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もう何度も書いてきたように思うけど。
ウツ神が背中にのしかかろうと、辛い時間が重なろうと。 僕は自分が、「ツイテイル」と信じて疑わない。 無宗教だけど、限りなくプロテスタントに近しい場所で、守護神が手助けしてくれていることを、一度足りとも疑ったことがない。 だからこそ、いつもウツと同時に、贅沢貧乏を味わっている。 僕は垣根が高い。 一見低く見える部分もあるかも知れないけど、隙間なく張り巡らされた感知器に、一瞬でも触れられたら。 赦さない。 僕は、どういえば、真の意味で伝わるのか分からないけど。 もう悲しいほどに、他人が苦手なんだ。 昔は、「嫌い」という言葉を使ったけど、今は、たとえば、テレビの箱の中(今は箱も薄くなってるらしいけど)、ラジオの中から、見え聞こえするだけで充分。 でもネットは、単方向で済まないことが多いから。 それゆえに、ひたすら発信か収集だけで、留めておきたいのだけど。 発信時に、語りかける口調を使ってしまうのは、いわば極限定された個人、あるいは偶像に対する呼びかけに過ぎない。 ということで。 「閉鎖」とは「閉鎖」以外の他意を含んでいないのです。 精神だけ潔癖症の僕には、「継続」において心の片隅に持っていたある種のさもしさが、我慢なりませんでした。 こんなにも他人が苦手なのに、一方で反応を求める行為を続けることに、耐えられませんでした。 だから、もう「嘘」をつくのはやめようって、思ったんです。 以上、この件に関しては、二度と触れるつもりはないので。 この意味不明な呟きから、ニガヨモギの先端でも見つけていただけば幸いですと。 で、そんな僕は。 ちょっとした知人100人に囲まれて共同生活3日間過ごすよりも。 無人島に1年いる方がいいので。 世の中のありきたりな質問であるところの。 「無人島に持っていく、一冊は?」という質問に叶う本を、時折考えていたりします。 何度読んでも飽きたらず、ちょっとやそこらでは暗記できず、感情的に走りすぎもせず、興味つきない語録が溢れている。 とくれば、多分現在最初に思いつくのは、「黒死館」でしょうが。 「彼方」も仲間に入れてやりたいなあと、思うのです。 そして、両者には、無人島のお供にふさわしい共通点があり、同時にふさわしくない共通項も併せ持っていたりします。 語彙語彙語彙語彙語彙の海は。 澄んだ海水に漂う未知の生物で、確かに賑やかで楽しく、煙にまかれては、またきらびやかな色彩に惑わされるのですが。 いかんせん、図鑑を持ち込めないので、生き物の学名を知ることができません。 かように、「黒死館」も「彼方」も、万が一暗記できたとしても、本当のぶら下がる過剰なモビールの真意を知ることができないのです。 つまり、無人島にも竜宮にも、司書はいなくてもいいから、∞図書館を設置してもらわないと、調べものをして遊ぶことができず、ちょいと欲求不満が重なってしまうのです。 そうなると、こいつは矛盾なわけで、あえなく二冊は鞄から出さなければならなくなりました。 じゃあ、絹子の一冊といえば。 いまのところ、電話帳・笑。 もっと正確に言えば、タウンページよりハローページ。 遊びの想像はそれこそ無限大に膨らみます。 たとえば、7桁の番号であれば、全頁を000-0000から999-9999まで、並べ直してみる。 抜けが出ている確率を調べる。 フリガナは振られていないから、変わった名字や名前の読み方を想像する。 番号に+-*/を組み込んで、美しい数字を作る。 名字と名前を組み合わせて、お馬鹿な名前や、洒落のきいた名前を作る。 麗しい名前ができれば、それに見合ったお話を想像する。 最高のデータシートの塊じゃないですか。
