2007-02

ワクワクワクワク!

わーもうめちゃくちゃ楽しみ!
私家版で貴重な資料本を作っていただけることになりました。

虫ちゃんは、絶対忘れられちゃならない存在なんだよ!

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泡切れが悪いのは水が軟いからなのか

細胞その他組織の保存には、-80℃冷凍庫もっといえば液体窒素中が適しています。
組織を守るためには、凍結融解をできるだけ短時間で行う必要があります。
融解する場合は、一気に37℃恒温槽に浸けて蘇らせます。
そして凍結させる方法ですが、一番は、天麩羅を揚げる要領で液体窒素の中に入れます。
液体窒素がない場合はどうするか。
100%エタノールの中にドライアイスを投げ込みます。
ドライアイスが小さくなって細かな泡が立ち上る程度になったところで、冷凍天麩羅です。

描写力を高めたいなんて大それたことを、願ったわけではなく。
本当にいつのまにか、頭が変わってしまった。
何かを見る。聞く。匂う。
ありふれているようでそうでないものたち。
その瞬間、言葉がどばりどばりと。
洪水のように溢れだして、その泡立つ音は耳を塞ぎたくなるほどで。
総ての感覚器を閉じてその場に蹲ってしまいたくなるような、それでも自分は歩き続けていて。

以前は、そのもどかしいほど溢れてしまったものを、瞬間凍結したものを持ち帰ることができた。
ちゃんと専用のジャーに詰めて、もくもくと気化していく液体窒素に流しこむことができた。
そして、真夜中になると取り出して、彩色していくことができた。
いま。
魔法瓶が割れたみたい。
持ち帰る最中に解けてしまうのです。
エタノールが流れ出してしまうのです。
ようやく持ち帰っても、冷凍庫は-20℃にも上昇していて、ぐずぐずとダメになっていくのを眺めているしかないんです。

それじゃあ、もう凍らせること自体、やめてしまえればいいのに。
一歩踏み出せば、流れ込んでくるものたち。
全部、全部、側溝に流れるに任せればいいのに。
まだ騒いでる、あわぶくたち。

温度上昇した冷凍庫に、手を濡らして突っ込む。
凍えて、そして割れてしまえと。
でも、もともと冷たい手は、そんな温度じゃへっちゃらさって。
嗤うんです。

ぞっとしてみる?

ぞっとしない。
日本語なのに、いまだに理解できない言葉のひとつがこれ。
だから一度も文章の中で使ったことがない。
「ぞっとする」と「ぞっとしない」の違いって何なんでしょうか。
まあ、今日は「ぞっとしない」本、三連発ということで。

つまみぐい文学食堂 つまみぐい文学食堂
柴田 元幸 (2006/12)
角川書店
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まずは日本語もろくにできないのに、他言語に挑戦するなんて浅はかだな、じゃあ、大好きになった海外物は信頼できる翻訳者でなくちゃということでこの一冊。
鼓直さんとか、木村榮一さんとか、河野一郎さんとかと同じくらいに全幅の信頼を傾ける柴田さんの「不味い」文学案内・笑。
「不味い」食事の話題は「美味い」食事の話題よりも盛り上がるねという巻末対談から来ています。
なんといっても、これ私の溺愛漫画家の三本指に入る吉野朔実さんとのコラボになっているんですよ。
イラスト(柴田さんをモデルにしたというチンチクリン眼鏡小僧が小憎らしい)と対談と。
たとえ新刊といえども、これを買わずにいられようか。
幸い著者の勤務大学の生協書籍部には、平台に積み上がってるんですもん。
(もちろん、ポール・オースター著作集とかエドワード・ゴーリーの絵本たちも、並ぶぜ並ぶぜ!)

一気読みして、ふーっと満腹満悦の嘆息を吐き出した…と思いきや、そうではなかったんですね。
実は最後に載っている対談は中盤に読んでいて、最終章に何が書かれているか知らなかった。
こんなこんなこんな恐ろしい話が載っているなんて。

前ふりが長くなりますが、絹子さんは偏食です。
それもなんというか…変な偏食なんですよね。
口に入れられないほど嫌いなものは、そんなに多くない。
というか、まあ極力極力最大限何度も挑戦してそれでもダメなんだから止めてくれーな食べ物が、牛乳、納豆、雲丹、スジコ、塩辛、柿、カルピス…。
え?十分在るじゃないかって。
まあそうなんですが、これはどう変化しても食えない奴らで、実際何が変かというと、食材は同じでも調理方法で食べられる食べられないが大きく変わるということですか。
例えば、海老。
海老フライ◎、海老の握り◎、海老の姿焼き◎、海老の天麩羅○、海老シュウマイ○、海老の佃煮○、海老チリ△、海老グラタン△、チャーハンの海老△、八宝菜の海老×、海老カツレツ×、海老の煮物(殻付)×。

