2017-04

agate

こういう日は結構きっちり起きられる。
20分前に看板確認、結構緊張していると気付く。
一服しようとカバンを開くと、タバコは入ってるけど、ライターがない。
結構忘れるんだよ、注意が抜けると。
100ローソンで買って深呼吸、階段上る。

ここからが長かった。合計二時間半。
質問シート記入に30分
(めちゃくちゃ細かい項目まであるので、ぎちぎちに書いてしまう)
そのくせ渡した瞬間、あれこれ書き忘れたと心臓苦しくなる。
事前カウンセリング一時間。
お姉さんから的確なツボを突かれ、泣いてしまう。
上手く説明できないこともあり、困惑する。
やっとこさ院長室、大橋巨泉と宇野総理合わせた微妙な雰囲気。

どうしましたと尋ねられ、ぼそぼそ説明する。
同じ話もう一回最初からかなあとか、職種のことやけに聞くなと思ったけど。
まだ会って数分も経たないのに。。。診断名発表
当然予期されたウツもあるけど。。。それ以前に。。。

「発達障害です!!」
「は?いやその…」
「疑ってるでしょ、分かるんです、僕は3000人診てきたので、話し方ひとつ、この『前座』の言葉で全部わかります!」

前座って呼ぶかな、あのカウンセリングを…。
僕も「教室では動き回ってなかったんですが」と抵抗したものの
「発達障害にも色々あってね、それはADHD、貴方はアスペルガーとかつて呼ばれた分類です」

ショックというより、驚き。
笑ってしまった、氷解だわ、全部、巨泉のせいで。

他にも笑ったこと。
「よかったねーそんな特殊な仕事見つけられて、それベストです。発達障害に営業とか絶対無理だし、貴方にはその仕事しか向いてません」
「人の気持ち読めないでしょ、友達いないでしょ、集団行動できないでしょ、うんうん」

「昔はリーダーとか委員長タイプだったんですが」
「できるよ、人の気持ち読む必要のないマニュアル仕事だもん、ほら副総理いつもマンガ読んでる人、あの人もそうだから」

「うちの旦那も全く同じ感じですけど」
「よかったよねー、最高の運命の出会いだよね。同じに家にいて二人好き勝手一人の世界にいても問題起きないでしょ」
「おっしゃる通りです」

いやまだ全部納得してないけど、特徴読み込むとなー。合致する結構。
考察は後日改めて。
いろいろ気づきもあったので。

そして素氏に報告したら
「そうだと思ってたよ」
はあああ? おい、ちょっと、ちょっと、ちょっ(舌打ち)。

とりあえず安定剤もらったので、びびりつつ飲んでみる。

「ふらふらになりませんか?」
「三人に一人なります」
「えー、めちゃくちゃ確率高いじゃないですか」
「飲んでみないと分からないよ、やってみようよ」
そういうことらしいです、なんだこのギャンブル。

まあ自分にふさわしい診断貰ってちょっと安心したので眠れるかもしれないです。



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黒死館と脳病院

3年前、M山先生宅を整理しに三軒茶屋と駒澤大学近辺をうろうろしているころ、
道端に大量の書籍が捨てられていて、その中から一冊拾い上げたのが
ずしりと重い函入り単行本「楡家の人びと」(新潮社 1964)であった。

ようやく通勤・昼休みの友として、これに取り掛かることになった。
そこには厚手の大きな栞が挟まれていて、裏面は登場人物表になっており、表面には次のモノクロ写真が印刷されている。

20110218_803052.jpg

この異様な洋館もどきが、物語の舞台となる、実際に明治36年に竣工された青山脳病院(帝国脳病院)であり、斎藤茂吉の義父、北杜夫の祖父にあたる斎藤紀一(物語では、楡基一郎)が創建したもの。
建物自体は大正13年の失火によって消失してしまったが、
さすがは、新潮社、これを栞前面に印刷してくるところ、気が利いている。