と話はどんどん横道にそれたけど。 「彼方」はストーリーはトンデモ系です。 ユイスマンス作品はみんなそうらしいけど、小説の体裁を辛うじて保ちながらも、評論といったほうが手っ取り早いです。 でも、「彼方」はまだ筋がある分、逆に筋を辿ると、アラアラと口が開いてしまうこと請け合い。 そう、小難しく捉えること人が多いのは百も承知の上で。 敢えて僕は笑い飛ばせるよ! だから可愛いんじゃないか! と撫でてしまえるのも、「黒死館」と共通するところであります。 今晩は、感想第一回だから。 詳細は次に送るとして。 ああ時代巡れど、同じことに嘆く人多し。 かような嘆きを吐かせてしまうところも、げに愛しいのお。 ってところを引用したいと思います。 主人公デュルタルと友人のデ・ゼルミーの掛け合いって、一人の人間が創作対談作ってるみたいな偽物臭い感じが出てるんだけど。 反駁仕合わずに、一本の流れに収束しがち。 とはいえ、一応の相づちは打つけど、お互い好き放題にしゃべくるから、おかしくってしょうがない。 法水と久我鎮子みたいに、自己陶酔しつつ(笑)炎上してもらいたいんだけどね。
うーん、気持ちいい。 かくいうユイスマンスは、社会的には終生、実直な内務省官吏であったのでした。 いいなあ、こういう二面性と禁欲をはらんだ内燃機関。 |
アンテナが増えると、引っかかるものが増えるというのは当然の道理で。 それが増えた直後のだと愉しいという思いの方が多いのだけれど、アンテナの重みである日突然ぐわっと頭を掻き毟りたくなる。。こともなくはない。 素氏によれば、この本は発売当初ひそかなブームを巻き起こしたらしい。 ベストセラーなど目もくれない毎日だけど、その割りに今まで古書店で見過ごしていた。 変なタイトル。 悪魔崇拝的(嗚呼まさに、「彼方」は悪魔のイビキも同然でありますが)なものを想像して、あれれと首をひねり。 モノクロで製版された山本作兵衛氏の絵に惹きつけられた。 そして、古書店で、ちゃんとその画集が私を手招きして待っていたんだから、アンテナ作用も笑えます。 この絵から最初に連想したのは、香港タイガーバーム公園を彩るヘタヘタだからこそ無残な地獄絵巻。 無残と同居する活力と不調和な明るさは、本文の吸引力にそっくりそのまま引き継がれている。 一気に読了して、こんな一時も目を離せないような面白い本久々だなーと。 面白いの一言でまとめちゃいけないけど。 それでもオモロイという叫びが、こういういまや忘れられそうになっている歴史の新たな呱呱になるんじゃないのかな。。。とも思う。 どうしても浅薄な感想になってしまうけど、眼を覆いたくなるほど酷い扱いを受けた炭鉱人たちの悲惨さの裏側には、おかしみや愉しみがあり、必ずもう一度そこへ戻りたいと願ってしまう求引力があった。 この二面性を何よりも強く上野さんが訴えかけてきている裏には、筆者自身、かつて悲惨の側しかルポルタージュできなかったという、悔恨と慙愧があるから。
上野氏はこの批判を受けて、闇にはさらに深い闇がひそみ、さらなる深い地底、いつ崩れるかもしれぬ地の底にある明るさをも見いだそうと試みている。 「笑い話」というのは、決して表面的な語ではなく、疲れ果てた鉱夫たちをわずか一時慰める口伝えの噺だ。 怪奇あり、艶笑あり、悲嘆あり、噴飯あり。 種々の内容にかかわらず、慰めと活力を与えた根元に、「笑い」という語を当てている。 また、鉱山独特の「ケツワリ」「八木山越え」「スカブラ」といった語にも、何層にも重なる意味が含まれているんだと、もう眼が離せない。 「ケツワリ」というのは、朝鮮語の「ケッチョガリ」が転じたもの。 被圧迫民として地底に投げ込まれた朝鮮人の悲惨な運命が、鉱山から鉱山へと点々と逃げ惑う日本の鉱夫にも定着したらしい。 上野氏も、「尻を割る」という生々しい語感が、一旦は定着したはずの底を叩き割るという、肉体的な痛覚の凄まじさに通じて、彼らに愛用されたのだと読み解いている。 で、その逃亡だけど。 逃亡に失敗すれば、晒し者として死に瀕するほどの責苦を与えられるといった一面から、監督側があえて逃亡へと追いこむパターンもあったらしい。 つまりマージンの甘い汁を吸い取った監督(納屋頭)は、追いかけるふりをして、逃がしてしまうことも。 決死の山越えの最中、真っ暗闇で人の気配を感じて睨み合い、二つの集団があわや殺し合いになりかける瞬間、相手もまた自分たちが向かおうとしているヤマからの逃亡者と気づいて、大冷や汗をかくことも。 また、どんな鉱夫よりも蔑まれた部落出身の男をかばった礼に、逃亡中、部落にかくまってもらった家族。 