2017-06

ada

時間がほしい、
それよりもっと集中力がほしい。

複雑なモル濃度の計算で時間がかかって、本日ももたつきました。
というか、メールで計算方法説明するのが面倒なの。
学校の勉強が現場で役立つ時もある、っていう瞬間が好きさ。
もう一回、勉強したいな、国語以外。
あ、でも化学はあんまり得意じゃなかった、特に有機。
なのでケミカルな現場じゃなくバイオにいます。

**

家に積んであった「悪を呼ぶ少年」トマス・トライオン読了。
風呂に浸かっている最中に佳境を迎え、ぎゃーと叫ぶ。
少年の悪意や、心理学的叙述トリックの作品数あれど、これは超一級のミステリじゃなかろうか!
怖い、怖すぎる、えぐすぎる、なのに牧歌的でリリカルってどういうことなんだ。
それは鍵となる双子の祖母・アダの幻視者的パワーのなせるわざでしょうね。
(アダといえば、グリーン家を思い出すよねえ)

物に意識を集中し、一切外界から離脱していくと、その一点の物に自分が置き換わるという遊戯。
これがすべての引き金なんだな。
落としどころをどこにするか、最後の2ページモノローグを蛇足とみるか、いや僕は良い構成だと思ったけど。
分かったつもりになってしまう2章、そこからのさらなる毒爆弾炸裂。
はー、いいもの読みました。

映画版のDVD発注しちゃったよー。

で、一言だけ文句を言えば。
単行本(角川文庫版もあるので、そっちはどうか分からない)の表紙扉に書かれたあらすじ。
導入部なのかと思いきや、事件の9割方ここに出ています。
おーい、こんな最後まで書くなよ!と。
せっかく訳者の深町さんが、ネタバレ避けて解説してくれてるのにー。
ま、しばらくワイン飲みたくなくなる話ということで、お茶を濁す。

映画版のトレーラー。
これ、怖くて一人で観られない感じだ。



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tellurium

知らぬ間に発刊予告が出ていた、シンセイネンバンコクシカン。
怖すぎるぜっ。
三校になってはじめてゲラ見せてもらったら、色々ありまして。
ちゃんと目を開かないと駄目なんだー。
そして僕のやる気も継続しないと、これ素氏のライフワークなんで、何よりもお手伝いしないと、意味がない。

**

「幼年期の終わり」で涙を流しまくったあの日。
もしかしたら、SFに何か厖大なる可能性(自分が探しているもの)があるのではないかと思ったあの日。
それから一年、二冊目のクラークは『太陽系最後の日』。
これベストといいながら、初期作品集なんですね、
だから種とか萌芽の集まりといえばいいのか、時々嗚呼と叫ぶのだけど、思考が展開においつかず、おいてけぼりにされたり、オチが納得いかなかったりして、うーんと唸っていましたが。
「海にいたる道」にきて、電車の中でわーーと泣きそうになる描写が。
個人レベルでない、何千年の時間と何万光年という距離を丸ごとひっくるめて吹く寂寥の風。
旅路の果ての発見としては、これ以上の空間があるだろうか。
これは究極の都市文学じゃないのか!!
なんて美しい廃墟像なんだ!
と叫んでいましたが、やはり最後にちょっと展開がどたばたっとしてしまいましたね。
いやいいんだ。
これ『都市と星』の原型らしいので、次はそれを読んでもっと胸をかきむしればいいではないか。
愉しみがひとつ増えました。



 長い間ブラントは、その丘の頂に身じろぎもせず立ちつくしていた。彼の意識にあるのは、ただ眼下にひろがった都市の驚異のみだった。この雄大な光景のなかで、彼はひとりぼっちだった。より偉大な人類の業績の前に、圧倒され、茫然自失している、ちっぽけな人形にすぎなかった。歴史の重みが――百万年以上の長きにわたって、人類がその上で苦闘してきた広大な斜面のながめが――彼を打ちひしいだ。その瞬間、ブラントには、自分がこの丘の頂から見晴らしているものが、〈空間〉というよりはむしろ〈時間〉であるような気がしてならなかった。そして彼の耳のなかでは、過去へむかって吹きこむ永遠の時の風が、蕭々と音を立てて吹き渡っていた。

416-417pp 「海にいたる道」 深町真理子訳

agate

こういう日は結構きっちり起きられる。
20分前に看板確認、結構緊張していると気付く。
一服しようとカバンを開くと、タバコは入ってるけど、ライターがない。
結構忘れるんだよ、注意が抜けると。
100ローソンで買って深呼吸、階段上る。

