2017-06

ねぢねぢ

ねじの回転 (新潮文庫)ねじの回転 (新潮文庫)
(1962/07/09)
ヘンリー・ジェイムズ

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初ヘンリー・ジェームズかと思いきや。
以前に「アスパンの恋文」読んでいたわ。
「死都ブリュージュ」に近い朦朧とした釈然としない男性心理のようなものがイメージとして残っているが、もう思い出せない。

今回は、自宅に戦前岩波文庫版(富田彬 訳)しかなかったので、途中何箇所か理解に苦しむも一気読み。
視点の縛りが強烈で。
決してその視点を持っている21歳の女性家庭教師の心理と、シンクロできないようにもなっていて。
彼女の思考論理に納得がいかず、はたまた尊大さにむっとしつつ、決して同化できない不快感を抱えたまま、読者は見えているのか分からないモノを見せられて。
本当に子供達はそんなにさかしらで、策略家なのかも最後までわからず。
庇護を必要とする、本当に可哀そうなこどもであるかも分からず。

ヒステリーの伝播なのか、本当に幽霊がいるのか、判然としないまま。
ただ確かにそこに、命を奪われた子供の遺体は横たわっているという。
ぞっとするというより、狭い箱に首を固定されて世界を観ている、旧世界の閉塞的な女性像みたいなのが、なんというか、うーん。
表層の「意識の流れ」系で、ちょっと面白かったです。

たまたま、「幻想と怪奇」9号(1974年7月号)観ていたら、巻末に「世界幻想文学作家名鑑」というのがついているのだけど。
そこのHenry Jamesの項、「ねじの回転」の説明が
「二人の子供をまかせられた女家庭教師が悪魔のいけにえにされようとしている子供たちをまもってただ一人悪戦苦斗し、しかもそれがすべて幻影かもしれないという心理的な怪談」
ってあるんだけど。

悪魔…。
彼等をそう呼ぶべきなのか。
一体なにか悪いことしたっけ。
いけにえ?
それは言い過ぎだろう。
せいぜい青白い顔して立ってるだけなのに。

むしろ、ゲイルズバーグみたいな家つき幽霊さん、とも思えなくもないのに。
そう、結構、恐怖以前に、友達になれるかもって思ってしまったのでした。
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不安を求める心

ようやく上巻読了。
ピアノや演劇が好きで、数学が得意だったアガサ。
プロポーズを沢山蹴って、婚約も破棄して一度目の結婚をしたところで終わる。

才女だったお姉ちゃんからホームズを教えてもらい、「黄色い部屋の秘密」について語り合う。
ポアロが生まれて、スタイルズ荘の原稿を出版社に送っても返送されてきていた時期。

女性上位、男女均等などという概念がまだなかった頃。
それでも、それは卑屈などではなく、高い誇りに裏打ちされて日々を疎まず生きていた女性が大勢いた時代。
そういう風俗や価値観をつぶさに見ていけるのが、とても面白かったりする。

この自伝を読んでいると、勝手に陰鬱になってばかりいる、自身に
元気とまではいかなくても、フラットくらいまで持ち上げろと
喝を入れたくなったりもする。

アガサが、今昔の女性像を比べているところをどうぞ。

わたしたちは恋愛を楽しみにして待っていたし、面倒をみてもらったり、はぐくみ慕われることを待ち望んでいた。またわたしたちにとって重大な事柄については自分の思うがままに行動し、同時に自分たちの夫の生涯、経歴、成功を自分たちの誇らしい義務として前へ押しだしたいと思っていた。わたしたちには元気づけの錠剤かまたは鎮静剤など必要なく、人生に信念と喜びを持っていた。
今の若い女の人たちにとっても人生は愉快なことなのかもしれないけれど、どうもそのようには見えない。しかし、今ちょうど思いついたことだが、彼女たちは陰気を楽しみ味わっているのかもしれない。いつも頭から押しひしごうとかかってくる、感情的な危機を楽しみ味わっているのかもしれない。彼女たちはまた心配事さえも味わい楽しんでいるのかもしれない。
わたしの同時代人たちはよく暮らしに困って、ほしいものの四分の一も手に入れることができずにいたものだった。なのに、どうしてわたしたちはあんなに多くの楽しみを持っていたのだろうか?今日ではなくなている、樹液が立ちのぼってくるような活気がわたしたちの身体の中にわき上がっていたのだろうか?
わたしたちはその活気を教育というもので窒息させてしまったか、切り捨ててしまい、そしてさらに悪いことには教育について心配している――心配事とは、いったいあなたにとって何なのか?