そして、猛者の中の猛者たちは、決して逃亡不可能といわれた離れ島から逃亡し、わざわざ俺はケツワリだ、いま○○にいるから早く探しに来いと葉書まで書き、一つ成功を収めると、新たな難所を求めて別の離れ島の鉱山へと入っていく。 「スカブラ」というのは、著者もはっきりとした語源が分からなかったらしいのだが。 「スカッとしてブラブラ」とある老人に言われた、あっけらかんな説明に妙に納得してしまう。 スカブラは、みんなと一緒にヤマには入るけど、一向に仕事をしない人間のこと。 鉱夫のおしゃれは、真っ白の手ぬぐいを各人各様に工夫して締めることだったらしいのだけど(熱い坑内は裸同然)、みんなあっという間に真っ黒にする手ぬぐいをスカブラだけが、白いまま輝かせているという具合。 じゃあ、彼がみんなから嫌われ、厭われていたのかというと、決してそんなことはなかった。 スカちゃんと呼ばれて、大事に可愛がられていた。 スカブラは、日に何度も現場と詰め所を往復する。 ツルハシを一度も振らずに詰め所に向かって、だらだらと係員とお喋りをし、ヤマに戻ってはみんなに休憩時間だ、ほらもっと精を出さないと終わらんぞと声をかける。 そうすると、何故か仕事はめきめきと捗る。 一方で、このおかしなスカブラが時計の代わりをしてくれない日には、一向に作業が進まない。
ああ、なんていいんだろう、この文章。 そして、落盤事故が起こった日、今まで一切仕事をしなかったスカブラは、三日三晩一時も休むことなく、仲間を助けるために働き続けた。 係官も、納屋頭も、どんな偉い奴も、みんなスカブラに怒鳴り散らされて、救助に向かわされた。 そんな出来すぎにも思える噺にも、純粋に頷いてしまう。 もっと巧く紹介できればいいんですけど。 ほんとにオモロイので、是非一読あれ。
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延ばし延ばしになっていたタスポの申込書をようやく作りました。 久々にスピード写真撮ったら(パスポートサイズじゃないとだめなんだ) まったくの別人で、これでいいんかい!というくらいで。 こんな大きく撮らせるくせに、セロテープで貼れってどういうことなんでしょうか。 と、やらないといけないこと、やりたいことが一杯なのに。 気持ちはダラダラで、一向に前に進みません。 そのくせ、気分の大半は退屈虫に取り憑かれている。 ということで、ずっと放置していた、工作をやってみました。 このキット、かなりよく出来てます。 万華鏡の一番コアな部分、三角形に鏡を組み合わせるのが、やはり一番難しかった。 というか、表面の保護シールを誤って一度で剥がしてしまい。 指紋付かないように組み立てるのが、大変だったと。 光源の前に水平に差し込むのが、液式の試験管なんですが。 液式のどろどろ粘稠度をあげるために、液体のりか、ガムシロを使えと。 つまり、キットには含まれていないのですよ! 液体のりは、下手すると、固まる可能性も考えられ、試験管が一回でダメになることも予想されたので、ガムシロ使いました。 ゴム栓を閉める前に、リード線を入れておいて、引き抜き、恐らくエア抜きを簡単にさせているんでしょうが。 ガムシロって、つまり砂糖だもんねえ。 ある日気づいたら、中に入れたはずもない、緑や黒のふわふわが踊るんじゃないかと。 ちとびびってます。 なので、職場で実験用のグリセリンくすねてこようかな。 おそらく50−70%くらいに希釈すべきでしょう。 じゃ、水道水より、蒸留水の方が、よりカビ防止になるかな。 ただ、グリセリンはグリセリンで、火気厳禁だし。 本書でオススメされている、中身の一部、石油系のものには、合わせられませんね。 しかし、、、ハーブやドライフラワー詰めるのはよしとして、イクラやイナゴって、、、怖すぎる。 自家製琥珀の世界。 投影は、15センチと75センチが選べます。 ピント合わせが難しいけど。 あと勿論、眼に直接あてて、眺めることもできる優れもの。 初期の蝋燭ポンポン船時代などに較べると、かなり応用が出来るキットで嬉しい。 試験管の太さが合えば、以前購入した、孔雀洞さんの液式も使えるんだけどなあ。 |