例えば、烏賊。
烏賊の握り◎、烏賊するめマヨネーズ付◎、烏賊の刺身△、烏賊リング△、烏賊の煮物×、烏賊墨スパゲティ×、烏賊焼き(屋台版)×、烏賊ポンポン(ご飯が詰まった奴)×、烏賊の塩辛×××。

こういう◎から×までがずらりと並ぶ食材が、まだまだ山とあって、特に機嫌体調が悪いときには、△は×にシフトするので、我が家の主夫が頭を抱えるのも無理はないと思われます。
食の好き嫌いは子供の頃に確立されたものだといわれますが、まあ大人になって食べられるようになったものそれなりにはあります。
でも子供時代の特に給食のトラウマって大きかった。
柴田さんがメルヴィルの「白鯨」を引き合いに、何度も美味かったと叫んでいた鯨は大好きでした。
昭和50年代辺りに小学生をやっていた人までくらいなのかな、あの旨さを堪能できたのは。
絹太さんは、一度揚げたものをケチャップ風味の酢豚みたく仕上げた大和煮を思い出すだけでじゅるっとします。
一方で牛乳が飲めない子は6年間が地獄です。
「いただきます」と手を合わせた瞬間、鼻をつまんで一気飲み。
冷えていればまだなんとかいける、でもぬるくなっていたら…泣く。
だからチビチビと飲んでいる奴、こぼして匂いを漂わせている奴の気が知れなかった。
上にも書いた海老カツレツ。
これは、腎臓の形をした(空豆と書け!空豆と)カツで、中に海老グラタン様のものが詰まっている…うう。
フルーツサラダ…これはデザートですね、甘いヨーグルトに果物が浮かんでいる…うう。
そして、極めつけ。
これが一ヶ月の給食献立表に見えたら、一日中憂鬱になった代物。
ポークビーンズというか、豆のロシア風煮込み…ぎゃああ。

まあ私の食べられないもの百貨店はどうでもいいとして、不味いものほど盛り上がるというのはよく理解できます。
だって人と最初に知り合ったとき、話題に欠いたら、「何が食べられない(ここ傍点)?」って聞くと、さらに相手の返答が極まっていると「信じられん、あんな美味いものを」とかなんとか、打ち解けやすかったり…しませんかね。
「人生で一番不味かったもの」も盛り上がりそうですけど。

とそんなこんな、食をめぐる英米文学(独逸や仏蘭西も入ってますが)に目を奪われつつ、ブローティガンいいよねーいいよねーと深く頷き、あーなんて変な話なんだろうとか、自虐的を愛する柴田さんの思い出話にニマニマしつつ、頁を繰る幸せよ。
残念なのは、面白そう!と唸った作品ほど、日本では翻訳が出ていないことを知らされたりすることだったり、はたまた、この本で使われている字体が奇妙で、目がちかちかしてくるんだよーとか、まさに旨味の中に後5ngの隠し味が…と言いつつも、最終章に辿り着く。

さてさて、ここに出てくる柴田少年が実体験したという話。
素氏にしたところ、それはすごく良くできた創作なのではないのかというのですけど、元ネタも匂うというのですが、電車の中で震え上がって自分が今どこにいるのか不明になるくらいだったので、もうホントウでもウソでも大喝采!なんです。
一応、この本最大のネタな気もするので伏せ字にしますが、めちゃくちゃ怖かったよー。
こんな体験したら、一生トラウマで何もかもが怖くなりそうだよー。