わたしたちは手に負えない始末の悪い花のようなものだ。雑草かもしれないが、ともあれわたしたちはみな旺盛に伸び育つ。舗道や敷石の割れ目や不都合な場所に猛烈な勢いで押し上がり、生命感にあふれ、生きていることを楽しみ、日光のもとへ突き出し、しまいに誰かが来て踏みつぶすまでつづく。しばらくは傷つき苦しんでいても、やがてはふたたび頭を持ち上げる。
今日では、ああ人生は(選抜性の)除草剤を適用されているように思われる――わたしたちには二度と頭を持ち上げるチャンスはない。世の中には”生きる資格のない”者がいるといわれる。
わたしたちのころは生きる資格なしという人は誰もいなかった。いったとしても、わたしたちは信じなかったろう。ただ人殺しだけが生きる資格がなかった。
今日では、殺人犯だけが生きる資格がないといってはいけない人間になっている。

『アガサ・クリスティー自伝』ハヤカワ文庫1995 乾信一郎訳 上巻238p

変身ぷろとたいぷ

テルマエ・ロマエ II (ビームコミックス)テルマエ・ロマエ II (ビームコミックス)
(2010/09/25)
ヤマザキマリ

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二週間ほど前、素氏が一巻を買ってきた。
ちょっと、いや結構面白くて、僕が二巻を買ってくる。

結構じゃなく、かなり面白い。
素氏は、ハドリアヌス帝が出てくる漫画があるなんてと感激し。
横で、きっとキヌは気にいると思うなー、多田智満子訳のアレ。
といわれて、ああ読みました、とーっても昔に。と返したり。
残念ながら、世界史系は、昔の僕には無理でした。
いまはね、一回読み始めた本は投げないを信条にしてるので、読み返したらなんとかなるかも。

さて、この漫画。
毎回の醍醐味は、やはりローマの浴場ですってんころりん、ざぶーん。
あっぷあっぷで顔を出したら、そこは現代の日本の風呂事情な
ビックリ大爆笑の地域限定タイムスリップお勉強、
ハドリアヌス帝の寵愛うるわし新鮮味あふるるアイデアのあれこれは、日本から来たのさ。
に尽きると思うんですが。

これって、へーーんしーーん。の世界と同じなんですよね。
(あるいは、水戸黄門や暴れん坊将軍でもいい)
まずショッカーが、彼に突きつけられた浴場の難題で。
困った困ったになると、回転ベルトが廻って、足がつるんとすべって。
変身が、日本の温泉/ショールーム/湯治場/家庭風呂であり。
必殺技が、フルーツ牛乳/シャンプーハットであると。

つまりは究極のパターン化されたタイムスリップなんですよね。
でも、面白いのは、心底笑えてしまうのでは。
勿論この繋がれた二空間が、奇想天外にして非常に酷似した世界観であり。
また、彼が、「まきこまれ」型のクソ真面目人間であること。
まきこまれちゃんのいいところは、クサイ意志をもたない。

仮面ライダーみたく、正義だなんだと叫ばない。
闇雲に戦いを挑まない。
日本のじいちゃんばあちゃんに、助けられて、考えるは、
平たい顔族(日本人のこと)の文明は、なんとローマを越えているのだ、
この国に留学したいよ、とかなんとか。
ハドリアヌス帝に、ほめられても、自分はただネタをぱくっただけのしょぼい奴
と自己嫌悪。
あげく、奥さんには逃げられて、、、どうやら次巻は命もねらわれちゃう?

おかしきは、単純なるもの。
この削ぎ落とされた毎回のパターンが、
どうか作者の頸を絞めることになりませんように。
切に願うのでありんす。
(素氏は、挿まれたコラムを読む限り、作者は一筋縄でいかない人物だから
こういう陥穽にはおちないであろうと、予想しております。)

蟹ばかり食べる人

日記、書けば書くほど苦しいな。
書かなくても苦しいな。

客体がずっと僕を監視する。
客体は僕の妄想の産物。
コメント/拍手/TBにつづき、アクセス解析も外した。

自らを追い立てること。
多忙によって、迷妄状態を脱したいと願うからこそ。
滑走をとどめるために。
口にできない滑走を、ほんの瞬間だけでも忘れていたい。

子供時代に対する呪詛から逃れたい。
どうして今もってこんな風なのか、責任転嫁を子供時代に求めてもしょうがないのだけど。
どうして、ほんの少しの真っ直ぐな、素直で、分かりやすい心を、与えてくれなかったのかと。
どうして、人に心があるのだと、教えてくれなかったのかと。
今もその在り処が、分からない。
他者を傷つけているのではないかと必要以上に怯え、
過剰反応の反動で、もう近付くなと突き放す。
人が望む動きが見えてしまうからこそ、怖くて動けない。
あなたも、あなたも、あなたも。
僕を励ますつもりが、重圧になる。
Leave me alone.

