
足は彷徨い、付随する肉体はへとへとに疲れ果て、見上げた先に闇に浮かび上がる城壁。
身を横たえ、周囲から浮かび上がってくる音は、彼への招待状だった。

グラン・モーヌと呼ばれた少年は、転校早々クラス中の畏怖を勝ち得た。
だが、彼は畏怖を求めていたわけではなかった。
まるで体だけが先に成長してしまった子供の中には、置き去りにされた心が指先、頭のてっぺんにまで広がる力を欲して叫んでいるようで、そのくせ叫ぶ力を静謐の中に押しとどめる奇妙な反作用にも打ち負かされて。
心が延びることができないなら、足が先へ先へと進んでいけばいいと思ったのだろうか。

グラン・モーヌは出会ってしまった。
カーニバルに。
たった三日間の、夢幻劇の狂騒に。
確かに彼は恋をした。
イヴォンヌに再び相見えることを求めて、すべてを賭けた。
けれども彼の人生を、足の裏に一箇所には二度と留まることを許さぬ傷みを残したのは、おそらくその「婚約(イヴォンヌの兄・フランツ)パーティ」という大義名分を負った子供たちの夢の時間だったのだ。
振り返れば、我々は大矢ちきや内田善美の作品の中で、金のモールに鏤められた、ある種恐ろしさを喚起するほどのお祭り騒ぎを眺めてきた。
この日本には相応しくない、過剰に華々しいそれでいてもの悲しいカーニバルに違和感を覚えたはずだ。
彼女たちが表したかったのは、異国の民がもしかしたら生涯に一度きりしか巡り合わせない「夢」の瞬間だったのかもしれないと、渦に巻き込まれながら思い至ったのだった。
この情景は、一種の建築幻想と捕らえることもできるかもしれない。
広大な敷地に点在する朽ち果てた城跡。
船で川を渡ってさえなお、新しい廃墟と背景に相応しく着飾った老若男女の歌声。
元々何かを探さねばならないのは、少年の摂理だけれども、多く人は「求める」ことを忘れてしまう。
けれども、グラン・モーヌは決定的な瞬間に出会ってしまったのだった。

そして、グラン・モーヌの終生の友であり、彼のためならばあらゆるものを守り、あらゆるものをつなぎ、最後にはすべての希望を投げ出してしまえた、主人公のスレル。
スレルはグラン・モーヌが遊星であるならば、ひたすらに楕円軌道の焦点として立ち尽くし続けている。
かつて二人は同じ屋根の下で数年を過ごし、再びあのお城に行きたいと願うグラン・モーヌの夢をスレルは自分の夢として共有した。
自らの眼で肌で知ることができなかった喜びを、スレル自身も求めるべき唯一のものとして探し続けた。
スレルはもっと喜びを分かち合いたかったはずだ。
たとえ城跡は石ころとして崩れ果てても、スレルはイヴォンヌを見つけだしてやったのだから。
けれども、スレルは何も求めない。
結婚から数日も経ぬうちに、フランツとの約束を守るため、彼の婚約者を捜す新たな旅に出てしまっても、イヴォンヌの側で彼女を支え守り続ける役目だけ全うした。
イヴォンヌが身罷り残された愛娘を守ることだけを誓いとした。

もしスレルが、グラン・モーヌの夢の最大の理解者から一歩足を踏み外したというならば、彼をフランツとの約束を守るように新たな約束を取り付けた事だろう。
それは一見残酷な裏切りにも思えるかもしれない。
けれども、残酷なのは、この物語に生じる偶然(例えば、フランツの婚約者とグラン・モーヌは一時恋仲になっていた)の連続であり、グラン・モーヌに見せつけた強烈な原始体験であるのだろう。
おそらくスレルには、イヴォンヌはかつてグラン・モーヌが求めた夢の少女ではないということが分かっていたのだ。
グラン・モーヌが求めたのは、二度と帰らぬ瞬間であり、スレルには彼が彷徨い続ける宿命を背負っていることを痛いほど分かっていたのだろうと思う。