通り一辺倒のチンドン屋に興味を失っていた柴田少年は、ある日「ワシントン広場の夜は更けて」をジャズアレンジしながら流していくチンドン屋の音色に誘われて表に飛び出した。
後を追いかけて行くうちに自分は全く見知らぬ街に着いており、不安になって振り返ると、彼らもいなくなっていた。
お腹もすいてますます不安。ポケットを探ると15円を発見した。
10円で焼き鳥を頬張り、残りの5円でソース煎餅を買うことにした。
ふと通りに駄菓子屋を見つける。でも、なんだか普通の駄菓子屋と違う。
店は薄暗いし、駄菓子もあるけど壁に掛っているものも怪しいし…。
それでも顔を出した怖い顔のおばあさんにソース煎餅を注文すると、「うちのは特別だよ」と言いながら奥に消えた。
戻ってきたおばあさんが手にしていた煎餅は、茶色いソースではなく、見たこともない真っ赤なものが塗りたくってあった。
変だなと思いながら掴んで歩きながら匂いを嗅ぐと、鉄錆の匂いがする。
今まで一度も食べ物を粗末にしたことがなかったのに、初めて「食べたくない」という思いで一杯になって、叢に投げ捨てた。
振り返ると、おばあさんが般若のような形相で立っていた。
おばあさんは少年の首根っ子を掴み、駄菓子屋の奥に閉じこめた。
あの真っ赤なものは血で、僕以外に子供が攫われて生き血を抜いてはソース煎餅に塗っていたのかもしれない。
僕も殺される。
生き血を抜かれてしまう。
誰か僕をここから出してよー。


落ち(というか落ちていない気もしますが、とっても素敵に震えつつ自虐的で愛らしい結語)は書きませんが、いやー怖い怖い。
こんなさっくり私の下手なあらすじだけを追うよりも、是非とも本文を!
ここの所、柴田さんのエッセイや小説もめきめき出版されているので、これからも追いかけますよ。


で、次の恐怖。
以前にそのアンソロジーのできに惑溺させられた「文豪傑作選-吉屋信子集」の余韻がまだ続いていて、こちらもやっとこ入手。
前書の解説で、是非こちらもと書かれていたので、どんな新しい話が入ってるんだろうと大期待のもと繙いたのですが。

鬼火・底のぬけた柄杓―吉屋信子作品集 鬼火・底のぬけた柄杓―吉屋信子作品集
吉屋 信子 (2003/03)
講談社
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実は、これは二部に別れていて、前半が短編集、後半が俳句論になっている。
そして悲しいかな、「文豪傑作選」とのダブりが多い。
ちょっと損したかなという思いは拭い去れないんですが(なんといっても、講談社学芸文庫は異常に高値だから)、だぶっていなかった話が、これまた大当たりでした。
「童貞女(びるぜん)昇天」は隠れ切支丹が逃亡の途中に産み落とされた女の子が成長し、ただ一人山奥の修道院に暮らしている話なんですが。
彼女は尼僧の戒律を固く守って、誰とも接触することなく、ただ犬とのみ暮らしている。
その犬も老衰でこの世を去り、彼女自身も老いを感じて死期が近いことを予感している。
そんな夜更け、一人の美しい遊女が助けを求めて訪れたことで、生まれて以来総てを神に捧げてきた尼僧に啓示がくだる。
書き出しは、一人暮らしのはずの僧院の焼け跡の中から二人の女性の遺体が発見されたところから始まる、ミステリアスな提示なのですが、次第に明らかにされていくのは、壮絶な緊迫感なのです。
そして究極の同性愛と呼べなくもない。
ちぐはぐや誤解は多く滑稽味を生み出しますが、この作品は、一生という長い時間に純粋培養された抑圧が一気に爆発する、真っ赤な火柱なのです。
その赤ともう一つ呼応するのが、赤蜥蜴。
犬が食いちぎり放り投げた赤蜥蜴の死体が浮かぶ水場で、死体に気を留めず水をくむ尼僧の姿の背後に漂う奇妙な官能。
赤蜥蜴は、彼女が伝聞によってのみ信じ続けた世の汚れ、堕ちた女体を象徴しているように思われてなりません。
吉屋信子さんご自身もお気に入りだったというこの作品、ものすごくいいです。

で、もう一作が表題作「鬼火」
ぞぞぞぞぞぞぞっとしないはず。
ガス集金人が気の迷いで、料金滞納婦人に掛けた一言で招く恐怖。
怪談とも呼べるし、悲しすぎる話ともいえるし。
ガスコンロを捻った瞬間、ここ何年かは炎に欲情する少年を描いた草間さかえさんの↓のことを思い出してはその青い炎に陶酔していたのですが、これからしばらくは、「鬼火」の冷たい業火で震えあがりそうです。

災厄のてびき 災厄のてびき
草間 さかえ (2006/11)
東京漫画社
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ちょっと長すぎて息切れしてきたので、最後のぞっとしない(これはまさに「ぞっと」しない)に属する奇妙なお話オンバレードの怪談集。
いまはなき福武文庫は、翻訳物好きには堪らなく蒐集欲をそそられるラインナップですが、こちらも一気読みでした。
「スティーブンソン怪奇短編集」河田 智雄訳 (福武書店・1988)