感情にまつわる何か一言を書くと、自分で自分を切り刻む。
浅薄か嘘っぱちか盲目か。
結局、何一つマトモなことがないんだ。
書かずにいられないくせに、変換能が完全にショートしている。

かつて僕は、「絶望」と「孤独」を描くために小さなお話を作っていた。
そして今も昔も「絶望」と「孤独」を探して、小説を読む。

この二つは、一般的な概念のそれらとは異なり、
ただ他に合致する語彙がないために使うものであって、
もっと曖昧模糊とした気配のようなものである。

死をもってお涙を頂戴するとか、
カタストロフィをもって無を演じきるとか、
つまり仰々しい舞台装置を必要としない、ただ日の陰りに似た、
しかしより一層不安定で、ひたひたと忍び寄り長きに渡って拭えない
そういった「絶望」や「孤独」を共有したいと願ってきたのだ。

読書は、映像の世界の出来事。
脳の裏側に、何かが映る。
たとえひどく抽象化された文様であっても、何かが残る。
そのイメージの片々を言葉に換えられないのは、僕のせい。
でも、そもそも絵が残らなければ、もはや読書ではない。
残せないのは、僕自身のせいか、作家のせいか。

天使 (文春文庫)天使 (文春文庫)
(2005/01)
佐藤 亜紀

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拝啓 
散々みちるくん。

紫陽花が雨の日だけ、嘘みたいに生気を輝かせる毎日です。
僕は今回、衝撃の読書体験をしたよ。
生まれて初めて、最終頁まで一切絵がみえない話に出会ったんだ。
悲しくて悲しくて、自分の無力さが歯がゆくて仕方がなかった。

時代背景がまったく理解できないのは、阿呆な僕のせい。
ウィーンとプロシアとボスニアとロシアが出てきて、戦争が起こったり、間諜が暗躍したり。
仮のお父さんがバイオリンの名手だったり、本当のお父さんが男爵様で、最後にカニをむしゃむしゃしていた。
たくさんの人が僕の不得手なカタカナ名前で登場し、
時には、もうその人物の紹介が当然済んでいるみたいに、すーっと横滑りで物語に入ってくる。
でも、何ページ前を捲ってさがしても、初めて出てきた人なんだ。
読者である僕が、今にも切れそうな糸電話を必死で手繰り寄せ、ジョルジュの声を聴いているというのに。
分からない人が滑り込む。
そしてぶちんと、切れてしまう。

ねえ、お話って。
どんなに難解でも、いつしかベクトルが見えるじゃない?
作者の意図なんて呼ばなくてもいいけど。

たった一つの場面が見せたい。
たった一つの感情が見せたい。
たった一つのセリフを吐かせたい。
生きる意図がなくても、人はだらだら生きるんだという姿を見せたい。
不衛生極まりなく崩壊したい。
(そういう反駁/諧謔だって十分なベクトルになりうる)

何もないんだ、この話には。
それはね、きっと、この人が一切の共有願望を絶っているせいじゃないかと推察してみる。
簡単にいえば、サービス精神だ。
最初にイメージされたと思しき、ジョルジュ。
特殊な力の持ち主。
この力の話もずっと中盤まで伏せられたままで。
僕たちはその裏返しのカードをほとんど透かし見られるくせに、謎解きの楽しみも与えらぬまま、ただ焦燥だけを感じた。
感情を殺し、ご主人だけに従順な、機械的と目されたエスパー。
せめて、こうした像だけでも、維持してほしかった。
自分の力のせいで、罠にかかった仲間が死ぬと、申し訳なさそうに、苛まれたりする。
そんな悲哀がジョルジュに必要か。
元帥の妻と関係をもち、できた子供は元帥が認知する。
こんな野暮は必要か。
像をもたない、いずれの予想可能な型にもはまらない、まったく新しい難攻不落溶解不定形と。
僕はさすがに、そこまで引いて褒めることはできないさ。

お好みの歴史の数頁に、お好みの人物を、お好みの行動で当てはめる。
いわゆる二次創作に類似した手法が展開しているようだ。
けれど、二次創作において放出される、甘い共有可能な蜜はどこにもなくて。
ただお決まりのヤオイ臭が芬芬と漂う。

そもそもタイトルの「天使」ってなんなのだろう。
背中に羽毛が生えた子供?
やっぱりジョルジュ。
同じエスパーと対戦して、勝ったらしいジョルジュ。
お父さんが誰でも、普通にカニを貪る人。