みんな、みんな、悲しい。
悲しくて、悲しくて、全部きれいになる。

***

岩波文庫月間のこれは三冊目。
二冊目は↓でした。

影をなくした男 影をなくした男
シャミッソー (1985/03)
岩波書店
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こちらは寂しさは不十分ですけど、例えば、金貨を生み出す袋と交換してしまった「影」が変幻自在になって追いかけてくるところとか、もはや影を求める焦燥を失うほどの喜びとハイスピードで、世界を股にかける(まさに文字通り)靴を手に入れて闊歩する様など、読後感は爽やかでした。
寂しさがないと物足りないのは、絹子の性分なので、その辺りの減点はご容赦いただければと思います。

第三回 ズンドコ杯争奪 読んでみやがれ!感想文の会

第三回 課題図書

☆『球体の神話学』 高橋睦郎 河出書房新社 1991

出題者:絹山絹子
コメント:10年位前貪るようにこの辺りを読んでいた。詩人が鋭敏な感覚を丁寧に丸めていく過程のようなもの。過程とは過程自体が面白いのであって、丸まりきったら苦いんだけどね。

 
☆『贋金つくり 上・下』  アンドレ・ジイド 山内義雄・訳 新潮文庫 1952

出題者:素天堂
コメント:プリティボーイズメルヘン(vvv)←ハート

◇ 提出期限 4月25日


ズンドコ杯については、こちらを参照のこと。


性懲りもなく第三回です。
また上下本かよ!と睨んでいます。
天麩羅が食べられるくらいにお腹の調子が回復してきたので(相変わらず一日三回以上ですが)…というわけではないのですが、久々に感想文で身悶えてみたいと思います。

本当は復調宣言ということで、今月は岩波文庫月刊と題して、(目標は「中学生の私よ甦れ」ということで)一日一冊岩波文庫一人感想文の会をやろうと思ったのですが。
既に初日にして、やられました。


あきらめ,木乃伊の口紅 他4篇 あきらめ,木乃伊の口紅 他4篇
田村 俊子 (1952/04)
岩波書店
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1952年発行となっていますが、94年の復刻フェアで復刊されています。
それでも、もう品切れの可能性大なのかな。

田村俊子といえば、田村俊子賞ですが。
森茉莉、武田百合子、倉橋由美子と、受賞者は大好きなのに賞を冠した人の作品には触れたことがない。
しかしねえ、非常に苦しかった。
正直にいえば、胸が悪かった。

例えば、普段ファッション全般に全く興味がない器だけは女性の箱に入った女の子が、異性という目で恋愛をするのではなく、むしろ中性体として独自の審美眼によってごく限られた他者に心を開くような女の子が、女性専用車に閉じこめられて、その中ではひたすら化粧を続ける女の子たちと、漬け物石みたいなファッション誌を読みあさる女の子たちと、男たちを冷笑しつつも策略を練り合う女の子たちの集団に突っ込まれた感覚。
とでもいいましょうか。

『木乃伊の口紅』のように、田村俊子自身が作家を目指し、一方で女優にも転じた自伝的要素を多分に含んだ作品だけでなくとも、いずれの作品にも共通しているのは、主人公の女性がひとつのプロトタイプを示しているということ。
彼女たちは風景を愛しています。
風雨は、こぼれ落ちる日の光は、またそこはかとなく漂ってくる匂いは、すべて感情の細やかな変化を映す鏡となって存在してくれるからです。
また彼女たちは、思い出を愛します。
自分の体をすり抜けていった男たち、あるいは自分たちを慈しんでくれた導き手たちは、遠い蜃気楼になったとき、ひたすらに浄化されて涙を誘ってくれるからです。
けれども彼女にとって、現時点目の前に存在する男とは、たとえ美しい顔をしていても、退屈で芸術の欠片も尊重しない、愚鈍なものにすぎないのです。
彼女たちは自分に確かに選ばれるべき「光」があり、それは自分から掴みにいくのではなく、すべからくすれば誰かが見い出してくれる存在であると信じているのです。

これは、まさに一つの粘性の「女」を描いた作品群なのです。
『木乃伊の口紅』で主人公のみのる自身がこう述懐しています。

こんな日の間にも粘りのない生一本な男の心の調子と、細工に富んだねつちりした女の心の調子とはいつも食ひ違つて、お互同士を突つ合ふやうな争ひの絶えた事はなかつた。  270p



退屈と叩きつけたくなるよりも、人の胸を悪くさせることができる作品の方が、感興を促しす力があるという意味では、差異があるのかもしれません。
もしかしたら、フェミニストな人たちには受け入れられるのかもしれませんしね。