スティーブンソンは、怖いというより、奇想天外です。
展開がもの凄くおかしい。特に「声の島」。
魔法使い側から見ればその島は、貝殻を銀貨に帰ることのできる魔法の草が生える島。
島民から見ればその島は、聞いたこともない言語の話し声がそこら中であがり(魔法使いは次元をワープして透明人間状態で作業を行っているから)、火柱が急に立ち上がる呪われた島。
その二つの視点自体おかしみがあるのですが、見えざる魔法使いと島民の死闘(当然、魔法使いの勝ち!)に空中分解されていく死体の山(北斗の拳状態で)。
主人公の義父は魔法使いで、海に入れば、アメーバみたいに体がぐねぐねになって、40倍にも強大化してゆくとか。
そんなのありかよ、頭の中で映像を起こしている間に、次の異常展開に追いつかないっていう感じで。
とはいえ、何より魅せるストーリーテリングが卓抜しているので、どの短編も飽きることがありません。
最後に載っている「マーカイム」なんか、いくつもの時計が刻む音に息詰まる殺人劇から、ふっと心が解放されるドッペルゲンガーなお話です。
ドッペル君、めちゃくちゃ諧謔的な物言いで主人公を悩ませるんですが、もしこいつが「良心」という名の存在だとしたら、その意地の悪い手腕に諸手をあげて降参といいたくなります。

ちょっと元気もらった

心荒んだ日には、昼休みをたっぷりととろう。
最近の私の道行きとしては、弥生門を抜けて、まずはモスバーガーへとしけこむのである。
冬場は、クラムチャウダーは欠かせない。
その後向かうのは、勿論古本屋さんだ。

正門前に居並ぶ古書店は敷居が高いだけでなく、実際ツマラナイのオンパレードだし、本郷三丁目駅から程近いあそこも結局一冊も買ったことがないし、T大近郊で唯一心おきなく楽しめるお店は、およよ書林だけなのだ。
根津駅から近いし、年中無休なので、弥生美術館なんかにおいでになるときは、お勧めです。

で、正月以来久々に訪れてみると。
嗚呼、バイトちゃんが入ってる!
そう、サイトでバイト募集の文字を見ていいなーいいなーと涎垂らしていたんですが、決まってしまったみたいで。
そのせいではないでしょうが、結構本が変わっていて、嬉しくなってしまった。
ここは、芸能、映画、風俗、現代美術が強めで、あとは幻想周辺の海外ものが少し。
先日は、獅子文六の可愛い随筆が廉価で転がっていて、お土産としたのですが。
今日はわさわさっと4冊買ってみました。

あまり買った本の題名だけ並べるのは藝がないように思えるのでしないんですが、まあ今日の収穫はこんな感じ。

・『博物誌 虫』 ジュール・ミシュレ (思潮社)
粟津潔さんの装丁がね、すごく可愛いんだ。
モノクロ反転だけど、「怪奇幻想の文学」(新人物往来社)シリーズの表紙に型押しされた小林ドンゲをなぜか思い出す。
そういえば、小林ドンゲは女性だとつい最近知ったのであった。

・『フィルモロジー 映画哲学』 G・コセン・セア (朝日出版社)
いまはなきエピステーメー叢書の一冊。
雑誌「エピステーメー」は難解だけど、背伸びして集めてしまうシリーズです。
だって特集が、まるで文系のための理科好き(by 荒俣宏)の心をくすぐるようなものばかりだから。
「遊」よりも好き、でも「IS」には負けちゃうとかなんとか。
昨夏に出した「Film Obsession」以来、なんとなく真面目に映画に向かおうと思っているらしい。
そうそう、自分の中でこのタイトルは、Venus Peterの「Obsession」という曲からヒントを得たと思いこんでいたのだけど、実は、「夜想」の終巻に近い辺りに「フィルムオブセッション」と題する特集号があったことに気づいた。
というか、持ってるし。
なーんだ、意識下に潜んでいたんだ、おもいっきりパクってたねーな裏話。