絶望も孤独もなく。
空疎で、掌から抜け落ちてゆく。
この暗黒星みたいな衝撃は、まさか意図されてはいないよね。

絹子

***

拝復

まあ、結局はどうしようもなく生理的に合わなかったんだろう。
素氏が言ったらしいじゃないか。
「翻訳が悪い、海外文学を読んでる気分じゃないの?」と。

ただ君が悲嘆にくれるのは、君にはありがちな、
「頼まれもしないのに期待もされないのに、勝手に頑張って、誉められたい」
とか考えた結果じゃなかったのかね。
自分の好きな人が推薦するものに、共鳴できなかった。
つづめれば、そういうことだろう?
それを悔やむのは、お門違いさ。
別の個人なのだから、すべて同じに面白いわけじゃあない。

ほら一体君が薦めたものを、誰も理解してくれなくても平気だろう。
むしろかの恐ろしき「流行」になど乗ったら、呪うじゃないか。
さあ切り替えて、データの海にでも頭をつっこんでみな。

みちる

何度でも、あなたなら本当のことを

またも知恵くだる。
今日は久々のオペで、緊張したからなー。
どうして疲れや緊張がこうもおなかに来るのかしら。

もうすぐ読了するぞ、『平凡パンチの三島由紀夫』。
ええ、昼休みと17分間x2の通勤電車の中しか読んでいないので、滅法遅いんです。

しかし、この本は不思議な感覚に襲われる。
三章に入った位からデジャブが炸裂する。
時間軸を追うのではなく、ミシマに似ていると著者が考える人物との少々突飛な比較論が、様々な角度から差し込まれ。
(コクトー、ベルグソン、北野武、チェ・ゲバラ…)
何度も死の予感に震え暗い炎を立てるほどに死に焦がれる姿が描かれ、
そして幾度も最期の日に戻る。
生々しく、まるで介錯の刃が振り下ろされる瞬間を目の当たりにしている気分になり、眩暈を起こす。

ここまで読んでも、たとえ難解な哲学や社会学をミックスされたとしても。
やはり僕には「分かりやすい人」という印象はいっかな拭えない。
でも。
きっとこの人は、困っている。
探して探して、窮している。
薬でもやらせてみたら、ゲバラの軍に志願していれば、、、、と極論めいたことを書き。
その実、最期を回避できなかった理由を探しつづけている。
角度を変えても、リフレインは極大化してゆき、切なくなる。
恐らく「分かる」などといったら、バカヤロウと浅薄だと怒るだろうねえ。

時代を嗅ぎ取る所作として、こんなエピソードが面白かった。
面白がってはいけないのかもしれないけれど。

最期の年。
一度だけ著者はミシマに会ったという。
「英霊の声」の朗読レコードを抱えた彼を、既に平凡パンチからananに異動していた著者は、レコードを聴こうと編集部に誘う。
ボリュームを大きくして、何度も繰り返し聴いていたところに。

 二人でものもいわず、聴きいっていた。突然、入口のほうで足音と人の声がして、四、五人が編集部に入ってきた。足音以上に彼らの服装が、喧騒を視覚化した。イラストレーターの宇野亜喜良は、茄子紺のベルベットのパンタロン、トム・ジョーンズ風ブラウスシャツ、デザイナーの松田光弘と編集者の今野雄二は、ロンドンポップファッションそのままの、紫色と藤色のスカーフを首にまき、タイダイTシャツにジーンズという格好だった。セツ・モード・セミナー校長の長沢節は、いつものロングブーツに、クレージュ風のジャケットを羽織っていた。
 前から知りあいだった長沢と三島が、ぎこちない会話をしている。まだレコードは途中だった。今野が、ぼくにむかって「ヤマト、なにこのオンガク、キモチワリィー」とホモ口調で明快にいった。ぼくはあわてて、同僚の今野に小声で説明した。
 三島は急にソワソワしはじめた。低い声で帰る、といいながら、レコードをつつみ直しはじめた。「まだ、いいじゃありませんか。彼らは、これからすぐ映画の試写会へ行ってしまうんですから」といったが、三島は、帰る帰る、という。四人は出ていった。もう一度、プレーヤーの針をスタートに戻して、朗読を聴いた。三島は「やっぱり帰る。これは、こんなところには似合わないね」ぼくは、おざなりに聞えるかもしれないと考えながら、「そんなことはないでしょう」となぐさめた。三島は憑依から覚めたような、ひよわな表情で、ドーナツ盤一枚を残して帰っていった。ぼくは、レコードにサインして下さい、ともいわなかった。
 五ヵ月後、三島が切腹したのち、宇野亜喜良は、あの日の自分たちの登場が、三島を死に追いやったのだ、と信じこんでいた。 
p115-6

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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