楡家の序盤、登場人物紹介に加えて、おそらく同じ写真を見ながら北杜夫がその豪壮ぶりを描写した箇所を引く。

**

 院代、勝俣秀吉は、そういう歴史的風俗的な意味合をこめて、小さな躯をそらすようにして楡病院の正面を飾る円柱の列を眺めたのであった。その柱は一言にしていうならばコリント様式のまがいで、上方にごてごてと複雑な装飾がついていた。一階、二階の前部は、そうした太い華やかな円柱が林立する柱廊となっていたが、階上は半ば意味のないもったいぶった石の欄干を有するところから、バルコニーとよんだほうがふさわしかったかも知れなかった。さらにもう数歩退いて眺めれば、屋根にはもっとおどろくべき偉観が見られた。あまりに厳密な均衡もなく、七つの塔が仰々しく威圧するように聳えたっていたのである。一番左手のものは、おそらくビザンチン様式を模したもので、急勾配な傾斜をもってとがって突っ立ち、先端はまるで法王でも持っているような笏にも似た避雷針がついていた。次の塔はもっと丸みをおび、おだやかに典雅に自分の存在を主張していた。そうして実に七つの塔がすべて関連もなく、勝手気ままに、それぞれ形を異にしながら、あくまで厳然と人々を見おろしているさまは、それがどんな意味合であれ吐息をつくほどの一大奇観というべきであった。なかでも珍妙なのは、正面玄関の上の時計台に指を屈せねばならなかった。それは他のすべての塔、すべての円柱、いや建物全体とかけ離れていた。ほとんど中国風、というより絵本で見る竜宮城かなにかを思いおこさせた。それでもそれは、とにかく中央にでんともったいぶって位《くらい》していたのである。

(中略)

 そして院代勝俣秀吉は、大きからぬ身体をせい一杯のばすようにして、楡病院の全体をほれぼれともう一回眺めわたした。彼の感覚によれば、それはあきらかに幻の宮殿であり、院長基一郎の測りがたい天才のもたらした地上の驚異そのものなのであった。円柱は白く、高貴に、曇り空の下にもどっしりと連なっていた。尖塔は怪異に、円塔はそれを柔げて、写真だけで見たことのある異国の風景さながらにそそりたっていた。屋根の上には塔ばかりでなく、いくつもの明りとりの窓が、それぞれ独立して屋根をつけて突出していた。もともと屋根裏部屋の天窓なのであろうが、楡病院にかぎりこれは純然たる飾りなのである。全体を一瞥して、もっとも人目を惹く柱廊あたりに注目すれば、これはスペインルネッサンス様式の建物だとある人は説明するだろう。しかし彼とてもまた、少し視野をずらせば、全体の統一を破るふしぎな突出、奇妙なふくらみ、なんといってよいかわからない破天荒の様式に目をやったとき、どうしたって既成の知識の混乱と絶望のなかに匙を投げ捨てたことであろう。なかんづく竜宮城を髣髴とさせる時計台に至っては……。
 しかし、これこそ楡基一郎の天来の摂取力と創造力との結晶ともいえる建築物なのであった。彼はすべての図面を自分一人で引いたのだ。外遊時代彼がひとりひそやかな昂奮を抱いて打眺めた数多の建物が、彼の中に沈殿し、かきまぜられ、そのいかにももったいぶった、鬼面人をおどろかさざるを得ない精神の基準に従って、奔放に、誇らかに、随分とあやしげな情熱をこめて形をとってきたものであった。基一郎は素人とはいえ、もともと建築に、なにやかやとでっちあげることに、並々ならぬ興味と才能を有していた。彼は全霊をこめて図面を引き、出入りの棟梁大工たちを督励し、この滅多にない建物を作りあげたのだった。彼は自ら深川の木場に木材を買出しに出かけた。石材も吟味した。棟梁はほとんど音をあげた。だが、院代を初めとする大多数の人間が、基一郎を特別な人間あつかいにせざるを得ない大病院はこうして完成したのである。
 もちろん現在に至るまでは幾多の増築や改築があった。

25-26pp  ※院代=事務局長



**

この後描写は、大理石も珊瑚も丹念に細工させた人造物であって、「天才的な見かけ倒しの精神」「見せかけの絢爛さ」と暴露するところもでてくるのだが。
この描写どこかで似たようなものを見た気がしませぬか。
改築を重ねたとか、点睛に竜宮の乙姫を描かせたほどの綺びやかな眩惑とか、はたまたケルトルネッサンスとか。
明治19年創建のあの黒死館の偉容をほんの少し思い出させてくれると感じるのは、僕だけでしょうか。