ここからが長かった。合計二時間半。
質問シート記入に30分
(めちゃくちゃ細かい項目まであるので、ぎちぎちに書いてしまう)
そのくせ渡した瞬間、あれこれ書き忘れたと心臓苦しくなる。
事前カウンセリング一時間。
お姉さんから的確なツボを突かれ、泣いてしまう。
上手く説明できないこともあり、困惑する。
やっとこさ院長室、大橋巨泉と宇野総理合わせた微妙な雰囲気。

どうしましたと尋ねられ、ぼそぼそ説明する。
同じ話もう一回最初からかなあとか、職種のことやけに聞くなと思ったけど。
まだ会って数分も経たないのに。。。診断名発表
当然予期されたウツもあるけど。。。それ以前に。。。

「発達障害です!!」
「は?いやその…」
「疑ってるでしょ、分かるんです、僕は3000人診てきたので、話し方ひとつ、この『前座』の言葉で全部わかります!」

前座って呼ぶかな、あのカウンセリングを…。
僕も「教室では動き回ってなかったんですが」と抵抗したものの
「発達障害にも色々あってね、それはADHD、貴方はアスペルガーとかつて呼ばれた分類です」

ショックというより、驚き。
笑ってしまった、氷解だわ、全部、巨泉のせいで。

他にも笑ったこと。
「よかったねーそんな特殊な仕事見つけられて、それベストです。発達障害に営業とか絶対無理だし、貴方にはその仕事しか向いてません」
「人の気持ち読めないでしょ、友達いないでしょ、集団行動できないでしょ、うんうん」

「昔はリーダーとか委員長タイプだったんですが」
「できるよ、人の気持ち読む必要のないマニュアル仕事だもん、ほら副総理いつもマンガ読んでる人、あの人もそうだから」

「うちの旦那も全く同じ感じですけど」
「よかったよねー、最高の運命の出会いだよね。同じに家にいて二人好き勝手一人の世界にいても問題起きないでしょ」
「おっしゃる通りです」

いやまだ全部納得してないけど、特徴読み込むとなー。合致する結構。
考察は後日改めて。
いろいろ気づきもあったので。

そして素氏に報告したら
「そうだと思ってたよ」
はあああ? おい、ちょっと、ちょっと、ちょっ(舌打ち)。

とりあえず安定剤もらったので、びびりつつ飲んでみる。

「ふらふらになりませんか?」
「三人に一人なります」
「えー、めちゃくちゃ確率高いじゃないですか」
「飲んでみないと分からないよ、やってみようよ」
そういうことらしいです、なんだこのギャンブル。

まあ自分にふさわしい診断貰ってちょっと安心したので眠れるかもしれないです。



黒死館と脳病院

3年前、M山先生宅を整理しに三軒茶屋と駒澤大学近辺をうろうろしているころ、
道端に大量の書籍が捨てられていて、その中から一冊拾い上げたのが
ずしりと重い函入り単行本「楡家の人びと」(新潮社 1964)であった。

ようやく通勤・昼休みの友として、これに取り掛かることになった。
そこには厚手の大きな栞が挟まれていて、裏面は登場人物表になっており、表面には次のモノクロ写真が印刷されている。

20110218_803052.jpg

この異様な洋館もどきが、物語の舞台となる、実際に明治36年に竣工された青山脳病院(帝国脳病院)であり、斎藤茂吉の義父、北杜夫の祖父にあたる斎藤紀一(物語では、楡基一郎)が創建したもの。
建物自体は大正13年の失火によって消失してしまったが、
さすがは、新潮社、これを栞前面に印刷してくるところ、気が利いている。

楡家の序盤、登場人物紹介に加えて、おそらく同じ写真を見ながら北杜夫がその豪壮ぶりを描写した箇所を引く。

**

 院代、勝俣秀吉は、そういう歴史的風俗的な意味合をこめて、小さな躯をそらすようにして楡病院の正面を飾る円柱の列を眺めたのであった。その柱は一言にしていうならばコリント様式のまがいで、上方にごてごてと複雑な装飾がついていた。一階、二階の前部は、そうした太い華やかな円柱が林立する柱廊となっていたが、階上は半ば意味のないもったいぶった石の欄干を有するところから、バルコニーとよんだほうがふさわしかったかも知れなかった。さらにもう数歩退いて眺めれば、屋根にはもっとおどろくべき偉観が見られた。あまりに厳密な均衡もなく、七つの塔が仰々しく威圧するように聳えたっていたのである。一番左手のものは、おそらくビザンチン様式を模したもので、急勾配な傾斜をもってとがって突っ立ち、先端はまるで法王でも持っているような笏にも似た避雷針がついていた。次の塔はもっと丸みをおび、おだやかに典雅に自分の存在を主張していた。そうして実に七つの塔がすべて関連もなく、勝手気ままに、それぞれ形を異にしながら、あくまで厳然と人々を見おろしているさまは、それがどんな意味合であれ吐息をつくほどの一大奇観というべきであった。なかでも珍妙なのは、正面玄関の上の時計台に指を屈せねばならなかった。それは他のすべての塔、すべての円柱、いや建物全体とかけ離れていた。ほとんど中国風、というより絵本で見る竜宮城かなにかを思いおこさせた。それでもそれは、とにかく中央にでんともったいぶって位《くらい》していたのである。