・『建築の無限』 毛綱毅曠(朝日出版社)
これまたエピステーメー叢書。
この叢書は侮れない。
三十数冊のラインナップを見るだに、買わないまでも一度は中身を覗かねばという気にさせられる。
『一角獣の変容』とか『光の形而上学』とか我が家の大事な一冊なのかも。
で、毛綱氏については、存じ上げたのはつい最近で、身近な建築気違いがモンモンと騒いでいるので、お土産に買ってみました。
奥付のコピーライトがMOZUNA MONTA KIKOHになってるのが心憎いほど。
こういうドッペルゲンガー/不肖の一卵性双生児は素敵だな。
つまりはこの本は、「毛綱モン太氏の遺作集」であり「建築学術的にも何ら値うちの認められる代物ではない」んですって。
毛綱氏については、アセテートで学ぶべし・笑。

・『ART VIVANT 1988 28号 特集=レーモン・ルーセル』(西武美術館)
私この雑誌、全然知らなくてですね。
頁を捲っては、うおおおおと声なき声を発してしまったんですが。
ビュトールのルーセル論を皮切りに、演劇・映画そして「新・アフリカの印象」を読むための機械論が図版一杯で素晴らしい。
こういうどきどきは久しぶり。
やはり「骰子の七番目の目 "La Septieme Face du De"完全復刻」号も買うべきだったような気がしてきた。
瀧口修造関連としては、たとえフランス語が読めずとも手元に置くべきではなかろうか。

泥かぶり灰かぶり

今日のお昼の「ウチくる?」に高橋ひ○みが出ていて、「ふぞろい」関係の(私は一度も見たことがなかったドラマだけど)お友達やら何やら、一杯参加していて、それはそれで微笑ましかったのですが、(某石原さんが出るのではないかと戦々恐々としているところも可笑しかったのだけど)何より、彼女は「天井桟敷」からデビューした人で。
それで、若松○史が来たら、泣いちゃってね。

私は、ある種のオオオオと低い唸りを上げずにはいられなかったのだけど。
「天井桟敷」とか寺山周辺というのは、私には総て過ぎ去った後の残像を手のひらに載せる行為しかしたことがないので。
映画祭に行っても、歌集や図録を開いても、遠い遠い空白県空白村の出来事で。
だから一時は夢中になったけど、今は一年に一度ぐらい、古書市で(自分にとってだけ)新しい資料を捲ってみるような風景なのです。

だから、殺しちゃいけないのだけど、若松氏が生存してそこにいるだけで、ひどくぶっ飛んだ。
そして、彼からひとみさんへの手紙がすごく良かった。
子供を持たなかった寺山さんの何千人のファミリーの、ひとみちゃんは末娘で、若松さんはできの悪い兄貴なんだそうだ。
そして、真珠のように真っ白だった彼女を、「アングラというどろどろした世界の外に出してやれてよかった」ってね。
なんというか、そうか、アングラの中に居る人は、自分たちがどろどろしていると認識していたことに、少し衝撃を受けたのです。
綺麗な人ほど、純粋な人ほど。
つまりは若さに一端をもつ美しい者たちが、無心になって泥まみれになることを、私はある種憧れていたけれど、泥の中で、あの白粉の中で呼吸をした人たちが、その旗手自身が、そんな風に感じていることが、とても不思議に思えました。
切ない未満、安堵未満。

ちゃんと泥の中に突っ込めなかった人間は、一度も澄むことなしに終わってしまうのかな。
こんな風に何かが見えかかっている気がする日は、何かお話を書かなければいけない気がする。


****************
ここ二、三日考えていたこと、教えて貰ったこと、見たこと。
暗すぎるので反転。

誰も分かってくれないと思うより、誰しもたとえ似ていても同じ考えの人なんて二人といないと思うようにしなさい。
そうかもしれない。
そうしよう、しばらくは。
そしたら、悲しくない、多分。

子供を産む人も、産まない人も、みんな全部違う理由があるはず。
それでいいんだと思おう。
絹子にとって、血縁とはただの運命の巡り合わせであって、なぜあの人が母で、あの人が父なのか、あの子たちが妹なのかを考えるのは、全くの思考の無駄なのだ。
だから絹子は二人っきりでいる。
自分の意志で選び取った人にだけ、一生を捧げる。
選び取れたことに、選ばせてくれた神様に最大の感謝を捧げる。

怖い夢。
想像は表層の意識であって、必ず思い描いてはならないと堰を設けるけれど、夢は内側から掻きむしっては、剥がしとる。
ひどい暴力には違いないけれど、明らかな自浄作用でもある。
だからこの恐怖を夢の水位にまで引き上げてくれたことに感謝する。
そして、夢がどんなだったかを語ることで、絹子の恐怖は一枚一枚剥がれてゆく。
聞いてくれてありがとう。