ちなみに山形県の斎藤茂吉記念館には、青山脳病院の精巧なジオラマがあるみたいです。
こちらのサイトに写真が出ていて、うっとり。


メリッサ

新幹線の中で
なぜか知らぬ間に我が家にころがっていてヤッホー
小人さんサンキュウ(小人逆さパンダ)な
サーバン「人形つかい」収録「リングストーンズ」を読み進める。

物語の舞台はヒースの荒野ってだけで萌えるね。
湿度の高い話だなと、かなり執拗だなと。
とりあえず八割読んで思う。
子供の支配欲、残虐性を超えた先にあるもの、
一種の宗教的恍惚感の原点。
シュオッブ「少年十字軍」を彷彿とさせるけど、自然描写の凄まじさではまったく違う。
ヘンリー・ジェイムス「ねじの回転」ともまた違う、背景の歴史観やおとぎの国の世界が。

残りはまた明日。

**

第一印象 けっこう愛想よし、けっこう饒舌
第二印象 無口
第三印象 不機嫌
第四印象 ちょー不機嫌

平均として第一から第四が二回ずつくらいでたら終了。
平均だから、そこが普通。
一回しか出ないと相性悪い。
最初から第三なら無理だと思ってください。
五回目でも第一のままなら、奇跡、奇跡。

以上KKの態度の変遷。
各位、そんなもんです、そんなもんなのです。
諦めてやってください。



ソラリナ

びっくりするほど厚顔無恥な電話が掛かってきたので
慇懃無礼法により対応したら、
先方がむっとしているのが分かって可笑しかった宵。
相手は80過ぎのお婆さんなのだが、こちらのオブラートびりびりに破かせる勢いの凄さに感服。
どうも最近、オブラートを「おざなりにしている」との正論風をかざして、
真正面から怒りにあらわにしてくる人が多いなあ。
いや、いいんですよ、僕も本気出してもさ。
でも、疲れるし、誰得なんだって話だから、ノラリクラリさせてもらいますよ。

**

大好きな「LIFE」のコントにこんなのがある。
超ダメ人間リーマンが、みんなに「仕方ないな」と怒られながらも、
全然仕事をしないで同僚や先輩にやってもらってヘラヘラしているんだけど。
その人たちがいなくなって、新入社員と二人きりになってさ。
新入り君も調子に乗ってダメダメ君にタメ口とか叩いたら、
急に真顔になって
「俺は出来ない人間を装ってんだ、仕事振られなくて済むからな。だけど、お前に言われる筋合いないぜ」
と切れられるっていう。

僕も仕事に自信ない風、話すの遅いぼんやりさん、
無口で人と馴染まないのは超内気だからと職場で装ってたりしますが。
実は、そんなことしてると、本当にそれが地なっちゃうんだよ。
と時々思う。
実際そうなんだろう。
あと別なところで、吹き溜まったものが爆発して、隠れた人格が暴走する危険も孕む。
誰しも「分人」は存在し、多面体ではあるけど、
何かを得るために歪めてしまうと碌なことないでしょうとも思う。

**

ドキドキハラハラで要塞牢獄から脱獄したクロポトキンは、
選挙に勝つことだけを考え、国家社会主義が実は国家資本主義になってしまったドイツに
見切りをつけた欧州の他国のアナーキストたちとともに、スイスのジュラ連合を中心に活動してゆく。
実力と気高い精神と魅力を備えた数多の活動家たちと並んで、彼は赤旗を振って行進する。

ということで、下巻も佳境に入ってきました「ある革命家の思い出」
一向にだれることを知らない、名文が続く。

言葉について誤解の毎日だけど、
これを読んでいて、自分が「ニヒリスト」の定義を間違っていたことに気付いた。
世間を馬鹿にした、苦虫さんをイメージしていたのだ、ずっと。
これもまたごく限定的な一面ではあろうが、
実は能動的であり、極めて実際的な存在であったということを知る。
そして、僕の周囲にいて安心するごく僅かな人の多くが、ニヒリスト志向だとも思う。
が、僕も含めノラリクラリさんでもあるので、真のニヒリストとは呼べないのである。