と久々にズダボロにむっとした本だったのですが。
いつもどこかで、「その気配」には鼻が利く絹子なので、こうした女たちの一つの型として、おそらくは絶対美は異性にはないと信じる傾向が生み出すレズビアンな発現を抜き出してみましょう。

京子――と思つたはずみに、幾重の胸に放埒な恋が燃えるやうにきざした。あの可愛らしい娘ごころを今夜一晩で何うにかしてやりたいと思つた。赤い色彩で埋つてゐる京子を、幾重はどうしても今夜気儘にして見たかつた。牡丹の花の崩れるやうに、自分の抱かうとする手に崩れてきさうな京子の風情などを描いて、幾重は、自分の肉が震へるやうな気がした。
『春の晩』226p



(引用に際し、旧漢字は新字に改めています)

のんびり

ここのところのんびり生活を送っています。

最近のヒットは河出文庫の「文豪ミステリー傑作選第二集」でありました。
ピカイチは、岡本綺堂で、近々「青蛙堂鬼談」の入手を目論んでいます。
この本、なぜか開化ものといいますか、明治の横浜を舞台にしたいい味わいのミステリーがてんこもり。
そして、絹子がわくわくしたのは、非常にエスエムちっくな話が多かった。
発表年代の問題なのかな。むむむ。

例えば。
海音寺潮五郎の「半蔀女」は平安を舞台にした、男が深夜にふらりと引き込まれた家には美女がいて、ある日気づくとそこは荒れ野と化しているといういわゆる物の怪譚風味な始まりなのですが。
実は美女は幽霊ではなく、のちに主人公の出世を阻んだ男の北の方であり、盗賊団の女首領であったという、ものすごいひねりの利いた話なのですけど。
女も男に未練があって、私は実は盗賊を率いるようなひどい女だけど、それでも私を好きなの?と愛情を推し量るために、男を機に縛り付けて、背中をばしばし打つ。
傷ができたら治るまで優しく看病してやって、治ったらもっときつくいたぶる。
このエピソードが、本当に必要なのか分からないんですけど、絹子さんは色めき立ちました。


さてさて、そんなのんびりな毎日。
今日は誕生日に一番近いお休みということで、たくさん楽しいお祝いをして貰いました。
目覚めたときびっくりのプレゼント攻撃(いつもパソコンのキーボードの上に置いておく)は絹子の十八番でしたが、今回はこちらのパソコンの前にカードとプレゼントが置いてありました。
ハンズで欲しいと叫んだ、あの飛行機セットがやって来たんだよ。
ピンセット片手に組み立てるのが楽しみ楽しみ。

それからゆっくりと自転車に跨ってお弁当を買いに行きました。
升本というそこのお弁当は、二度医局の薬説明会でプロパーさんが持ってきてくれたお店のもので。
一度目で、余りの旨さに、白木の箱だけ持って帰っていて。
先日ノロ二号に襲われた週に二度目の升本弁当が出たので、持って帰ってP氏に食べて貰ったら、美味い美味いの号泣で。
嬉しいことに、升本は亀戸駅に出店しているので、今日こそは!と思って買いに行ったのですが、お昼過ぎに完売。
泣く泣く、かき揚げや卵焼きや煮物といったお総菜を買って自転車でさらに東へ。
小松川千本桜の下でお花見です。

バーベキューもレジャーシートもないけど。
缶ビールと缶チューハイとお総菜と桜吹雪で満腹満腹。
浮かれて芝生で寝ころんでいたら、昨晩の雨の湿気が背中に伝わりましたが、二人で自転車を走らせていると、道を間違えてわーっと叫んでいても楽しい限りです。

夜は、昨晩の豆ご飯の残りや、升本総菜の残りで、また一献。
なぜか、驚きの(絹子自身はこの岩波文庫三冊本を読んでいないので、その驚きが分かりませんが)『トリストラムシャンディの生涯と意見』という映画がシネフィルイマジカで流れているのを横目で見てニンマリしておりました。

そうそう、BBTVは今月からミステリチャンネルが仲間に入って、まあ大変です。
ポアロを毎晩観られるなんて!
新ルパンの冒険ってどんなだろ。
小学生の頃は、ルパン(勿論、怪盗紳士のほうさ)に攫われることばかり夢見ていたので、品質高いイギリスTV版に期待大です。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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