2017-10

bags

あれ、こういうのなんていうんだっけ
フラッシュバックでもなく
精神的なリバウンドというか、ぶり返しというのか。

3週間ほど調子かなり良かったのになあ
もちろん調子いい時でも小波はきてて、ふっとおちてたけど。
先週、ものすごくデシベル巨大な典型的なおばさん同僚さんに話し掛けられて
いや話し掛けられる前に別の人に掛けてる声が、
もうどうしようもなく威圧的でうるさくて、
心臓バクバクで、必死で耳塞いで 
左は聴こえないから、右耳ぎゆうううううううと押さえて
それでも声は聴こえて、機械にしがみついて目を瞑ってたら
いつの間にかおばさん二人になって僕の前にいて 
威圧全開で何か吠えている
これが怒りではなく、単なる依頼、単なる暇な仕切り屋の命令なのだ。
なのに何故そんな口調、そんなデシベル?
消えてくれとおもいながら、はいはいと最小限頷いた。
くらくらして、過呼吸でしゃがみ込む、くらくら。

ここからおかしくなってしまった。
ついでに日曜の研修。
普通の道徳の授業というか、猛烈な理想論、精神論。
それだけできて普通に毎日勤務していられるだけで、じゅうぶんじゃないか?というような事例でも、
なぜ彼女は協調性、積極性でB評価(普通、問題はない)しかもらえないのか、どう改善したらA(期待以上)になるが、さあグループで意見硬化しましょう
と、恐怖の時間が続いたのであった。
ほんと、毎日定時に出勤することができる、人と話せるということが、実際はどれだけ高ハードルか、分かってもらえないんだな。 
  
ささやかな、けれども僕には悪しきトリガーが2度引かれたことにより、絶不調に戻りつつある。
薬効いてるはずだけど、全部気の迷いだったの?
また明日が怖くて寝られない。
湿疹はどんどん拡がってゆく。
ずっとこの繰返しなのかな。

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パレアナ

人はひどく矛盾しているので、
夜や孤独を求める傍ら寂しさをしとねにまぶたを閉じる。

常に向き合うのは、己と儚く散る夢想の欠片。
記憶の底にある書きかけの物語は、毎日取り出され、綴り連ねられ、砕け散り、また浮かび、また沈み、二度とは帰らぬうたかたとなる。

昔、押し入れではない、引き戸ではないその空間を、僕たちは夜具入れという名で呼んで、確かに昼間は布団が詰め込まれていたのだけれど。
あれは本当に今でも夜具入れと呼ぶのか。
夜になると、夢の道行きの布団が外にでて、そこは朝まで空洞となる。
その高い段によじ登り、見渡せば布団の敷かれた八畳間は、昼とは違う景色に見えた。
がらんどうになった洞は、ただベニアに囲まれた空間にすぎなかったはずなのに、夜でも昼でもない、異相に思えたものだ。
本当に眠る前の、わずかな空間は、家という怪物から僕を引き離した。本を読む楽しみを知る前の子供たちは、夢想の種を別のどこか遠い遠い他人の与り知らぬ土地から拾ってきて、少しずつそこに埋めるしかなかった。

今は夜具入れもないけれど、本を知ってしまったけれど、他人の物語も発端になるだろうけど、昔植えたあの種が、ふと芽吹いていることに気づくことある。

それを知るには、夜が必要であり、孤独が不可欠であるのだけれど。
濁り、矛盾が深まると、すぐに見失う。

芽は蔦のように高い塔のてっぺんまで登攀しているのだが、僕は夜を暗く暗くできないがために、裾の枯れた一葉、緑から黃、濃紅へと瞬く間にかけて朽ち砕けた骸だけを見ることになる。
からからに乾いた欠片は、響きだけを残す。