多くのロシア作家にあるひときわ目だつ誠実さ、西ヨーロッパの読者をびっくりさせるあの「思うことをはっきりいう」習慣もまた、さまざまな形のニヒリズムである。
まず第一に、ニヒリストは「文明人の因襲的な虚偽」とでもいうべきものに挑戦した。絶対的な誠実がニヒリストの著しい特徴であり、この誠実の名にいおいてニヒリストは自分の理性が正当化しえない迷信・偏見・風俗・習慣などを放棄したし、他人に対しても放棄することを要求した。ニヒリストはどんな権威のまえにも屈することを拒み、ひとつひとつの社会制度や習慣を分析して、すこしでも仮面をかぶった詭弁を見つければ、これに反抗した。
ニヒリストが父たちの迷信と訣別したことはもちろんである。哲学的な認識においては、ニヒリストは実証主義者であり、不可知論者であり、スペンサー流の進化論者であり、科学的な唯物論者であった。またニヒリストはけっして感情の心理学的な必然である素朴で誠実な信仰は攻撃しなかったが、人々に宗教という仮面をつけさせる偽善に対しては、徹底的な攻撃を加えた。
文明人の生活は小さい因襲的な虚偽にみちみちており、おたがいに憎しみあっている人間も街でいき会うとにこやかな笑顔をつくる。ところが、ニヒリストは冷静な顔をしていて、ほんとうに会ってうれしいひとだけにほほえみかけるのである。
(略)
またニヒリストは、世間話にふけったり、「女らしい」身のこなしや念いりなお化粧を鼻にかけたりする女を遠慮会釈せずにやっつけた。きれいな若い婦人に向かっても、「そんなばかげたことを話したり、つけまつげなどをしてよく恥ずかしくありませんね」などと、むきだしにいったりした。ニヒリストは女のなかに人形やマネキンではなく、同志や人間を見たいと思ったのである。
下巻 89-91pp

なるべくしてなる

そを聞きにいった啄木も夢中になった
戦前のアナーキストの大ベストセラー、クロポトキン「ある革命家の思い出」(平凡社ライブラリ)に夢中になっている。

こういう古典の心揺さぶるものにこそ、何か同人的な動きをしたいのだけど
つまり、僕はいつも意図せざる物をつくっている感が拭えなくて
各々はそれなりに面白くはあっても、世間の反応と自己の内面とのバランスは、むしろ反比例していて、
おそらく世相は、いつの時代を扱っても
「分かりやすさ」と「やわらかさ」を求めているので、
「お堅いもの」には見向きもしない。
それが商業活動の、非情な原理であって、結局思考を停止させている自分を寒々と眺める。
そして宣伝活動を最小限にとどめる方向に進む。
それは、anywhere but here を夢見るだけで、一歩も踏み出さない己の愚昧にも重なる。

そんなごたくはどうでもよい。

クロポトキンの精神の潔癖さは、透徹したまなざしは、科学的な探究心はどこまでも美しい。
だから百年前から一向に色褪せない。
幸福な貴族の子息の彼が、農奴やシベリアの流刑者や中国奥地の人々に向ける、理想主義とはかけはなれたコスモポリタンの視線に、心揺さぶられない人がいるだろうか。
アレキサンドル二世の近習となり、あえて約束された未来を蹴ってシベリヤ自治に向かい、軍籍を離れ、地理学者として測量と未知の地形を予測する。
端々に彼の自己破綻なき信念と将来への跳ね板が、露わにされ、クロポトキンがアナーキストになるべくしてなったことが、よくよく伝わる。
このような背筋に悲愴で清廉な芯がぐいと差し込まれる読書は、そうそう出会えない。
そういう瞬間だけ、誰かと一緒に泣きたくなるのだけれど、
本当に自分が望んでいるのか、架空の友、地球のどこにもいない友に手を振るだけにとどめる。
僕にはこの振動を伝えるすべが、何もないので、ただ手を振る。

革命というものは、そもそもの出発点から、「踏みにじられた抑圧されてきた者」に対する正義の行動でなければならないものであって、あとになってから行われる償いの約束ではないのである。でなければ、その革命はかならず失敗する。不幸なことに指導者というものは、戦術問題などにばかり夢中になってしまって、いちばん大事な問題をわすれてしまうことがよくある。大衆に向かって、新しい時代がほんとうに始まったんだということをわからせることができないような革命家は、絶対に革命の大きな目的を実現することはできない。  210-211pp







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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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