(中略)

 そして院代勝俣秀吉は、大きからぬ身体をせい一杯のばすようにして、楡病院の全体をほれぼれともう一回眺めわたした。彼の感覚によれば、それはあきらかに幻の宮殿であり、院長基一郎の測りがたい天才のもたらした地上の驚異そのものなのであった。円柱は白く、高貴に、曇り空の下にもどっしりと連なっていた。尖塔は怪異に、円塔はそれを柔げて、写真だけで見たことのある異国の風景さながらにそそりたっていた。屋根の上には塔ばかりでなく、いくつもの明りとりの窓が、それぞれ独立して屋根をつけて突出していた。もともと屋根裏部屋の天窓なのであろうが、楡病院にかぎりこれは純然たる飾りなのである。全体を一瞥して、もっとも人目を惹く柱廊あたりに注目すれば、これはスペインルネッサンス様式の建物だとある人は説明するだろう。しかし彼とてもまた、少し視野をずらせば、全体の統一を破るふしぎな突出、奇妙なふくらみ、なんといってよいかわからない破天荒の様式に目をやったとき、どうしたって既成の知識の混乱と絶望のなかに匙を投げ捨てたことであろう。なかんづく竜宮城を髣髴とさせる時計台に至っては……。
 しかし、これこそ楡基一郎の天来の摂取力と創造力との結晶ともいえる建築物なのであった。彼はすべての図面を自分一人で引いたのだ。外遊時代彼がひとりひそやかな昂奮を抱いて打眺めた数多の建物が、彼の中に沈殿し、かきまぜられ、そのいかにももったいぶった、鬼面人をおどろかさざるを得ない精神の基準に従って、奔放に、誇らかに、随分とあやしげな情熱をこめて形をとってきたものであった。基一郎は素人とはいえ、もともと建築に、なにやかやとでっちあげることに、並々ならぬ興味と才能を有していた。彼は全霊をこめて図面を引き、出入りの棟梁大工たちを督励し、この滅多にない建物を作りあげたのだった。彼は自ら深川の木場に木材を買出しに出かけた。石材も吟味した。棟梁はほとんど音をあげた。だが、院代を初めとする大多数の人間が、基一郎を特別な人間あつかいにせざるを得ない大病院はこうして完成したのである。
 もちろん現在に至るまでは幾多の増築や改築があった。

25-26pp  ※院代=事務局長



**

この後描写は、大理石も珊瑚も丹念に細工させた人造物であって、「天才的な見かけ倒しの精神」「見せかけの絢爛さ」と暴露するところもでてくるのだが。
この描写どこかで似たようなものを見た気がしませぬか。
改築を重ねたとか、点睛に竜宮の乙姫を描かせたほどの綺びやかな眩惑とか、はたまたケルトルネッサンスとか。
明治19年創建のあの黒死館の偉容をほんの少し思い出させてくれると感じるのは、僕だけでしょうか。

ちなみに山形県の斎藤茂吉記念館には、青山脳病院の精巧なジオラマがあるみたいです。
こちらのサイトに写真が出ていて、うっとり。


メリッサ

新幹線の中で
なぜか知らぬ間に我が家にころがっていてヤッホー
小人さんサンキュウ(小人逆さパンダ)な
サーバン「人形つかい」収録「リングストーンズ」を読み進める。

物語の舞台はヒースの荒野ってだけで萌えるね。
湿度の高い話だなと、かなり執拗だなと。
とりあえず八割読んで思う。
子供の支配欲、残虐性を超えた先にあるもの、
一種の宗教的恍惚感の原点。
シュオッブ「少年十字軍」を彷彿とさせるけど、自然描写の凄まじさではまったく違う。
ヘンリー・ジェイムス「ねじの回転」ともまた違う、背景の歴史観やおとぎの国の世界が。

残りはまた明日。

**

第一印象 けっこう愛想よし、けっこう饒舌
第二印象 無口
第三印象 不機嫌
第四印象 ちょー不機嫌

平均として第一から第四が二回ずつくらいでたら終了。
平均だから、そこが普通。
一回しか出ないと相性悪い。
最初から第三なら無理だと思ってください。
五回目でも第一のままなら、奇跡、奇跡。

以上KKの態度の変遷。
各位、そんなもんです、そんなもんなのです。
諦めてやってください。



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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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