もうひとつ、寺山つながりで思い至ったこと。
昔、相模原のアパートに、設計士さんがやって来ました。
昭和三十年代生まれのその人は、「天井桟敷」をリアルタイムで眺めることが出来た人でした。
「寺山好きなんですか」
「仮面画報」やその他沢山の資料を本棚に見つけて、尋ねてこられた。
私は、ただにんまりと笑っただけ。
本物を見た人には叶わないと思ったから。
でもね、その時、隣にいた人が、「好きですよ」って応えた。
びっくりしたね、内心、この嘘つきめって思った。
だって、何も知らない人だったから。
知ったかぶりしたことに、怒りよりも不信感で一杯になった。

絹子は当時も沢山好きなものがあって、好きな本があって、好きな音楽があったけど。
一度だって、読ませよう、聞かせようとしたことがなかった。
一方で相手が好きなものはいくらでも話を聞いて、いくらでも遊びに付き合った。
それが奇妙な友情を生み出してしまう引き金になっていたともいえる。
なんだか今日急に、ひどく残酷なことをしたと気づいた。
一度だって誘わなかったからね。
この人は絶対分からないって、線引きしていたんだって。

そういえば、「教えて欲しかった」って泣いていた。
「製本の手伝いが出来て、楽しかった」って泣いていた。
残酷だったな。
本当にひどいことをしたな。
線引きできるほど自分は何も知らないのに。
寺山のことも、その他たくさんのことも、本当の絹子は何も分かっていないのに。
なんて偉そうで、なんてひどい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

絹子はやっぱり、どう言われても、償いを続けなければならないのだと思う。

ちっこい瓢箪駒

さーて、以下の引用元は誰の作品でしょう?
すべて同一短編内ですが。

A p160
 その地、北嵯峨を少し入ったところに周囲を竹林で覆い囲まれた、豪華絢爛、優艶絶美のボスフォラス以来二つ目であるといわれるケルト・ルネッサンス式の荘厳な屋敷があります。

B p162
 ただ、壁によりそって彫りの麗美さを誇っていた五尺の柱時計のみが、己が曇りし音を大きく打ち鳴らし惨事の到来を告げている。
 そして悪魔はいずくにか去らん……
 あぁ、閉幕<カーテンフォール>――


C p170
 パトカーから降り立った小寺は自分を呼ぶ声を耳にし、振り返った。コリント式の大理石の円柱が支える荘厳な玄関に現れたのは、上杉充だった。

D p177
「鍵棚の鍵は使われなかった、ということか。すると憎むべき殺人犯は、鍵を掛けた後にその鍵を室内の被害者のポケットに戻し、あまつさえ処女雪に囲まれた奥の宮から足跡を残さず逃げ出したというわけか。二つの厄介な密室を創り、尚且つそれを実行したというんだな」
 ヴァン・ダインの愛読家である小寺は、大時代的な台詞回しが好きだった。



ここのところ原稿続きで放出気味になっていたので、頭を軟化させるために、久々にかるーいミステリとか読んでみたんですが。
私、この作家さんが最近のミステリ界では一番好きなんですよね。
「痾」とか最後が素晴らしいし、「夏と冬の奏鳴曲」なんて思わずノートに書き写してしまうほど惚れ込んだ哲学的文章もあった。
でも探偵のメルことメルカトル鮎って、異常に映像を頭に浮かべることを拒まれてしまいましてね。
ロシア系の風貌にシルクハットにタキシードで、突如として不釣り合いな村に出てきたりして。
水色のパジャマに、ポンポンのついた三角形のナイトキャップ被って眠るんだよ。
存在自体が怪しすぎます。

とうことで、正解は

メルカトルと美袋のための殺人 メルカトルと美袋のための殺人
麻耶 雄嵩 (1997/06)
講談社
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の中でメルが悪文丸出しで美袋君に暇つぶしの謎解きを仕掛ける「ノスタルジア」でした。
え、なんでこんな引用したって?
だって、これ思いっきりパロでしょ?
黒死館パロですよ、多分作者自身大苦笑のパロってことで。
笑わせていただきましたー。

さあさあ、ケルト・ルネッサンスなるものが虫ちゃんの産物であることを納得するために、「黒死館逍遙第一号」を繙かねば・笑。

ところで、グラズノフって、虫ちゃん関連語録でしたっけ?

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プロフィール

絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

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