そこに郷愁はない。
怪物の後ろ姿だけが今はなきベニア、どこかの廃材置き場で折られた板にぬっと影を落としている。

それは求めた種ではなく、恐れの残滓である。

ダイアナ

獅子文六の「娘と私」をあらかた読む。

平易で読みやすく感情の襞を追いかけなくとも、大変詳らかにされている。
名前は変えてあるが、自伝小説で、フランス人の奥様と日本に帰国し、娘が生まれ、妻が死に、次の妻も死にゆく。
娘を育てる、仕事を真面目にするという、文人としてはひどく真っ当な心持ちで、時折あれこれ嫌なことにムスリとしたり、利己的な感情を露わにするけれど、道を逸脱することはない。
そもそも不良は社会の枠を意識しすぎるから起きるので、個人主義者は自身の内面に拘泥しても、あえて暴れてやろうとかいう気概は生まれないのだろう。
だから、この小説にかつて聞かれた文人の破天荒なおかしさを求めても仕方ない。
また、あるいはNHKの朝の連ドラ第1作となったのがムベなるかなで、これが延々続く朝の風景、日本人の好む、女の子の張り切る姿、家族の奮闘の基盤を描いている。
これは奮闘であって、闘争とまではいかず、ましてや相克にまでゆかない。
そのくせドラマとは違って、現実にあったことなのでカラッと晴れ上がることもなく、ジメジメとしている。

説明しにくいな。
なんだか、相容れない、としか言いようがないか。
家族を相当あけすけに描いていても、悲壮も笑いも共感も、一つもないといえばいいのかな。



メイガン

夜布団で目を閉じるのがこわい。
明日、ちゃんと正しい時間に起きられるかしら。
明日、這ってでも間に合うかしら。
心臓が苦しくなる。

日中、誰とも話さない。
一人で森や荒野をつくる。
中で英語を読んでいる。
二百年前のおとぎ話を読んでいる。
知らない単語でけつまずく。
つまずいて、また転んで、ヨロヨロして。
タイマーにびっくりすると
森が消えて、目の前に蛍光を発するスライドガラスがあったり、見えない単位で組み換え合体させた遺伝子があったり、大腸菌が手を振っていたりする。

あの荒野は冷え冷えとしているので
本当はちっとも行きたくない。

ミランダ

今読んでいるのが、伊東忠太に関する本なのだけど。
内容の良し悪しはまた書くとして
文章のリズムが体に合わないということが、評論や研究書でもあるんだなあと感じる。
句読点、体言止め、論点抽出のための疑問符。
それら全てがことごとく合わないので、戸惑う。
ものすごくよく調査されているのに、勿体ないとも思うけど。
実はこういう感覚は、受け取り方があまりに人それぞれなので、仕方がないや。

それにしてもチュータという音は語呂が良すぎるね。
口の中で転がして、なんと軽やかな音だろう。
普通、稀有な音の方を選んで、
つまりその人が唯一無二であることを選んで呼称にすることが多いから。
たとえば夢野久作は、みな夢野と呼び、久作とはあまり言わない。
乱歩や虫太郎も、珍しい方か。
でも親近感より、尊敬系だと苗字なのかな、どうでもいいけど。
谷崎、三島、塚本っていうだけで、ありふれた苗字もオンリーワン感でるのは、すごいね。

いや、その評論の中で、余りに忠太、忠太っていうものだから。
いかに唯一無二のチュータといえども
たまには「彼」という代名詞使ってくれないと、すごく落ち着かないのだな。
そして、この本の結論としては、「忠太の限界」を諸々の観点から述べているので。
なんだか親しみというより、題材なのかなとも感じ、余計に違和感になるのだ。

愛がないのよね、結局。
リズム云々より、そこが一番残念だったりする。

**

日々ますます喋れなくなってゆく。
声とか反応とかまして笑顔とか。
全部砕けてちって、見守るしかない。

夜、電話のコール振動。
もちろん、吐き気がすごくて、近づけない。
着信履歴がこわくて、まだ触れない。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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